human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

 -エマニュエル・レヴィナス

他者への越境について

この自覚は決して手放さない。 [151] 「……について語る」(parler de…)と「……に対して語りかける」(parler a…)という二つの動作の差異をレヴィナスは強調する。「について語る」とはある体系的な知への対象の還元(認識、了解、命名、所有)であり、「に…

「背負わされる人びと」のこと

このブログについて(0) - ユルい井戸コアラ鳩詣cheechoff.hatenadiary.jp このブログは去年の6月から始めて、あと少しで1年になります。 1年弱の間に何度か文章のスタイルが変わっています。 一度大きく変わったのが11月で、冒頭に掲げた記事では軽…

倫理的行為の選択について

個人とは簒奪者でなくて何であろう。意識=良心の到来とは──霊の最初の火花とは──私の傍に累々と横たわる屍骸の発見と、殺すことによって存在する自分への恐怖心でなくて何であろう。(…) 殺害者になることなく存在すること。この責任を回避し、私が責任を…

原宗教的性質について

「平日洋書」のこと - ユルい井戸コアラ鳩詣cheechoff.hatenadiary.jpレヴィナスを読み始めて(↑)からもうすぐ二月が経ちます。 ページが半分強は残っているので、読了はあと二月後になるのでしょう。 タルムード*1の本文が何を言っているかは、正直全然わ…

神の構成論的アプローチについて

ここで心に留めておくべきことは、脳化学や認知科学において、人間がCPG〔セントラルパターンジェネレータ〕を使ってどのように体を動かしているかは、いまのところはほとんど明らかにされていないということである。分かっている事実は、人間にはCPGという…

「解釈の超出」について

神秘(ソッド)はタルムード神秘学では聖典の究極的意味を意味する。(…)真の神秘は、文字通りの意味よりもっと簡潔ななかに始原の簡潔性のなかにあると言う。ただしこの始原的意味がその変わらぬ簡潔性において明かされるのは、ただ歴史の全行程が踏破された…