human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

GRAVITY LOVERS(前)

ちょっとしたきっかけがあって、
テグジュペリの『人間の土地』を五年ぶりに読み返していて、
童話でも小説でもなく、おそらく体験記だと思うのですが、
つまりジャンル的にはドキュメンタリーと言えなくもないはずですが、
そうだとすれば、この本の哲学と詩の成分は異常なほど濃密です。

一度目に読んだ時に傍線を大量に引き、
今回はその追加にくわえて付箋を新たに貼ったりなどして、
家の本棚もオフィスの書庫も、未読の積ん読本は増える一方なのに、
いつも再読はさらりと済ますつもりで取り掛かり、
その心積もりが序盤で折られなかったためしがありません。

(↓Amazonでタグ検索したら、堀口大學訳の新潮文庫版がありませんでした。
 絶版なのかな…訳もすごいし、宮崎駿の解説もすごいのに)

それはよくて、
再読でやっぱり連想することが所々でいろいろあって、
そのいちいちを展開したい欲求を、
その場で好きなだけ膨らませることで解消してなんとか読み進めるのですが、
いかんせん、クライミングにまで連想が及んでしまい、
こういう機会もなかなかあるまいということで書いて掘り下げようと思い、
ちょうどその連想のきっかけにもなった最近の登璧動画を、
以前しょーもない動画をアップするためのニコニコ動画のアカウントがあったので、
それを利用して投稿してこの記事に貼っつけようと思い、
そのためのあれこれ、また動画の説明文章を書くなどして、
この記事を書くための体力と関心を入り口前でそちらに持っていかれたので、
本題に入る前から疲れています(展開としてはいつも通り)。

さて、タイトルのことにどこまで触れられるか。

 × × ×

テグジュペリが飛行機乗りであった頃、
どこぞの砂漠に不時着して、
近くの砂丘のてっぺんに寝転び、
夜空を仰ぎ見ていた時のこと。

 眠りからさめたとき、ぼくはあの夜空の水盤以外の何も見なかった。(…)自分の目の前のこの深さが何であるかまだ気づかないうちに、ぼくは眩暈にとらわれた。この深さとぼくとのあいだに、身をささえる木の根もなければ、屋根一つ、木の枝一本ありはしないので、いつしか拠所を失って、ぼくはダイビングする人のように墜落に身をまかせていた。
 とはいえ、ぼくは落下はしなかった。頭の先から足の先まで、ぼくは自分が地球に縛りつけられていると気づいた。ぼくは自分の重量を地球にまかせている事実に一種の慰安を感じた。引力がぼくには恋愛ほど力強いものに感じられた。
 ぼくは地球が、ぼくの腰を受け止め、ぼくをささえ、ぼくをもち上げ、ぼくを夜の空間へと運び去るような気がした。ぼくは自分がぴったりこの地球に寄りかかっているのに気づいた、ちょうど操縦しながら、方向を変えるとき、全身にのしかかってくるあの重さと同じ重さで、ぼくはこのがっちりした肩を組みあわせた気持、あの堅実感、あの安全感を味わうのだった。そしてぼくは、自分の体の下に、自分の乗船地球の、円味のある甲板のあることを感知したものだ。

「飛行機と地球」p.75-76
サン=テグジュペリ『人間の土地』新潮文庫、1955

この引用部分だけで連想がいくつも働いたんですが、
まずは脇道からいきましょう(そこで力尽きるかも…)。

ある年齢以上の人(たぶん僕より年上)なら、
「自分の乗船地球」という表現から、
フラーの「宇宙船地球号」を連想しない人はいないでしょう。

が、フラーの方は「思想」であって、
ここでのテグジュペリの言葉は「体感」を表現したものです。

同じ文章の前半は、飛行機の操縦における体感の比喩ですが、
一般的な現代人であれば、車の運転における車体との一体感と同じです。
カーブを曲がる時に、あるいは狭くて障害物の突き出た路地を通る時に、
車体が自分の身体であり、車体表面に運転車の触覚が宿ったような感覚。

砂丘で仰向けに横たわるテグジュペリは、
自分と地球との(介在者なしの)一体感を、そのように感じた。
…ということの絵面を想像すると、
ボカロ作曲者はるまきごはん氏の初期作品を連想しました。
彗星に乗っかる少女(彗星の擬人化?)の歌だそうです。
(いや、思い出してみれば、
 『星の王子さま』が元いた星も、
 王子の身体と比べて、そう巨大なものではなかったはず)

「(地球が)ぼくを夜の空間へと運び去るような」というテグジュペリの表現、
これは、ここだけ見れば夜空に放り出されるように読めなくもありませんが、
その前後の、自分と地球の結びつきの強さを表す多くの言葉と合わせれば、
「夜」というのは実際は夜でも、イメージとしては「宇宙」であって、
地球という球体にまたがった彼が宇宙を旅している情景がぴったりで、
体感と、それに合わせた地球のサイズ感のイメージとしても、
この歌はなかなかフィットするのではないかと思います。
www.nicovideo.jp

さて、本論です。
本記事タイトルの出所は、ここです(引用一部再掲)。

ぼくは自分の重量を地球にまかせている事実に一種の慰安を感じた。
引力がぼくには恋愛ほど力強いものに感じられた。
(…)
あの堅実感、あの安全感(…)。

日本全国に点在するクライミングジムの名前の中には、
ライミングという営為そのものにかけたものが多い。
その有名どころの一つに「グラビティリサーチ」がある。
重力探査、あるいは重力研究。
いい名前だなと思うし、
ライミングの探求とはやはりそういう目線で見るものだよなと思う。

いや、クライミングに限りませんが、
一般的に…

(今、時計を見て、急激に眠くなりました。
 というか朝になると寝られなくなる…
 というわけで急すぎますが一度筆を措きます。
 以下、後半に続く。
 執筆意欲が残ってたらいいな☆
 動画も上げたし、たぶん大丈夫だと思います)
 

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