human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

思考

「TRAVERSES/6」を読む (2) - 言葉は社会を動かせない

2021.1.16追記タイトルで言いたかったことが本文に尽くされないまま途絶しているので、最初に要点だけ。仮説ですが、六十年代後半からの世界的な若者の運動、それに呼応する現代思想の躍動がバネにしていたのは、「強い(鋭い)言葉は社会を動かすことができ…

世界が個人になってきた

この理論は、非蓋然的なコミュニケーションを三つの基本的諸問題の諸側面に関して蓋然的なコミュニケーションへと変換する際に必要とされる一連の媒介物を包みこむ一般概念を要請する。そのような媒介物を「メディア」と称することとしよう。 「第三章 コミ…

「TRAVERSES/6」を読む (1)

20世紀末のフランス思想誌(の翻訳)なるものを読了しました。 テーマは、冷戦とか、共産主義とか、ポストモダンとか、第三次世界大戦とか…世紀末の政治 (TRAVERSES)メディア: 単行本近現代の世界史(=本書を読む大前提の知識)に疎い人間が手を出す本ではな…

ポスト・トゥルースの意味

ルーマンの文章はことさら、その文章だけ読んで何を言っているかがさっぱり分からない。 だからその文章に補助線をいくつもいくつも、たくさん足すことになる。 すると当然その理解は自分(の文脈)だけのものになるが、同時にもう一つ気付く。 補助線を描き…

デジタル平安時代の崩壊とその先

日本の歴史を見ていると、外国でもそうかも知れないが、何か外来の事変に出くわすと、内に蔵せられて今まで気のつかなかったものが、忽然首を動かして事物の表面に揺ぎ出て来るのである。何か刺戟をもたぬと心の働きの鈍るのは、個人生活の場合は固よりそう…

「不気味の山」とリアリティの解像度

電子の仮想空間が誕生する以前から、人間は夢を見ていた。夢と現実を取り違えないでいられたのは、夢が現実に比べて圧倒的にデータ量が少なかったからだ。多くのメモリィを必要としない、解像度の低いものだった。合理的な秩序も、緻密なディテールも、そし…

対話と株式会社性、誠実な近視眼と形式に対する食傷

党派性を超えて政治を語ること。 政治とは利害調整のことだが、党派が対立するのは、 こちらとあちらの利害が異なるからである。互いに利益となる政策なら反対意見は出ないし、 互いに損害を生む事業は誰もやろうとは言わない。 一方の利益が他方の損害を招…

ハイエクを読んで:被害者先取、他律主義、そして自暴自棄

まさしく、ほとんどすべての人が望んでいるからこそ、われわれは社会主義への道を進んでいるのである。その歩みを不可避なものとするような明白な現実があるのでは決してない。「計画は不可避である」と主張されている問題に関しては、あとでぜひとも論じな…

日常生活の抽象とその豊穣

『生活世界の構造』(アルフレッド・シュッツ)を読んでいます。 隔日数ページずつで、現在500ページ少しまで進んだので、たぶん半年近く読み続けています。生活世界の構造 (ちくま学芸文庫)作者:シュッツ,アルフレッド,ルックマン,トーマス発売日: 2015/11/…

小川洋子とイチローと「善意解釈の原理」

自由市場におけるある種のウソは、人々に犯人をまるで透明人間のように扱わせる。問題はウソそのものにあるわけではない。システムに最低限の信頼が必要なのだ。古代の環境では、ウソの中傷を広めた者は生き残れなかった。 善意解釈の原理は、相手の発言をあ…

身体性の賦活による無意識へのアクセス経路構築

毎日新聞日曜版に連載している梨木香歩氏の「炉辺の風おと」のなかに、 興味深い二冊の本の紹介がありました(7/26日版)。 マイケル・D・ガーション『セカンドブレイン』 傳田(でんだ)光洋『第三の脳』紹介によれば、タイトルにある「第二の脳」「第三の脳…

ストイックの倫理

アイン・ランドのリバタリアニズムに通ずる記述を見つけました。現代的な個人主義の理解は、この引用に寄せて書けば、 「倫理的最高価値としての自由」が、 「自己以外の存在の変改や抹消を意味」する、 ということになりますが、ほんとうの(発祥としての)…

個人を殺す個人主義の時代

権力/依存、あるいは命令/服従というタイプの関係は、ひとたび作動するとそれだけで自らを強化し、正当化する傾向を持つのである。言うまでもないことだが、かつてジャン・ジャック・ルソーが述べたように、「おのれの力を法に、そして服従を義務に変える…

不死身(富士見)の伝統芸能「純粋暗箱形式主義」

それ以来、人々はポスト・イストワール的に硬直した世界に動きをもたらす「情念(パトス)の型」を求めてきた。失われた「生の緊張」を、改めて純形式的に、生活世界に注ぎ込もうというのである。これが、コジェーヴが分析した魅惑的現象、すなわち純形式的…

現実へのリンクとしての「自己包摂性」

自己包摂性(アウトローギッシュ) 自己包摂的な概念とは、その概念自体を定義のなかで用いることによってのみ定義できるような概念である。そうした概念は、その概念自体に適用することが可能であり、必要でもある(そうしても無意味にはならない)。たとえ…

尽きぬ流れの「初源」の風景

『水源 The Fountainhead』(アイン・ランド)を読了しました。 かなりの大著で、平日に一日1~2時間読み進めて、半年かかりました。あとがきに書いてあったことですが、 著者は20世紀初期にロシアで生まれたユダヤ系の人で、本名はアリッサ・ローゼンバウム…

関心の模造・量産がもたらす世界観

『世界はなぜ存在しないのか』(マルクス・ガブリエル)という本に、 事実には二つの側面があるという論理があります。実際になにかが現実に存在していること、ふつう事実と呼ばれるものとしてのこれ、 だけではなく、 それを認識する主体(の意識・存在)、…

毎日新聞(1/26 日)と「宇宙空間の豚さんたち」

面白い哲学書においては、論題が抽象的でも、その議論が日常生活と有機的にリンクされています。僕の思う「有機的に」というのは、生活のこまごまとしたことに対する認識を変えたり、些事が新たな意味を獲得したり、あるいは哲学(的思考)そのものが生活の…

脳化社会における庶民の「抽象的土着」について

あるいは本題の5倍以上は長いまえおき 理解よりも前、それを目指す考察よりも前の、興味の段階にある状態が、 なにごとかを指し示すことがある。「普遍に至る個性」は、その個性が社会にもまれて生活している限りにおいて、 いわゆる個性的な人物でなくとも…

自覚を研ぎ澄ませた無垢(はまた今度)、電車スマホの異常空間における共同幻想について

読みながら、この人なんで「普通」ってことにこんなにこだわってるんだろう、ってそばにいたノボちゃんに呟いたら、ノボちゃんは、「こいつの言う『普通』ってのは、人が人の目を意識しないでとる行動、だから覗き見して初めて見られる他人のナチュラルな行…

マジックミラーの「閉鎖系多重反射」の怪

先の記事を書いていて、最後に読み返す時に、別の進路へ派生する思いつきがもう一つあったことを思い出しました。 cheechoff.hatenadiary.jp 以下の引用は再掲です。 「お前は誰だ」と訊かれて、優等生の言葉は風紀係の教師に向かい、「私は私だ、あなたの思…

ラディカルの未来形、マジックミラー・シティ、意識活動の質的変化

風紀係の教師の前に立たされた非行少女は、ただ一つのことを知っている。それは、自分の言葉がけっして相手に受けとめられることはないということ、もし受けとめられることがあれば、それは、相手が虚偽であるか、自分が虚偽であるか、そのどちらかの場合だ…

自覚の祝祭

いつまでも読み継がれる、古びない本があります。でも、本とは本来、そのような意図でつくられたものです。内容が古くなって、現代では読む「価値」がない本。 この「価値」は現代が下した判断です。だとすれば、それを疑うことは、古びた本を復活させること…

子どもに「かまう」人の視線と秩序

「でも子供を可愛がるというのとは、ちょっと違うんです。なんと言えばいいんだろう? 子供にかまう、という方が近いかな」 かまう? 「うちにも子供がいるんですが、犬伏はとにかくかまうんです。子供が好きなことはたしかなんだけど、可愛がるというのとは…

Can one speak about unspeakable? (4)

言葉は「ないものをあらしめる」ために生まれた。 その場にあるもの、そばにいる人を名指す必要は、本来はない。 身振りで伝わるからだ。時間的に、または空間的に、「ある」が「ない」に変わったもの。 あるはずがなくなったもの、あってほしいがないもの。…

お盆に姪甥と遊ぶ

先週末、タイに住んでいる兄一家が実家に帰ってきました。 それに合わせて僕も帰省して、午後いっぱいを一緒に過ごしました。9歳になった姪と、3つ下の甥と会うのは2年ぶりでした。 おてんばで多動症的だった姪(「あーちゃん」)は少し落ち着いた反面、「い…

「遺産過多」の時代、消費対象としての時間、キュレーションと自販機

(…)しかし、すでにシャトーブリアンがこの加速化の経験を旧秩序の廃墟の抗いようのない徴と見ていたし、[ロバート・]ムージルもまた「加速化主義(accelerisme)」という表現を作っている。アレヴィはその試論をミシュレの引用から始め、ヒロシマのその後…

功利的な記憶、一億総葬送、そして椎名林檎

フランス革命の頃の、アントワーヌ・クリゾストム・カトルメール・ド・カンシーという人の文書から。 「誰が我々の精神にこれらの彫像が意味するところを知らせるのだろう? これらの彫像の態度は、何を対象にしているのかわからず、表情はしかめ面でしかな…

極北にて(1) - 想像の橋をリアルに渡る

今でもなお私は考え続けている。私がそれまでくぐり抜けてきた苦難を、それだけの価値はあったと思わせてくれる何かが、その飛行機に積まれていた可能性はあったのだろうか、と。 そこに何があったかではなく、そこに何があり得たかと、今こうして考えを巡ら…

「"身銭を切る"は市場原理への反逆である」論

一人一人のアウレリャノがどういう人で彼が何をしてきたかを憶えていれば、何人アウレリャノが出てきても混乱はしない。そういう風に記憶していくためには、『百年の孤独』は一回真っ直ぐに通し読みしただけではダメで、読み終わったところを何度も何度も読…