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読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

本の可能性を「草の根」で賦活するために

『「本の寺子屋』が地方を創る - 塩尻市立図書館の挑戦』(「信州しおじり 本の寺子屋」研究会)を読了しました。

表紙裏に抜粋された、まえがきの一節には、こうあります。

「本の寺子屋」とは──
塩尻市立図書館が中心となって推進している取り組みで、
講演会、講座等のさまざまな事業を通じて、
「本」の可能性を考える機会を提供するもの。
地域に生きる市民の生活の中心にもう一度、本を据え直し、
読書を習慣化させるための方策を、
書き手、作り手、送り手、読み手が
共同して創り出そうとする仕掛け。

「本」の可能性を考える。
僕自身珍しく、書店で新品の本を購入したのは、このキーワードが目に入ったからです。
それは常に念頭にあって、ずっと考え続けていることだから。

本書には塩尻市立図書館の「本の寺子屋」が立ち上がるまでの経緯、事業に関わった人々の思想と熱意、開始以後の事業報告などが書かれています。
まだ図書館で仕事をしたことはありませんが、大学(岩手の富士大)で2ヶ月の図書館司書講習を受けて資格を得た者として、身近といえばちょっと違いますが、半分当事者として読みました。

講習の同期生はほとんど公共図書館学校図書館で働いていて、今もやりとりをしている人もいますが、彼らが読めば、内容がそのまま身にしみるということもあるでしょう。
僕自身は、図書館という人が集まって本と関わる場所から離れて、あくまで「個人と本との出会い、その生活」を中核として、「本の可能性」を考えています。


ただ、地方から立ち上げる、地域の草の根の活動から始まる、という理念は、本や読書の可能性に限らず「その通りだ」と思っています。
たとえば、政治、教育、治安といった領域。

いや、ここでそれらの領域の話をしたいわけではありませんが、世の中の仕組みや価値観、そういった何かをよくない、変わるべきだという思いを持った時、革命的にというのか、大きな範囲での劇的な変化を期待するのではなく(自分一人では起こせないから、他人任せな姿勢になってしまうのは仕方のないことです)、変えたいという思いを能動的に活かすには身近なところから始めるしかない。
そういう思いは人それぞれ持っていて、たまたま自分は「本」を通じて、その思いを形にしたいと思っている。
だからこの本の熱意は僕に十分伝わってきたし、では僕は自分なりに、どういうアプローチでやろうか、と改めて考えさせてくれました。

 × × ×

大量の本を入手する伝があり、上記の講習同期生(M崎姐さんと呼んでおきましょう)の助言、というか発言に対する閃きがあり、ネット古書店を始める準備をしている、という話を前に書きました。
今はその、仕入れたままシェアオフィスにダンボール山積みになっている書籍を収納するための書庫を製作しています。
9割方完成していて、あとはまあゆっくり進めようと思っているさなかに、M崎姐からメッセージをもらい、こちらの準備状況を写真と共にお知らせしました。

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シェアオフィス1F談話スペース。壁四面を本棚で埋め尽くすまで、あと少しです。
するとその返事にはこうありました。

 「一階? ウォークインのお客様もアリなのね?」

今までその用途を(閉架)書庫としか考えていませんでしたが、
さも自然にこう言われてみると「ああ、アリなのか」と思いました。

それがこの前のこと。
そして今この本を読み終えて、ほぼ全景を現しつつある壁面本棚の、開架書庫としての使いみちを考え始めています。


ビジネスとしての成立要件よりも先に、「本の可能性」がグラスルーツで活性化するために、何ができるか。
会社ではなく、個人だからこそできるフレキシブルな活動として、どうあり得るか。

ここには、もう一つの(というより今はこちらが主力の)「ものづくり」の仕事を絡めることもできる。
今製作中の書庫は、同じ建屋の同階手前にある工作スペース(アトリエ)で材木を切る所から全てやっているし、元々余分に購入した材料と、製作過程での発見や思いつきとで、別の何かを作れないかとも考えています。


さあ、どうしていきましょうか。

 × × ×

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天満橋ジュンク堂で購入。高校が近かったので昔から馴染みでしたが、いつの間に、マンガ売り場が書籍エリアとは分かれていました。

「本の寺子屋」が地方を創る 塩尻市立図書館の挑戦

「本の寺子屋」が地方を創る 塩尻市立図書館の挑戦