human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

高度情報社会と視線過敏症、いつも彼女たちはどこかに

「見る」ことと「見られる」ことの間には、バランスがある。 自分が誰かを「見る」とき、見ている分だけ自分は誰かに「見られて」いる。 たぶん、そういう視線交換回路、または視線交感回路のようなものが、人には備わっている。その回路は、生身の他者を前…

「"身銭を切る"は市場原理への反逆である」論

一人一人のアウレリャノがどういう人で彼が何をしてきたかを憶えていれば、何人アウレリャノが出てきても混乱はしない。そういう風に記憶していくためには、『百年の孤独』は一回真っ直ぐに通し読みしただけではダメで、読み終わったところを何度も何度も読…

極北にて(0) - マーセル・セロー『極北』を読んで

表題の通り、図書館で借りている『極北』を読了しました。貸出延長手続きを忘れて延滞になっていて、すぐ返す必要があります。 もちろんすぐ返すつもりですが、「読んでおしまい、さあ次の本だ」という風にはなりそうにない。 それだけ、これが僕が読みたい…

香辛寮の人々 2-2 「他愛のある人、自愛のない人」

フェンネルは居間のソファで寛いで本を読んでいる。廊下がゆっくりと鳴る音が聞こえる。フェヌグリークが姿を見せる。 「ここにいたのね、フェンネル。ちょっといいかしら」 「どうぞ」フェンネルは顔を上げて、向かいのソファを手で示す。フェヌグリークは…

極北にて、連想強化と無私

彼はよく言ったものだ。原始時代の泥の中から這い出して以来、我々は「不足」によって形づくられてきた。なんだっていい──チーズ、教会、作法、倹約、ビール、石鹸、忍耐、家族、殺人、金網──そんなものはみんな、ものが足りないから出現したものなのだ。と…

本の可能性を「草の根」で賦活するために

『「本の寺子屋』が地方を創る - 塩尻市立図書館の挑戦』(「信州しおじり 本の寺子屋」研究会)を読了しました。表紙裏に抜粋された、まえがきの一節には、こうあります。 「本の寺子屋」とは── 塩尻市立図書館が中心となって推進している取り組みで、 講演…

instinct resolution

保坂和志の本で「主体の解体」についての記述を読んで、「解」という字の不思議を感じた。 それについて以下に書く。 まず一言でいえば両義性ということなのだけど、あとで別の表現が出てくるかもしれない。本題に入る前に、…(以下後略)。*1 保坂氏は「主…

Can one speak about unspeakable? (1)

「沈黙について語る、にはどうすればいいか、考えているんです」 「それは、沈黙すればいいのではないかな? 文字通り」 「……そうですね」 「……」「いえ、その、言葉にしたいのです」 「沈黙を言葉にする? 沈黙を破って?」 「矛盾して、聞こえますかね」 …