ビルの隙間から月が見える。
見上げながら一緒に歩く。
自分たちだけが動いているように見える。
自分たちだけが止まっているようにも、見える。
同じことだと思う。
月に時間があるか?
月から時間が生まれるか?
月は定点だと捉える。
自分は月に観測されている。
不変の基準として、適切な対象。
月の眼球を持つ人がいる。
目は口ほどにものをいう、という。
同時に、目は耳ほどにものを聞く。
月が語るのは、その奥から放つ光から。
同時に、その光はその月を見る目でもあるから。
距離を無効化する視線がある。
一極には、対象と同一化するゼロの距離。
対極には、対象を無効化する無限の距離。
どちらも幻想。
そしてアクロバティックな同一性。
自然と人工という枠組みの人工性を取り払う。
意識は成り立ちとして人工だが、営みとして自然である。
人工は定義であり、自然は存在である。
枠組みは科学と同じく、仮設的であり、便宜的である。
便宜性の本質は「人生普請中」の一言にある。
月のない世界も、月が6つある世界も、ここにある。
人は月との距離を、知るべきではなかった。
知ったことを無効にはできない。
それでも、月の瞳は失われない。
エントロピーが覆い尽くせないのは、ただ静謐のカオスのみである。