human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

神の構成論的アプローチについて

 ここで心に留めておくべきことは、脳化学や認知科学において、人間がCPG〔セントラルパターンジェネレータ〕を使ってどのように体を動かしているかは、いまのところはほとんど明らかにされていないということである。分かっている事実は、人間にはCPGという機能があるということだけである。
 このCPGにさまざまなプログラムを加えてアンドロイドに実装することにより、アンドロイドが非常に人間らしい動きを持てば、逆に、


 「アンドロイドを作ることを通して、人間の脳の機能が分かる」


可能性がある。アンドロイドに実装したプログラムが、脳の知られていない機能を実現している可能性があるのである。
 このような「先にまずロボットやアンドロイドを作ってみて、そこから人間を知る」というアプローチを、「構成論的アプローチ」と呼ぶ。今後の脳化学や認知科学は、この構成論的アプローチを取り込みながら、ロボット工学とより密接な関係を持っていくことになると私は考えている。その意味でも、


 「ロボットやアンドロイドは人間を映し出す鏡」


なのである。
「第3章 子供と女性のアンドロイド」p.65-66(石黒浩『ロボットとは何か』)

実験に終わりはなく、そして始まりもなかった。

なぜ貧しき者の神であるあなたがたの神は貧しき者たちを養われないのか。」とあるローマ人はラビ・アキバに尋ねました。「私たちが地獄の刧罰を免れることができるようにそうなさるのです」とラビ・アキバは答えました。神が人間のもろもろの義務と責任を代わって引き受けることができないということをこれほどはっきり言明した言葉を私は、他に知りません。
(…)
神に対して犯された過ちは神の所管に属すが、人間を害した過ちは神の所管に属さない、と。タルムードのこの一節は人間に手を掛けた者が受くべき責任を明示するとともに、被害をこうむった者の価値とその全的自律性とを宣言するのです。悪とは儀礼によって払拭しうるような神秘的原理などではなく、人間が人間に向けて加えた罪過なのです。誰一人、神でさえ、犠牲者の身代わりになることはできません。赦免〔ゆるし〕が万能である世界は非人間的なのです。
「Ⅰ 悲愴の彼方 ⅴ 有責性」p.37-38(エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』)

自分自身を思考対象に繰り込む「入れ子思考」は客観性を目指します。
その究極は自身を完全に相対化した「神の視点」です。
が、ここで重要なのは「神は人間が責めを負うことについては知らない」ことです。
客観思考は「神の構成論的アプローチ」の追試なのです

人間が神に試されているのは、その意味でのことです。