human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

◆読書

色即是空、お布施、命の重さ

江戸時代のお伊勢参りのマンガを読みながら考えたこと。てくてく ~東海道ぬけまいり~ (1)作者:山崎浩リイド社Amazon今でいうボランティアと、 お布施、またはお接待の感覚は、 違う。「情けは人のためならず」 という言葉は、その誤用でない正しい意味の…

「羊を持たない羊飼い」が最初にすること

自閉症的な社会では、それへの適応が自閉症的性質を亢進させる。 社会からの孤立(距離をおくこと)と全体性(ゲシュタルト性)の維持に相関がある、 という視点は、社会から一度も出ることがなければ、論理矛盾として斥ける以外にない。 × × ×引き続き、「…

群島思考 後編〜エコロジカル・ニッチのタネまき仕事

ビジョンが浮かんできました! やはり待ってみるものですね……別のことをしていても、他の本を読んでいても、 頭の中のどこかではいつもこのことを考えていたわけですが、 リースマン(『孤独な群衆』で有名な人)の本を今さっき読んでいて、 いちいちの記述…

群島的思考 前半

島に木が生えているのを見たら、どちらが先にできたとあなたは思うだろうか。自然な(そして普通は正しい)のは、島が肥沃な土壌を提供し、幸運な種がそこに落ち着いたと考えることである。マングローブの森はしかし、この一般的な規則の示唆に富む例外とな…

「百季夜行」、あるいは人形と踊る人形師

けれども、多くの問題は、そもそもその観測点の不同定を棚上げにして扱われている。ニューラルの変幻さを、一瞬だけネガフィルムのように反転固定した仮定の基に、ただ「こうでなければならない」という道筋を引く。それがロゴスだ。 したがって、疑うべき主…

Hello to "Blue-Box Parallel World" !

セネットの『クラフツマン』も、もう長い間読んでいますが、 海士町に来てからは毎週末の朝食後に読む習慣になってさらに遅読化し、 ようやくそれも最終盤になってきて、読了を惜しむ気持ちが出てきました。ひょんな偶然(というか偶然の偶然)ですが、 この…

「弱い現実」と「危険社会の参加率」

一冊の本を読んでいて、ふと思考を催す箇所に遭遇する。 それが区切りのいいところだったりすると、そこで本を置いたりする。 そして別の本を手にとって(続きを)読み始め、前の本を連想する箇所に出会う。それは一つの面白いことだし、「面白いな」で済ま…

危険社会の現実主義的頽廃と形而上的リスクヘッジ

社会が階級社会から危険社会へと移行するとき、共有という関係の質も変わり始める。 (…) 階級社会の発展力は、平等という理想とつねにかかわっている。(…)しかし、危険社会においては、このような価値体系は見られない。危険社会の基礎となり、社会を動…

GRAVITY LOVERS(前)

ちょっとしたきっかけがあって、 テグジュペリの『人間の土地』を五年ぶりに読み返していて、 童話でも小説でもなく、おそらく体験記だと思うのですが、 つまりジャンル的にはドキュメンタリーと言えなくもないはずですが、 そうだとすれば、この本の哲学と…

危険社会の自己言及とシステム的孤独について

『危険社会』(ウルリヒ・ベック)を最近読み始めました。危険社会: 新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)作者:ウルリヒ ベック法政大学出版局Amazon読もうと思ったきっかけ(最後にちょっと触れるつもり)はだいぶ前にあって、 しばらく前にテンポラリ…

Craftsmanship for Sensitivity

セネットの『クラフトマン』からの抜粋です。 CADはまた、設計士が、実物のサイズとはまったく異なるものとしての、縮尺(スケール)について考えるのを妨げる。縮尺には比率=バランス(プロポーション)についての判断が含まれている。(…)たしかにディス…

多義語滾りて御座候

再び、沼りました。 「無人島に一冊」はもうこの本で。 と、まだ読中(でももう終盤)の今なら思える。「読中の今なら」というのは、 思考が滾(たぎ)るのは橋本治の本を読む間が最高潮であって、 自慢でもなく単純に経験則として言えるのですが、 こんな文章…

「もののあはれ」とは喜怒哀楽が等価であること

相変わらず、家での読書は『小林秀雄の恵み』(橋本治)の「沼」に嵌ってます。今回はスタートが遅すぎる(本記事を書き始めた今はもう寝る時間)ので、 とにかくシンプルに思いついたことを書き殴り、たい。 (でも一つひとつ展開してったらかるく1万字は…

生きた言葉と公案(まえおき)

「公安」ではなく「公案」です。『無心ということ』(鈴木大拙)をルカラガーム(月パスで通っている京都のジム)で読んでいる時に、 「活句と死句」という表現を見つけ、 この「活句」こそが僕がブログで何度も考えてきた「生きた言葉」のことだと思い、 嬉…

着脱式鰓呼吸器の詩

最近、仏教や禅の本を並行していくつか読んでいて、 おそらくそのせいで文章があまり書けません。何度か動機が湧いて書き始めたことがあって、 でもだんだんと内容が書きたいことからずれていって、 それ自体はいつものことですが、 その収拾のつかなさを放…

マクラナマクラマクナマラ

ニュークリア・エイジ (文春文庫)作者:ティム オブライエン発売日: 1994/05/10メディア: 文庫 (22)ロバート・マクナマラ──Robert McNamara ケネディ=ジョンソン政権におけるエリート高級官僚、いわゆる「ベスト・アンド・ブライテスト(アメリカ最高・最良…

「シミルボン」アカウント作りました。

この一つ前の記事を書評ということにして「本が好き」に投稿し、ようやく100冊目となりました。 前↓に言ってから半月近く経ってしまいました。書評サイトのこと - human in book bouquetなにはともあれ有言実行、 さっそく引越し先の書評サイト「シミルボン…

脳化社会の「もう一つの側面」/ローファイ絶望社会論

『未来を失った社会』(マンフレート・ヴェールケ)を読了しました。原著は96年初版で、統計データなどは古いのですが、語りがいい。 「絶望の舌鋒を振るう社会学者」とのことですが、楽観はもちろんないが、悲観とも違う。 ラジオの天気予報のように淡々と…

googleはググれない

エントロピーの最果ては、ただ一つ。 思考とは、その過程のシントロピー。 エコロジーの問題は、現代文明の自動破壊的傾向と道徳の欠如がことのほかはっきり現れる領域の一つである。それは、言語統制とか抑圧、なだめすかし、居直り、テクノクラシー的対処…

「我輩は官僚である。名前はもうない」

『未来を失った社会』(マンフレート・ヴェールケ)という本を読んでいます。「社会もいずれは必ず人の一生と同じ経過をたどる」という標語を掲げ、 無秩序の増大であるエントロピー現象が社会のあらゆる領域で起こる様を、 歴史事件や統計データを並べたり…

青豆とピーナッツ

『遠い太鼓』(村上春樹)をひさしぶりに再読し始めました。 一度目に読んだ時に書き込みがあって、初読は9年前だったようです。 つい最近オフィスで選書中にふと連想したのがきっかけなのですが、 他のきっかけが多すぎて、家にいるとそれが具体的に何だっ…

出生率改善の劇薬、野党「ババ抜き」必敗則

『老いてゆく未来 GRAY DAWN』(ピーター・G・ピーターソン)を読了しました。2001年出版、原著は1999年でデータは当時のものですが、 少子高齢化問題について包括的な考察がなされています。 未来予測というより問題提起に力点があるので、 統計データが古…

「TRAVERSES/6」を読む (2) - 言葉は社会を動かせない

2021.1.16追記タイトルで言いたかったことが本文に尽くされないまま途絶しているので、最初に要点だけ。仮説ですが、六十年代後半からの世界的な若者の運動、それに呼応する現代思想の躍動がバネにしていたのは、「強い(鋭い)言葉は社会を動かすことができ…

世界が個人になってきた

この理論は、非蓋然的なコミュニケーションを三つの基本的諸問題の諸側面に関して蓋然的なコミュニケーションへと変換する際に必要とされる一連の媒介物を包みこむ一般概念を要請する。そのような媒介物を「メディア」と称することとしよう。 「第三章 コミ…

「TRAVERSES/6」を読む (1)

20世紀末のフランス思想誌(の翻訳)なるものを読了しました。 テーマは、冷戦とか、共産主義とか、ポストモダンとか、第三次世界大戦とか…世紀末の政治 (TRAVERSES)メディア: 単行本近現代の世界史(=本書を読む大前提の知識)に疎い人間が手を出す本ではな…

ドーマルとルーマン、〈山〉の掟とアナロジーの集中力

「おしまいには、とくに〈類推の山〉の掟のひとつを書きこんでみたいんだ。頂上にたどりつくためには、山小屋から山小屋へと登っていかなければならない。ところが山小屋をひとつはなれる前に、あとからやってきてそのはなれた場所に入る人たちを用意してお…

ドーマル、多和田葉子、橋本治と「メタファーの力」

ルネ・ドーマル『類推の山』を、その本編を読み終えました。未完の遺稿というのが惜しいです。 何も知らずに、それからまだまだ続くはずの「……」で章が終えられた次の白紙のページに出会って、呆然となりました。 そして、 ただ、それはもう、そういうものな…

「権力を取らずに世界を変える」個人編

下記引用の太字と傍線の意味は、文脈上の種類の違いです。 何十年もまえから、科学的研究は、もはや疑いのない正説という指針のもとに行われることはなくなった──とりわけ、認識理論および科学理論においてそうであった。一般に受け入れられた方策は、「プラ…

ポスト・トゥルースの意味

ルーマンの文章はことさら、その文章だけ読んで何を言っているかがさっぱり分からない。 だからその文章に補助線をいくつもいくつも、たくさん足すことになる。 すると当然その理解は自分(の文脈)だけのものになるが、同時にもう一つ気付く。 補助線を描き…

システムの主観、遺伝子の語り

なにかが述べられなければならない。つまり、他者が存在すれば、すくなくとも善良で平和的な(あるいは邪悪で攻撃的な)意図が示されなければならないのである。 「第一章 社会システムのオートポイエーシス」p.14 ニクラス・ルーマン『自己言及性について』…