34日目:中国人観光客、イタリア人、鹿児島の高校生 2017.4.3
<34日目>41龍光寺→42仏木寺→宿(民宿みやこ) 19.8km
(1)天気の良い山道
今朝は歩いていて気持ち良かった。
昨日まで天気の悪い日が続いたので太陽のありがたさが身に染みた。
(2)41のお勤め
丁度お勤めの間だけ中国人観光客の団体のおしゃべりがしていた。
これも巡り合わせ、修練だと認識。
うん、あるある。
(3)42にて
お勤めを終えて[ベンチで]次の宿のことを考えていると、
すぐ横で若者と外国人[←イタリア人フランチェスコ(道中別日のメモ)]が
喋るのがこじれる[?]。
そのうち外国人が話し掛けてきて××される。
言ってることはよく聞くうちに分かってきたが、
面倒臭いので彼の頼み(数日後の宿を予約してほしい)は断った。
彼が去ったあと成り行きで若者と喋っていると、またまた成行で同道することに。
彼は高2(17歳)で春休みの間にヒッチハイクでへんろ旅をしているとのこと。
川口[←彼の名前]一家の話を聞いたが大変な家庭に育ったようだ。
アメリカ横断を計画しているらしい。
頑張れ。
(4)宿にて
夕食の間、宿のご主人と話す。
ゲタのことを話し、地元新聞に電話してみると。
まあ縁だし好きにして下さい。
所感:
今日は色々あった。
高校生と同行して元気がもらえたかもしれない。
たまにはこういうのもいい。
この日はなかなか濃密な出来事がありましたが、
印象は濃いものの記憶像は薄い(経時時間のせい)。
思い出せることを書いてみます。
このイタリア人の噂は道中の遍路さんネットワークで話題になっていて、
それを知ったのがこの出来事の前か後かは忘れましたが、
いや確かこの日以前にどこかの宿(高知のなんとか高原…)で見かけたはずで、
その印象と、この時の傍聞きの「とにかくめんどくさそう」な印象とが合わさり、
フランチェスコに素っ気ない態度をとったのだと思います。
そして川口くん。
たしか鹿児島の子で、ものすごい軽装で、
まあヒッチハイク一択旅ならむべなるかなですが、
ガタイが良くて日焼けしたスポーツマン(野球部か?)でした。
とにかく若さが、見かけにも会話にも溢れ出ていて、
「とにかく面白い経験をしたくて、
面白い人についていったら面白いこと起きるに決まってるんで、
センダさんについて行きます!」
といった感じで、僕の話を面白がって聞いてくれました。
この日は一緒に歩いて、同じ宿を予約して、
彼は素泊まりだったから買い出しに出かけたのでしょう。
(宿もローソンも車通りの多い同じ県道沿いにあったのを覚えています)
その道中、彼の生い立ちと家族の話に花が咲いて、
「大変な家庭」の具体的な内容はもう思い出せませんが、
話し込みながら一緒に白線区切りの歩道を歩いていて、
僕が側溝の金属網(グレーチング)を踏んづけ、
滑ってコケたのは覚えています。
やはり歩きに集中できていなかったせいで、
落下時に手に体重をかけて少々痛めたのではなかったか。
でも、そうやってコケた時も、
僕も彼も楽しそうに笑っていたようでした。
ずーっと一人で歩いているからこそ、
時に誰かと一緒に歩くことになると、
もうそれだけでウキウキしてしまう。
人の温かみは、受け取る素地があって、
言葉以前の実感が湧くのでしょう。
なんにせよ境遇が恵まれすぎると、
この「素地」への関心・感覚が育たない。
そしてそのことを経験として身に沁みていても、
人の温かみが日常で当たり前になると、また忘れてしまう。
言葉ではなく、実感の方を忘れてしまう。
だから、言葉だけでそれを取り戻すのは非常に難しい。
じゃあ、時々不幸になればいいか、という話でもない。
実感に溢れることも、それを忘れることも、いつか等しく訪れる。
幸福も過ぎ去るが、悲しみもまた過ぎ去る。
「これもまた過ぎ去る」、ここには幸福も不幸もない。
達観ではなく、その都度の「もののあはれ」を、
しみじみと味わいたいものですね。
川口くんに関する別日メモ:
笠[菅笠]がカッコイイから遍路旅を始めたそう。
酔狂な。
宿着後にローソンまで行って夕食をおごってあげた。
××カード[お菓子付きの野球カード的な?]を買えて嬉しそうだった。
若い。
41龍光寺、42佛木寺に関する別日メモ
[この二か所で]「もやい」[←前日の宿]で同宿だったおばあさんと偶然再会。
区切り[打ち]の歩き遍路に来たが医者に止められて、
バス・電車を使って続けることにしたそう。
33日目:毎日がアスレチック! 2017.4.2
<33日目>〔別格〕龍光院→宿(へんろ宿もやい) 18.3km
時々雨
(1)松尾トンネルそばの歩き遍路道
序盤は落ち葉+やらかい土+石ごろごろ+斜め。
頂上まではすぐ。
下りに濡れた岩場。
採石場を通った後の道路沿いの細い道は短いがアグレッシブ。
短かったのでそれほど厳しくはなかった。
「斜め」というのは、坂道なのではなく、
進行方向に対して幅方向が傾いているということ。
靴だとそれほど違和感ありませんが、
ゲタだとけっこう影響大です(一本歯なら死活問題!)。
鼻緒が親指と人差し指の間で「直接的に」ストッパーになってくれるのは、
進行方向の加速度に対してだけ、つまり鼻緒の縦棒は、
普通に歩いていて足が台座に対して前方にズレるのを止めてくれる。
が、それ以外の方向のズレは、足指を突っ張って踏ん張り、
鼻緒全体を緊張させて「間接的に」止めるしかない。
もちろん後者の方が弱いし、
当然ですがゲタに「かかと留め」はないので、
後方はまだしも、左右方向のズレに対してゲタは決定的に弱い。
というわけで道が左右に傾いていると、ゲタ歩きは地味に消耗します。
日記ではさらりと書いてますが、
「斜め」の一言はそれ単体でなかなかヤバい。
のに、あと三つ「ヤメテクレー(@偽アカギ)要素」がくっついています。
まあ、旅の道中では胸の奥に秘めて、
余程我に返らぬ限り意識しませんでしたが、
ええ、なかなか命がけなプロセスであったと思いますよ、
一本歯での自然道歩きは。
(2)今日は寒かった
雨も降ったりやんだり、風は冷たい。
上着は峠を越えてからずっとフル装備。
寒さをずっと感じるよりは多少汗をかくくらいの方がよい。
[一昨日の]雨ズブ濡れの後まだ万全に戻ってないので体には気を遣おう。
上着について。
この四国遍路の出発日が2月末日で、
寒いのは最初だけ、どうせすぐ春爛漫で気温は上がる、
ならかさばる荷物は減らしたいから、もしもの時は薄着の重ね着で耐えよう、
という考えで出発前の荷造りをしたので、
日記の「フル装備」はこんな感じになってました↓。
速乾半袖T+長袖ジャージ+薄手カッパ+GORE-TEXレインウェア+白衣
衣擦れしまくりで保温効果は雀の涙、
寒い時はとことん寒い服装でした。
やーでも、もう4月なのにね。
(3)鼻緒調整
やっぱり自然道でまた伸びた(今日はよくコケたわりにダメージがほぼゼロだった。
ゆっくり歩いたからだろう)ので、宿に早めに着いたので結び目をほどいた。
クジリはきっかけ作りには使うが、紐をゆるめるのは指でつまんで揺さぶるのがよい。
やはり紐の途中で細い繊維が何本か切れていた。
結び目の作り直しがどう出るか…
所感:
愛媛に入ってから自然道が多い気がする。
「毎日がアスレチック」!
楽しそうですね。
毎日がアスレチック!
ボルジムが開店できたら、
当たり前にこう叫べる生活をしたいものですね。
32日目:雨対応、匙加減と感覚、虚実的多元化 2017.4.1
<32日目>…→大畑旅館 23km
(1)雨の事後処理
翌朝になってゲタの鼻緒がビショ濡れなことに気付く。
あわてて新聞紙を数度に分けて巻くが湿り気がとれず。
出発前に「巻きながら履く」を思いついて実行(短冊状に切った新聞紙を巻きつける)。
歩いてみて意外に冷たくない。
変え[代え]をいくつか持っていれば何とかなる。
でも雨の日の宿到着後の[鼻緒を乾かす]処理は忘れずに!
ゲタにも実は雨具があって、爪掛けといいます。
cheechoff.hatenadiary.jp
ゲタの台座の前部分、足指で踏ん張るいちばん大事なところを濡れから守る。
写真にある通り、鼻緒も前部分しか守られていないし、
というか、小雨ならまだしもザーザーに降っていると、
そもそも水たまりの跳ねや何やらで爪掛けの中もグショグショになる。
全身濡れそぼろの日も道中これまで何度かあったはずで、
多分そんなこと分かってたと思うのですが、
意外に、いや今「あー」と思いましたが、意外にゲタは忘れちゃうんですね。
リュックやら手荷物(あれば)は、宿に着けば全て部屋に上げて、
部屋の中で手入れやら何やらをするわけですが、
ゲタは玄関に置いたままなので、ついつい手入れするのを忘れる。
自然道を歩いた日は台座が土で汚れるので(コケて脱げてりゃそれはもう)、
宿で毎晩ボディ全体を雑巾で拭くぐらいはしていいはずなんですが、
なぜかしら、そういう習慣が根付きませんでした。
宿到着でやれやれ一安心とか、
宿の人の「まーまーゲタなんて履いて!」に続く問答に気を回して、
余裕がなかったのでしょう。
いや、そういえばホントに、
宿着いてからはやることがありすぎて余裕なかったな。
手書きの日記更新は常に滞る傾向にあったし、
どこの宿でも大体やるなって注意書きあるんですがエアコンで洗濯物干しとか、
その前に風呂でどの服をどう洗うとか、
後ろめたいことも含めて思考を巡らせていたので。
ああ、あと風呂に入れる日は「翌朝出発までに何回入るか」とかね(笑)
後々書くと思いますが(もう書いたかな?)、
温泉のある宿坊に泊まった時は、つごう三回入りました。
これはまあ、必要ではなく執念ですね、単なる。
…いや、完全にそうとも言い切れないか。
ボロボロの身体を癒すべく湯船の中でマッサージとかしてましたしね。
(2)雨テンションのツケ
歩き始めは頭が重くてカゼ気味かと思った。
前日あれだけ根性出せばしょうがない…
柏[地名?]からの長い自然道に行くか[遍路道の分岐点で]迷ったが、
標識が呼んでいるのでがんばってみると元気が出てきた。
やはり自然道は[身体に]よい…
チョコを要所で摂取しながら軽快に進んでいたが、
終わりに見えたところで自然道テンションが切れてしまい、
その残りが大変だった。
後半で何度かコケてまた鼻緒がのびたので調節。
手ぬぐいを使う(片方)。
どこかで結び目をほどいてリセットした方がいいかもしれない。
「身体性の賦活」という観点では、
平らな道より凸凹のある道の方が効果が高い。
意識では平坦な道の方が安全だしラクだと思っちゃうんですが、
緊張が切れるとドッと疲れがくるということもあり、
「火事場の馬鹿力」ほどではないにせよ、
身体は張り甲斐のある場面で張ろうとするものなので、
敢えて困難な道を選択する方がプラスに作用することがあります。
ただ「後半でテンションが切れた」とある通り、
自分の体力と相談の、程度問題を軽視すると痛い目に遭う。
が、痛い目に遭うことで「程度問題」の匙加減が掴めてくる。
ここでも、ぐるぐる、ですね。
いやしかし、こう書いていてふと思うのは、
こういうことは大事なんですけど、
これを人から強制されてやると、色々台無しになるのだろうなと。
自分の感覚とか、価値観とか、
自分自身で培うしかないものそれ自体を教育で与えることはできない。
教育は、そのきっかけを与える、それを経験する場を整える、
そういった間接的なことしかできない。
しつけや規則の習得とのトレードオフ事項、
とすらいえる教育現場の葛藤主要項目ですが、
無論どちらも大事なことで、
どちらを優先するかの場合分けと、
その切り替えをつつがなくこなさねばならないが、
それはたぶん教育の(立場という意味での)当事者が多いほどやりやすい。
逆から言えば、両親が全部見るとか、親が学校に丸投げとかいった、
「教育の一元化」が起こる場では往々にして、教育の間接性が犠牲になる。
真っ先に。
いや突然子どもの教育の話になりましたが、
生涯学習(僕は「生涯研鑽」と言っていますが)という観点に広げれば、
そして対人に限らず、自習やら読書やらも含めれば、
誰しも一考の余地あるトピックではないかと思います。
話の脱線続きますが、
「サードプレイス」の機能も、似た所に要点がありますね。
僕は自他共に認める「海士町でいちばん歩く出不精」で、
勤務先の図書館まで片道40分は歩くけどそれ以外はほぼ外出せず、
家で本読んだり本の仕事したり(違いはどこに…)してますが、
「プレイス」の数をいえば、たぶん「たくさん」あるのだと思います。
読書を趣味ではなく「生活」にすれば、
たぶんそういうことにできる、なりうるのだろうと想像します。
まあ、外にある確固とした「プレイス」ではないので、
努力も工夫もいるし、その存在は決して盤石ではないわけですが。
(3)宿にて
夕食はフランス人の親子と並んで。
二人とも朝追い抜かれた[=すれ違った]。
違うテーブルには家族(夫婦と息子・娘各1)。
トビ[鳶]職という父親と主にしゃべる。
肉(ステーキ)とデザート(りんご・オレンジ・いちご)をもらう。
白飯は何杯食ったか…7杯?!
所感:
若干の体調不良にしてはよく頑張れたと思う。
まあどうあっても歩くしかないのだが。
うーーん、何も覚えていませんね。
メモが雑すぎですね。あと即物的すぎ。
もーちょっと後のことを考えてさあ…(ぶつぶつ)
31日目:空気であること、余裕と無為、ご縁の磁場 2017.3.31
<31日目>40観自在寺→宿(よしもと民宿) 22km
終日雨(小雨ではない)
(1)一日中雨
今日の雨はけっこう強かった。
全身ほぼズブ濡れでTシャツをスーパー前のベンチで着替えた時にしぼれるくらいだった。
おかげで休憩なしでぶっ続け2時間歩いたり(集会所?の駐輪場屋根のスーパーフジ)、
峠を登る間だけ暑くてあとはずっと寒かったり、とにかく「雨との戦い」の一日だった。
自分との戦いなのかもしれないが。
「スーパー前のベンチ」は情景イメージを覚えています。
大きいスーパーで目の前の駐車場も大きくて、
スーパーの中も入り口前も人がたくさんいて、
ここで暮らす人たちの生活が当たり前に流れていて、
ベンチでぽつんと座る僕はその生活と全く関わりはなく、
それでいて「隔絶」とか「孤立」という感じでもなく、
通りがかる人は当たり前のように僕を見たり見なかったりして、
僕自身は風景として馴染んでいる。
「お接待」という言葉が指すものの多くは、
お遍路さんとそこで生活する人との具体的なやりとりですが、
場の空気をつくる、空気になるという意味では、
お遍路さんは四国のいろんな場所で、
その「お接待」の恩恵を受けている。
それを感じられてこそ、
町を通り過ぎるだけでも元気をもらえる。
(2)油断ゴケ
松尾峠の愛媛側終点に着く寸前に、油断と不運が重なって前のめりにコケて下駄が脱げ
さらに両手をべったり地面につけてしまった。
(鼻をかもうと思ってティッシュをとり出しながら看板を見ている時にゆるい土を踏んでしまい、
それが傾斜のきつい下り坂だったのがなお悪い)
教訓:鼻をかむのは落ち着ける足場で。
出ました、転倒談義。
歩くことに集中していると、コケた時に無意識の受け身が取れるのが、
意識からすれば神秘的な体験で、
それ自体の解明はその無意識の機能性に寄与しなさそうなのでしませんが、
意識がどういう状態の時に無意識の発揮が阻害されるか、
これを把握しておくことは大事なはずで(何より道中の身を守るために)、
受け身が取れずにヒドいコケ方をした時の分析はしっかりやっていました。
その大体、というかほとんど全てが以下のような経過でした。
歩行への集中があるきっかけで、ふと途切れた時に、
それに重なって何かを思いついたり思い出したりして意識が分裂して、
つまり歩行動作から遠ざかる二方向の意識が走り始めた、
ちょうどその瞬間にマズいものを踏んづけるという、
「不運の三重複」によって意識が意識自身に居着いてしまい、
無意識の回避動作が遅れる。
車の衝突事故が起こる条件が、
ドライバー両者の不注意と、見通しの悪い交差点という現場の三点、
であるようなものでしょうか。
まあ、こういう分析と反省を繰り返しても、
不運は不運であって、盛大にコケる時はやはり盛大にコケる。
それを願ってはいないものの、起きれば受け入れる心は持っておく。
そうしないと、「事故ゼロ、絶対!」に居着いて、意識も身体もこわばってしまう。
この心の余裕は、人生の責任放棄と紙一重というか、わりと近い所に居てしまいますが、
意味の次元ではなく、あくまで機能性への焦点を外さないことが肝要です。
口で言うのは簡単ですが、現実でこんな器用にできる場面はなかなかなく、
遍路というある意味「無為の生活」の中でこそ追求できるものでしょう。
(3)40にて
雨が強かったので、一本歯のままお勤めをしていると、
ご年配ペアのお遍路さんに話し掛けられる。
一本歯に驚かれたそうで、「パワーをもらう」といって握手した(そばにいた女性二人も巻き込まれた)。
「今日のことは必ず日記に書きます」と言っていた。
また40を出て歩いている時に[年配ペアの女性の方から]車から顔を出してアメをくれた。
仲間内ではやっぱりやさしいなと思ったのと(車のヨウシャのなさが身に染みていたので)、
自分の遍路歩きが直接人を元気付ける様を見るのもいいもんだと思った。
ここを読んで、40番・観自在寺の雰囲気が蘇りました。
わりと狭かったので本堂ではなく大師堂ではなかったかと思いますが、
建物を入ってすぐ正面に祈りの場があり、土足のまま立ってお勤めをするようで、
入口横にベンチがあって荷物を置けたんですが、
同時に部屋に何人もいたので、座ってゲタを脱いでスポーツサンダルを履くようなゴソゴソができず、
立姿勢では不安定なゲタのまま、多少ふらつきながら般若心経を唱えていたのでした。
そばにいた女性も巻き込まれた、とありますが、
おばあさんと握手をしたあとに、
「ほらほら、あなた達も折角なのだから」といった感じで、
その二人の女性とも握手を交わすことになったのではないかと思います。
なんというか、お遍路さん同士のやりとりというのは、
「ご縁パワー」がその場を支配するところがあって(経験上そうなるんですけど)、
大体の人は、何かが起こればその流れに身を任せるんですが、
強い意志を持って遍路に臨む方もやはり多くいて、
(お札に願掛けの文言を書いて、寺でお勤めをする毎に奉納するわけですが、
ご自身や家族の健康、亡くなられた方の供養、世界平和などを、
お札の一枚一枚に達筆で認めて「さんや袋」に持参されているわけです)
そういった方が「どんな状況になっても自分の思う通りに動く」人であれば、
その人の思う通りに場の空気も形成される。
無論そのことはいい方にもわるい方にも作用しますが、
いい、わるい、といった価値観はまた「ご縁パワー」が中和する。
話はぐるぐる回っていますが、
それはその通りで、
何せぐるぐる回っているのだから。
あと、「車の容赦のなさ」ですね。
四国遍路道はひっそりした生活道や山道・自然道も多いですが、
車通りの多い所、加えて歩道の心許ない道(白線引いただけ、とか)もあります。
そういう道で、気を遣って減速してくれる車もあり、
他方、エンジン吹かせのビュンと飛ばして通り過ぎる車もある。
後者が運転者全体のほんの一部でしかないにしても、
運転手の顔を見て一人ひとり判断するわけにもいかないし、
結局は安全側のリスク配慮をすることになり、
歩き遍路は、後者の存在を常に恐れながら歩き続ける。
また、ずーっと歩く生活をしていると、身体感度は鋭敏になっていきますが、
そういう人にとっては車の速度感や重量感が、
ルールや常識によって危険はないと分かっている距離を車が走っていても、
感覚的な恐怖を惹起します。
当たれば簡単に死ぬ(死なないまでも大怪我する)のだから、
本来は、というか動物的には、恐怖しない方がおかしい。
こんなことをぐちぐち考えながら歩いて、
遍路を終えて日常生活に戻っても車にあまり乗らずに歩き続けていれば、
そりゃあ車を嫌いにもなりますね。
車は必要悪です(今もたまに乗らざるをえないので)。
(4)雨対応
宿についてからいろんなものを乾かすのに時間のほとんどを費やした。
地図は大事なので新聞紙を一枚一枚重ねて[=ページに挟んで]丁寧に扱う。
ああこれはこれで、と思う。
作業をしているうちに勢いがついてくる。
所感:
今日は濡れネズミで本当に疲れた。
明日にどう響くか心配ではあるが、なるようになる。
明日は太陽を拝みたい。
こう、何事も、起こってしまえば、なんとかなる。
なるようにしかならない。
そこに、その現在時に心配はない。
「心の余裕」とは難しいもので、
未来の不安に苛まれるのは「心配する余裕」が、
心を配る余裕があるからこそ、という面もある。
未来に備える思考は、
いざその状況に立った時にしっかり振る舞えるための手段を提供するもので、
その準備が完了したと思えば、心配をスパッと止める。
心配は手段であって、
「心の余裕」は、
手段や目的を検討するための「前提」である。
似たものに見えて、その実、
両者は「位相が異なる」ものであることは、
折りに触れて思い出す価値があるだろうと思います。
30日目:転倒談義、風流について、人との出会いはナマモノだということ 2017.3.30
<30日目>39延光寺→宿(秋沢ホテル) 22.8km
(1)地蔵峠
上りは車道で楽々だったが下りが大変。
下り斜面は傾斜がゆるいのスピードを出していたらゆるい土壌に足をとられ、
しかも落ち葉に隠れてその辺一帯がゆるかったので危険回避の二歩目も捕まり、
よく覚えていないが激しくコケた。
左足首をヒネりかけたが(山の右側を歩いていたので一歩目に捕まるのは大体右足)、
それはなんとか防げたものの鼻緒がのびた。
そののびたまま休憩小屋までふんばって下り、小屋で調整し直した。
鼻緒の結び目作りの紐が長かったので布を使わずに間隙を縮めることができた。
早咲きの桜とホトトギスを堪能しながらクジリ作業、風流でした(ハエがうるさかった)。
下線は、たぶん旅を終えた数ヶ月後に読み返してつけたもので、
ハイライトの意味合いがあるのだと思います。
本日記は「転倒談義」に花が咲くことが多く、この日もご多分に洩れずですが、
「危機回避の二歩目」については今でも解説できます。
天狗下駄は基本的に、平らでないもの・滑る所を踏むとコケます。
踏み先が見えていれば心の準備・警戒ができますが、
見えなければ、例えば落ち葉の下の石ころを踏もうものなら、100%コケる。
いや、正確にはコケる前動作として「躓(つまず)く」のですが、
山道を歩く時はもう、ヤバいものを踏まない、ではなく「踏んじゃう前提」で、
踏んでからの反射動作で怪我を回避する、という手順を踏みます。
その基本は、ヤバいのを踏んだ瞬間に、その足にかけてた体重を抜いて、
同じ足で別の場所への着地を図る、というものです。
(なので前に振った足が着地安定するまで軸足(蹴り足)は地面を離せません。
爪先は浮かせますが、蹴り足と着地の運用は「すり足」のようになります)
この日記で言っているのは、多分こんな感じでしょう。
最初に右足でユルユルの土に足をとられ、
咄嗟に右足を抜いて別の場所に置きにいった(=二歩目)がそこもユルかった、
二歩目の時点で全身のバランスはかなり崩れていたので、そこから盛大にコケた。
ホントこんなんでよく怪我せんな…と今の自分は完全に他人事。
下線部もう一つは、恐らく、読み返した時に気付きがあったのですね。
昔の俳句・和歌でも、近現代の田舎や自然只中のエッセイでも、
風流な描写の中にハエ的なものは出てこない。
出てこないが、実は、風流を感じられる自然の勢いがある場所ほど、
ハエやら蚊柱やら、風流を台無しにする側面の自然も顕在化する。
その場にいて、それを無視できてこその風流、ということではなくて、
都会からその場を「回想」して、それを「省略」(捨象)してこその風流なのだと。
風流とは自然との一体化ではなく、「一体化への憧れ」で、
自然を対象化しないと出てこない発想であると。
それは、自然を離れた生活にいる人が、自然を感じるための道具立てであると。
なんというか、都会語に翻訳された田舎の魅力は、
当の田舎の人にはどうもピンとこない、という話でしょうか。
海士町に住んでいると、身につまされるトピックではあります。
(2)今日会った人
延光寺で「くもも」[宿の名前]で一緒だった女性と再会。
宿毛商店街で服屋のおじいさんと長話(一方的な)。
原者[?解読不能]と弁護士には気をつけろ、
もやしは抜け毛にいい、
松尾峠から九州が見える、等々。
所感:
峠でコケたのは過去一番の激しさ。
やはり歯が長いと不安定。
明日も峠越えなので落ち着いて歩こう。
一般的な旅行記では、いや遍路記ならなおさら、
人との出会いについて詳しく書かれてこそ読み応えがあるもので、
なぜ僕の日記ではこの方面の記述が薄いのかというと、
やはり人とのやりとりは印象も内容も濃密で、
しかしそれを一日歩いてヘトヘト状態で書き起こす気力がなく、
(だいたい宿での夕食後、寝るまでにその日を振り返るようにしていました)
トピック(会ったのはどんな人か)だけメモしておけば、
そのメモから後々(旅が終わってすぐとか)復元できるだろう、
という見立てがあったからです。
その考え自体は間違っておらず、
旅のすぐ後で書かれた序盤の回想記はなかなか内容豊富なんですが、
日常生活にかまけて筆を放り出す期間がこれほど延びることは、
当時の僕の想定外だったことです。
さすがにここまで日が経ってしまうと、
沢山あった出会いの多くが記憶の彼方で、
今思い出そうとして全く出てこないのは勿体ないことだとも思いますが、
いずれ必要が来ればその時にひょっこり出てくることへの信頼はあって、
いやここに書くことではなかったですが、
ぜんぶ言い訳です。
いやしかし、延光寺の記憶も全く…
ハハ、本当に言葉通り、歩くために歩いた、ようですね。
29日目:農家民宿でどぶろくにハマる 2017.3.29
<29日目>真念庵→宿(今ちゃん) 17km
(1)新ゲタ
今日から3足目。
前日に宿で調整した鼻緒は良好。
キツすぎず、左親指のタコ(××?[判読不能])も痛くない。
今日の自然道歩きで両足とも[鼻緒が]若干伸びて、たぶん丁度良い感じ。
ゆるくなってきたら布etc.を挟んで調整しよう。
歯のすり減りは、初日時点ではうまく調整できている。
休憩ごとに①左右の入れ替え②歩く右の側を変える、をやれば
歯[の裏面]がどんどん斜めになっていくことは防げる。
たぶん一度角度がつき始めると止まらなくなるので、
山道では忘れがちなので特に注意して休憩ごとに調整を忘れないこと…
ヤスリ&クジリは使わないでいいようにしたい。
歩いていると歯裏がアスファルトで削れていくのですが、斜めに削れていく。
歩き方も多少影響あるにせよ、道路の(幅方向断面の)形状の影響が大きい。
斜めになるとゲタで真っ直ぐ地面を踏めなくなるので、
これまではクジリ(アイスピックのようなもの)を刺して歯裏表面をボコボコにしてから、
ヤスリで削って表面を平ら(水平に近いように)にしていました。
その作業で一日二時間取られた日もあったので、
この日記部分は、歩いている当人にとっては切実な話ですね。
(2)新ゲタで自然道を歩く
真念庵への道の入り口近くで早速コケた。
石を踏んだ時のグラつきの速さに対応できなかった。
削れた短い歯で慣れた後は注意。
前と同じ感覚でスイスイ歩くのは危険なので明日も自然道はゆっくりめで歩く。
テコというか、モーメントの話ですね。
力は一緒でも、支点と力点の距離が開くとモーメントは増大する。
削れ切った2-3cmの歯と、新品の15cm強の歯との歩行感覚の違いは、
スリッポンとハイヒールの差どころではありません。
ハイヒール履いたことないんで想像ですけど。
(3)宿にて
部屋は別棟で居間・寝間(床の間)・台所・トイレ・風呂[有り]と暮らせそうな間取り。
以前は[宿のおかみさんの]祖母が住んでいたらしい。
一つ一つの部屋が(トイレを含めて)大きい。
農家は敷地が余ってるなあと。
あと夕食がスゴかった。
野菜の天プラ・スガニ(川でとれるカニで磯臭くない)・イノシシの肉…
それとどぶろく湯酒[熱燗?]の本体、上澄みは甘くて濁りは辛い。
辛いと食が進む。
食事に合う酒だと思った。
結果的に食べ過ぎて今はちと苦しいが、
明日の[体内の酒の]残り方を見つつ、日常的に飲むのもいいかも
と思えるなら買って(実家にとりあえず送って)もいいかもしれない。
熱燗ではなかったと思いますが、
この宿の夕食でどぶろく(飲み放題)を飲んで、どぶろくが好きになりました。
なんでしょうね、濁りまくってて、
飲んでるというより半分食べてる、みたいなお酒が好きみたいです。
そんで、ニラレバ定食の、ニラレバ→ご飯ループみたいな、
酒が完全に食事の一部(主要メンバー)になった感覚が蠱惑的でした。
このお酒、今は生産終了しているようです。
今の自分の感覚の一部になった経験として、しみじみと思い起こされます。
(4)農家の暮らし
食事と部屋の感じ。
そしておかみさんの話から農家の暮らしぶりが垣間見えた。
食が豊かで自給自足ができて、車があれば物にも困らない。
が、文化の余地がないように見えた。
引退してからならいいが、若いうちからやる暮らしではないような気がする。
畳の部屋も素敵なのだけど…
『家守奇譚』の自然の感じとも違うし。
所感:
今日はとにかくゆっくり歩いた。
新ゲタも好調。
あとは左足の疲労がとれればいいが…
都会人の視点ですね。
当時は喧騒にまみれた京都市街地の暮らしにウンザリして、
爆発手前の鬱憤を抱えて四国へ発ったのでした。
梨木香歩の小説世界への憧れは今も持っていますが、
(「西の魔女」の小屋暮らしとか、
タイトルうろ覚えですが糠床が出てくる「沼…」の空想的な灯台守の生活とか)
実情は二進三退であるものの、生活感は近づいてきています。
× × ×
いや、遍路と全然関係ない話ですが、
自分は出不精で条件が整えばずっと家にいてもいいくらいなんですが、
その一方で昔から引っ越しを繰り返していて(もう二桁近いのでは)、
引っ越す直接のきっかけがほぼ全て「家が静かじゃなくなったから」で、
とにかく静かに本が読めたら(あと身体感度が維持できたら)あとはなんでもいい、
という儚い願いが往々にして、住み始めて数年以内には打ち砕かれる。
そういうタイプのノマドって現代的なのですかね。
自分に正直な結果としてそうなるだけなので、
ノマドかどうかはまあいいんですけど、
旅好きなわりに静かなところじゃないと寝られない体質は旅向きじゃなくて、
「脳内多動症」を自称していた内田樹に似た所があり(彼の著作読み過ぎたかな)。
ずっと静かな所に落ち着けたとしたら自分はどうなるのでしょうね。
という興味を初めてかきたてられつつ、
もうじき指折りが追いつかなくなるか、
またまた引っ越し欲の疼く現在であったりします。
縁次第ですね、何事も。
歩き遍路も、日常生活も。
…いや、これオチでよかったんですが、ふと、
宮部みゆきの言葉(うろ覚え+改変)を思い出しました。
こんな感じの。
「バスでお年寄りに席を譲る勇気も、
ファンタジー世界を駆け抜ける勇気も、
同じ勇気なんだ」
同じというか、関係・つながりがあるのでしょうね。
バスで座っていて、目の前のおじいさんに席を譲れたり、譲れなかったり、
したときにふと、最近読んだ小説の一場面を思い出す。
例えばそのような、つながり。
ここには非常に多くの示唆が含まれていて、
その人が物語をどう読んでいるか(「自分の人生にとって物語とは何か?」)、
その人の思う「現実」とは何をどこまでカバーしているのか、
といったことが、そのつながりの濃度には含まれている。
例えば、このような認識(内省)は、
そのつながりに気付かねば永遠に生じなかった。
縁起という言葉がありますが、
縁という現象に深く傾倒していくと、
自分に、また自分の周りに偶然起こったことだけでなく、
起こらなかったことにもアンテナが立つのかもしれません。
それは起こらなかったのだから、
現実のいかなる要素に影響を与えるはずもないのですが、
「起こらなかったこと」へ想像がたどり着くこと、
それはもしや「起こったこと」とそう変わらないのではないか。
起こったことと、
起こらなかった(でも起こったかもしれない)ことの、
区別をつけないこと。
それを意識することは可能ですが、
意識せずともそのような認識が自然にできる、
そんな境地も憧れの一つではあります。
28日目:足摺岬周辺 2017.3.28
<28日目>38金剛福寺→宿(くもも) 26km
(1)あしずり遍路道
岬の直前で入った道が崩壊していた。
木がまるごと抜けて竹の群が道に覆い被さり、通行不能。
やむなく引き返す。
余裕があれば頑張ったかもしれないが…
結果的に今日は余裕がなくなりました。
(2)足摺岬の展望台
『マンダラ紀行』にあったところ。
270°の眺望。
風が穏やかで、波もしずしずと。
(3)足摺の西岸
道が整って景色も良かった。
松尾という集落はとても落ち着いたよいところ。
中浜はジョン万次郎と×××を若者たち。[判読不能]
(4)打ち戻り大岐の浜
岸を下りると若干川に水[嵩]があった(足首がつかるくらい)ので脚ハンを脱いで渡る。
足裏がきもちよい。
そのまま浜辺を裸足で。
濡れた足が砂浜を歩くうちに乾く。
いいマッサージになりました。
所感:
序盤の引き返しとお勤め・岬休憩を勘定に入れていなかったせいか、
時間に追われる一日だった。
本道をまっすぐ行ってショートカットして、
なぜか一時間は短縮できた(地図の見方がおかしい?)ので結果オーライ。
今日([この日記は]次の日に書いている)は3足目の新ゲタなので
調整しつつゆっくり進もう。
cheechoff.hatenadiary.jp
↑日記中の、川を渡った時の写真です。
足の甲の鼻緒焼けが、焼けてない部分とも対比されて真っ黒!
cheechoff.hatenadiary.jp
↑この日でお役御免となった、2足目の天狗下駄。
歩いてて、気付かんうちに、斜めになっちゃうんですね。こんなに。
× × ×
ふと思い立って、
「天狗下駄歩き遍路日記」の文字起こしを再開してみました。
えーっと、もう当時から七年以上経ってしまいました。
記憶は点景とも言えないくらい曖昧で、深層に沈んでいます。
忘れたわけではないので、日記を読み返すうちにひょいと出てくるでしょう。
その「ひょい」と、今思うところを、コメントとして付していきます。
今日の日記でいえば…
「あしずり遍路道」について、
岬へとゆるやかに下る、勾配を迂回したくねくね道路を、
たしかまっすぐ突っ切る自然道だったと思いますが、
なんかもう、崩壊としか言いようのない感じでした。
ふつうの靴でも踏み入れるのが躊躇われるような。
この入口を前にしての「うわ…」という感覚は、
今も濃く残っています。
自然(じねん)と他力縁願
河合隼雄の、外国での講演録を息子さんが訳した本を読んでいて、
出典がなんだったか、
町の人々が近々こんな服装を着た高僧?が町にくるという夢(お告げ?)を見て、
実際に来た人は侍だったのだけど町の人がみなその侍を崇めるので、
その侍は実際に高僧になることにした、
といった話(細部の記憶怪しい)があり、
いっぽうで自然(しぜん)と自然(じねん)は違う、
という話が別のところであり、
自然(じねん)に従うには……の方法論が、
曖昧ではあれ書いてあったが内容の記憶はなくそれはさておき、
他力本願という言葉があるけれど、
「本願」がその人自身分かっているかわからなくて、
たぶん自然(じねん)に従って願いが叶うかたちというのは、
「他力縁顔」(たりきえんがん)
とでも表現すればしっくりくるのではないかとふと思った。
人類の願いという言い方も、
夢や無意識を含まればあながち大風呂敷でもなく、
一度この表現が膾炙して道具化すると歯浮きになる。
道具化というのは、道具主義(instrumentalism)的利用ということだけれども。
色即是空、お布施、命の重さ
江戸時代のお伊勢参りのマンガを読みながら考えたこと。
今でいうボランティアと、
お布施、またはお接待の感覚は、
違う。
「情けは人のためならず」
という言葉は、その誤用でない正しい意味の方を考えても、
力点があるのは「結局は自分にかえってくる」ことではなく、
その相手から誰から色々経由して自分に影響はあるかもしれないが、
とにかく、人にかけた情けは「ぐるぐる」すること、の方。
で、たぶん「ぐるぐる」自体に意味はないし、
結果として具体的に影響がどこにいくかも、あまり意味はない。
このことわざは、昔の感覚を想定すると、
ことわざによって意味(解釈)が生まれるというより、
意味を見出そうとする意識に対して「いや意味はないんだ」とたしなめる、
慣習以上の読み込みを慣習に引き戻す効果、
があったのかもしれない。
「無駄なこと考えるのなんておよしよ」という。
(これは加藤典洋のいう「日本人の無思想」と関係があるのかないのか)
「色即是空、空即是色」
も、この視点においては同じ言葉だと思う。
× × ×
「現代の課題は「空即是色」の感覚(への対応)にある」
といったことが、見田宗介が昭和の終わりに書いた文章にありました(『白いお城と花咲く野原』)。
バーチャルなものごとが生活・経済・政治に大きな影響を与える現代は、
当時よりいっそう当てはまる認識といえます。
ところで、当然ながら空即是色は色即是空とセットです。
セットという意味は、表裏一体であり、置換可能であること。
しかし、では、現代社会の感覚として、
「色即是空」の方は、当たり前と言えるか。
そうではない。
明らかに、言葉の重み、実効性が、「空即是色」の方に偏っている。
生を言祝ぎ、誰もが生産し、死亡率100%と口で言いながら死を社会的に隠蔽する。
× × ×
「ないものをあらしめることであるものをなからしめる」
という言葉が、去年の秋ごろからずっと念頭にあります。
何の著書だったか、内田樹が「安宅の関」という能の話の中で、
弁慶が敵方?の関所を通るために口舌を奮い立ち回る場面について表現した言葉です。
ないはずの手形(か許可証か)をあらしめる(あるように見せかける)ことで、
ある(起こる)はずだった関所での戦いをなからしめた。
以下、そのウチダ氏の文章の中にあったか記憶にありませんが、
この両者には、あるバランスが存在する。
何かを生み出せば何かが失われるが、
失うことなく生み出し続けることはできない。
言葉の両義性も性質として似たものを感じますが、
(たとえば、あることわざにはたいてい意味が反対のことわざがある)
これは余談かもしれません。
これが公理のようなものだとすれば、
何かを失うことなく、どんどん生み出し続けることができている、
という思い込みは、いや実は失われているものがあることを気付かせない。
× × ×
僕の関心は、
「みんな気付いていないが今どんどん失われ続けているもの」
にあります。
古本をセット売りすることでその現代的な価値を復活させる(創造する)ことは、
その「失われ続けているもの」には実は価値があるんだ、
と言いたいからやっているのかというと、
全面的にそう、というわけでもありません。
普遍的な価値というものは、ない。
現代社会でそう言い張るものは、文脈に関わらず、
現代で「普遍的な価値」として機能している「お金」にリンクしてしまう。
僕は、
その人にとっての価値は、その人が見出すものだと思っています。
きっかけがどうあれ、どこかで必ずこのプロセスを通るべきだと。
そうでなければ、
もし、そうでないことを究極まで推し進めた場合、
その人がその人であることの意味は、なくなります。
そこまで極端な例は滅多にありませんが(しかし僅かにせよある)、
そういう方向性の肯定によって社会が回っている、と思います。
それは、危うい。
お金の比喩としての「自転車操業」とは比較にならない危うさがある。
精神のことだから。
そして、危うさから逃れる(リスクを避ける)ために真面目を軽蔑する、
ことが生存戦略になる状況は、不真面目を超えて、
頽廃だと思います。
(社会システム自動化の発展は、
この頽廃への自覚を遠ざけてくれますが、
これが「あるものをなからしめ」ているならば、
その代償に何が生み出されているのか)
× × ×
本を読むことを、
孤独な営みではなく、
対話だととらえること。
相手は著者に限らず、過去、現在、あるべき(あったはずの)未来。
単なる思い込みでない対話は、
参加者を変化させます。
一冊読むごとに変わっていきたいという意気。
また、相手も変化させ、新たな命を吹き込みたいという意志。
× × ×
バランスをとることと、
身の丈感覚を養うこと。
バランスというのは、ここでいえば、
「色即是空」と「空即是色」の両者。
そのためのものさしとして、
自分の身体が用いられていること。
言葉を死なせないこと、
生きた言葉を身体に響かせること。
「居着き」という武術所作が参考になるでしょう。
もちろん、反面教師として。
教師半面、
学徒半面。
今年もよろしくお願いします。
(だいぶ文章のスタイル変わりましたけど)
「羊を持たない羊飼い」が最初にすること
自閉症的な社会では、それへの適応が自閉症的性質を亢進させる。
社会からの孤立(距離をおくこと)と全体性(ゲシュタルト性)の維持に相関がある、
という視点は、社会から一度も出ることがなければ、論理矛盾として斥ける以外にない。
× × ×
引き続き、「島的思考」のコンセプトイメージに関する考察です。
われわれの心と事物との関係は、われわれが事物を考察し、それについて概念を造るというところに成立する。
厳密に言えば、我々は現実をすこしも所有することなく、それについての概念のみを所有する。
概念とは、世界を眺望するための望楼のようなものである。
あるいはゲーテの言うとおり、新しく得られた概念の一つ一つは新たに発達した器官に類するものである。
オルテガ『芸術の非人間化』, 1968
これは最近読み始めた本で、
このちょっと前から村上春樹の最新作も読み始めていて、
オルテガの文章の所々で「街」や「壁」のことを連想していて、
古典的な芸術論と現代小説がリンクする充実とか、
今回のハルキ小説は固有名詞が全然出てこないと思ったがそういうことか、
など思うところは沢山ありますがそれらは本題ではありません。
というわけで、さっそく本題へ。
上の引用部を読んでいる時に「島的思考」の新たなイメージが湧きました。
たしか前々回の記事に、分散的集団という言葉の分析で、
「みんなは同じところだけは見ていない」
という言い方をした記憶があります。
否定表現による、集団の共通する性質。
それはある意味その通りで、
けれどこの時、
僕はその分散的集団の「個々の立ち位置」について、
(座標軸プロットの話の中ではしてたのに)イメージしていませんでした。
つまり、
大陸から距離を置いた、浅瀬・近海に浮かぶ各々の小島からの視点、
という表現が既に「立ち位置が一人ひとり異なる」ことを含意している一方で、
分散的集団の「集団」という言葉に引っ張られて、
各々別のところを見ている彼らは「同じ場所に立っている」と、
明言はしていませんが、そうも読めるような書き方になっていました。
一般名詞に色々な意味を含ませながら、
それ自体はいいんですけど、
場所によって同じ名詞に託そうとする意味が違ってくると、
読む方は「?」となるし、
そこには後々読み返す僕も含まれるわけです。
(書く方は表現というより創造なので細かいことは気にしていなかったりする)
だから前々回の記事と今回の記事とで、
既に僕自身の立ち位置が少々変わっていたりする。
(大げさにいえば。まあここは気にしない)
本題に戻ります。
分散的集団は、
この表現はちょっと保留にしましょう。
せっかく島のメタファーを使っているので、
「群島民」(archipelago islander)でいきましょうか。
彼らは、一人ひとり立ち位置が異なる。
もちろん、自分でつくった(か何かの縁で形成された)、
ヒルギの島にいる。
彼らは、でも実は「みんな同じところを見ている」。
大陸のほうを眺めている。
では、同じものが見えるのか?
違う。
対象が同じでも、視点が異なるから。
大陸を見ているのは、彼らは社会の中で生活しているからです。
けれど、大陸から距離を置いた島に、思考の軸足がある。
距離を置かないと見えないものを見ている。
何のため?
その、距離を置いた社会のため、かもしれない。
違うかもしれない。
いずれにせよ、本質的にそれはニッチです。
それを活かす手法の探索は、群島民に限られるものではありませんが、
多様性を生産性に基づいた価値で測るのが経済至上主義社会の境界条件で、
多様性そのものの価値を最初に体現できるのは、
境界外部の当事者である、多様性そのものです。
羊を持たない羊飼いは、まず羊を創造せねばなりません。
× × ×
最近、並行して、自閉症的能力を社会にどう活かせるかという本も読んでいて、
それで思考が絡まるんですがそれもいいと思っていて文章化には面倒ですが、
タイトルの話をしたいです。
(この「タイトル」は、推敲中に副題に格下げになったものを指しています。
曰く、「形而上的ブリコラージュ 、読書の(非人間的)芸術化」)
「ブリコラージュ」というと、
その対象はやはり「なまもの」、現に身の回りにあるものを想像します。
その存在感やそれらの、それらとの関係性が、ブリコラージュをアフォードする。
のですが、この情報社会に必要とされる……
というか、本家ブリコラージュを現代でまっとうするためには、
その拡張版というか、異次元版というのか、
「形而上的ブリコラージュ」の能力をサブで要するのではないかとふと思いました。
これは、冒頭の概念の創造とも関係があります。
概念を「世界を眺望するための望楼」という時、
たとえば『街とその不確かな壁』(村上春樹)の、
「壁」の門の上に設けられた望楼を想像する時、
そこから眺める「世界」とはどこか?
それは「ここ」ではない、
しかし「ここ」と全く関係がないわけではない、
むしろ僕らの「影」、
恐らくは河合隼雄を連想してもいい「影」と大いに関係がある。
また、概念を「新たに発達した器官」という時、
たとえばそれを道具と考えることが正しいかどうか。
心臓は人間の(端的に自分の)道具か、肝臓は、膵臓は?
人間の、メタファーでない器官を思う時、
それは、僕らがそれを何かに利用するために持っているというより、
それによって僕らが生かされているものの何かだと言った方が近い。
(健康で頑丈な肝臓は酒飲みには嬉しいかもしれない、
では肝臓は、酒を飲むためにあるのだろうか?
言い方を変えれば、
酒飲みでさえ、酒が飲めるなら肝臓なんていらないと思えるだろうか?
ここでいう機能は、もともとあったものに僕らが後付けしたものだ)
メタファーについては、オルテガの上記の本に面白い記述がありました。
隠喩を用いるということは、人間に与えられた最も有効な能力の一つであろう。
効力の点でそれは魔法のそれに迫っている。
神が人を造るときに人体に置き忘れた道具ではないかと思いたいくらいである。
(…)
或ることの代わりに別のことを用いる思考能力──しかも後者に接近する手だてというよりも前者を排除する手だてとしてであるが──このような思考の働きが人にそなわっていることは、まことに奇妙であると言わねばならない。
隠喩は、ある物を何か別の物であるかのようにみせかけて、これを取り除くのである。
同上
これは「タブーと隠喩」という節の冒頭にあり、
現代のメタファーの機能というよりはその起源における使われ方が書かれています。
ある言葉の現代的な意味と起源における意味(語源)とは、
かけ離れていても何らかの繋がりを持つものです。
(それは全くないとは考えられないが、見つけようとしない者の姿勢次第ではある)
言語学用語で、表現(内容)をシニフィアン、
表現対象をシニフィエといいますが(今調べた)、
引用で述べられているのは以下のようなことです。
メタファー(=表現)の起源的機能は、
シニフィエの修飾のためではなく、
シニフィエの「排除」のために、そして
シニフィアン自体の離陸のために使うことにある。
図と地のペア表現を使えば、
メタファーは、
元は図であったはずのシニフィエを地に「墜とし」て、
シニフィアン(=メタファー)自身が図となって浮き上がる。
複雑で理解しにくい概念や論理をわかりやすくするために、
喩え話が使われることがあります。
ここでいう「喩え話=メタファー」はシニフィエの修飾のためにあり、
図であるシニフィエを明快にするための地に徹するべき存在です。
(これが比喩表現の現代的な機能の代表例でしょう)
一方で、オルテガのいう起源としてのメタファーは、
もとの概念を押し退けて(①)、独自の生命を獲得する(②)。
タブーに触れないという意味では①が本来の目的ですが、
実際の運用上、また慣例化によって②の機能が前景化し、発達する。
× × ×
僕が「形而上的ブリコラージュ」という表現で言いたいことは、
もしかすると、
小説を書くように小説を読む、
というようなことかもしれません。
唐突ですが、「広告的論理」というものがあって、
これは指向的、誘導的、対象限定的なもので、
人をして何かをさせるための論理です。
特定の何かをさせないための広告、というものはない。
(そう見えるのは「別の何かをさせるため」が後ろに隠れている場合です)
内田樹の教育論をブログ等で長年読んできて、
また最近でいえば図書館で働いていて、
図書館での読書推進とか小中学校の読書教育事情などを見ていると、
広告的論理は本当に、消費活動の場に限らず、
社会生活のあらゆる現場を当然のように闊歩しているなと思います。
それはSNSにだって浸透するし、
日常の何気ない会話にだって現れている。
なにか、
広告的論理の日常への浸透は、
成果主義の日常生活への浸透と関係があるように思えます。
人にどれだけ影響を与えたか、その目に見える成果を見たいという欲望。
あるいは、
その成果が目に見えるものでないと社会は変わらないぞ、という信念。
これらの大元には、
社会(の変化)は目に見えるものであり、把握可能である、
という固定観念があります。
ええと、話がぐるぐるしていますが、
僕自身の理解は進んでいて(勝手な発言もいいところですが)、
オルテガのいう「現実と概念の混同」、「無邪気な現実の理想化」、
脳化社会とはこれをこの形のままどんどん推進する社会であって、
僕が、そのような社会に生きつつも染まり切りたくはなくて、
ではそのために(個人は)どうすればよいか。
マングロブックストアはその手段の一つを体現するものとしたいですが、
それはオルテガが以下に述べることと大いに関係があるように思います。
しかし、もしこの自然の手続き[上述の「現実と概念の混同」「無邪気な現実の理想化」]を逆にしてみるなら、つまり、現実と断定したものに背を向け、概念──単なる主観的な模型──をそのまま採り上げ、やせて骨張っているけれども純粋で透明なその状態において生命を与えてみたなら、つまり故意に概念を「現実化」してみたなら、われわれは概念を非人間化──いわば非現実化したことにならないだろうか。
なぜなら、概念はそもそも現実ではないのであるし、それを現実とみなすことは一種の理想化、つまり悪意のない欺瞞なのであるから。
他方、概念をその非現実の状態で活躍させるのは──こういうふうに言わせてもらおう──非現実を実在化することなのである。
同上
対立する微妙な表現とその言い換えが多いので、
抜粋付近の用語を抜いて整理するとこうなります。
現実と概念との混同、現実に対する執着、無邪気な現実の理想化(、人間の先天的素質)
↑
↓
故意の概念の「現実化」、概念の非人間化、概念を非現実の状態で活躍させること、……
オルテガの文章を抜粋している章の主題は、リアリズムと袂を分かつ新芸術の分析です。
(新芸術の例として、表現主義やキュービズムの名が挙げられています)
それがいいか悪いかとか、伝統的な芸術観との優劣を比較しているわけではありません。
僕はその分析をどう我田引水できるかをこの記事で考えているわけですが、
この新芸術の思想を、
芸術とは何かを表現するわけでこれは「何かをするための思想」になりますが、
僕はこれとは逆に、
「何かをしないための思想」として活用できると思っています。
ズバリ言えば、
広告的論理の呪縛を解除(厳密には「解呪」)するために使えないか、と。
ものを買うとか、サービスを利用するとか、
消費者として振る舞う場面では、
損得勘定は有無を言わさぬ第一原理ですから、
広告的論理に通暁していた方が堅実でしょう。
ただ、その消費の場面以外に広告の論理を持ち込むこと、
(これを純粋に望むのは己が土俵の拡大を狙う商いの主体でしょう)
それを個人が本当に(あるいはどの程度)望んでいるか、
まずその視点はあった方がいいし(その視点がなくなることを僕は「呪縛」と表現しました)、
その視点に立って眺めた時に、必要とあらば、
消費活動で用いるのとは別の「ものさし」を扱えた方がよいでしょう。
その「ものさし」の説明には、
「これこれである」という限定表現よりも、
「これこれではない」という開放系の表現、
つまり解釈や価値判断が人によって分かれやすい表現の方が馴染むことでしょう。
(なので性質上、この説明をマスコミが担うことは困難です。
「ニッチ指向」のマスコミ媒体は実際あると思いますが、
「その対象とするニッチ集団に一意的に受け取られる論理」は、
ここでいう開放系の表現とはまた別物です)
市場の論理に基づけば、
小説家が芸術家であることを否定する人は少数派でしょうが、
読者を芸術家であると肯定する人はいないでしょう。
けれど、僕がここで考えているのは、
読者は芸術家でありうるということ(森博嗣もそうだし、宮沢賢治もなんか言ってたな)、
芸術家でない小説家なんて掃いて捨てるほどいるということ、
それを確信できる思想とはどのようなものか、
です。
× × ×
コンセプトイメージの話は、どこへ行ったのか……
ええと、改めて考え直しまして、
一つだけメモしておきます。
「概念とは、世界を眺望するための望楼のようなものである。」(オルテガ)
一つの概念を手に入れることで、世界の見え方が変わることがある。
僕は、ヒルギ本も、この「概念」に仲間入りさせたいと思います。
ヒルギ本は、その内容によってというよりは、
(いや、その内容の質的な保証は僕自身の連想力に懸かっているわけですが)
その形式、メディアによって、世界の見え方に「選択肢を加える」。
世界の見え方の選択肢。
言うのは簡単ですけど、
多分これは普段、
「そんなもん一つしかないに決まってる」
と、
敢えて聞かれた場合にはそう答えるしかないような事柄。
頭も一つ、
身体も一つ。
生まれる場所は選べず、
親も選べない。
「そんなもん一つしかない」と考える方が、簡単で、自然。
それが「人間の先天的素質」だと、オルテガも言ってます。
ここから先は各々の、
「人間の定義」と「人間への意志」次第です。
しかしそんな説明をしたところで、いったいどれほどを理解してもらえるだろう?
この動きを持たない、言葉少ない街で君は生まれて育った。
簡素で静謐で、そして完結した場所だ。
電気もなくガスもなく、時計台は針を持たず、図書館には一冊の書籍もない。
人々の口にする言葉は本来の意味しか持たず、
ものごとはそれぞれ固有の場所に、
あるいはその目に見える周辺に揺るぎなく留まっている。
「あなたが住んでいたその街では、人々はどんな生活を送っているのかしら?」
私はその問いに上手く答えることができない。
さて、私たちはそこでどんな生活を送っていたのだろう?
村上春樹『街とその不確かな壁』,2023(改行、太字は引用者)
× × ×