human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

ドーマル、多和田葉子、橋本治と「メタファーの力」

 
ルネ・ドーマル『類推の山』を、その本編を読み終えました。

未完の遺稿というのが惜しいです。
何も知らずに、それからまだまだ続くはずの「……」で章が終えられた次の白紙のページに出会って、呆然となりました。
そして、
ただ、それはもう、そういうものなのだと。

ドーマルは詩人なのだそうです。
 
 × × ×
 
今の時期、新聞記事などを見ていても、心にいちばん響く言葉は、
詩人や文学者の言葉であることが多い。

それは彼らが、ふつうの人たちがこれまで考えてこなかったことをずっと考え続けてきた人々であり、
そして「ほんとうに必要なものをあらためて選び直す」絶妙のタイミングであるこの時期に、
彼らがその身を通じて考え続けてきたことが、
ようやく僕たちにも身に染みるようになった、
からなのだと思っています。


何日か前の毎日新聞の寄稿記事で、
ドイツ在住の作家である多和田葉子という人の文章が載っていました。
…記事の写真を撮っていたつもりが無かったので記憶で書きますが、

「メタファーとしてとらえればコロナウィルスは尊敬すべき存在である」

と。そしてそのこころは、
自らの性質を変えて(つまり変異種となって)、
宿主をとっかえひっかえして生き延びるウィルスは、
それほどまでに「したたか」であると。


いや、コロナウィルスを尊敬すべきだとか、コロナ禍はやれ好機である天罰であるとか、そういう言い方を不謹慎と告発することは簡単で、その告発が自分のためではなくコロナに苦しむ人々のためであるという使命感に酔う選択肢もありふれていて、それでとばっちりの炎上という迷惑を被る少数の人もいれば溜飲が下がって日常をなんとか生き延びる活力を得る多数の人もいる。

それはなぜか、なぜそんなことになっているのか、
その理由を問うことには、
いや、問題提起そのものはいつだって重要であるはずなのに、
ここではもはや意味をなさなくなってしまったその理由とは、
「ただそうなってしまっている」という、ただそれだけのこと。

通常言われる「生産性」と、
僕が重要だと思う「意味の生産性」はたぶん別物で、
その後者の観点からすると、
「ただそうなってしまっている」その場から抜け出るほかは、
そのことになんの意味もない。

”制度の中にいるもの”とは、すべてが”その制度”を作り上げた権力によって成立させられているものである。だからして、”そういう置かれ方をしてしまった自分”を自分に許してしまったものには、一切権力に対して文句を言う筋合いも権利なんかもない、ということである。たとえそれが”名もない庶民”であろうと”豪壮な邸宅に蠢く陰の黒幕”であろうとも。(…)権力によって成立させられた制度の中にいる人間達は、結局のところ、その制度が壊れないような、安全な文句ばっかり言っている。自己嫌悪で口がきけなくなるまで──。ここら辺は、親の悪口ばっかり言っている子供、夫の悪口ばっかり言っている専業主婦とおんなじである。

「その後の江戸──または、石川淳のいる制度」p.418-419
橋本治『江戸にフランス革命を!』青土社、1989


話を戻しますが、
詩人や文学者という人々は「メタファー」の力をものすごく認めていて、
それは「自分が変われば世界が変わる」というコペルニクス的転回の原動力であり、
それだからこそふつうの人々がふっと聞き流してしまうような一言に全身全霊をもって挑む気概を持てるのですが、

 多和田氏がコロナウィルスを「したたか」だと言った、
 でもそれは実は、
 「人間はそんなウィルスを尊敬さえできるほど”したたか”である」
 ということも言っている。

 というより、
 人間もそれほど「したたか」であると信じている、
 と言っている。

そういう風にメッセージを受け取った時、
日常生活で増えた些細な不都合に戸惑う思考の表面、
とは別のところから、
よくわからないが何やら力が湧いてくる。

「それ」にとりすがって、ご利益があるわけでもなく、
「それ」をそのまま実生活に応用できるかといえばそうでもない。

でも、ふっと心が、底のほうからふわっと軽くなる。

「ある言葉」と、
その言葉を身に受け入れ染み込ませた、
「ある知性」によって。

それが、メタファーの力
 
 × × ×
 

 ルネ・ドーマルは生涯のおわりに、まだその探究ははじめたばかりだったけれども、高く鳴りひびく音とうつろな音とをすでに聞きわけていた。その区別をさらによくわきまえて、たとえ中断されていようと、いや何よりも中断されているからこそ、その道の何たるかを知ることができたらいいのだが。
 もっともその道の標石は、簡明で正確なかたちですでに与えられている。私あての最後の手紙のなかの一通に、つぎのような言葉で表されているのだ──

「いまここで私とともに励んでいる人たちに理解してもらいたいことをこんなふうに要約した。
 
 ──私は死んでいる、なぜなら欲望がないから、
 私は欲望がない、なぜなら所有していると信じるから、
 私は所有していると信じる、なぜなら与えようとしないから。
 
 与えようとすると、何ももっていないことがわかる、
 何ももっていないことがわかると、手に入れようとする、
 手に入れようとすると、自分が何ものでもないことがわかる、
 何ものでもないことがわかると、何かになろうと欲する、
 何かになろうと欲すると、見えてくる。」


「後記」(ヴェラ・ドーマル)p.193-195
ドーマル『類推の山』巌谷國士訳、白水社、1978
引用下線部は本文傍点部

本のタイトルが示す通り、
冒険小説であるこの本にはメタファーが溢れています。

語り手とその師は現実にメタファーを看取し、
メタファーが新たな現実を拓く。
後者の「メタファーが現実に作用する」という点は、
僕らの日常で実感しにくいものです。

メタファーがいいスパイスになって魅力を放つ小説は数多ありますが、メタファーそのもの、その作用が物語の肝であり、冒険の進行の鍵を握る、というメカニズム(物語の原動力)は、展開に荒唐無稽な面があっても気にならない、すなわち表面的なリアリティを圧倒するほどのパワフルさがあります。

 それはまた、かつて初代[歌川]豊国に於いて、現実には”一人”しか存在しない女性像が”女方”という型枠を使って”それぞれに違う個性をもった女性像”を生み出したことに等しい。[歌川]国芳に於ける”大星由良之助”は、豊国に於ける”女方”という既定の対象に等しい。論ずべき実在の人物がいなければ、論ずる架空の人物を実在させる。論ずべき実在の人物がいないというような時代もあったのだ、女性が”理想の女性”というフィクションの中にしか存在しなかった時代があったように。リアリティーというのは、だから、”実在させてしまえる技術”のことを言う。

「安治と国芳──最初の詩人と最後の職人」p.406-407
同上

 
ここで再び、
メタファーの力とは何か。

それは「言葉が持つ力」ではあるが、
「言葉だけが持つ力」ではありません。
あるポテンシャルを秘めて目の前に差し出された言葉、
その言葉に実質を与える「受け手その人の力」も含まれます。

だから例えば、作家の提示したメタファーは、こうも言える。

その作家とある読者とのコミュニケーション(の成立)であり、また、
その作家とある読者とのコミュニケーション(のすれ違い)でもある。

メタファーを最終出力として、自分の言葉として差し出す表現者は、
その受け手の解釈の自由を尊重し、そして解釈の飛翔を信頼している。

だから、
きっとそのコミュニケーションが「成立」したか「すれ違った」か、
そんなことはどうでもよく、
ただコミュニケーションが「発生」したことを無上の喜びとする。


僕は一時期、「言論の尽くされたネット上のクラウドストレージ」というイメージを抱いていました。

 自分がなにか「新しい」と思ったことなど、
 どうせ誰かが既にどこかで言っている。
 検索して出てくるのと同じ言葉を、
 自分があらためて書き加える意味などない。

その頃はウェブ上に玉石混淆で無造作に増殖する情報に対して、
「人類知の蓄積」といった過剰に神格化した見方をしていたのでした。
大学生の時分だったかもしれません。

そして、その見方は本格的に読書に没頭するようになって、解消されました。

情報化された言葉は、情報としての力しか持たない。
その力は不変性にあり、別の見方をすればそれは「死んでいる」。
「死んだ言葉」が実際的な効力を持つ社会(現代)は存在するが、それは普遍ではない。

言葉には「生きた言葉」もあり、言葉は人のなかではじめて「生きる」。
「生きた言葉」が社会活動を担っていた社会はあったし、それは歴史に終わるものではない。
 
 × × ×
 
人と直接会うことにネガティブな印象が生まれた事態、

その機会を「直接会わないでも言葉を交わせる仕組みの構築」にだけ向けるのではなく、
「過去に受け取った言葉」と「いま身の回りにある言葉」を内にじっと馴染ませる時間に充てる、
道具としてではなく、効率や生産性とも無関係に、
自分を見つめ、また自分の思考や価値観の変化を導く、

そのように言葉と触れ合うきっかけとすることができれば、
世界はコロナ前より、静かに落ち着いた姿勢で、
地に足を着け直すことができるでしょう。
 
 × × ×

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