human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

instinct resolution

保坂和志の本で「主体の解体」についての記述を読んで、「解」という字の不思議を感じた。
それについて以下に書く。
まず一言でいえば両義性ということなのだけど、あとで別の表現が出てくるかもしれない。

本題に入る前に、…(以下後略)。*1


保坂氏は「主体の解体」という言葉を、人間は自分のことをすべてわかっているわけではない、意識として把握できるのは全体のほんの一部だし、意図したり計画してそれが思い通りにこなせるという制御性はそのほんの一部の表れに過ぎない、といった文脈で使っている。

「解体」とは、統合された、輪郭のはっきりした一個体である主体、そういった仮想物を「バラバラにする」ことを指す。
バラバラだから、構成は雑多で分類できないし、一望俯瞰も不可能である。

でも、「解体」が通常用いられる意味は、「対象が巨大かつ複雑で、そのままでは理解できないから、その対象を要素ごとに分解することで把握する」ではなかったか。

いまでは接尾語的な名詞となった「解体新書」はたしか、蘭学者の訳した人体解剖書だ。
人間という複雑極まりない生体に、機能を与えて肉体的な境界を設定し、部分に名前をつける。
バラバラにすることで、全体を一望俯瞰し、理解する。

解決、解答、解読。
「解」をもつ単語のほとんど(全て?)は、物事をスッキリさせる語感を持っている。
解体だけが例外、なのではなく、これも元はその仲間である。

だからといって、保坂氏の文章が特別なわけではないし、文脈に違和感もない。


これは分析だけど、たぶん僕は、同じ「解体」が理解可能と理解不可能の両方を目指す(目指せる)ことに不思議を感じて(「いや言葉の両義性なんてのはどんな単語にもあり得ることだ」と"逃げ"を打ちそうになってそれは止めたのだけど)、考えてみると「解体」ということばはほんとうに対象の現状に対する解体行為なのだ。

という言い方は意味不明で…

 何か全体を分かっているつもりの「一個」をバラバラにすると、わからなくなる。
 広きにわたって込み入った全体の「一個」をバラバラにすると、わかる。

対象の構成に変化を与えて、把握の仕方を変える

解体の意味を、もっと言えば「解」という字が含む意味をこう取れば、矛盾かと思えた両義性の論理が明快になる。


それで、今書いてきたことは「解」の字の解釈ということになるのかもしれないが、「解」がほぼ「わかる」の意味でしか使われていないのは、科学的思考の一形態、要素還元主義が全盛だった(流れは変わりつつあるが、今だってそうだ)からというのもあるし、大学受験を牙城とする受験教育熱の凄まじい日本の国柄と関係があるようにも思う。

「解体」することでわからなくなる、それは「知識が増えるほど分からないことも増える」、無知の知という古くからある知性のあり方だし、保坂氏はもとより、『「分からない」という方法』というこの文脈にうってつけの本の著者・橋本治(つい最近論語についての本が出ましたね。いつ書いたのだろう)、話を複雑にした方が物事はわかりやすくなるという持論で連想と隠喩を駆使する思想家・内田樹など、そのような思考を体得し本に著し続けている人々を僕は何人も知っているし、そういう本を好んで読んでいる。


問を「解決」すること。
謎を「解読」すること。

そうして「解く」ことが、自然と「わからない」へ向かうようになること
それはとても、心躍ることのように思える。

 ──と、こういうことを考えてみると、今回「わかること」への批判を賭けずに『フランドル[への道]』のことになってしまったのは無駄ではなかったことになる。小説の書き手は解釈されることをやみくもに嫌っているのではなくて、小説家の意図として想定される主体が、主体が解体した人間像を持たない解釈者の主体の反映としての主体に置き換えられてしまうだけのろくでもない読みに対して腹を立てるということなのだった。

「5 私の解体」p.105(保坂和志『小説の自由』新潮社)

 

*1:スポルティバのクライミングシューズに「ソリューション」というモデルがあって、メンズのデザインが黄色系と白のマーブル文様だったり、最近は直線的な幾何模様になったようで(昨日ジムで新品を履いた人のを見ました)、僕も同感ですがデザインはあまり好評でないようです。靴の性能自体はたぶん素晴らしくて、僕は前にフューチュラを買う時に店頭比較で試し履きした程度ですが、5.10のハイアングルよりはスマートに、ただ同じく足裏感覚を犠牲にして立ち込みもトゥー・ヒールも抜群にできる、僕の感覚では「ライトアーマー」のようなシューズです。同じ視点でいえばハイアングルは比較的「ヘヴィアーマー」に近い(懐かしのSFCバハムートラグーン」のキャラで喩えれば、前者はルキア・ジャンヌ、後者はグンソー・バルクレイといったあたり)。いずれにせよ「鎧をイメージするガッチリさ」があって、足裏感覚を重視したい僕の好みではなかったんですが、つい最近、5足目となるニューシューズを購入して、それがレースアップ(紐靴)しばりとお手頃価格を考慮して選んだスカルパのインスティンクト・ブラックで、これが実は僕の好みに反して上記の靴と似た「高機能ゴツゴツ感」が高い。現在主力の4足目5.10クォンタムに比べるとトゥーフックは断然効きそうだが、その分つま先部分が固くて踏み込めない(これは最初だけの辛抱かもしれない)。足形へのフィット感はレースアップだけに高いので、徐々に慣らしていくしかないが。 いや、書きたかったのは「ソリューション」と命名されたクライミングシューズの意図は名前から明らかで、でも別の解釈もあるのではないか、そしてその別の解釈も以下の内容に関わってくるだろう、というだけのことだった。 p.s.ついでに調べると"instinct"は「本能、直感」という意味なんですね。いい言葉だ。靴の名に負けない登り方をしたい。 www.edgeandsofa.jp