human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

自己の定点観測、「りんとした現前」、幅のある瞬間

『「歴史」の体制』(F・アルトーグ)を読了し、二度目の再読に入っています。
8割以上が理解できず、なんとか意味が汲み取れた2割の中で重要そうに思えて印をつけた部分の前後だけを読み返すという再読。
やはりすぐには終わらない。

歴史の体制 現在主義と時間経験

歴史の体制 現在主義と時間経験

 × × ×

この本について前に書いた時↓に、最後に触れた話について。

cheechoff.hatenadiary.jp

旅行者であり作家である者は常に時間のうえで二つの寄港地のあいだにいる。「私は常に自分をもうすぐ再び船に乗り込む船員としてみている」。

p.159

この記述を読んだからなのか、記憶が曖昧ですが、本のこの部分の下にある空白に、「定点観測」という(僕が書いた)メモがあります。
そして「定点」と「観測」のあいだには挿入記号があり、二段に分けてこう書かれている。

 ×から
 ○を

定点観測といえば普通は、ある場所から一定のルールを決めて経時的に観測し記録する、といった行為を指します。
これは「定点”から”観測する」、という意味合いが強い。
観測起点から眺める方角や視界を固定するなら、「定点”を”観測する」とも言えそうですが、視界という(境界の曖昧な)領域を点と呼ぶ座りの悪さからして、ちょっと無理があります。

つまり、僕がメモに記したのは、通常とは異なる意味の「定点観測」ということになります。

観測対象を固定して、その経時的な変化を考察する。
では、その観測対象とは?

上の引用の少し前にはこうあります。

記憶とは、「言語という手段を通して時間制の中で自分を煎じ詰めるこのような時間のエクリチュール」の媒体なのである。ある意味、シャトーブリアンは最初の、自我=歴史家である!「私の最初の著作は一七九七年のロンドンにおいて、最も最近のものは一八四二年のパリにおいて完成した。この二つの日付のあいだには四七年以上の歳月があり、それはタキトゥスが人生の長期間とよぶ年数の三倍である。『一五年と言えば、人間の生涯で相当に長い期間である(Quindecim annos, grande mortalis aevi spatium)』。

p.158

結果的にそう自覚せざるを得なくなった、ということですが、歴史家であるシャトーブリアンは、その生涯の大半を「自己の定点観測」に費やした。
というのは、彼が「古代史を書くあいだ、近代史が扉をたたいた」、彼が積み上げている仕事が日に日にその鮮度を失っていくような根本的な歴史の変わり目に、彼が生きていたからです。

「(…)しばしば、夜の間に、昼に下書きした見取り図を消さなくてはならなかった。出来事は私の筆よりも速く流れたのだ。私の比較をすべて間違ったものにするような革命がおこった。私は嵐の間、大きな船の上で執筆をしていたのであり、私は、瞬く間にすぎさり舷梯に沈んでゆく岸辺をまるで固定した事物のように描こうとしていたのだ!
(…)一八二六年の序文と日付が打たれた注解は重要である。ここで示されているのは、同時代人にとって最も衝撃的なことであった。時間の加速化の感覚、それはつまり基準点の喪失である(船は攫われ、岸辺がめまぐるしく現れる)。現在は捉えどころのないものとなり、未来は予測不可能となり、過去さえも理解不可能なものとなる

p.145

話が(良い方に)逸れて、本書のテーマの話になりますが、ここに「現在主義の萌芽」が描かれている、と今引用しながら思いました。
多少の誇張を感じるかもしれませんが、直上に引用したこと、「時間の加速化の感覚」、「基準点の喪失」、これらは現代の誰もが認識していることだと思います。
ただ、「現在主義」と今呼ばれている状況は、それが世界に蔓延している、誰もが自覚せざるを得なくなっているということは意味していても、現代特有の状況ではない。
多分ですが、シャトーブリアントクヴィルといった人は、過去に幾度もあった歴史の転換期に生き、それに伴う「時間の加速化」を経験しかつ(当時はおそらくほとんどいなかった)認識もし、そのような激変にどう対応(適応)していったかが本書には書かれている。

そのなかで、シャトーブリアンはこの状況をどう受け入れていったか、これが話が逸れる前の本題だったのでした。

彼の姿勢というのか、歴史の転換期における状況判断について、うまく書かれた部分があります。

ある者たちは「我々の時代の先をゆき」、その一方で別の者たちは「一七九六年にあって一四世紀の人間のままであろうとする」。いずれにせよ、誰も自分の流れから移動はしない。二つの岸辺、二つの「歴史」の体制の間で。『歴史に関する試論』以降、シャトーブリアンは時間の中に身をおき、時間の中で思考し、時間の思想をもつことを選択した。その思想は「時間によって構成され、その秩序に組み込まれることで練り上げられた」ものである。もしくは[ハンナ・]アレントのイメージを繰り返すならば、彼は時間の裂け目に留まることを選択したのだ。

p.144-145

「誰も自分の流れから移動はしない」。
一読して、不思議な表現だと思いました。

例えて言えば、島内で自給していた都市にある時、新しい船が続々と作られて、未知の土地へ向けて船出するか、島に残って旧態の生活を維持するかという二つの大きな流れが生じる。
何の因果か、少なくとも自分には関係なく訪れたと島民の皆が思う大きな岐路。
ところが、そのどちらを選ぼうが、それは「自分の流れ」である。
…どういうことだろう?

自分で書いていてよくわかっていませんが、いま引用したことは、現代社会をも表現しているのではないかと思いました。
現代では、岸辺は二つに留まらず、続々とその姿を現し、しかも「過ぎ去らないもの」や「消えたと思ったら再び現れるもの」が後を絶たないのです。


現在主義のキーワードの一つは「無時間モデル」です。
過去を統計処理し、正確な未来予測の入力データとする。
過去と未来の、現在との間にある超えがたい要素であるはずの「時間」を限りなく無効化して、過去も未来も現在に組み込まれる。

だから、現在主義に対して呑まれない、少なくとも冷静な視点を保つために注目すべきは「時間」、その実質や感覚あるいは概念であり、本書にあるシャトーブリアンに関する記述にはそのためのヒントが数多く含まれていると思います。

 × × ×

話が収束しないので、最初に書きたかった話に移ります。
「自己の定点観測」について書こうと思った時に、ふと最近読んだ本の中の「りんとした現前」という言葉が浮かんだのでした。

わたしたちの経験とは、「かすかな予感とただよう余韻とりんとした現前との、息づまるような交錯[中井久夫の言葉]」としてある。世界は、存在する事物の全体として捉え返される前に、まずは「徴候の明滅するところ」「存在の地平線に明滅しているもの」としてある。

p.170 (鷲田清一『哲学の使い方』岩波新書1500)

なぜ今この言葉を思い出したか、
ここまで書いてきたことをもう一度上から読んでくると、少し分かりました。

「りんとした現前」、そう呼べるような場所や物(人は別ですが)が現代の都市生活にはほとんど存在しない。
この新書を電車の中で読んでいて、ここを読んだ時にそう思ったせいか、不意に目が潤んでしまったのを覚えています。

それはなぜだろう?
それに、なぜ「人は別」なのだろう?

その答えは、まさに「そこ」に書いてあるのでした。

「りんとした現前」は、「かすかな予感」と「ただよう余韻」を避けがたく帯びている。
人間は、面前の人が自分と(知り合いか否かに依らず)「関係がある」と思った時、その存在感を己が身にひしひしと受ける。
なぜなら、その人の現前に対して、(意識的にせよ無意識にせよ)予感と余韻を読み取ろうとするから。

これを、「りんとした現前」には時間の幅がある、と言い換えることもできます。
目の前にいる人に対して、自分が経験しなかったはずのその人の未来(予感)と過去(余韻)を感知する。
五感のセンサーを最大限に鋭くすることは、実は、今の今しかないはずの現在の、その「瞬間」から「間」を広げていくことでもある。

こう考えた時に、「現在主義」がどのようなものか、その性質を逆照射することができます。


ちなみに、今では貴重となった「りんとした現前」を感じられる場所について、最近読んだのを思い出しました。内田樹氏のいう、(氏の理想の)図書館、宗教施設、道場などがきっと、そうなのでしょう。

図書館とは、そこに入ると「敬虔な気持ちになる」場所です。世界は未知に満たされているという事実に圧倒されるための場所です。その点では、キリスト教の礼拝堂やイスラムのモスクや仏教寺院や神道の神社とよく似ています。そういう「聖なる場所」にはときどき人がやってきて、祈りの時間を過ごし、また去ってゆきます。特別な宗教的祭祀がない限り、一日のうちほとんどの時間は無人です。美しく整えられた広い空間が、何にも使われずに無人のまま放置されている。
(…)
超越的なもの、外部的なもの、未知のものをある場所に招来するためには、そこをそれだけのために空けておく必要があるということはわかりますよね。
 天井までぎっしり家具什器が詰まっていて、四六時中人が出入りしている礼拝堂は祈りに向かない。当たり前です。ある範囲の空間内に「何もない」こと、ある範囲の時間内に「何も起きていない」ことがある場所を霊的に「調える」ためには必要なんです
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