human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

本を「選ぶ・読む」こと

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本との縁について、です。

基本は、必要に駆られなければ新品では買いません。
新幹線に乗る時に手持ちの本がない時に買うことはあります。
主に実家から調達する本と、ブックオフで買った本が本棚を構成しています。
ブックオフでも、105円棚にあるもの(200円含む)しか買いません。

理由は後付けですが、まずは前の記事に書いた「欲の制御」でしょう。
書店に行けば自分が欲しくなる本がズラリと並んでいる。
内容によらない「著者買い」の人も多いし、新聞書評の切り抜きも溜めている。
欲に任せれば、毎週末ザックに入るだけ買い込んでしまうことになる。

だいいち、今すぐに読みたい本がありません。
すごく読みたい本があっても、いずれ読めばいいと思っている。
そう思っていながらその本のことを忘れてしまったら、それはそれだけのこと。
けれどまた、忘れた「読みたかった本」と突然出会う楽しみもあります。


写真に載せたのはいくつかの縁が重なって手元に落ち着いた三冊です。
一冊目が『ビッチマグネット』(舞城王太郎)で、珍しく新刊で買った本です。
図書館で借りて読んで、面白すぎたので手元に置いておきたいと思ったのです。
なぜ借りようと思ったのかは…書評を読んだからかな? 曖昧な記憶。

書評というのは、朝日新聞の日曜朝刊の書評欄のことです。
新聞社が依頼している選者が、毎週か隔週で本を紹介する欄が2ページ分ある。
紹介本は新聞社が指定するとどこかで聞きましたが、選者の傾向が如実に出ている。
つまり紹介本のタイトルを見て「これはあの人だな」と分かる(ことがある)。

今年の選者だと隅研吾さんが「その人」ですね(そして僕にとって当たりが多い)。

それはいいのですが、とにかく面白そうな書評があれば切り抜いてとっておきます。
モノとして残したいというより、作業が大事というか「儀式」のようなものですね。
この書評は切り抜こうかどうしようか、と逡巡する時間が、大事であったりします。
そして「この本は面白いはずだ」という判断が、ちょっと特別な記憶をつくりだす。

で話を戻しますと、二冊目の『二人の距離の概算』(米澤穂信)がこれにあたります。
いつ書評を切り抜いたのは記憶にないが、出版日から察するに2010年の7月頃。
それでいてこの本を買ったのは今年の6月のことです。
タイトルを見て、装丁イラストを見て「これは」と思い、買いました。

三冊目の『ぼくらのひみつ』(藤谷治)は、前二冊とは装丁イラストつながりです。
まず背表紙に「想像力の文学」という文字を見つけて「おっ?」と手に取りました。
そして装丁を眺めて「この感じは…」と既視感めいた印象を持ちました。
ちょうど横の棚に『二人の〜』があり、ページをめくって「アタリ」を確認した次第。

ちなみにこの三冊は北沢平祐さんという方が描かれています。


いつ読むか分かりませんが、いつかは読むのでしょう(でも読まないかもしれない)。
生活に合わせて形成された独自スケジュールがあって、小説は二冊を併読しています。
平日の夜は、その二冊を交互(一晩一冊)に、ちびちび読み進めています。
次に読む本までは決めていませんが、そういうわけで今年か来年には読む、のかな?

なんだかふらふらしているような気もします。
「読みたい本を読みたい時に読む」という確固たる意志は、端的に言えばありません。
「気がつけばこの本を読み始めていた(しかもそれが今読みたい本だった)」が理想。
へんなプレッシャーがなく、本の中にすっと入っていけるように読みたい。

たぶん「ルーティン」として読書を日常に含めているのも、そのためです。