human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

足裏のNスペースについて

Nスペース[negative space(ネガティブスペース)]平面作品における主要な形態と認識されるもの以外の余白、隙間を指す。また三次元の空間におけるヴォイド、残余空間、余白、隙間等もNスペースと考えられる。*1


(…)ここでわたしが提示しようとするNスペースを主とする考え方は、Nスペースをはじめから主として意識し、単にNスペースがどの様に知覚されるかで終わるのではなく、Nスペースにもっと留まって検証する方法である。言い方を変えるならば、Nスペースを強く意識することは、全くPスペースへ眼差しを注がないとは言わないけれども、Pスペースをイメージの中で透明な存在へと変換し、Nスペースの整合性や良否を探る試みだと言える*2


矢萩喜従郎『平面 空間 身体』

抜粋したのは建築学の本です。
一本歯で両足の歯を一直線に並べて立っている時にこの話を連想しました。
この連想がつい嬉しくて、効果や何やらを考える前に書いてしまいました。
連想とは「下駄の底板と足裏との空間をNスペースと考えた」というもの。

一本歯を、足指で底板を掴むように履けば安定する気がしています。
安定する、を感覚的に換言すると「歯の底が"足裏感覚"に(近く)なる」という感じ。
下駄の制御をしやすくなり、身体全体のバランスも取りやすくなる。
それで底板を足指で掴みたいのですが、さてそれをどうすればよいか。

五本の指を立てれば、鼻緒があるので指を底板に押しつけるようになる。
立てた指を、足裏の中心に引き寄せようとすれば底板と指との間に摩擦が発生する。
そのような状態が「足指で底板を掴む」状態かな、と今書きながら考えています。
それでさっきは、この状態を何かしらのイメージで感覚的に把握できないかと思った。

それで思い浮かんだ言葉が「Nスペース」だったという話です。
自分の身体を意識している間に本の内容を連想することには、大きな意味があります。
その連想した内容が、自分の身体に「登録」されていたことを示しているからです。
抜粋した本は書名が示す通り、身体イメージを賦活する記述に溢れています。

本書は毎週末に一節読むペースで、読み始めて随分経ちました。
半分以上は読みましたが、恐らくこのペースだと読了は来年になりそうです。
内容が濃いのもありますが、何より立ち止まってゆっくり想像したくなる箇所が多い。
きっと読了後に色々書きたくなりそうなので、タグに矢萩氏を登録しておきます。

「足裏のNスペース」の感覚についてはこれから掘り下げてみようと思います。


…最初に書こうとしたことを忘れていました。
Nスペースの喩えはないかと考えて「ルビンの壺」を思い付きました。
あの絵が壺に見える時、壺はPスペース、壺のまわりの空間がNスペースです。
対面する二人に見えれば、人物がPスペース、二人の間の空間がNスペースです。

Nスペースの意識とは、例えば「壺を見ながら人物を見る」ようなものかな、と。

*1:「人それぞれが身体化している感性や性向への眼差し」p.31-32註6

*2:「Nスペースの秘密」p.102