human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

思考

情報化と身の丈について

だからこそ、価値や規範というものが失われ、やみくもなブランドへの追従が流布する状況が生じてきているのだろう。そしてその背景に、ケータイの普及に代表される社会のIT化の影響が潜んでいるのだとすれば、すなわち社会の高度情報化は私たちが自分が社…

倫理的行為の選択について

個人とは簒奪者でなくて何であろう。意識=良心の到来とは──霊の最初の火花とは──私の傍に累々と横たわる屍骸の発見と、殺すことによって存在する自分への恐怖心でなくて何であろう。(…) 殺害者になることなく存在すること。この責任を回避し、私が責任を…

「頭隠してシリカゲル」のこと

これは言葉にしておかないと、という出来事がありました。毎週BookOffで1冊以上は本かマンガを買っています。 最近店のカウンタでポイントカードの作成を勧められるようになりました。 「オレンジのBookOffポイントカードを作られますか?」と聞かれるわけで…

「村上春樹的測量術」のこと(後)

続きです。 「村上春樹的測量術」のこと(前) - ユルい井戸コアラ鳩詣 前回は話がごちゃっとしていて、しかしこれはまとまりそうにありません。 たぶん、僕が日々念頭にあることをこの測量術とやらに詰め込もうとしている。 それはもちろん無茶な話で、単に…

「村上春樹的測量術」のこと(前)

先週の続きです。 「測量術」のこと - ユルい井戸コアラ鳩詣 結果的に有言実行となりました。 今日いつも通りBookOff→日高屋→Veloceのあと、本屋に寄りました。 念頭にあったのは「測量術」という言葉だけで、それを頭の中で転がすうち、 「現代的な測量術を…

現状維持から変化へ(4)完〜そして日常へ

前回↓の続きです。ひとまず区切りにしたいです。現状維持から変化へ(3)〜変質するナチュラルについて - ユルい井戸コアラ鳩詣そもそもなんでこんな話を考え始めたかを振り返ると、 『明日は昨日の風が吹く』(橋本治)を読んで何か書きたいと思ったのでした…

現状維持から変化へ(3)〜変質するナチュラルについて

前回↓の続きです。"現状維持"から"変化"へ(2)〜思考と身の丈について - ユルい井戸コアラ鳩詣 医療には正常か異常かという観点だけで、全体を水に個別的な課題に努力を傾注するという一面があります。でも倫理は、病気は避けるべきとか、難病を持つことが…

"現状維持"から"変化"へ(2)〜思考と身の丈について

前回↓の続きです。現状認識から行動へ(1)〜必要と不安について - ユルい井戸コアラ鳩詣タイトルを微妙に変えましたが、言いたかったのはこちらでした。 まず「行動」の方ですが、これは生活を変えるとか、体を動かすとかいう話ではない。 結果としてそれらに…

"身近"な著者と「ままごと」のこと

文章には、様々な階層において意味があります。辞書的意味を組み合わせた「一般的な意味」に加えて。 その文章はいつ、誰が書いたのか? その文章は、書かれたのか、話されたのか? その文章は、母国語か、外国語の翻訳か?それらの情報によって、同じ文章に…

象徴的暴力のフラクタル性について

昨日の意欲が別の所にいきそうですが、読んで、考えてしまったので書きます。 象徴的暴力は、赤裸々な暴力が不可能である時に暴力がとる穏やかで隠然たる形式であるが、そうだとすれば、婉曲化の労苦をお払い箱にしてメカニズムの発展が要求する「魔術から解…

現状認識から行動へ(1)〜必要と不安について

…最初は「必要」について考える記事のはずでした。何度も書くと言いながら投稿するのをためらっていたテーマです。 僕自身関心がとても高いテーマなのですが、考えを進めるうちに、 進んでいたはずがいつの間にか立ち止まり、後ろ向きに縮こまってしまう。 …

「ついで症」の戦略について

やる気が出ないことでも、それが何かの「ついで」だと途端に足が軽くなる。やった方がいいことでもやらなくちゃいけないことでも、同じ傾向が見られる。 タスクの重要性に限らず、また私的な領域だけでなく仕事上でも時々発揮される。 多少の労力や時間を要…

「二人称の<死>」と支配について

自分の命は自分のものだという感覚は、じつは財産保全という考え方や自由主義や個人主義などと、歴史的に手を携えて成長してきたといっていいと思います。(…) つまり、近代では命や才能や性質といったものが財産と同じく交換財になってしまったということ…

「やがて哀しき境界人」のこと

『やがて哀しき外国語』(村上春樹)を読了しました。 村上春樹の本のあとがきは、いつも「読みごたえ」があります。 本の内容のまとめなのですが、それは要約でなくて「濃縮還元」なのです。 この本のあとがきで、村上春樹も「境界人」だったことに今さら気…

象徴は 小腸巡りて 昇華せむ

(…)理論構築は、贈与交換と、次に言うようなおそらく象徴的労働の全体との本源にある制度的に組織され保証されている誤認の可能性の諸条件を消滅させるのだ。その象徴的労働とは、利益にとらわれない交換という、本気で思い込んでいるフィクションによって…

「僥倖」の連鎖について

(…)そうしたものに、なぜかこころひかれてくれるひとに出会うという僥倖を少しだけ期待しながら、こころのなかの「のみの市」、「おもちゃ箱」、社会的生を生きる”個々人の内なる社会変動”の「スケッチ」「素描」の地図/「曼荼羅」をつくっていく。 薄汚…

「プランBのない"現代"」について

本記事は長いです。これまでで最長で、引用合わせて約4000字。 自民党が参議院選挙で大敗して、安倍晋三が「辞めない」と言い出したら、作詞家の阿久悠さんが死んでしまった。なんだか「じんわりと来るショック」だった。「ああそうか、”現代の日本語”は、一…

統計的思考について

(…)そういうこと[一つ一つの電子がどう動いているかということ]は、何も分る必要がないので、電子の流れ全体のことを知れば、それでテレビも見られるし、電子顕微鏡の写真もとれる。一つ一つの電子の動きは分らなくても、機械の設計もでき、また学問も進…

個人から立ち上げる物語について((6))完

思い付きを折角だから書き尽くそうシリーズのラストになります。 テーマがキャパオーバなので大雑把な話でいきます。 物語の質の、時代の変化についてです。「大きな物語」とは、日本の高度成長期の「一億層中流」とか「工場の黒煙は豊かさの象徴」とか、資…

非消費者的に生きる(4−2)

4−1の続きです。前回途中で「バナー広告」の話に逸れてしまいましたが、逸れたというよりこれが考えたい事柄だったような気が今していて、ちょっと掘り下げてみようと思います。 インターネットとは、端的に脳内的な出来事です。 画面上に現れる情報は、一…

非消費者的に生きる(4−1)

「無時間モデルの欲望」の話です。広告溢れる消費社会では、なんやかやと散財を勧めてきます。 それが当たり前で、なんというか「この常識のもとにまっとうに生きる」と自然に消費者になるようになっています。 「モノを金で買うなら消費者だろう」という認…

制御の意思について

刷新されていく体系についてわれわれが制御を獲得することは、多くの理由からぜひとも必要なのだ。というのも、それは与えられるものではなく、偶然に左右され、可逆性をもち、断続的であり続けるからである。いかなる道具も中立的ではなく、必ずや効果を及…

想像と質感について

想像の種類について少し考えました。それを「目の前にしたようにありありと思い浮かべる」という。 また、「具体的にはよくわからないけどこういう感じ」という想像がある。 臨場感と質感を並べた時に、 前者の想像に臨場感を、後者の想像に質感を当てはめら…

「生活的エネルギィ保存則」について

2つ前の記事の、続きではなく派生です。開発者と消費者の違いについて書き、その関係をもう少し考えていました。 ひとつは、「力学的エネルギィ保存則」に似た関係があるのでは、と。 高所にある物体は、位置が下がると速度を獲得する。 外力のない理想系で…

消費者性について

今日会社でふと、昨日書いた記事のことを思い出しました。 あれは誰の視点で書いた話なのだろう。 たぶん、消費者になり切りたくない消費者として書きました。 それが会社で違和感を覚えたのは「ものづくり」の視点でいるからでした。研究開発の会社にいるの…

贅沢について

贅沢は相対的なものなのだと、あらためて気付きました。僕は食品を買う時に、グラム単価を計算する癖があります。 学生時代に「質より量」を熱心に実践していた名残りです。 肉に限らずドレッシングや菓子類にまでやるので執拗です。 今はさすがに安さの追求…

音感と感受性について

音感が鋭い人は、繊細な人であるようなイメージがあります。 ピッチの微妙な変化に気付ける、外れた音につられない。 音に対して繊細だと、感覚全般においても繊細である。 と言い切ると「本当だろうか?」と思うが、どこまで本当だろう?「雨音が不協和音だ…

引き算の感覚について(4)

ものを買う時にいつも、「最適な選択」を迫られている感じがします。 ある物が欲しくて陳列棚を眺めると、様々な種類の、値段のものがある。 基本的な機能は同じで、デザインが違う、多機能である、等々。 最初にあった「欲しい気持ち」を不用意に膨らまされ…

個を超える可能性について(1.8)

余った夏期休暇2日間の話です。前記事で村上春樹氏の本を2日早く読み終えたことを書きました。 それで3日間ほぼ引き蘢っていましたので、昨日は反動で外出しました。 動きたい体に従い、一日中立つ(立ち読み)か歩く(二駅分往復)かしていました。 その…

個を超える可能性について(1.5)

「何もしないことが何かのためになる」とは何でしょうか。その実感は、どこから生じるか。 例えば、何をしても何のためにもならないと自分が思える人を見た時。 その人の価値観もおかれた環境も知らないから、勘違いの可能性は高い。 けれど、自分の価値観と…