human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

功利的な記憶、一億総葬送、そして椎名林檎

フランス革命の頃の、アントワーヌ・クリゾストム・カトルメール・ド・カンシーという人の文書から。

「誰が我々の精神にこれらの彫像が意味するところを知らせるのだろう? これらの彫像の態度は、何を対象にしているのかわからず、表情はしかめ面でしかなく、その付属物は謎と化しているというのに?(…)これらの墳墓なき霊廟、ただでさえ死者がその下に眠っているわけではないので、二重の意味で空である死者の記念館(メモリアル)がわたしに何を口にするというのか?」
(…)
「このようにバラバラな断片を集めて、欠片を方法に基づいて分類して、あらゆる記念物を移転させること。そして、このような寄せ集めから現代の年代記の実習を行うこと。現行の理由では、それは、自らを死んだ国家として構築するということである。生きているときから、その葬式に参列しているということである。それは芸術を歴史とするために殺すことである。というより、芸術を歴史とするためではなく、墓碑となすためである」。

「第5章 遺産と現在」p.292 F・アルトーグ『「歴史」の体制』

読み始めて半年。
アルトーグ氏のこの本は相変わらず難しい本で、分かる所、というか分かりそうな箇所で止まって、何度も読み返して自分なりになにがしかのイメージを得て先へ進む、というゆったりとした歩みで読み続け、なんとか終盤まで来ました。

この章(第5章)の最初のほうで「現代はやたらと記念行事が催される」という話から、中世フランスや古代ヨーロッパ(たとえばローマ帝国)における歴史的記念物、博物(館)、記憶と革命といった概念の発祥と変遷について、プリニウスだのキケロだの、どこかで聞いたような歴史人物の(著者の視点に基づいた)偉業と発言を取り上げながらの説明が続く。

明らかにキーワードとして頻出する「教訓的歴史」も、「時間の廃墟」あるいは「時間秩序の(深刻な)危機」といった表現も、重要な意味を秘めていることが明白ながらよく分からず括弧に入れて読み進め、けれど上に抜粋したところを読んで、ふいに色々とイメージが生まれ、リンクが繋がる気配を感じたので、なんとか言葉にできないかと思って今書いているところです。


抜粋したのは、「プティ・オーギュスタン僧院にある国家財の集積をもとにして、アレクサンドル・ルノワールによって着々とつくりあげられていた(p.291)」フランス記念美術館の理念に対して、カルトメールが非難した文書からです。

二重の意味で空であるメモリアル、という表現も想像を刺激しますが(埋葬する死者もなく、墓石すらなく、しかしその更地は墓地であるという。記号を伴わない意味には無際限に膨張する怖さがあります)、引用後半の、畳み掛けるように連なるメタファをを目で追って、まず「とてつもないスケールのことが語られている」と感じました。

この本の中で僕自身が理解できる箇所が少ないから、唐突にイメージが喚起される場所に出会うと文脈を無視して想像が膨らんでしまう、ということもありますが、本の副タイトルに含まれる「現在主義」のエッセンスがここ(だけではないですが)に詰まっているのではないか、と。

 × × ×

「記憶」という言葉は、日常的には個人スケールで語られますが、本書では政治的な意味で、「歴史」と同じスケールで取り上げられています。
それはそうとして、その「記憶」という言葉の成り立ちについて、ふと考えてみたのでした。

記憶、あるいは追憶、と言います。
「憶」はよくわかりませんが、りっしんべん(と打つと「忄」が変換されました。出るんですねえ)、心が付いた「意」である。
たぶんこれらの言葉は「蹴球」などと同じく動詞と目的語の関係にある二語で、つまり「憶」を記す、または追うわけですね。

 では何を、記述したり追いかけたりするのか。
 あるいは、何のためにそんなことをするのか。


まずその対象は、今そこにあるもの、そのままの姿であり続ける(と予想される)もの、ではない。
ずっとそこにあるなら、いつでも見られるし、使えるし、居ることができる。
そうではなく、今まさに形を失おうとしている、解体や消失の際にあるからこそ、それが記憶の対象となり、そうして失われてしまったものに対して追憶の意思が生まれる。

 フランス語では、最初に建物をさして「歴史的記念物(monument historique)」という言葉が使われたのは、ルイ=オーバン・ミランにまで遡る。一七九〇年のことである。(…)この年号の前には、フランスにおいては歴史的記念物がそれとしてはっきりわかる形で存在していなかったのだ、結論づけるべきだろうか?
 そう断定するのはいささか行きすぎであろうが、次の点を明らかにしておこう。すなわち、ミランによって描写された最初の歴史的記念物とはバスティーユのことであり、それは取り壊しの最中であった。それは歴史上のものであり、消えゆくものであった。彼の『論集Recueil』の存在理由は、突如として国の財産となったものの、完全にその地位と外観が変わってしまったこの建物と事物の全体の目録を作成すること自体にあった。

同上 p.269

そして、何のために?


最初の引用のなかで、強く目を惹いたのが「葬式」という言葉でした。

葬式は、形式は多々あれど、歴史を遡れば人類の起源にまで至るといいます。
正統な学説かどうかは知りませんが、他者の死を弔うようになって初めて人類は人となった、という見解に対して、僕は一定の説得力を感じています。
そこまで大げさに捉えなくてもいいのですが、葬儀・葬祭の目的は、現世的なあるいはプラグマティックなものではない…ということがまだ常識に属するかが不安で、このあたりのことは書いているだけです。
葬式にかかる費用は原価計算をするときっと気が狂うほどのもので、しかしそういう(弔事においてまともな金銭感覚をはたらかせるという)発想自体がタブーであった時代が長くありました。

古い小説で時々出てくる、「通夜の席で故人にまつわるエピソードを語り合ってその人を偲ぶ」という場面と似たような機会が、僕には一度だけあります。
大学を卒業して院に進んだ頃、大学のサークルの友人がアメリカで亡くなって、四国であった彼の葬式に参列しました。
そして車で行ったその帰り、同期のメンバー10人ほどで、大学時代によく行った居酒屋へ行ったのでした。
何が話題になったのかは覚えておらず、どんな雰囲気だったかも記憶にありません。
今その時を振り返って、事後的に印象を作り出しているだけかもしれませんが、その時の僕は、一連の流れに抗いがたいものを感じ、また、昔のサークル仲間と久しぶりに飲んだという以上に時間が重層化しているのを感じていました。

「冠婚葬祭」と一息で並べられる行事のなかで、今あらためて考えると、僕が最も現世的でないと思うのは断然に「葬」です。
上に書いたように、現在の自分の都合や利益を鑑みる場ではないこともあり、また時間感覚として、今現在から離れていく浮遊感、落ち着かなさといったものもある。
後者について付け足せば、それは「そうしているから落ち着かない」のではなく、「たぶんこの落ち着かなさはこういうもので、そうしていなければ(=葬送の儀に参加していなければ)もっと落ち着かないだろう」という感覚。
わかりにくいですね。


話を戻します。

端的にいえば、記憶や追憶の機能は現世的な効果とは、本来は結びつかない。
でも、現代はそうではない。

失われたものを、功利的な要求に基づいて、別の形式で復活させるための記憶化。
あるいは今ここにあるもの、隆盛であり消失の兆候すらないものを、称え、より大きな権威を与えるための記憶化。

現在では「記憶」の意味が変質している。

そして、それはそれとして、僕が衝撃を受けたのはこういうことです。
冒頭の引用部を一部、再掲します。

それは、自らを死んだ国家として構築するということである。生きているときから、その葬式に参列しているということである。それは芸術を歴史とするために殺すことである。というより、芸術を歴史とするためではなく、墓碑となすためである

言葉は、時代に応じてその意味を変えていきます。
言葉は、言葉が持つ意味を伝えるためにその言葉を用いるだけではなく、言葉が用いられた状況が言葉に意味を背負わせるからです。

でも、言葉の意味は、完全なる状況依存ではない。
言葉には、あるいは人間集団(社会)には、時間の厚みがあるからです。

だから、現代では意味が変わったとされる言葉を現代的に解釈した行為が、かつてその言葉が持っていた旧態の意味によって照り返される、という事態が時に起こります。

この引用のメタファーが恐ろしいのは、おそらくそういうことです。

 × × ×

6年のあいだ勤めた研究所を辞め、内省的な日々を送りながら四国遍路へ行く準備をしていた、2016年の大晦日のこと。

毎年実家で見ていた紅白歌合戦の、その年は椎名林檎だけが恐ろしいほど浮世離れしていました。
一人でテレビ画面にツッコミを入れ続ける母の横で、僕は目を潤ませながら一心に魅入っていました。
都庁からのLIVE中継による彼女の演奏を見て、その日の僕は「これは何の服喪だろうか」とブログに書きました。
NHKスタジオの出演者の華やかさとは対照的に、彼女たちの衣装は喪服のように見えたからです。

当時のライブ映像の動画で、画質のいいものがあったので載せておきます。
再生前のCMの飛ばし方が分かりませんが、放っておけば始まります。
v.qq.com

冒頭の引用部を読んだ時に、この椎名林檎のライブ映像が頭に浮かびました。
その連想について、これは一体何なのだろうと思いながら、ここまで書いてきました。

話の結論、かどうかは分かりませんが、その自分の疑問に対して、こう答えてみます。


 あれは確かに、服喪だった。
 でも彼女らは、会場から離れたライブ映像として現れながら、僕らに一番近い所にいた。
 むしろ僕らそのものだった。

 僕らはみんな、喪に服しながら生活している。
 死者不在の墳墓なき霊廟で、毎日無邪気に祈りを捧げている。
 その祈りが、呪いでもある可能性に構わずに。



ふと思うのですが、
死者にあらざる者を悼み、弔うことは、
相手に、そして自分に何をもたらすのでしょうか?
それは、死者にあらざる者を、死者とみなすことにはならないのでしょうか?

いくつもの飛躍が介されていることを承知で書きますが、
現在主義とは、言葉を換えれば……