human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

◆読書

生きた言葉と公案(まえおき)

「公安」ではなく「公案」です。『無心ということ』(鈴木大拙)をルカラガーム(月パスで通っている京都のジム)で読んでいる時に、 「活句と死句」という表現を見つけ、 この「活句」こそが僕がブログで何度も考えてきた「生きた言葉」のことだと思い、 嬉…

着脱式鰓呼吸器の詩

最近、仏教や禅の本を並行していくつか読んでいて、 おそらくそのせいで文章があまり書けません。何度か動機が湧いて書き始めたことがあって、 でもだんだんと内容が書きたいことからずれていって、 それ自体はいつものことですが、 その収拾のつかなさを放…

マクラナマクラマクナマラ

ニュークリア・エイジ (文春文庫)作者:ティム オブライエン発売日: 1994/05/10メディア: 文庫 (22)ロバート・マクナマラ──Robert McNamara ケネディ=ジョンソン政権におけるエリート高級官僚、いわゆる「ベスト・アンド・ブライテスト(アメリカ最高・最良…

「シミルボン」アカウント作りました。

この一つ前の記事を書評ということにして「本が好き」に投稿し、ようやく100冊目となりました。 前↓に言ってから半月近く経ってしまいました。書評サイトのこと - human in book bouquetなにはともあれ有言実行、 さっそく引越し先の書評サイト「シミルボン…

脳化社会の「もう一つの側面」/ローファイ絶望社会論

『未来を失った社会』(マンフレート・ヴェールケ)を読了しました。原著は96年初版で、統計データなどは古いのですが、語りがいい。 「絶望の舌鋒を振るう社会学者」とのことですが、楽観はもちろんないが、悲観とも違う。 ラジオの天気予報のように淡々と…

googleはググれない

エントロピーの最果ては、ただ一つ。 思考とは、その過程のシントロピー。 エコロジーの問題は、現代文明の自動破壊的傾向と道徳の欠如がことのほかはっきり現れる領域の一つである。それは、言語統制とか抑圧、なだめすかし、居直り、テクノクラシー的対処…

「我輩は官僚である。名前はもうない」

『未来を失った社会』(マンフレート・ヴェールケ)という本を読んでいます。「社会もいずれは必ず人の一生と同じ経過をたどる」という標語を掲げ、 無秩序の増大であるエントロピー現象が社会のあらゆる領域で起こる様を、 歴史事件や統計データを並べたり…

青豆とピーナッツ

『遠い太鼓』(村上春樹)をひさしぶりに再読し始めました。 一度目に読んだ時に書き込みがあって、初読は9年前だったようです。 つい最近オフィスで選書中にふと連想したのがきっかけなのですが、 他のきっかけが多すぎて、家にいるとそれが具体的に何だっ…

出生率改善の劇薬、野党「ババ抜き」必敗則

『老いてゆく未来 GRAY DAWN』(ピーター・G・ピーターソン)を読了しました。2001年出版、原著は1999年でデータは当時のものですが、 少子高齢化問題について包括的な考察がなされています。 未来予測というより問題提起に力点があるので、 統計データが古…

「TRAVERSES/6」を読む (2) - 言葉は社会を動かせない

2021.1.16追記タイトルで言いたかったことが本文に尽くされないまま途絶しているので、最初に要点だけ。仮説ですが、六十年代後半からの世界的な若者の運動、それに呼応する現代思想の躍動がバネにしていたのは、「強い(鋭い)言葉は社会を動かすことができ…

世界が個人になってきた

この理論は、非蓋然的なコミュニケーションを三つの基本的諸問題の諸側面に関して蓋然的なコミュニケーションへと変換する際に必要とされる一連の媒介物を包みこむ一般概念を要請する。そのような媒介物を「メディア」と称することとしよう。 「第三章 コミ…

「TRAVERSES/6」を読む (1)

20世紀末のフランス思想誌(の翻訳)なるものを読了しました。 テーマは、冷戦とか、共産主義とか、ポストモダンとか、第三次世界大戦とか…世紀末の政治 (TRAVERSES)メディア: 単行本近現代の世界史(=本書を読む大前提の知識)に疎い人間が手を出す本ではな…

ドーマルとルーマン、〈山〉の掟とアナロジーの集中力

「おしまいには、とくに〈類推の山〉の掟のひとつを書きこんでみたいんだ。頂上にたどりつくためには、山小屋から山小屋へと登っていかなければならない。ところが山小屋をひとつはなれる前に、あとからやってきてそのはなれた場所に入る人たちを用意してお…

ドーマル、多和田葉子、橋本治と「メタファーの力」

ルネ・ドーマル『類推の山』を、その本編を読み終えました。未完の遺稿というのが惜しいです。 何も知らずに、それからまだまだ続くはずの「……」で章が終えられた次の白紙のページに出会って、呆然となりました。 そして、 ただ、それはもう、そういうものな…

「権力を取らずに世界を変える」個人編

下記引用の太字と傍線の意味は、文脈上の種類の違いです。 何十年もまえから、科学的研究は、もはや疑いのない正説という指針のもとに行われることはなくなった──とりわけ、認識理論および科学理論においてそうであった。一般に受け入れられた方策は、「プラ…

ポスト・トゥルースの意味

ルーマンの文章はことさら、その文章だけ読んで何を言っているかがさっぱり分からない。 だからその文章に補助線をいくつもいくつも、たくさん足すことになる。 すると当然その理解は自分(の文脈)だけのものになるが、同時にもう一つ気付く。 補助線を描き…

システムの主観、遺伝子の語り

なにかが述べられなければならない。つまり、他者が存在すれば、すくなくとも善良で平和的な(あるいは邪悪で攻撃的な)意図が示されなければならないのである。 「第一章 社会システムのオートポイエーシス」p.14 ニクラス・ルーマン『自己言及性について』…

『生活世界の構造』読了

『生活世界の構造』(アルフレッド・シュッツ、トーマス・ルックマン)を本日読了しました。長かった。 一年くらいかかったでしょうか。監訳者あとがきを読んで、巻末の事項索引にまで線を引いて、そしてその流れで最初のページから(自分が線を引いた所だけ…

デジタル平安時代の崩壊とその先

日本の歴史を見ていると、外国でもそうかも知れないが、何か外来の事変に出くわすと、内に蔵せられて今まで気のつかなかったものが、忽然首を動かして事物の表面に揺ぎ出て来るのである。何か刺戟をもたぬと心の働きの鈍るのは、個人生活の場合は固よりそう…

「不気味の山」とリアリティの解像度

電子の仮想空間が誕生する以前から、人間は夢を見ていた。夢と現実を取り違えないでいられたのは、夢が現実に比べて圧倒的にデータ量が少なかったからだ。多くのメモリィを必要としない、解像度の低いものだった。合理的な秩序も、緻密なディテールも、そし…

対話と株式会社性、誠実な近視眼と形式に対する食傷

党派性を超えて政治を語ること。 政治とは利害調整のことだが、党派が対立するのは、 こちらとあちらの利害が異なるからである。互いに利益となる政策なら反対意見は出ないし、 互いに損害を生む事業は誰もやろうとは言わない。 一方の利益が他方の損害を招…

ハイエクを読んで:被害者先取、他律主義、そして自暴自棄

まさしく、ほとんどすべての人が望んでいるからこそ、われわれは社会主義への道を進んでいるのである。その歩みを不可避なものとするような明白な現実があるのでは決してない。「計画は不可避である」と主張されている問題に関しては、あとでぜひとも論じな…

小川洋子とイチローと「善意解釈の原理」

自由市場におけるある種のウソは、人々に犯人をまるで透明人間のように扱わせる。問題はウソそのものにあるわけではない。システムに最低限の信頼が必要なのだ。古代の環境では、ウソの中傷を広めた者は生き残れなかった。 善意解釈の原理は、相手の発言をあ…

書評サイトのこと

https://www.honzuki.jp/user/homepage/no2314/index.html 自分が過去に書いたブログ記事を何かのきっかけでふと読み返した時に、 本について書いてある記事を書評サイトに投稿することが時々あります。さっき、そのようにして投稿したのが97冊目でした。デ…

ストイックの倫理

アイン・ランドのリバタリアニズムに通ずる記述を見つけました。現代的な個人主義の理解は、この引用に寄せて書けば、 「倫理的最高価値としての自由」が、 「自己以外の存在の変改や抹消を意味」する、 ということになりますが、ほんとうの(発祥としての)…

個人を殺す個人主義の時代

権力/依存、あるいは命令/服従というタイプの関係は、ひとたび作動するとそれだけで自らを強化し、正当化する傾向を持つのである。言うまでもないことだが、かつてジャン・ジャック・ルソーが述べたように、「おのれの力を法に、そして服従を義務に変える…

甲野善紀氏の simple complexity についての私見

複雑性(コンプレクシティー) 確実な計算のための情報が欠けていること。複雑性の下では処方箋を書いても呪文を唱えても効き目がない。ただし、「それ自体として」複雑な対象があるわけではないのであって、ある構造がどれだけ複雑で「ある」かはそれを記述…

「いいんだよ」

「パパ」 「なんだい?」 「パパって、ほんとに、パパ?」 「たぶん」 「ぜったい、っていって!」 「なんで?」 「こわいから。パパ」 「なんだい?」 「ぼくって、ほんとに、ぼく?」 「そうだよ」 「えええっ! なんで? パパは、パパじゃないかもしれな…

不死身(富士見)の伝統芸能「純粋暗箱形式主義」

それ以来、人々はポスト・イストワール的に硬直した世界に動きをもたらす「情念(パトス)の型」を求めてきた。失われた「生の緊張」を、改めて純形式的に、生活世界に注ぎ込もうというのである。これが、コジェーヴが分析した魅惑的現象、すなわち純形式的…

現実へのリンクとしての「自己包摂性」

自己包摂性(アウトローギッシュ) 自己包摂的な概念とは、その概念自体を定義のなかで用いることによってのみ定義できるような概念である。そうした概念は、その概念自体に適用することが可能であり、必要でもある(そうしても無意味にはならない)。たとえ…