human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

マクラナマクラマクナマラ

(22)ロバート・マクナマラ──Robert McNamara
 ケネディ=ジョンソン政権におけるエリート高級官僚、いわゆる「ベスト・アンド・ブライテストアメリカ最高・最良の人材)」、の中でもとりわけスーパー・クールな才人として知られた。
(…)
 マクナマラの国防長官としての究極の目的は国防総省におけるシビリアン・コントロール文民統制)を確立することにあった。そして軍人たちの反対を抑えこんで、軍拡競争に終止符を打つことにあった。もしそれがうまくいけば、彼はおそらく歴史に名を残したことだろう。しかしヴェトナムという不確定要素が彼の夢を無残にうち壊した。マクナマラの貴重な時間と精力は、その無意味な戦争によってもたらされる泥沼のごとき混乱のつじつまあわせのために完全に消耗させられてしまった。そして彼の名は結局「高度に技術化された非人間的戦略」のシンボルとして歴史にきざみこまれることになった。

訳注(村上春樹
ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』文春文庫,1994
太字は引用者

『ニュークリア・エイジ』を読了しました。

村上春樹のエッセイ、どの本だったか忘れてしまいましたが(『遠い太鼓』かな?)、
の中で氏が非常に強く推していた本だったので、市の図書館で借りました。
古い本にしては珍しく、予約が2件あって、予約してからしばらく待ちました。
そのエッセイの中で「非常に哀しい物語」であると書かれていた気がします。


本書の訳者あとがきに書かれていたこと

「この作品の登場人物には全的に感情移入できる人が一人もいないのだが、
 不思議なことに、それでも強く心を揺さぶられた」

こう言われてみて、そうかもしれない、と最初に思い、
それは不思議には違いないがありうることだ、と思い、
それこそが「強く心を揺さぶられた」理由ではないか、と思いました。

そして、それが「正常なこと」なのだと。

想像力の使い方として。


多様性の意味について思ったこと

 みんな違って、みんないい。
 自分と異なる価値観の尊重。
 不快な隣人と共生すること。

それは確かに大事なことだ、
誰もが生活の中で実践するかはさておき、
敢えてそれを否定しようと考える人間はそういまい。

「誰もそれを否定しない」
でもそれは、
「誰もがそれを肯定する」
のとは違う。

ちょっとどころか、
言葉の綾どころか。

 千里の径庭。

多様性の強制は、多様性の実現ではない。
しかし、個々に主体的な多様性の尊重の集積などというものは夢だ。


多様性とは、理想でしかないのか?

追い求めることに意味があり、その実現は望めないもの。
この認識はリアリズムかもしれない。
でも少し、寂しくはないか。

だったら、こう考えてみてはどうか。

 「多様性とは、想像力の賜物である」

いったい、これは何を意味するのか?


それは君が考えるんだ。
それは君がこれから生き延びるうえで、
一考に値するテーマだ。

健闘を祈る。

 × × ×

書評サイト「シミルボン」に登録してから、
本ブログの過去記事ばかり投稿していましたが、
今回は珍しく時系列が逆となりました。

というわけで記事初出がこちら。

https://shimirubon.jp/reviews/1704901
 

本記事よりも書評ライクな部分がわずかにみられます。