human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

群島的思考 前半

 島に木が生えているのを見たら、どちらが先にできたとあなたは思うだろうか。自然な(そして普通は正しい)のは、島が肥沃な土壌を提供し、幸運な種がそこに落ち着いたと考えることである。マングローブの森はしかし、この一般的な規則の示唆に富む例外となる。
 マングローブは水に浮いた種から生えてくる。種は浅い泥の干潟に根を張って、水中でとどまっている。苗木は水面を突き抜けてこんがらがった垂直の根を伸ばし、ついには、どこから見ても竹馬に乗った小さな木のようになる。しかし気根というこのこんがらがった組織はすぐに、浮遊する土、雑草、漂流物を捕まえる。しばらく経つと、捕まえたものが積み重なって小さな島を作る。もっと時間が経つと島はどんどん大きくなる。そのような島の数が増えていくと、ついにはくっつくことができる。それは事実上、海岸線を木々のところまで延ばすことになる。
 このプロセスを通して、われわれのさきほどの直観をよそに、土地のほうが木々によってだんだんと作られる。

 このマングローブ効果」のようなものは、人間のある種の思考にも作用しているのではないだろうか。

アンディ・クラーク『現れる存在』p.290

古本屋(鎖書店)のコンセプトイメージと相性の良い、というかそれを更新してくれるような本に最近出会いました。
それがこの本なのですが、とりあえず本書の文脈はそこそこに、僕がピンときた箇所を続けて抜粋します。

言葉は常にすでに存在する思考という肥沃な土壌に根づいていると考えるのは自然である。しかしときどき、逆向きの影響が少なくともあるように思える。簡単な例は詩だ。詩を作るとき、思考を表すために言葉を用いるだけではない。むしろ言葉の特性(その構造やリズム)が、その詩がどのような思考を表すものになるかをしばしば決定する。同じような部分的逆転は、複雑な文章や議論を構成するあいだにも起きているだろう。考えを書き留めることで、われわれは、新しい可能性を切り開いてくれるフォーマットで紙に跡をつけている。 同上 p.290

そのような観察から、私は次のように推測する。ひょっとして、公共の言語が原因で人間の思考にかなり独自の複合的特徴がある──すなわち、二次的認知ダイナミクスを示すことが可能なのではないかと。私が二次的認知ダイナミクスという言葉で意味しているのは、自己評価、自己批判、それに矯正に向けての研ぎ澄まされた応答が不可欠な、強力な能力の集合体のことである。
その例には次のようなものがあるだろう。自分の立てた計画や議論の不備を認識し、それを直そうとさらに認知的努力を続けること。ある種の状況においては、自分の初めの判断があてにならないことを思い起こし、その結果特別な注意をもって進もうとすること。
(…)
この「考えることについて考える」ことは、人間に独自の能力の有力候補であるこの能力は間違いなく、われわれと同じようにこの星に住んでいるが言語を使わない動物たちが、われわれと同じようにはできないことだ。したがって、言語がその生成において役割を果たしている種類の思考というのは、これに尽きるかもしれないと考えるのは自然である──言葉の使用に単に反映されている思考(あるいは言葉の使用によって拡張される思考)ではなく、存在そのものを言語に直接左右される種類の思考である。公共の言語とその内部での復唱とは、このモデルではマングローブの木の気根のようにふるまう──言葉は固定点となり、さらなる知的物質を引き寄せて定着させることができる。そしてホモ・サピエンスの認知的地形にとても特徴的な、二次的思考の島を作り上げる。 同上 p.291-292

抜粋が多いですが、下線部、太字部がピンときた箇所です。


人間は頭の中だけでものを考えるのではなく、自分の外部にも記憶装置(テンポラリーな、あるいは長期保存可能な)を構築し、それら外部記憶も思考に取り入れることができる。
それは、一度に把握し切れないからアウトプットして眺められるようにしておく、というに留まらず、思考が脳の外部を巻き込んで作用している、とさえ表現できる。

これが抜粋部の主要な論点です。

抜粋部のマングローブは比喩で、
人が何かを考える時の2つのパターンのうち、後者のイメージを担っています。

  • 人が何かを考える時、元手にある思いつきの言葉(=種)をきっかけに、常識や基盤的知識(=土壌・大陸)を参照しながら思考を進めることで、成果としての概念や思想(=草木・実?)を得る。
  • 考えよりも先に言葉(=種)が表れ、その言葉がさも自律的に発展して(=気根)、ある概念や思想(=)ができあがる。

「ややこしいな…」と書きながら考えていて、合ってるか怪しいんですが、
この2パターンで成果物のメタファー(「実」と「島」)が異なる点がおそらく注目に値します。
それは、前者が普段使いの「考える」に対して、後者が二次的認知と呼ばれる「考えることについて考える」であることと対応しています。

メタファーにおける「陸地」(大陸、島)は、「社会で通用し運用される言葉・思考の体系」というのか、僕らが言葉を使って思考しコミュニケーションするための基盤だと思うのですが、以下のような対照があるはずです。

  • 「大陸」に居る=基盤を利用・活用する
  • 「島」を形成する=基盤を自分でつくる(付加・更新する)

抜粋部は、その前段に「思考を頭の中で復唱する効果」の検討があって、つまり考えを紙に書く事と脳内で言語化する事とで同様に認められる効果について書かれているわけです。
 
さて。
ここまでが僕の抜粋部の読解で、
ここから僕がこのメタファーをどう応用したいかという本論に入るんですが、
頭のまわりを蚊がうろちょろし始めたので(首かまれた痒い…涼しくなったのはいいんですがこれがちょっと…)、一度筆をおきます。

p.s.後半に向けてのメモ(書くうちに多くなったけど)

  1. 島(群島)は頭の中か、外か?
  2. 大陸を眺める島の視点。大陸は頭の中か、外か?
  3. 価値観、考え方の併存。並行思考。
  4. 島(群島)は大陸に近い浅瀬に形成される。いずれ陸地の突端になる(かもしれない)。
  5. 群島はセット作成者のイメージか? 購入者の島は1つか、その1つをきっかけに増やせるか?
  6. コンセプトイメージ。説明なしでピンとくる絵は可能か? 構成要素の検討。