human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

2014-01-01から1年間の記事一覧

垂直離陸について

思い付いてしまったので連投の間にカフェブレイク。 というほどオシャレなテーマではありませんが。 前に書いた一本歯でステップを踏む話の一例です。 毎日無秩序に踏んでいるのですが、先ほど一部の言語化を閃きました。タイトルは、たしか甲野善紀氏の武道…

非消費者的に生きる(3−2)

さて、戻れる気があまりしませんが、ウチダ氏の話の続きです。氏は「月刊ウチダ」と言われる(自称ですかね)ほど大量に本を執筆しています。 その本の何割かをコンピレーション本と呼んでいます。 「コンピ本」とは、氏が習慣として書いているブログから寄…

非消費者的に生きる(3−1)

リストを順番に進めることにしましょう。 ひとことでいえば「本は誰のものか」といった話です。 本は、新本(新品)でも古本でも、その本質的な価値は変わりません。 潔癖性の人や書き込みを嫌う人でなければ、同じ本が新本と古本の両方で手に入れる可能性が…

非消費者的に生きる(2)

とりあえず前回の箇条書きの、上から順に書いていくことにします。「値段と価値が相関しない買い物」の例として前回に古本を挙げました。 といって古本に限らず、本一般がそうです。 使用する紙がふつうの単行本(カラー用ではない、の意味です)や、文庫や…

消費社会で非消費者的に生きる(1)

今回の連投(予定)は「4行ルール」を無視して書きます。BookOffに毎週通っていると、棚によるジャンル分けは当然把握していて、加えて「この本はずっと前からある」「この本は初めて見た」といった在庫の推移まで把握できるようになる。 「いつもある本」…

ねじらない回転について

棒術の話です。武器を制御する心地よさはあると思います。 その心地よさはどこからくるのか。 ひとつ、「思い通りに動かせている」所にあると思える。 同じことを言っているようですが、では「思い通り」とは何か。狙った空間に振れる、あるいは狙った点を突…

八百屋とよろず屋の国のメディア

そも、機械か人間かではなく、機械は「人にあらざるもの」の一例に過ぎない。アンドロイドに心があると思えるのは、それが人に近いからではありません。 人は何に対しても魂(有機的なもの)を感じることができます。 何かしらの点で人に近いほど、それを感…

音のある孤独について

ボーカロイドは孤独と相性が良いと思います。ひとつ、内省的な性質があります。 内に深く潜り込んで聴ける、あるいは聴くことで深く沈む。 前にも書きましたが、電子声音は思考をあまり乱さないのです。 僕がそういう曲を好んで聴くだけかもしれませんが。 …

縁について

行動に後から理由が付くのは、時に面白いものです。 例えば、気分で始めた習慣が、身体が欲していたからだと後で分かる。 それは「確かにあの時は気分で始めたのだなあ」と分かるということです。 後付けの論理は、身体から聴いた脳が探して見つけた言葉かも…

制御の意思について

刷新されていく体系についてわれわれが制御を獲得することは、多くの理由からぜひとも必要なのだ。というのも、それは与えられるものではなく、偶然に左右され、可逆性をもち、断続的であり続けるからである。いかなる道具も中立的ではなく、必ずや効果を及…

色気の起源について

ハシモト本シリーズ前回と同じ章からの抜粋です。 たとえば、百姓がいくら米を作っても悪代官がみんな年貢として持って行ってしまう、だからといって、百姓が米を作るのをやめるわけにはいかない。年貢として持ってかれても平気でいられる量の米を生産しちゃ…

原石の身体性について

ニコ動での曲との出会い方について書きます。ニコニコ動画には、動画の注目度を示す3つの指標があります。 再生数、マイリスト数、コメント数です。 僕は曲を聴くので、マイリスト数/コメント数を見ています。 その比は同じでも、分子(マイリスト数)の大…

想像と質感について

想像の種類について少し考えました。それを「目の前にしたようにありありと思い浮かべる」という。 また、「具体的にはよくわからないけどこういう感じ」という想像がある。 臨場感と質感を並べた時に、 前者の想像に臨場感を、後者の想像に質感を当てはめら…

握り拳と「鷹取」のこと

ひとつ大きな気付きがありました。指を手のひらに握り込むと、肩から手先まで全体が強ばります。 が、「鷹取の手」だと拳の緊張に反して(?)腕はなめらかに動く。 少し前から鷹取で歩く時に腕の振りをなめらかに「割る」のを試していた。 手指の緊張と腕の…

不気味の谷について

ボーカロイドの話です。アンドロイドの人間性を横軸に、親しみやすさを縦軸にグラフにすると、 人間性の向上と共に増していた親しみやすさが、一度極端に落ちくぼむ。 その下に凸の部分をたしか「不気味の谷」と呼ぶと認識しています。 ロボットが人間に似過…

ラグ芯棒のこと

マンガ武道の話の続き…というか派生、かな? 派生ばっかですけど。写真を撮ったのにデータを失くしましたが、棒術もやっています。(9/9写真追加↓) 剣術のモデルが武蔵とくれば、棒術のそれはもちろん胤舜です。 『バガボンド』の5、6巻を見るのですが、…

「生活的エネルギィ保存則」について

2つ前の記事の、続きではなく派生です。開発者と消費者の違いについて書き、その関係をもう少し考えていました。 ひとつは、「力学的エネルギィ保存則」に似た関係があるのでは、と。 高所にある物体は、位置が下がると速度を獲得する。 外力のない理想系で…

色気について

”色気”と”媚び”を、一緒にしない方がいいと思う。”媚び”とは、失敗した色気だからである。(…) 「色気がなくてもかまわない」、あるいは「色気ってなに?」とやってる女性は、大方のところ、”色気”と”媚び”を混同しているのである。 というわけで「色気とは…

消費者性について

今日会社でふと、昨日書いた記事のことを思い出しました。 あれは誰の視点で書いた話なのだろう。 たぶん、消費者になり切りたくない消費者として書きました。 それが会社で違和感を覚えたのは「ものづくり」の視点でいるからでした。研究開発の会社にいるの…

「ありもの」について

現実に対するわれわれの象徴の関係は、常に装置や装着物で媒介されてきたのであり、その手始めには、いわば多様な機能をもったわれわれの身体という道具があった。マルセル・モースは『身体の技術』において、「われわれは道具がある場合以外、技術が存在す…

贅沢について

贅沢は相対的なものなのだと、あらためて気付きました。僕は食品を買う時に、グラム単価を計算する癖があります。 学生時代に「質より量」を熱心に実践していた名残りです。 肉に限らずドレッシングや菓子類にまでやるので執拗です。 今はさすがに安さの追求…

音感と感受性について

音感が鋭い人は、繊細な人であるようなイメージがあります。 ピッチの微妙な変化に気付ける、外れた音につられない。 音に対して繊細だと、感覚全般においても繊細である。 と言い切ると「本当だろうか?」と思うが、どこまで本当だろう?「雨音が不協和音だ…

変化のこと(3)-焼き魚と箸捌きの弁証法-

「カレイの発掘調査」の話です。少し前に『東海レトロスペクティブ』(野口芽衣)を読みました。 タイトルに惹かれて(京都…)、読んでみると考古学のマンガでした。 「モノはずっと残るんだ」という悠久ロマンが爽やかに感じられました。 調査には発掘だけ…

現代的な停滞について

与えられたものの中から選ぶ。 それらは決められた手順に従えば事前に確認した効果が確実に得られる。 効果が得られなければ、選択が間違いか、自分が間違いか。 この二択は、最終的に全てが後者に収斂する。時間が止まっている感覚。 周りの人間は普通に動…

演奏される歌について

本タグ記事のコンセプト 今の生活で、僕が日常で聴く音楽は半分以上がボーカロイドです。 この存在を最初に知ったのは卒論を書いていた、2007-08年くらいです。 それから聴き方は色々変わりながら、それでも聴き続け、今に至ります。 これだけ長い間、生活の…

旅と「移動」について

川の上を、プカプカと壊れた下駄が流れてくる。それが自分にぶつかる。自分もなんとなく下駄の方に引かれる。でも自分には重心がある。いつしか下駄は自分を離れてどんどん下流へと流れていく。自分はまた元の位置に戻る。そういう感じだ。影響は受けるのだ…

天狗下駄のこと(2)

「不穏な気配」とか「殺気」とか「邪眼」とかいうものは、「やかん」とか「おたま」とか同じようにリアルに存在する。私はそう思っている。現に、それを感じることがある。少なくとも、明治維新以前の日本人はほとんどは、危険な「気」を感知すると、立ち止…

天狗下駄のこと(1)

遠いまえおき ラグを買い替えました。 前のラグは6年前に買いましたが、近年化学繊維が粉末化しつつありました。 そういうものなのかもしれませんが、まあ少し困ってはいました。 そのような事情で、オープンシェルフを通販で買うついでに買ったのでした。オ…

本を「選ぶ・読む」こと

本との縁について、です。基本は、必要に駆られなければ新品では買いません。 新幹線に乗る時に手持ちの本がない時に買うことはあります。 主に実家から調達する本と、ブックオフで買った本が本棚を構成しています。 ブックオフでも、105円棚にあるもの(200…

「関係を見る」ことについて

私は、かなり変わった男だ。普通の男は、自分の母親の着物を見立てたり、自分の祖母にセーターを編んでやったりなんかしない。自分の母親と祖母のいさかいを、「着物買ってやろうか?」と言って中和したりもしない。私がなにを言いたいのかというと、「要は…