human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧

実践の論理について(1)-時が止れば動き出す-

全体化の特権は、次の二つのことを前提している。まず実践的諸機能の実践的(したがって暗黙の)中性化──特殊ケースにおいては、時間標識の実践上の使用を括弧に入れること──、この中性化は、実践的備給の中断を前提する「理論的な」質問の場面である調査*1…

実践の論理について(0)-行きつ戻りつ事始-

実践が示しうる以上の論理性を実践に求めることを避けるために、また求めるがために余儀なく実践から非首尾一貫性を強奪するとか、不自然な首尾一貫性をむりやり押しつけるとか、こうしたことを避けるためには、実践に、論理学のものとは違う論理を認めなく…

蒟蒻も能書き垂り

何かをするのに理由が要った、昔。 「おー、なんだか忙しそうだねえ」 何もしないのに理由が要った、今。 「ん、なんか暇してんじゃない?」 みんな暇だった昔と、みんな忙しい今。それだけ。それだけ? 実質から用意される抽象、理屈。 屁理屈を笑えるのは…

昇段試験あるいは正しい靴下の使い方について

あまり知られていませんが、部屋で一本歯を履くのはとても厄介です。 (恐らく「厄介である」以前の問題ですが) 床を傷つけず、かつ本来の機能を損なわない工夫が求められる。 パイオニアたればこそ、継続的な試行錯誤を要します。詳細は省きますが、初期は…

変化のこと(5)-Consciousness is half the battle-

朝日新聞を今まで長期にわたって読んできました。 実家も朝日だったし、学生の間読まなかったのは1、2回生の頃だけでした。 就職で京都から神奈川に引っ越す時も販売店どうしで引き継いでもらった。 それが、つい3ヶ月前に、ひと月読むのを止めてみようか…

変化のこと(4)-パッシブ朝活-

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を思い出しました。 あれはハルキ小説の中でも特に教訓の多い小説だったな、と。 村上氏が教訓好きなことは村上堂エッセイシリーズで触れられています。 教訓には、普遍に返る作用と変化を起こす作用の両方…

統計的思考について

(…)そういうこと[一つ一つの電子がどう動いているかということ]は、何も分る必要がないので、電子の流れ全体のことを知れば、それでテレビも見られるし、電子顕微鏡の写真もとれる。一つ一つの電子の動きは分らなくても、機械の設計もでき、また学問も進…

足裏のNスペースについて

Nスペース[negative space(ネガティブスペース)]平面作品における主要な形態と認識されるもの以外の余白、隙間を指す。また三次元の空間におけるヴォイド、残余空間、余白、隙間等もNスペースと考えられる。*1 (…)ここでわたしが提示しようとするNスペー…

鉛直振り下ろしについて

一本歯剣術の話。 棒術との差は単に「どちらを振っていて思い付いたか」の差です。前に「力の入力と出力の差(比)が劇的だと面白い」と書きました。 少ししか動いていないのに剣を素早く振れた、とか。 この入出力の比は「逆に劇的」でも手応えがあります。…

限りなく金に近いと金

千ちゃんの先チャン本紹介、という趣向です。 (そういえば俺をそう呼ぶ人はもう近くにはいないなあ、とか…) 最近はスパゲティ本に『フフフの歩』(先崎学)を読んでいます。 棋士の日常を綴ったエッセイなんですが、面白いです。 着物で懐手でいつも眉間に…

カシューナッツのこと

季節が夏と秋の間をふらふらしているように思います。 朝晩が寒いかと思えば、その同じ日の夜に布団を被ると暑い。 空気は冷たいが気温はそれほど低くない、という体感です。 変な話をしていますが、自分の体が発熱しているからかもしれません。風邪を引いた…

個人から立ち上げる物語について((6))完

思い付きを折角だから書き尽くそうシリーズのラストになります。 テーマがキャパオーバなので大雑把な話でいきます。 物語の質の、時代の変化についてです。「大きな物語」とは、日本の高度成長期の「一億層中流」とか「工場の黒煙は豊かさの象徴」とか、資…

「私は軋轢を墓碑銘としよう」

風邪ひいてました。が、戻る前にまた寄り道です。 私はこれまでエッセイで「現代という時代を生きづらいと感じる人の方が、この時代にすっかり馴染んで楽しくやっている人よりもずっとちゃんと生きている。」とか「すっかり馴染んで楽しくやっている楽しさよ…

意味が生まれる境界について((5))

連投の続きですが、テーマが変わります。(1)に連投の発端が書いてあるんですが、箇条書きの最後2つは「非消費者的に生きる」な話とは別の話かなと思っています。 もちろん繋がる部分はあって(何せ「生き方」なもんだから大体の話は包含してしまいます)、…

コロニーについて

思いついてしまったシリーズその2。棒術の話。林檎は毎日半個食べていて、6日の間に2回、台所で切っています。 台所で用事をする時は、その内容によって照明を使い分けています。 林檎とシンク掃除は蛍光灯、それ以外の用事は白熱球(色の照明)。 平日は…

非消費者的に生きる(4−2)

4−1の続きです。前回途中で「バナー広告」の話に逸れてしまいましたが、逸れたというよりこれが考えたい事柄だったような気が今していて、ちょっと掘り下げてみようと思います。 インターネットとは、端的に脳内的な出来事です。 画面上に現れる情報は、一…

非消費者的に生きる(4−1)

「無時間モデルの欲望」の話です。広告溢れる消費社会では、なんやかやと散財を勧めてきます。 それが当たり前で、なんというか「この常識のもとにまっとうに生きる」と自然に消費者になるようになっています。 「モノを金で買うなら消費者だろう」という認…

非消費者的に生きる(3−3)

3−2の続きです。本に関する認識を変えてくれた話についての話でした。 さて、ハシモト氏なのですが…当初に何を書こうとしたのか、思い出せない。 また長くなりそうな話だったはずですが、忘れてしまったので今思い付いたすぐ終わりそうな話をします。出版…

垂直離陸について

思い付いてしまったので連投の間にカフェブレイク。 というほどオシャレなテーマではありませんが。 前に書いた一本歯でステップを踏む話の一例です。 毎日無秩序に踏んでいるのですが、先ほど一部の言語化を閃きました。タイトルは、たしか甲野善紀氏の武道…

非消費者的に生きる(3−2)

さて、戻れる気があまりしませんが、ウチダ氏の話の続きです。氏は「月刊ウチダ」と言われる(自称ですかね)ほど大量に本を執筆しています。 その本の何割かをコンピレーション本と呼んでいます。 「コンピ本」とは、氏が習慣として書いているブログから寄…