human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

◆読書

小川洋子とイチローと「善意解釈の原理」

自由市場におけるある種のウソは、人々に犯人をまるで透明人間のように扱わせる。問題はウソそのものにあるわけではない。システムに最低限の信頼が必要なのだ。古代の環境では、ウソの中傷を広めた者は生き残れなかった。 善意解釈の原理は、相手の発言をあ…

書評サイトのこと

自分が過去に書いたブログ記事を何かのきっかけでふと読み返した時に、 本について書いてある記事を書評サイトに投稿することが時々あります。さっき、そのようにして投稿したのが97冊目でした。www.honzuki.jpデータを見返せば、9年半ほどこの書評サイト「…

ストイックの倫理

アイン・ランドのリバタリアニズムに通ずる記述を見つけました。現代的な個人主義の理解は、この引用に寄せて書けば、 「倫理的最高価値としての自由」が、 「自己以外の存在の変改や抹消を意味」する、 ということになりますが、ほんとうの(発祥としての)…

個人を殺す個人主義の時代

権力/依存、あるいは命令/服従というタイプの関係は、ひとたび作動するとそれだけで自らを強化し、正当化する傾向を持つのである。言うまでもないことだが、かつてジャン・ジャック・ルソーが述べたように、「おのれの力を法に、そして服従を義務に変える…

甲野善紀氏の simple complexity についての私見

複雑性(コンプレクシティー) 確実な計算のための情報が欠けていること。複雑性の下では処方箋を書いても呪文を唱えても効き目がない。ただし、「それ自体として」複雑な対象があるわけではないのであって、ある構造がどれだけ複雑で「ある」かはそれを記述…

「いいんだよ」

「パパ」 「なんだい?」 「パパって、ほんとに、パパ?」 「たぶん」 「ぜったい、っていって!」 「なんで?」 「こわいから。パパ」 「なんだい?」 「ぼくって、ほんとに、ぼく?」 「そうだよ」 「えええっ! なんで? パパは、パパじゃないかもしれな…

不死身(富士見)の伝統芸能「純粋暗箱形式主義」

それ以来、人々はポスト・イストワール的に硬直した世界に動きをもたらす「情念(パトス)の型」を求めてきた。失われた「生の緊張」を、改めて純形式的に、生活世界に注ぎ込もうというのである。これが、コジェーヴが分析した魅惑的現象、すなわち純形式的…

現実へのリンクとしての「自己包摂性」

自己包摂性(アウトローギッシュ) 自己包摂的な概念とは、その概念自体を定義のなかで用いることによってのみ定義できるような概念である。そうした概念は、その概念自体に適用することが可能であり、必要でもある(そうしても無意味にはならない)。たとえ…

現実のふり、の現実、のふり、の…

だいたい、パパがお話をしてくれるのは、寝る前だ。パパはこんな具合に始める。 「さて、もう寝る時間だ。その前に、ひとつ、お話をしよう。ききたいかい?」パパはいった。 パパは、ぼくにお話してくれる前に、かならず「ききたいかい?」という。「どうし…

鶴見俊輔の「菌糸眼的思考」

自分が生きてゆくにつれて視野がひらける。そういう遠近法を捨てることはできない。しかし、そういうふうにしてひらけてくる景色には、自分にとって見えない部分がふくまれる。この自分にとって見えない部分を見るというのは、できないことだが、見えないも…

責任の孤独

「どうしたんです?」院長はいった。 「いや」わたしはうろたえていった。 「なにか話したいことがあると思ったんですが。よく考えたら、話すことは別にありませんでした」 それから、また、わたしは黙った。院長もだ。いやはや。たまりかねて、わたしはいっ…

「テキトーと適当のあいだ」の民主主義

もし、キリスト教やイスラム教、プラトニズムやマルクス主義やハイデガー思想の中に何か非民主的なものがあるとすれば、それは〈人間〉や〈理性〉や〈歴史〉の本性に関する何らかの特定の学説にあるのではなくて、これらの宗教や哲学をあまりにクソ真面目に…

Goodbye, and Goodhello

ねえ、クリストファー・ロビン。もういってもいいよね、「疲れた」って。ぼく、ほんとうに疲れたんだ。 世界がこんな風になったのは、向こうの世界で(どんな世界か知らないけれど)、とんでもないことが起こったからだ、というやつがいた。だから、ぼくたち…

尽きぬ流れの「初源」の風景

『水源 The Fountainhead』(アイン・ランド)を読了しました。 かなりの大著で、平日に一日1~2時間読み進めて、半年かかりました。あとがきに書いてあったことですが、 著者は20世紀初期にロシアで生まれたユダヤ系の人で、本名はアリッサ・ローゼンバウム…

「システム」または「壁」、および「個」または「卵」にかんするリオタールの発言(1988)

それこそが《敵》なのだと私は思いました。《敵》は資本主義ではなく、私が《大きなモナド》と呼んだ、誰もコントロールできない発展のプロセスなのです。人間は自分たちがその発展の作り手だと思っていますが、実は人間は作り手ではなく、ただ単にその担い…

関心の模造・量産がもたらす世界観

『世界はなぜ存在しないのか』(マルクス・ガブリエル)という本に、 事実には二つの側面があるという論理があります。実際になにかが現実に存在していること、ふつう事実と呼ばれるものとしてのこれ、 だけではなく、 それを認識する主体(の意識・存在)、…

毎日新聞(1/26 日)と「宇宙空間の豚さんたち」

面白い哲学書においては、論題が抽象的でも、その議論が日常生活と有機的にリンクされています。僕の思う「有機的に」というのは、生活のこまごまとしたことに対する認識を変えたり、些事が新たな意味を獲得したり、あるいは哲学(的思考)そのものが生活の…

脳化社会における庶民の「抽象的土着」について

あるいは本題の5倍以上は長いまえおき 理解よりも前、それを目指す考察よりも前の、興味の段階にある状態が、 なにごとかを指し示すことがある。「普遍に至る個性」は、その個性が社会にもまれて生活している限りにおいて、 いわゆる個性的な人物でなくとも…

自覚を研ぎ澄ませた無垢(はまた今度)、電車スマホの異常空間における共同幻想について

読みながら、この人なんで「普通」ってことにこんなにこだわってるんだろう、ってそばにいたノボちゃんに呟いたら、ノボちゃんは、「こいつの言う『普通』ってのは、人が人の目を意識しないでとる行動、だから覗き見して初めて見られる他人のナチュラルな行…

マジックミラーの「閉鎖系多重反射」の怪

先の記事を書いていて、最後に読み返す時に、別の進路へ派生する思いつきがもう一つあったことを思い出しました。 cheechoff.hatenadiary.jp 以下の引用は再掲です。 「お前は誰だ」と訊かれて、優等生の言葉は風紀係の教師に向かい、「私は私だ、あなたの思…

ラディカルの未来形、マジックミラー・シティ、意識活動の質的変化

風紀係の教師の前に立たされた非行少女は、ただ一つのことを知っている。それは、自分の言葉がけっして相手に受けとめられることはないということ、もし受けとめられることがあれば、それは、相手が虚偽であるか、自分が虚偽であるか、そのどちらかの場合だ…

自覚の祝祭

いつまでも読み継がれる、古びない本があります。でも、本とは本来、そのような意図でつくられたものです。内容が古くなって、現代では読む「価値」がない本。 この「価値」は現代が下した判断です。だとすれば、それを疑うことは、古びた本を復活させること…

子どもに「かまう」人の視線と秩序

「でも子供を可愛がるというのとは、ちょっと違うんです。なんと言えばいいんだろう? 子供にかまう、という方が近いかな」 かまう? 「うちにも子供がいるんですが、犬伏はとにかくかまうんです。子供が好きなことはたしかなんだけど、可愛がるというのとは…

「遺産過多」の時代、消費対象としての時間、キュレーションと自販機

(…)しかし、すでにシャトーブリアンがこの加速化の経験を旧秩序の廃墟の抗いようのない徴と見ていたし、[ロバート・]ムージルもまた「加速化主義(accelerisme)」という表現を作っている。アレヴィはその試論をミシュレの引用から始め、ヒロシマのその後…

自己の定点観測、「りんとした現前」、幅のある瞬間

『「歴史」の体制』(F・アルトーグ)を読了し、二度目の再読に入っています。 8割以上が理解できず、なんとか意味が汲み取れた2割の中で重要そうに思えて印をつけた部分の前後だけを読み返すという再読。 やはりすぐには終わらない。歴史の体制 現在主義…

功利的な記憶、一億総葬送、そして椎名林檎

フランス革命の頃の、アントワーヌ・クリゾストム・カトルメール・ド・カンシーという人の文書から。 「誰が我々の精神にこれらの彫像が意味するところを知らせるのだろう? これらの彫像の態度は、何を対象にしているのかわからず、表情はしかめ面でしかな…

極北にて(1) - 想像の橋をリアルに渡る

今でもなお私は考え続けている。私がそれまでくぐり抜けてきた苦難を、それだけの価値はあったと思わせてくれる何かが、その飛行機に積まれていた可能性はあったのだろうか、と。 そこに何があったかではなく、そこに何があり得たかと、今こうして考えを巡ら…

高度情報社会と視線過敏症、いつも彼女たちはどこかに

「見る」ことと「見られる」ことの間には、バランスがある。 自分が誰かを「見る」とき、見ている分だけ自分は誰かに「見られて」いる。 たぶん、そういう視線交換回路、または視線交感回路のようなものが、人には備わっている。その回路は、生身の他者を前…

「"身銭を切る"は市場原理への反逆である」論

一人一人のアウレリャノがどういう人で彼が何をしてきたかを憶えていれば、何人アウレリャノが出てきても混乱はしない。そういう風に記憶していくためには、『百年の孤独』は一回真っ直ぐに通し読みしただけではダメで、読み終わったところを何度も何度も読…

極北にて(0) - マーセル・セロー『極北』を読んで

表題の通り、図書館で借りている『極北』を読了しました。貸出延長手続きを忘れて延滞になっていて、すぐ返す必要があります。 もちろんすぐ返すつもりですが、「読んでおしまい、さあ次の本だ」という風にはなりそうにない。 それだけ、これが僕が読みたい…