human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

Can one speak about unspeakable? (4)


言葉は「ないものをあらしめる」ために生まれた。
その場にあるもの、そばにいる人を名指す必要は、本来はない。
身振りで伝わるからだ。

時間的に、または空間的に、「ある」が「ない」に変わったもの。
あるはずがなくなったもの、あってほしいがないもの。
今その人が感じる「ない」を「ある」にするために、
即物的な工夫では叶えられない願いが生まれた時に、
言葉が生まれた。

それは、祈りとも呼ばれる。

原始古代から現代に至るまで、一方的に「ない」ものがなくなっていく過程であった。
「ない」ものが少なくなる、「ある」ものが消えなくなる。
そうしたプロセスにおいて、言葉は祈りではなくなっていった。
言葉はだんだん、「あるものを名指す」ために用いられていった。
祈りは、その対象をどんどん失っていった。

言葉が祈りである目で見れば、現代は沈黙の時代である。
誰もが「ある」ものにしか関心を寄せなくなった。
「ある」がなくならないのに、存在しない「ない」には関心の持ちようがない。
だが、それは本当だろうか?


「ない」がなくなることは、「祈り」がなくなることである。
祈りは、「ある」、かつてはあったものである。
なくなったものへの深い関心の表現が、「祈り」である

なくなった「祈り」への言葉は、祈りとなる

そしてそれは一例に過ぎない。
「ない」がなくなることで、失われてしまったものたちがある。
それら、名もなき余韻に言葉を手向けること。
そうして、沈黙を破ること。

そして、再び「沈黙」に至ること。

祈りには、役目がある。
「ない」ものに対する祈りには、作法がある。
粛々と手順に従い、「ない」ものは、鎮まる。
一つの祈りには、一つの終わりがある。
役目を終え、祈りは「沈黙」へ至る。

全ての祈りが、世界から消えることはない。
それは生態系のようなものである。
一つの祈りが消え、また一つの祈りが生まれる。
祈りという命の循環は、「沈黙」とともにある。

祈りなき沈黙から、祈りとともにある「沈黙」へ
そして、
そのプロセスとしての雄弁を。

 × × ×

cheechoff.hatenadiary.jp
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Can one speak about unspeakable? (3)

(1)
(2)

 × × ×

「『沈黙に至る雄弁』というものを考えてみたのです」
「ふむ。つい最近どこかで聞いたような表現じゃの」
「……」
「……」

「言うことがなくなって黙り込む、ということかな? もうおしまい?」
「いえ、ちょっと一人でデジャビュに浸っておりました」
デジャビュとな。あれは面白い現象じゃ。実はあれの親戚でベジャドゥというのがあってな……」
「その話はまたの機会にお伺いします」
「なんじゃ、つまらん。では早う進めんか」
「はい」

「キーワードがもう一つありまして、こちらから本筋に合流できそうな予感がしますので回り道をご容赦願いますが、『手がかりとしての否定』と、そう呼んでおきます」
「ふむ、そう来たか。斬って捨てるための否定、ではないということだろう?」
「その通りです。あらかじめ確立させたい論理があって、その論理を補強するというか、研ぎ澄ませる、夾雑物の排除としての否定ではない。その逆、という言い方もおかしいかもしれませんが、『手がかりとしての否定』は、何かを生み出すための否定なのです。そして、先走って言いますと、その何かとは『言葉では表現できないもの』なのです」
「話はわかる。が、一度具体例に落とし込んでみてはどうかね」

「うーん。その、何か微妙なものを言葉で表したい時に、それそのものではないが近いものを取り上げて、『Aと似ているが違う』『実質的にBと同じだがニュアンスが違う』と言ったりします。それらの言明は、目的のものを直接明示できていませんが、AやBという具体的な類似物を通じて、おぼろげながらそのイメージを浮かび上がらせる効果があります」
「…それが具体例かね?」
「えーと、論理の抽象度を一つ下げた例、ですかね。よくわかりませんが、もう少し具体的に言いますと…そうですね、SF小説なんかではよくありそうですが、実際には存在しないものがたくさん登場しますでしょう? ものにせよ現象にせよ、色や形で、即物的な描写もされますが、動的なイメージ喚起のために、現実に起きて実際に人が体験できる現象が比喩で用いられることもあるでしょう。タイムマシンで過去に移動する時に、宇宙空間のような、あるいは周囲が水中のようにぐにゃぐにゃと歪んだ空間を通過する、とか」
「小説は存在しないものを言葉であらしめるツールじゃからな。元を言えば、言葉そのものがそういうものでもあるが」
「でも、ちょっと話が違うような…もっとシンプルに、例えば、ある色を表現したいとします。ユーラシアの高地、人里離れ、木々に埋もれた秘境的な池の色。青、水色、群青色、エメラルドグリーン…細かい分類があるとはいえ色の名称だけでは到底不足で、清々しく晴れ渡り、風もなく凪いだアドリア海の色、みたいな、天候条件付きの具体的な場所を挙げて、そのアドリア海の色と沖縄のサンゴ礁が広がる浅瀬の色を足して二で割ったような、といった想像上の色の混交まで行われる。色を混ぜるイメージは、絵の具の赤と青を混ぜれば紫、とかコーヒーに牛乳を入れたらミルクコーヒーとか、そういう現実の体験が元になっている」
「ふむ。先の例と、何が違うのかな」
「…難しいですね。同じような違うような」

「君が言いたいのは、というか、今目指している状態はこうではないかね。言葉で表せないことをどうにかして、それそのものではないがどこかしら関連があるものを『此れに非ず』という形で次々に連ねていき、その例示が尽きる地点、手がかりのストックが全て動員済みとなって沈黙してしまう」
「はい、目指しているというか、その状態に至る直前直後についてのイメージから、何かを導こうとしているのだと思います」
「ほう。それで」
「…話を戻していただいたのに、また逸れそうですが、少し抽象的な議論に戻ります。言葉は何かを表現するためのツールである、という前提に立つと、『これはAである』という言明は、言葉の存在目的に適っているといえます。ある一つの単語に対して、一つのものや現象が辞書的に対応した時、その単語を発したり思い浮かべるたびに、対応したものや現象が喚起されることになります。ところが、『これはAではない』という言明は、これに対応するものや現象が一に定まっていません。原理的にいえば、Aではないと言われれば、Aではないあらゆるものが想定されることになります。実際は、否定はされつつも想定の手がかりがAにあるために、その言明によって人がイメージするのは、何がしかAと関係があるものとなります。それで、ここからが本題ですが…」
「聞いとるよ」
「ええと、この『これはAではない』という否定的言明は、見方を変えれば、対応するものや現象を探している動的状態を指してもいます。対照的に、『これはAである』は、静的状態といえます。この肯定的言明は、意思伝達としては確実に行えるが、言明そのものが新しい何かを生み出すことはない。逆に、動的状態の意味は、リンクの一端が開かれた状態、結合手が余って活性状態にある原子のようなものです」
「何かと結びつくために、エネルギィを多めに抱えた不安定な、状態じゃな」

「……その不安定な状態こそが、言葉が生きている状態、ひいては人が生きている状態、なのではないでしょうか」
「こらこら、逃げちゃいかん」

Can one speak about unspeakable? (2)

 
(1)

 × × ×

「『沈黙に至る雄弁』というものを考えてみたのです」
「ほう。どこかで聞いたことのある表現だな。それは具体的には、どういうものかね?」

「前に話していたように、言葉がそこには存在していないはずの沈黙という状態を言葉で表現したい、いや、沈黙を言葉によって導きたいというか、両者を介在させたいというか。ええと、とにかく、情報という形で言葉が溢れかえっている現代において沈黙が存在感をもって現れるためには、言葉から逃げるのではなく、言葉と真正面から向き合う必要があると考えています」
「ふむ。君は身体性を賦活する筋道を念頭に置いているようだな。意識を持ち、言葉失くして生きられぬ人間は自然状態に戻れない。自意識の届かぬほど言葉に束縛された我々が動物のような自然な身体性を獲得するためには、何も考えずに無意識状態を目指すのではなく、意識の桎梏を解くための思考操作を通じて自然状態に漸近する。言葉が与える身体運用への影響を理解することが、そのスタートになるわけじゃな。おお、すると君は、沈黙を一種の動物的状態と考えているのかね?」
「……いえ、そのような発想は全く持っておらず…興味深いお考えです。あるいは、沈黙とは自然状態であるという結論が導かれるのかもしれませんが、とにかく今は私の考えを進めてみたいと思います」

「すまんの。ちと先走り過ぎたな。スタート前の脱線は、元の道に戻れる可能性を著しく損なうゆえ、注意せねばならん。もとい、わしは脱線してナンボと思うておるが」
「同感です。とはいえ、元の道が開拓すらされていない場合においては脱線という概念も成立しません。変化をもたらすために進むべきは獣道で、その自覚がある限り、私たちが日々歩む道はすべて獣道なのではないでしょうか」
「いらん所で調子を合わせんでよい。先へ進まんか」

「ああ、はい。何の話でしたか…そう、『沈黙に至る雄弁』でした。イリイチの過去の短文を集めた本を最近読みまして、その中に「沈黙の雄弁」というタイトルの一節がありました。プエルトリコから移民が大勢流入した時期のニューヨーク州で、彼が移民問題に取り組む聖職者の長として、宣教師たちと勉強会を開いた時の講演録だそうです。アメリカは移民の国であって、立国の初期からずっと、様々な国から人々が移民としてかの国で暮らすためにやってきたわけですが、国に定着して長い”旧移民”たるアメリカ人は、それぞれ文化も宗教も生活習慣も異なるはずの多様な”新移民”に対して、自分たちがかつて移民たちを受け入れた経験をもとにした強固な固定観念をもって接するのだそうです。その固定観念は、プエルトリコからの移民を実際とは全く異なる移民像に仕立ててしまう。移民は貧困街に集められがちなのですが、善意によって彼らを救おうとする政策や個々のアメリカ人の行動は、移民たちにとっては、自分たちを理解しない善意の押し売りに思えて、反発してしまう。宣教師としては、彼らを真に理解するためには、単にスペイン語を学んで彼らと会話ができるようになるだけではなく、文法的に整合な意思疎通を超える必要があり、その真の理解へ到達するためにはいくつか段階があるのですが、そのそれぞれが「沈黙の段階」であって、こちらは沈黙して相手の言葉を真摯に聴くという姿勢がベースにあるというのです」

「相手の言葉を聴くために沈黙する、か。現代ではネガティブに捉えられがちな姿勢じゃのう。それで、イリイチのいう「沈黙の段階」というのが面白そうだが、それは一体何かね?」
「うーん、どうも、とにかく相手の言葉をまずは聴くという実際的な姿勢の沈黙から始まって、最終的にはユダに裏切られたキリストの受難を思って祈るマリアの沈黙に到達する、という話で…つまりは行雲流水か、と私は思ってしまいましたが。うん、こんな説明じゃ訳がわかりませんね。ええと、私がこの本から示唆を受けましたのは、その「沈黙の段階」の説明の中で、キリスト教が絡んでくる段階以前の、沈黙の分類と例示の部分なのです」
「君はいつも本題にたどり着くまでが長いのう」
「自覚しております。それで、その肝心の説明部分は漠然としか…いや、正直ちゃんと覚えていないのですが…」
「かまわんよ。本の紹介が目的でないのなら、君とその本から生まれたことを言えばよい」

「沈黙というのは、言葉が口から出てくる前の状態なわけですが、沈黙の段階とは、その「口から出てくる前の言葉」が、どんどん自分の内側へ落ちていくことだというのです。例えば、目の前にいる人の話を聞いていて、最初はその話に対するアドバイスが頭に浮かんで、意見を聞かれたらこう答えよう、などと思っていたのが、話を聞き続けるうちに、その自分の思いが頭の奥底へ沈んでいって、何か返事をしようという気も消えて、黙って相手の目に魅入ってただ頷いている、というような」
「なるほど。相手が話しているのが、自分に意見を求めているからではなくて、ただ耳を傾けて話を聞いてほしいから、と聞き手がだんだん分かってきた、ということかな」
「ああ、それはすっきりした理解ですね」
「ん? 嫌味に聞こえるぞい、それ」
「いやー、そんなことはない…と思うんですが」
「で、そうではなくて?」

「そのー、話がまた脱線しそうなんですけど、以心伝心と言うでしょう。言わずして、自分の思いが相手に伝わる。長年連れ添った夫婦なら、身振り手振り、いや目線や佇まいだけでも相手の考えが手に取るように分かる。まあ、言葉が意思に従属するとは限りませんし、それは言葉以前も同じなわけで、ええとつまり、一方の言葉を介さない理解が誤解であっても他方がそれに合わせてしまえば、しかもそれが無意識なら以心伝心が成立したことになるわけで、フロイトが出てきてからコミュニケーション論は実に複雑になったわけですけど…ああこりゃダメな脱線だ。うーんと、以心伝心ってあるじゃないですか」
「魚心あれば水心、か」
「あ、その諺って、そういう意味なんですか? 僕はてっきりアニミズムのことかと」
「……」

「えーと。以心伝心という現象は、そのさっき触れた、「口から出る前の言葉」が内側に降り積もっていくということと、関係があると思うんです。熟年夫婦の例だと、なんだか言葉無用の以心伝心になっちゃうんですけど、それは現象の全容を表してはいない、いやむしろ悪例ですらある。その場で言わずに堪えた言葉、呑み込んだり、自分で噛み締めているうちに消化しちゃったり、虚空へそっと吐き出したり、そうして本来は誰かに伝えるために生まれた言葉が、目的を遂げずに失われる。でも、実はそうした言葉たちは完全に消えたわけではない。言葉が発される直前に込められたエネルギィが、その媒体から脱け出たというだけで残留している。どこに? もちろん、何かを言おうとした、その人の中に、です。それで、話たぶん戻るんですけど、沈黙して相手の話をただ聴くという場には、相手の言葉がもつエネルギィの移動だけでなく、その言葉が聴き手に届いた後に生まれるエネルギィも存在しているのです」

「うーむ。すると君は、本来の以心伝心という現象を成立させる入力エネルギィがそこにある、と言いたいのかね」
「えーっ、と…?」
「違うようだね。もっと話を戻そうかの。以心伝心、あるいは「口から出る前の言葉」かもしれんが、君のいうそれらが、「沈黙に至る雄弁」とどう関わるのかね? ふむ、「口から出る前の言葉」の集積が指しているのが「雄弁」ということかね?」
「……なるほど!」
「目が点になっとるぞ」

「目が、め…メガンテ!」
「ぎゃー、目が、めがあああ」
「先生、ノリノリですね。それ違うアニメですけど」
「……」

お盆に姪甥と遊ぶ

先週末、タイに住んでいる兄一家が実家に帰ってきました。
それに合わせて僕も帰省して、午後いっぱいを一緒に過ごしました。

9歳になった姪と、3つ下の甥と会うのは2年ぶりでした。
おてんばで多動症的だった姪(「あーちゃん」)は少し落ち着いた反面、「いっくんさん」と両親からもさん付けで呼ばれるほど落ち着いて無口だった甥が口達者になっていました。
二人とも性格が違う向きに極端で、見ていて「大丈夫かな」と思うこともありますが、子どもとはそういうものかもしれません。
いったん角がとれて丸くなってしまうと、そうして失われたものは永遠に戻らない。
そう思えば、彼らの危なっかしさも愛らしく思えるのかもしれません。


二人が実家の中でエネルギーを持て余していたので、夕食を食べに行く前の1時間ほど、近所の公園へ散歩に連れて行きました。

レヴィ=ストロースの「親族の構造」の話が頭に入っていて、曰く、子供に教育的に機能する親族(叔父・叔母)は両親とは異なる価値観を持って接するべきである、らしいので、妙なことを吹き込もうなどという邪な好奇心ではなく、もともと自分は兄とは全く性質が異なるので、あまり余計なことは考えずに赴くまま接することにしよう…と、その時何も考えていなかったということはこんな風に解釈できるだろう、というこれはあと付けの話です(ややこしい)。

こちらから何か話しかけることはなく、何か思いつけばその行動が先に立って、「じゃ、やってみよう」という補足としてだけ言葉を使いました(そんな方針があったわけではありませんが)。
てくてく歩いて公園に着き、藤棚の上から垂れ下がる蔓を引っ張ってみて「ぶら下がれる?」とか、登れそうな木があったら「これはいけそうだな」と言ってまずはやらせて、その後自分で登る、とか。
そういう遊びはほとんど姪の方が積極的に取り組み、甥はなにかと理由をつけて動きませんでしたが、今思えば甥の方はまだやんちゃに動けるほど身体が発達していないのでした(3歳差ともなると相当な違いがあるのでしょう。僕は兄とは年子で、なぜか彼らも同じく1歳差だという思い込みがありました)。
僕が普段からボルダリングをしているので、公園を歩きながら周りを見て「これはどう登るかな」という思考が自然に進んでしまって、結果的に姪にはいろいろ登らせてしまいました。
とはいえ、彼女はとにかく身体を動かすのが好きなことは承知していたし、彼女も実際楽しそう…というか、登っている間は無心に見えました。

子どもが「わー楽しい」とか「すごーい」とか言うのは要するにママゴトというか大人の真似であって、嫌なことははっきりと「やだ」と拒絶するので、何も言わずに集中して取り組むというのは、少なくとも子ども自身の身体が求めていることではあるのだろうと思います。

わりと低いところから枝分かれした木、地面からすぐ二股に分かれた枝の多い木(こっちは登りやすくて、僕も見本で(本気で)登ったんですが6,7mはいけました)、すべり台(階段を使わず、柱をよじ登ってお立ち台に上がる遊び)、スラブ壁…というかアミダ状に溝の入った緩傾斜の壁、その壁の横の垂壁に取り付けられた鉄の梯子、等々。
すべり台をよじ登る時の姪の動きにはヒヤリと同時に感心もしたんですが、どうも自分の身体の動きを脳がちゃんとは理解していないように見える、危なっかしい動きと無意識に理に適った動き(こちらは、ボルダリングでは「レスト」と呼ばれる、トライ中に指や手が疲れた時に手を振る動作)とを観察することができました。

この「子どもの無心の身体動作」については思うところがあって、最近「立甲」の本を読んでるんですが、子どもは肩甲骨を自在に動かせるが学校や家庭での動作規律(机に向かって勉強する、とか)に従ううち身体動作の自由度が失われて肩甲骨も動かせなくなる、とその本には書いてありました。
この本を買ったのは、立ち読みした時に「優れた武道家は立甲ができる人が多い」、そしてこの「人はみな小さい頃は肩甲骨を自由に動かせた」という記述が目に入ったからでした。
僕自身はボルダリングをスポーツではない捉え方をしたい、できれば武道的に取り組みたいとはずっと思っていて、そして当のボルダリングは子どもが圧倒的に上手である(プロ的な意味ではなく、無理がなくしなやかである)という事実があります。
この本には「肩甲骨が立てばあらゆるスポーツのパフォーマンスが上がる」と書いてありますが、僕はボルダリングこそ立甲の効果が期待できると思っています。
僕はなぜか昔から左だけ肩甲骨を楽に上下させることができるのですが、この本にあるトレーニング(「鍛える」のではなく「緩める」トレーニングです)を始めて1週間くらい経って、右の肩甲骨も少しずつ動かせるようになってきています。
立甲ができているかは不明ですが、肩周りのこわばりが少なくなってきた実感はあります。

話を戻せば、スポーツにせよ音楽にせよ、小さい頃から始めた方が上達が早く身につき方も違うとよく言いますが、ボルダリングにおいては、上に書いたような規律動作によって子供の身体動作の自由度が失われる前に始めれば、上達云々というか、たとえば白石阿島のような、大人から始めたクライマーとは根本的に違う動きができるようになるのだろうな、と思うのです。
まあ、簡単にいえばそれは「よりサルに近い動き」ですけども。

兄夫婦には「あーちゃんはクライミングの素質あるよ」とだけ言っておきました。
タイの住んでるマンションのすぐそばにある総合スポーツセンターみたいな所にボルダリングエリアがあるそうですが、そこが子供も登れるところなら絶好の環境だなあとか思ったり…
教えてくれと言われたら、大喜びで教えるんですけどね(リーチ差は埋め難いにしても、きっと1年もすれば技術的に追い越されることでしょう)。


話をもう少し戻せば、いろいろ登る以外に、公園の中のピラミッド(1段が1mで6段くらいある)があるエリアで犬を連れたおじいさんと話をしました。
子どもを連れていると、こういう場面で他人に話しかけやすくて、そうして相手も愛想よく答えてくれると、ほっとすると同時によい気分になります。
それはきっと、「子どもは地域で育てるものだ」という常識に触れられるから。
これが逆に、話しかけた相手に迷惑顔をされたりすると(都会ではまま起こるのでしょう)、まあ現実の世知辛さに触れるという意味で教育的なのかもしれませんが、親はそういう経験を重ねて擦り切れていって(子どもを連れて混雑した電車に乗るのは本当につらそうです)、そもそも子どもを他人に近づけさせないようになる。
…今思い出せば、ピラミッドに座ってラジオを聴いているおじいさんに近づいて話しかけたのは僕で、子どもの好奇心をくすぐるはずのトイプードルがそばにいるのに、二人は遠巻きに見ていて、僕が手招きするまで近寄りませんでした。
もちろん、こういう気楽な行動をする僕自身は父親気取りであるはずもありません。
が、もし自分に子どもがいて、あの時自分の子どもを連れていたとしても、同じように気軽に他人とコミュニケーションができればいいな、と思います。
リスク回避という意味では当世の常識に従うのが正解ですが、あまりの潔癖が子どものアレルギー体質を招くように、リスクを負う経験を過度に避けることが子どもにとって非教育的である、という認識が、認識倒れにはさせたくない。

どんどん話が逸れますが、僕はプラグマティストを自認していますが、ある種の(というか当世の…?)プラグマティズムには知性の軽視が含まれていて、それは最早思想ではない、と考えます。
実用主義という姿勢があって、それに知性の裏付けを与える、それが思想としてのプラグマティズムです。
実益や実効に阿って知性を軽んじるのは、現実主義、日和見主義、など場合に応じて色々名前は変わるでしょうが、どれも思想とはいえない。

話を戻しまして。

子どもらとの散歩のなかで、僕は基本的に、進路を決めるのと、遊びのきっかけを与えることだけをして、あとは彼らの自由にさせました。
そうして彼らを見ていて、子どもらは何にでも興味を示し、また突飛な発想をいくつも繰り広げるわけですが、僕ら大人にはできないことをする彼らは、なにかが「ある」のではなく…いや、「ある」のは「ない」からなのだと改めて思いました。

束縛が「ない」からこそ、自由が「ある」。

自由は、手に入れようとするものではない、のでしょうね。
大人であっても。
 

「遺産過多」の時代、消費対象としての時間、キュレーションと自販機

(…)しかし、すでにシャトーブリアンがこの加速化の経験を旧秩序の廃墟の抗いようのない徴と見ていたし、[ロバート・]ムージルもまた「加速化主義(accelerisme)」という表現を作っている。アレヴィはその試論をミシュレの引用から始め、ヒロシマのその後について書くことで筆を置いている。「ミシュレが注視することになった大変な出来事のひとつ、そして、最も注意を払われなかった出来事、それは時代の速度が完全に変わってしまったということである。時間は奇妙な仕方で歩を速めた。ありふれた人間生活の空間に起った二つの革命(領土における、産業における)である」。より広く言って、この速度の変化が、近代の時間秩序を構成している。
p.209-210

今いちど時間については、彼[エール・ノラ]の出来事についての省察により、出来事の消費社会における新たな地位と、時間というものを把握するための方法との関連が示唆された。「我々が出来事を服せしめているような方法はおそらく、時間そのものを消費対象にしてしまい、そのような情動を与えてしまう(…)方法なのではないか?」ここでは提案の形で、現在主義のもうひとつの要素が示されているのかもしれない。時間は、消費の時間のなかにとらえられ、それ自体が消費の対象となるのである
p.208

フランソワ・アルトーグ『「歴史」の体制 現在主義と時間経験』

しつこく再読を続けています。

なにか、すぐには離れられないものがある。
理解し切っていない部分があるからというより(そんなものは腐るほどある)、たぶん、自分ではもう理解していて、ただ言葉にされるのを待っているものがある、その言葉を待っている(お互いが待ってたら進みませんね)…探しているようである。


「時間経験の加速化」が言われています。
単純に、何をするにも時間の短縮が望まれ、求められている。
同じ結果に対し、かかる時間はなるべく少ない方がよいとされる。
(ところで「同じ結果」とは何か? 予測のなかで経過時間だけを比較対象にすることで一体、どれだけのものが切り捨てられているのか?)
効率化、コストパフォーマンス、といった用語に絶対的な価値が付与されている。
あるいは、スローライフはそれらと同じ価値観に沿った対抗派閥に過ぎないかもしれず、ゆっくり、ゆったりとした生活を手に入れた人々はみな、寸暇を惜しんで働いていた過去をもっているようでもある。

「遺産の時代」ということが書かれています。
自然遺産、文化遺産、記憶遺産、…。
環境破壊の問題が前景化し始めたことと関係があるかもしれませんが、ある時期から、遺産の保全ということが言われ始めた。
あるいは、「9.11テロはそれが起こっている最中に歴史に登録された」とも書かれていますが、メディアの隆盛、記録技術の発達、そしてインターネットという世界を網羅するアーカイブの存在が、現在的な出来事が過去になる前に、分析され、評価され、解説され、整理されて歴史となる。
出来事を過去にさせない、あるいは歴史に新たな価値を付加して現在に呼び戻す。
これは、予測によって未来を現在に引き寄せる、予知がこれから起こるはずの出来事との間に存在する時間を取り除く、のと同じ、現在主義の特徴の一つです。

 ノラにとっては、加速化によって、単に集合的記憶、すでにアルプヴァクスが述べていたような「統一化することの不可能」な集合的記憶の「複数化」がもたらされるのではなく、過去との「断絶」がもたらされる。それは経験の地平との断絶である。グローバル化民主化、大衆化、メディア化は、ノラが「社会=記憶」と呼ぶものの目指すところ、一言で言って、記憶の消去につながっている。

同上 p.210

過去との断絶、経験の地平との断絶。
そして、記憶の消去。

これらのキーワードは、記憶に残そうとして整備したはずのアーカイブが、当時の経験を呼び起こして現代の人々に訴えかける力を失い、現在との関係が切れてしまった単なる過去の記録になってしまった、という状態を表しているように思えました。

 × × ×

毎年この時期になると、テレビでは太平洋戦争の特集が放映されています。

先週末の夜に実家で見た番組では、ガタルカナル島での米軍と日本軍の戦闘について、一木大佐率いる陸軍一小隊がいかに全滅に追いやられたかを、米軍の作戦記録をもとにした再現CGなどを使って解説していました。
日本海軍が陸軍を別の作戦のために囮に使うという名ばかりの共同作戦、そのせいで大本営と通信が取れず、先行させた偵察隊が全滅して勝機もなかったのに作戦を強行した小隊の愚策、飛行場を奪還に来る小隊を予期して待ち伏せ、島の地形も味方につけて殲滅作戦を組んだ米軍の周到さ。

言いたいことはよくわかる。

防衛大学の軍事研究家なる人々の仕事の成果としてなら、番組を見ている人にも伝わると思う。
でも、番組制作者の意図は軍事研究家とは違うはずで、その相違点(これが特番の存在意義だと思うのですけど)が、当の殲滅戦で生き残った人(谷川俊太郎に似てましたね)へのインタビューで当時のことを尋ねた時に声を詰まらせて涙する、という場面に帰されているように思えた。
定型、ひな形の踏襲。
「無難」が褒め言葉になる、上出来な特番。


これはたぶん「関係が切れて」しまっている典型例なのでしょう。

戦争の悲惨さ、日本軍の愚かさ、これらは確かに見れば伝わる。
でも、それを知りつつ、現代に戦争を待望する人々も確かにいる。

もちろん原因は「戦争特番が抑止力になってない」とかいう話だけではなく、戦争をゲーム感覚で捉える価値観もあるし、閉塞的な現在の生活から後先考えず抜け出したいという思いもあり得るし、悲惨な写真を見ても「他の人間には起こるかもしれないが自分は大丈夫だ」と他人事に解思える無根拠な自信だってあるでしょう。

あるいは1つ目に関係しますが、定型の風化ということもあります。
それを見れば「戦争はよくない」と誰もが思うもの、そういうものを形そのままに(あるいは上辺だけ違う風を装って)使い続けていると、それが持っていたメッセージ自体が変化してしまう。
言い方を変えれば、不変のメッセージを継続的に使用すると、その「時間的に不変であること」自体が新たなメッセージ性(文脈)を帯びる

マクルーハンのいう「メディアとはメッセージである」ですね(違うか)。

 × × ×

話を戻します。

先の抜粋のキーワードを再掲してみます。
「過去との断絶」、「経験の地平との断絶」、「記憶の消去」。
これらと、その抜粋の少し上に書いた「遺産化の時代」、「出来事のアーカイブ化」とが、自分なりに繋がる気がして、本記事の動機はそれについて書くことだったのでした。


キュレーション、あるいはキュレーターという言葉が流行りだしたのはわりと最近のことだと思います。
weblioでキュレーションを調べると、「情報を選んで集めて整理すること。あるいは収集した情報を特定のテーマに沿って編集し、そこに新たな意味や価値を付与する作業」とあります。

情報が溢れるほど増えてくると(実際は「入手できる情報が溢れるほどにツールが充実してくると」)、自分に興味のある分野だけに絞ってもキャッチアップするのが大変で、重要なものだけ取捨選択しようにもそもそもその選択自体が難事であって、そこにキュレーションの価値が生まれるのは当然です。

僕自身は、情報検索のためにネットに潜り込むとリンクを辿りすぎて収拾がつかなくなるのでキュレーションはあまりやらないし、得意ではありません。
だから、キュレーションの出来不出来を実際的に判断できるほどの目は持ち合わせていません。
つまり、まあ言い訳のようですが、以下は抽象論になると思います。


出来事(もの)の遺産化、アーカイブ化というキーワードと僕の中でつながったのが、このキュレーションという行為でした。
そして「経験の地平との断絶」という言葉とも。

かりに、過去の出来事が現代にもいきいきと訴えかける力を持ったものを「記憶」、そうではなくただの時系列的な事実の羅列に留まりインスピレーションを喚起しないものを「記録」と呼ぶことにします。
「記憶」が「記録」になってしまうのは、そこから時間が抜け落ちたときです。
過去の出来事に触れたとき、その人が時間を感じることができればそれは「記憶」であり、できなければそれは「記録」である。
…非常にぼやっと書きましたが、「ではそこでいう時間とは何なのだ?」ですね。

僕が印象として持つキュレーションの一つの形態として、「書評」があります。
書評を読めば、その本の全部を読まなくても短時間で要点がわかる、キーワードが拾える。
そのことに依存はなくて、ある種の本は、本そのものを読むより書評を読んだ方が効率的であることも認めます。
でも、はっきりしているのは、ある本を読む経験と、その書評を読む経験は明らかに違うということです。
何が違うか、考えるまでもないですが、本を読むには「時間」がかかる。
いかにハウツー的な、情報収集系の本であろうと、それを時間をかけて読めば、読む途中で読者の置かれる状況は変わり、考え方だって変わる。
同じ内容の文章であっても、読む人によって受け取り方は変わるし、同じ人でも読む状況(状態)が変わればやはり受け取り方は変わる。
「時間」はこのような影響を与えます。
それがハウツー本ではなく小説であれば、本と書評の差はもはや歴然としています。


「記憶」と「記録」の埋めがたい差を生み出す要素である、「時間」。
これについて概念的に語るのは難しいのですが、最初の抜粋でノラが書いている通りなのかもしれません。

「我々が出来事を服せしめているような方法はおそらく、時間そのものを消費対象にしてしまい、そのような情動を与えてしまう(…)方法なのではないか?」

「我々が出来事を服せしめる」という表現。
「服せしめる」とは、従わせる、征服する、といったことでしょう。
そう言い直したとき、この表現はとても恐ろしい響きを持ちます。
出来事が現在起きている只中に歴史化する、という文脈とも通じます。

そして、「時間そのものを消費対象にする」とは、時間を、「時間がかかる」とか「時間をかける」とかいうものとは別物とみなす、ということです
「金で時間を買う」という言い方が出現したのは、「時間で金を買う」振る舞い、つまり金儲けが過剰になってからのことです。
自分の時間を取り戻す気でいながら、その時間とは換金可能な対象である。


消費社会の宿痾であるとは思います。
でも、個人はシステムとは違うという自覚があれば、個人の中で「それ」が度を越すことはないはずです。

 × × ×

最初に思いついた言葉を書くのを忘れていました。

キュレーションとは、いやそれによって作られたものは、自動販売機のようなものではないかと思いました。
ボタンを押せば、欲しいものが待たずにゴロンと転がり出てくる。


自動販売機は、作るのは面白いのです(作ったことないけど)。
そこには、その行為には「時間」があります。
ただ、自動販売機を使う経験に「時間」はない。
自動販売機こそが、時間(経験)を省略するために存在するからです。

そして、アーカイブの時代というのは、国家の遺産保全プロジェクトから個人のブログまでも含めて、誰もが自動販売機を自作する時代である
作るのは楽しい。
使う人のことを考えながら作るのも、興味深い。

ただ、
使う人が、
その自動販売機をブラックボックスだと思って使う限り、
そこに「時間」は存在しない


「現在主義は、時間経験とプロセスに盲目である」と言ってよいかもしれません。

自己の定点観測、「りんとした現前」、幅のある瞬間

『「歴史」の体制』(F・アルトーグ)を読了し、二度目の再読に入っています。
8割以上が理解できず、なんとか意味が汲み取れた2割の中で重要そうに思えて印をつけた部分の前後だけを読み返すという再読。
やはりすぐには終わらない。

歴史の体制 現在主義と時間経験

歴史の体制 現在主義と時間経験

 × × ×

この本について前に書いた時↓に、最後に触れた話について。

cheechoff.hatenadiary.jp

旅行者であり作家である者は常に時間のうえで二つの寄港地のあいだにいる。「私は常に自分をもうすぐ再び船に乗り込む船員としてみている」。

p.159

この記述を読んだからなのか、記憶が曖昧ですが、本のこの部分の下にある空白に、「定点観測」という(僕が書いた)メモがあります。
そして「定点」と「観測」のあいだには挿入記号があり、二段に分けてこう書かれている。

 ×から
 ○を

定点観測といえば普通は、ある場所から一定のルールを決めて経時的に観測し記録する、といった行為を指します。
これは「定点”から”観測する」、という意味合いが強い。
観測起点から眺める方角や視界を固定するなら、「定点”を”観測する」とも言えそうですが、視界という(境界の曖昧な)領域を点と呼ぶ座りの悪さからして、ちょっと無理があります。

つまり、僕がメモに記したのは、通常とは異なる意味の「定点観測」ということになります。

観測対象を固定して、その経時的な変化を考察する。
では、その観測対象とは?

上の引用の少し前にはこうあります。

記憶とは、「言語という手段を通して時間制の中で自分を煎じ詰めるこのような時間のエクリチュール」の媒体なのである。ある意味、シャトーブリアンは最初の、自我=歴史家である!「私の最初の著作は一七九七年のロンドンにおいて、最も最近のものは一八四二年のパリにおいて完成した。この二つの日付のあいだには四七年以上の歳月があり、それはタキトゥスが人生の長期間とよぶ年数の三倍である。『一五年と言えば、人間の生涯で相当に長い期間である(Quindecim annos, grande mortalis aevi spatium)』。

p.158

結果的にそう自覚せざるを得なくなった、ということですが、歴史家であるシャトーブリアンは、その生涯の大半を「自己の定点観測」に費やした。
というのは、彼が「古代史を書くあいだ、近代史が扉をたたいた」、彼が積み上げている仕事が日に日にその鮮度を失っていくような根本的な歴史の変わり目に、彼が生きていたからです。

「(…)しばしば、夜の間に、昼に下書きした見取り図を消さなくてはならなかった。出来事は私の筆よりも速く流れたのだ。私の比較をすべて間違ったものにするような革命がおこった。私は嵐の間、大きな船の上で執筆をしていたのであり、私は、瞬く間にすぎさり舷梯に沈んでゆく岸辺をまるで固定した事物のように描こうとしていたのだ!
(…)一八二六年の序文と日付が打たれた注解は重要である。ここで示されているのは、同時代人にとって最も衝撃的なことであった。時間の加速化の感覚、それはつまり基準点の喪失である(船は攫われ、岸辺がめまぐるしく現れる)。現在は捉えどころのないものとなり、未来は予測不可能となり、過去さえも理解不可能なものとなる

p.145

話が(良い方に)逸れて、本書のテーマの話になりますが、ここに「現在主義の萌芽」が描かれている、と今引用しながら思いました。
多少の誇張を感じるかもしれませんが、直上に引用したこと、「時間の加速化の感覚」、「基準点の喪失」、これらは現代の誰もが認識していることだと思います。
ただ、「現在主義」と今呼ばれている状況は、それが世界に蔓延している、誰もが自覚せざるを得なくなっているということは意味していても、現代特有の状況ではない。
多分ですが、シャトーブリアントクヴィルといった人は、過去に幾度もあった歴史の転換期に生き、それに伴う「時間の加速化」を経験しかつ(当時はおそらくほとんどいなかった)認識もし、そのような激変にどう対応(適応)していったかが本書には書かれている。

そのなかで、シャトーブリアンはこの状況をどう受け入れていったか、これが話が逸れる前の本題だったのでした。

彼の姿勢というのか、歴史の転換期における状況判断について、うまく書かれた部分があります。

ある者たちは「我々の時代の先をゆき」、その一方で別の者たちは「一七九六年にあって一四世紀の人間のままであろうとする」。いずれにせよ、誰も自分の流れから移動はしない。二つの岸辺、二つの「歴史」の体制の間で。『歴史に関する試論』以降、シャトーブリアンは時間の中に身をおき、時間の中で思考し、時間の思想をもつことを選択した。その思想は「時間によって構成され、その秩序に組み込まれることで練り上げられた」ものである。もしくは[ハンナ・]アレントのイメージを繰り返すならば、彼は時間の裂け目に留まることを選択したのだ。

p.144-145

「誰も自分の流れから移動はしない」。
一読して、不思議な表現だと思いました。

例えて言えば、島内で自給していた都市にある時、新しい船が続々と作られて、未知の土地へ向けて船出するか、島に残って旧態の生活を維持するかという二つの大きな流れが生じる。
何の因果か、少なくとも自分には関係なく訪れたと島民の皆が思う大きな岐路。
ところが、そのどちらを選ぼうが、それは「自分の流れ」である。
…どういうことだろう?

自分で書いていてよくわかっていませんが、いま引用したことは、現代社会をも表現しているのではないかと思いました。
現代では、岸辺は二つに留まらず、続々とその姿を現し、しかも「過ぎ去らないもの」や「消えたと思ったら再び現れるもの」が後を絶たないのです。


現在主義のキーワードの一つは「無時間モデル」です。
過去を統計処理し、正確な未来予測の入力データとする。
過去と未来の、現在との間にある超えがたい要素であるはずの「時間」を限りなく無効化して、過去も未来も現在に組み込まれる。

だから、現在主義に対して呑まれない、少なくとも冷静な視点を保つために注目すべきは「時間」、その実質や感覚あるいは概念であり、本書にあるシャトーブリアンに関する記述にはそのためのヒントが数多く含まれていると思います。

 × × ×

話が収束しないので、最初に書きたかった話に移ります。
「自己の定点観測」について書こうと思った時に、ふと最近読んだ本の中の「りんとした現前」という言葉が浮かんだのでした。

わたしたちの経験とは、「かすかな予感とただよう余韻とりんとした現前との、息づまるような交錯[中井久夫の言葉]」としてある。世界は、存在する事物の全体として捉え返される前に、まずは「徴候の明滅するところ」「存在の地平線に明滅しているもの」としてある。

p.170 (鷲田清一『哲学の使い方』岩波新書1500)

なぜ今この言葉を思い出したか、
ここまで書いてきたことをもう一度上から読んでくると、少し分かりました。

「りんとした現前」、そう呼べるような場所や物(人は別ですが)が現代の都市生活にはほとんど存在しない。
この新書を電車の中で読んでいて、ここを読んだ時にそう思ったせいか、不意に目が潤んでしまったのを覚えています。

それはなぜだろう?
それに、なぜ「人は別」なのだろう?

その答えは、まさに「そこ」に書いてあるのでした。

「りんとした現前」は、「かすかな予感」と「ただよう余韻」を避けがたく帯びている。
人間は、面前の人が自分と(知り合いか否かに依らず)「関係がある」と思った時、その存在感を己が身にひしひしと受ける。
なぜなら、その人の現前に対して、(意識的にせよ無意識にせよ)予感と余韻を読み取ろうとするから。

これを、「りんとした現前」には時間の幅がある、と言い換えることもできます。
目の前にいる人に対して、自分が経験しなかったはずのその人の未来(予感)と過去(余韻)を感知する。
五感のセンサーを最大限に鋭くすることは、実は、今の今しかないはずの現在の、その「瞬間」から「間」を広げていくことでもある。

こう考えた時に、「現在主義」がどのようなものか、その性質を逆照射することができます。


ちなみに、今では貴重となった「りんとした現前」を感じられる場所について、最近読んだのを思い出しました。内田樹氏のいう、(氏の理想の)図書館、宗教施設、道場などがきっと、そうなのでしょう。

図書館とは、そこに入ると「敬虔な気持ちになる」場所です。世界は未知に満たされているという事実に圧倒されるための場所です。その点では、キリスト教の礼拝堂やイスラムのモスクや仏教寺院や神道の神社とよく似ています。そういう「聖なる場所」にはときどき人がやってきて、祈りの時間を過ごし、また去ってゆきます。特別な宗教的祭祀がない限り、一日のうちほとんどの時間は無人です。美しく整えられた広い空間が、何にも使われずに無人のまま放置されている。
(…)
超越的なもの、外部的なもの、未知のものをある場所に招来するためには、そこをそれだけのために空けておく必要があるということはわかりますよね。
 天井までぎっしり家具什器が詰まっていて、四六時中人が出入りしている礼拝堂は祈りに向かない。当たり前です。ある範囲の空間内に「何もない」こと、ある範囲の時間内に「何も起きていない」ことがある場所を霊的に「調える」ためには必要なんです
blog.tatsuru.com

「巣箱型図書館」をつくろう

オフィスに書庫を作ろうと思ったのは半年以上前で、相変わらず進捗は遅々としていますが、いつだったか、書庫の設計中に紀伊国屋で本を3冊買いました。設計用にと構造力学の入門書(結局読んでませんが…)と、図書館関係の本2冊。

後者のうち読んでなかった方を、ようやく今日手にとってみました。まだまえがきしか読んでいませんが、いろいろ想像が膨らんだのでメモしておきます。思いついたことの、具体的な方法とか先例とかを調べる前に、自分の思いつきをそのまま形にしておいた方がいいかと思ったので。

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マイクロ・ライブラリー 人とまちをつなぐ小さな図書館

マイクロ・ライブラリー 人とまちをつなぐ小さな図書館

  • 作者: 礒井純充,中川和彦,服部滋樹,トッド・ボル,まちライブラリーマイクロ・ライブラリーサミット実行委員会2014,坂本伊久子
  • 出版社/メーカー: 学芸出版社
  • 発売日: 2015/04/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る

アメリカのトッド・ボルさんという人が2009年に始め、14年秋には世界75ヶ国、2万ヶ所に広がったという、「リトル・フリー・ライブラリー」=小さな巣箱型図書館というものがあるそうです。

図書館司書講習のとき、教室に展示されていた本に、世界の街角のいろんなものが図書館(本棚)になっている写真集がありました。電話ボックスとか、保冷庫(冷蔵庫?)とか、太い丸太の中をくり抜いて立てたものとか。これらも多分「巣箱型図書館」の一種だと思います。

その運用の仕組みは写真集に書いてはいませんでしたが(いや、英語だったから読み飛ばしたのかも)、鉄道文庫みたいに、借りてちゃんと返す人、そのまま持っていく人、自分の本を置いていく人、等々いろんな利用者がいて、管理者の気配りと寛容さ、プラス利用者の自由とが文庫の鮮度を保っていく、そんな形だと想像します。


話を戻せば、フリーライブラリーの「巣箱型」という表現が、いいなあと感じたのでした。

大阪・九条のオフィスの入り口横に、販売用の移動式本棚を置こうという計画はありました。当初のそれは、古本屋がよくやるような「100円均一ワゴン」のイメージで、鎖書としてリンクづけができない本を無人販売の形で売るつもりでした。

でも、書庫を作ってみると、意外に外観も実用一点張りというほどの無骨さはなく、照明の工夫をすれば「開架」書庫になるのではという司書講座仲間のアドバイスをもらいました。そこから、インターネットだけでなくオフィスのある地元に対して、本や読書を通じての繋がりを作れないかと考え始めました。


「リトル・フリー・ライブラリー」の話を読んで、無人販売じゃなくて、巣箱型図書館を作ればいいじゃないか、と思い立ちました。

棚板の材料は在庫があり(まだ作業途中なもので…)、加えてφ200mmだったか、太い丸太が2本あります。丸太はもともとまるみつのバランスボード的なものを自作しようと、書庫用木材と同時に買ったものでしたが、「巣箱」の足に使えそうな気がしています。

末広で自立できるようにした丸太の上に、二段ほどの書棚を乗せます。棚の背面は薄い木、全面はアクリル板で中が見える蝶番式の戸にして、屋外に置いても中身が濡れないようにする(塗装もしないとですね)。棚に本を入れる。本の隙間、あるいは書棚の下にスペースを作って、ノートを入れる。簡易の貸出帳。棚に入れた本のリストがあり、各書名の横に記入欄がある。名前(ニックネーム可)、貸出日、返却日、この3つが横に繰り返し並ぶ。

この「巣箱」を置くことで、地元の読書事情を知ることができるのではと思います。今後どう展開するかはその時次第ですが、まずは、一人でコツコツ(本の整理とか)作業している状態から、他人とのやりとりに繋げる状態に持っていければ、展望は一気に開けるのではという気もします。

ネット鎖書店の方も、準備はけっこう進んでいるんで、時間のあるうちに、同時進行でいきます。


いやしかし、「本の本」はいいですね。ちょろっと読んだだけで、本の仕事に対するモチベーションがぐっと上がります。丁寧にちびちび読み進めようと思います。

のみのいちへいく

一冊の本を長く続けて読めないことを、能力の欠如(減退)だと思っていましたが、あるいはそれは、別の能力が発揮されたことの結果なのかもしれない。

 × × ×

電車の中である女性の顔に目が留まり、高校時代の友人に似ていると思ったあと、大学時代のサークル仲間の女性にも似ていると思う。
そこで、僕の知人二人の顔の造作が似ていることに初めて気が付く。

それは気付かれていなかった事実で、その事実が二人のあいだに(主に前者から後者に対して)及ぼした影響を浮上させ、印象の歴史が塗り変わる。

そういう想像が、また後者から前者に対して影響を与える。


初めて会った人に対して「この人は誰か(あの人)に似ている」という思いを頻繁に抱くようになったのは、いつ頃からだろうか。
その変わり目は、インプットしてきた他人の顔が「ある閾値」を超えたから、というものではないはず。
もっと、抽象的な境界。

執着してしまう過去が自分の中に生まれたか。
顔の認識における、分析や客観的視点というものを手に入れたか。

あるいは読書によって。

 × × ×

今日、四天王寺で毎月開催されている「蚤の市」へ行きました。
「戦利品を獲得する」というような気負いはなく、リュックは持たず、背負うタイプの小物入れだけ。

欲しいな、と瞬間的に感じるものはいくつかありました。
鉱物の原石やアクセサリーなどは相応の値段でしたが、破格なら買っていたかもしれません。
ただ、価格に抵抗のない、持っていてもよい小物を見つけても、ひとしきり考えたのち、再度手に取ることはありませんでした。


「なくてもいいもの」があること、「必要でないもの」が手に入ることは、ある種の豊かさの指標です。
でも、その指標がいつでも豊かさを示すわけではないと思います。
つまり、そこには閾値がある。
「なくてもいいもの」の山に囲まれ、「必要でないもの」を買い漁る生活において、かつて豊かさであったものは既にその姿を変えている。

欲望は制御すべし、倹約が大切である、などと言うつもりはありません。
ただ、そういうことがある、閾値というものがある、それを知っているだけでいい。
結果が、日常生活での行動が変わらずとも。


自覚とはそういうものです。
自覚は、何かを期待するためにするのではない。
敢えて言えば「何かを期して待つ」。
その「何か」の内実は問わない。

なぜなら、自覚そのものは(たとえば)プラクティカルという思想の前提にあるからです。

たとえば、反省は「プラクティカルな形式の自覚」と表現できる。
つまり、自覚は反省の上位概念です。


何の話を…
『哲学の使い方』(鷲田清一)という新書の、タイトルが直截過ぎて「ワシダ先生も疲れてるな…」などと読む前は思ったんですが、(電車の中で)読み始めると、とても面白いのです。
だから、色々と考えてしまうのでしょう。

哲学の使い方 (岩波新書)

哲学の使い方 (岩波新書)

功利的な記憶、一億総葬送、そして椎名林檎

フランス革命の頃の、アントワーヌ・クリゾストム・カトルメール・ド・カンシーという人の文書から。

「誰が我々の精神にこれらの彫像が意味するところを知らせるのだろう? これらの彫像の態度は、何を対象にしているのかわからず、表情はしかめ面でしかなく、その付属物は謎と化しているというのに?(…)これらの墳墓なき霊廟、ただでさえ死者がその下に眠っているわけではないので、二重の意味で空である死者の記念館(メモリアル)がわたしに何を口にするというのか?」
(…)
「このようにバラバラな断片を集めて、欠片を方法に基づいて分類して、あらゆる記念物を移転させること。そして、このような寄せ集めから現代の年代記の実習を行うこと。現行の理由では、それは、自らを死んだ国家として構築するということである。生きているときから、その葬式に参列しているということである。それは芸術を歴史とするために殺すことである。というより、芸術を歴史とするためではなく、墓碑となすためである」。

「第5章 遺産と現在」p.292 F・アルトーグ『「歴史」の体制』

読み始めて半年。
アルトーグ氏のこの本は相変わらず難しい本で、分かる所、というか分かりそうな箇所で止まって、何度も読み返して自分なりになにがしかのイメージを得て先へ進む、というゆったりとした歩みで読み続け、なんとか終盤まで来ました。

この章(第5章)の最初のほうで「現代はやたらと記念行事が催される」という話から、中世フランスや古代ヨーロッパ(たとえばローマ帝国)における歴史的記念物、博物(館)、記憶と革命といった概念の発祥と変遷について、プリニウスだのキケロだの、どこかで聞いたような歴史人物の(著者の視点に基づいた)偉業と発言を取り上げながらの説明が続く。

明らかにキーワードとして頻出する「教訓的歴史」も、「時間の廃墟」あるいは「時間秩序の(深刻な)危機」といった表現も、重要な意味を秘めていることが明白ながらよく分からず括弧に入れて読み進め、けれど上に抜粋したところを読んで、ふいに色々とイメージが生まれ、リンクが繋がる気配を感じたので、なんとか言葉にできないかと思って今書いているところです。


抜粋したのは、「プティ・オーギュスタン僧院にある国家財の集積をもとにして、アレクサンドル・ルノワールによって着々とつくりあげられていた(p.291)」フランス記念美術館の理念に対して、カルトメールが非難した文書からです。

二重の意味で空であるメモリアル、という表現も想像を刺激しますが(埋葬する死者もなく、墓石すらなく、しかしその更地は墓地であるという。記号を伴わない意味には無際限に膨張する怖さがあります)、引用後半の、畳み掛けるように連なるメタファをを目で追って、まず「とてつもないスケールのことが語られている」と感じました。

この本の中で僕自身が理解できる箇所が少ないから、唐突にイメージが喚起される場所に出会うと文脈を無視して想像が膨らんでしまう、ということもありますが、本の副タイトルに含まれる「現在主義」のエッセンスがここ(だけではないですが)に詰まっているのではないか、と。

 × × ×

「記憶」という言葉は、日常的には個人スケールで語られますが、本書では政治的な意味で、「歴史」と同じスケールで取り上げられています。
それはそうとして、その「記憶」という言葉の成り立ちについて、ふと考えてみたのでした。

記憶、あるいは追憶、と言います。
「憶」はよくわかりませんが、りっしんべん(と打つと「忄」が変換されました。出るんですねえ)、心が付いた「意」である。
たぶんこれらの言葉は「蹴球」などと同じく動詞と目的語の関係にある二語で、つまり「憶」を記す、または追うわけですね。

 では何を、記述したり追いかけたりするのか。
 あるいは、何のためにそんなことをするのか。


まずその対象は、今そこにあるもの、そのままの姿であり続ける(と予想される)もの、ではない。
ずっとそこにあるなら、いつでも見られるし、使えるし、居ることができる。
そうではなく、今まさに形を失おうとしている、解体や消失の際にあるからこそ、それが記憶の対象となり、そうして失われてしまったものに対して追憶の意思が生まれる。

 フランス語では、最初に建物をさして「歴史的記念物(monument historique)」という言葉が使われたのは、ルイ=オーバン・ミランにまで遡る。一七九〇年のことである。(…)この年号の前には、フランスにおいては歴史的記念物がそれとしてはっきりわかる形で存在していなかったのだ、結論づけるべきだろうか?
 そう断定するのはいささか行きすぎであろうが、次の点を明らかにしておこう。すなわち、ミランによって描写された最初の歴史的記念物とはバスティーユのことであり、それは取り壊しの最中であった。それは歴史上のものであり、消えゆくものであった。彼の『論集Recueil』の存在理由は、突如として国の財産となったものの、完全にその地位と外観が変わってしまったこの建物と事物の全体の目録を作成すること自体にあった。

同上 p.269

そして、何のために?


最初の引用のなかで、強く目を惹いたのが「葬式」という言葉でした。

葬式は、形式は多々あれど、歴史を遡れば人類の起源にまで至るといいます。
正統な学説かどうかは知りませんが、他者の死を弔うようになって初めて人類は人となった、という見解に対して、僕は一定の説得力を感じています。
そこまで大げさに捉えなくてもいいのですが、葬儀・葬祭の目的は、現世的なあるいはプラグマティックなものではない…ということがまだ常識に属するかが不安で、このあたりのことは書いているだけです。
葬式にかかる費用は原価計算をするときっと気が狂うほどのもので、しかしそういう(弔事においてまともな金銭感覚をはたらかせるという)発想自体がタブーであった時代が長くありました。

古い小説で時々出てくる、「通夜の席で故人にまつわるエピソードを語り合ってその人を偲ぶ」という場面と似たような機会が、僕には一度だけあります。
大学を卒業して院に進んだ頃、大学のサークルの友人がアメリカで亡くなって、四国であった彼の葬式に参列しました。
そして車で行ったその帰り、同期のメンバー10人ほどで、大学時代によく行った居酒屋へ行ったのでした。
何が話題になったのかは覚えておらず、どんな雰囲気だったかも記憶にありません。
今その時を振り返って、事後的に印象を作り出しているだけかもしれませんが、その時の僕は、一連の流れに抗いがたいものを感じ、また、昔のサークル仲間と久しぶりに飲んだという以上に時間が重層化しているのを感じていました。

「冠婚葬祭」と一息で並べられる行事のなかで、今あらためて考えると、僕が最も現世的でないと思うのは断然に「葬」です。
上に書いたように、現在の自分の都合や利益を鑑みる場ではないこともあり、また時間感覚として、今現在から離れていく浮遊感、落ち着かなさといったものもある。
後者について付け足せば、それは「そうしているから落ち着かない」のではなく、「たぶんこの落ち着かなさはこういうもので、そうしていなければ(=葬送の儀に参加していなければ)もっと落ち着かないだろう」という感覚。
わかりにくいですね。


話を戻します。

端的にいえば、記憶や追憶の機能は現世的な効果とは、本来は結びつかない。
でも、現代はそうではない。

失われたものを、功利的な要求に基づいて、別の形式で復活させるための記憶化。
あるいは今ここにあるもの、隆盛であり消失の兆候すらないものを、称え、より大きな権威を与えるための記憶化。

現在では「記憶」の意味が変質している。

そして、それはそれとして、僕が衝撃を受けたのはこういうことです。
冒頭の引用部を一部、再掲します。

それは、自らを死んだ国家として構築するということである。生きているときから、その葬式に参列しているということである。それは芸術を歴史とするために殺すことである。というより、芸術を歴史とするためではなく、墓碑となすためである

言葉は、時代に応じてその意味を変えていきます。
言葉は、言葉が持つ意味を伝えるためにその言葉を用いるだけではなく、言葉が用いられた状況が言葉に意味を背負わせるからです。

でも、言葉の意味は、完全なる状況依存ではない。
言葉には、あるいは人間集団(社会)には、時間の厚みがあるからです。

だから、現代では意味が変わったとされる言葉を現代的に解釈した行為が、かつてその言葉が持っていた旧態の意味によって照り返される、という事態が時に起こります。

この引用のメタファーが恐ろしいのは、おそらくそういうことです。

 × × ×

6年のあいだ勤めた研究所を辞め、内省的な日々を送りながら四国遍路へ行く準備をしていた、2016年の大晦日のこと。

毎年実家で見ていた紅白歌合戦の、その年は椎名林檎だけが恐ろしいほど浮世離れしていました。
一人でテレビ画面にツッコミを入れ続ける母の横で、僕は目を潤ませながら一心に魅入っていました。
都庁からのLIVE中継による彼女の演奏を見て、その日の僕は「これは何の服喪だろうか」とブログに書きました。
NHKスタジオの出演者の華やかさとは対照的に、彼女たちの衣装は喪服のように見えたからです。

当時のライブ映像の動画で、画質のいいものがあったので載せておきます。
再生前のCMの飛ばし方が分かりませんが、放っておけば始まります。
v.qq.com

冒頭の引用部を読んだ時に、この椎名林檎のライブ映像が頭に浮かびました。
その連想について、これは一体何なのだろうと思いながら、ここまで書いてきました。

話の結論、かどうかは分かりませんが、その自分の疑問に対して、こう答えてみます。


 あれは確かに、服喪だった。
 でも彼女らは、会場から離れたライブ映像として現れながら、僕らに一番近い所にいた。
 むしろ僕らそのものだった。

 僕らはみんな、喪に服しながら生活している。
 死者不在の墳墓なき霊廟で、毎日無邪気に祈りを捧げている。
 その祈りが、呪いでもある可能性に構わずに。



ふと思うのですが、
死者にあらざる者を悼み、弔うことは、
相手に、そして自分に何をもたらすのでしょうか?
それは、死者にあらざる者を、死者とみなすことにはならないのでしょうか?

いくつもの飛躍が介されていることを承知で書きますが、
現在主義とは、言葉を換えれば……
 

極北にて(1) - 想像の橋をリアルに渡る

 今でもなお私は考え続けている。私がそれまでくぐり抜けてきた苦難を、それだけの価値はあったと思わせてくれる何かが、その飛行機に積まれていた可能性はあったのだろうか、と。
 そこに何があったかではなく、そこに何があり得たかと、今こうして考えを巡らすことはとてもむずかしい。
 それはとりもなおさず、何があり得たかというきわめて脆弱な形状の上に、鋼鉄の線路を敷くことなのだ


マーセル・セロー『極北』 太字部は文中傍点部

歴史に「もし」はあり得ない。
これは学問として歴史に関わる際に、よく用いられる戒めの言葉です。
個人史のスケールでは、後悔しても実がない、覆水盆に返らず、といった認識の仲間でもある。

これとは逆に、「もし」という過去の可能性から歴史を問う、系譜学的思考と呼ばれる思考法があります。


「(実際に)ある出来事がなぜ起こったか」ではなく、「(可能性としてあり得たのに)ある出来事がなぜ起こらなかったか」という視点で、過去に想像力を適用する。

歴史は、必然の糸が整然と編まれた頑丈な一本の縄ではなく、無数の結節点を持ち複雑に絡み合った蜘蛛の巣のようなか細い網状の集合体において、その分岐の一つが切れるという無数の偶然が折り重なった結果として残る、ボロボロによれて垂れ下がった糸のようなものだという発想。

目的地に到達するまでのルートをたどりなおすのではなく、途中にいくつもあった曲がり角や三叉路を思い浮かべ、それらの分かれ道の、自分が選択しなかった一つひとつを頭の中で選び、歩を進めていく作業。


系譜学的思考は、通常の過去に対する因果的分析とは、根本的に頭の使い方が異なる。

そういった、形式的というか、構造の違いをとらえる考えは、抜粋の下線部と同じような文章を読んだ時によく思い浮かべます。
けれど、これを読んだ時、鋼鉄の線路という比喩が僕の中に力強く響きました。


たとえば「砂上の楼閣」と言った時、楼閣すら砂でできているんじゃないかと思うほど、それは脆くはかない印象を持ちます。
本来は、どんなに堅牢な構造物であっても土台が軟弱だと崩れ落ちる運命にある、という謂で、楼閣の素材はむしろ高強度なものであるはず。
それが、僕がこの言葉と出会った文脈のせいかは分かりませんが、その時頭の中で砂塵が吹き荒れでもしていたのか、僕のイメージする砂上の楼閣は、地盤が揺らぎを見せる前から既に崩れ始めています。

それが、いや…
今書いていて思いついたのは、楼閣自体が脆いのは、僕の「想像物に対する儚さ」という認識の表れではないかということ。
が、本題はこちらで、この思いつきがこじつけかどうかとは別に、"きわめて脆弱な形状の上"に敷かれた"鋼鉄の線路"というイメージが、砂の上に築かれた建物が頑丈であり得ること、さらにはその建物が地盤沈下が起きても構造を保ちうること、の印象を僕に与えてくれたのでした

 × × ×

想像は、いかようにもなります。
想像力があればというよりは、リミッタを外せさえすれば。
言い方を変えれば、想像力のない人間なんていないとすら思っています。
生存競争というプラグマティックな要請が、意識的かつ無自覚に、幾重にもリミッタをかけるというだけのこと。

それはよくて。

想像で、人はなんでも作れるのです。
その気になれば、川に架ける橋、海をまたいで大陸に架ける橋、あるいは宇宙空間をつらぬいて月に架ける橋だって、作れる。

ところが人はその橋を渡らない。
頭の中で、想像の続きとして、渡るかどうかという話ではない。
そもそも、イメージとして生まれたそれは、渡るために作られた橋ではありません。
作りたいから作った、純粋な好奇心に基づいて生まれた橋。

それは建築家にとって、もっと広くはクリエイタにとっては、恵まれた境遇の産物なのかもしれません。
現実として、質量を持ったそのような橋が、世界のどこかに存在するかもしれない。

でも、橋は誰かが渡るためにある。
川を飛び越えて、線路を飛び越えて、人の往来を生み出すために。
想像の橋にも、同じことが言える。
言えるはずが、今までこのことについて考えたことがなかった。



渡るための、想像の橋。
それはきっと、脆弱な形状の上に、鋼鉄の線路を敷くようなもの

必要なのは、材料の強さではなく、土台の強さでもなく、想像の強度。

そして、架けようとする者を、渡ろうとする者を、変容に導く

渡った先にあるものの全てを、彼は受け入れる。
なぜなら、それらは彼自身だから。

振り返った彼の目に、渡ったその橋はもう映らない。
なぜなら、それは彼の一部となったから。