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読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

8日目:思考即転倒、最長記録更新、遍路宿ネットワーク 2017.3.8

早朝に出発の準備をし、おかみさんに車で昨日の地点まで送ってもらう。「今日の宿はお決まりですか?」「薬王寺の宿坊に泊まろうと思ってるんですが、まだ連絡していませんね」「もしよかったら、知人がやっている宿が日和佐にあるので」お宿ひわさ、という宿の電話番号を紙にかいてもらう。「どうぞお気をつけて」

平等寺に通じる大根峠で、盛大に転倒する。自然道はだいたい無心で歩く。考え事をすると危険だからなのだが、この時ついつい考えてしまった。昨日お参りした山上の2つの寺の名前は何だったかと思い、「太龍寺と…あと1つが思い出せない…ッ」と頭が思い出そうとしたその瞬間に石につまずき、回避動作もできずに体ごと地面に落ちる。無心であればつまずいた瞬間に軸足に体重を戻してつまずいた方の足を別の地点に踏み直す、というこの回避動作を反射的にとれる。それができないことが体が落ちる前から認識され、敗北感を味わう。完敗である。誰が、何に負けたのか? 身体が、頭に負けたのである。身体を主体に歩くことの、なんと難しいことか。

平等寺を出て、アスファルトをひたすら歩く。薬王寺への道は山ルートと海ルートがある。山ルートは単調、交通量が多いが距離が短い。海ルートは町を通るし海も見える道だが、遠くなる。楽しく歩くなら、容赦なく後者である。昨日までは平均して一日に20キロを歩いていたが、今日の海ルートは難所がないものの27キロほどある。冒険だが、きっとなんとかなる。ひたすら歩く。

日和佐の町に入った頃には、身体は随分くたびれている。余計な力を加えないと前に歩けないもどかしさがある。一度止まるともう歩けなくなりそうな強迫感。息も絶え絶えに、薬王寺が先に見える橋を渡っていると、後ろから名前で呼ばれる。かなり驚き、ありうる可能性が1つしか浮かばず、相手の身なりを気にせず問いかける。「薬王寺の宿坊の方ですか?」「いえ。あの、昨日『碧』に泊まられましたよね。…さんから『今日、下駄の人がそちらに泊まりに行くかもしれない』と電話をもらいまして。ここの近所で遍路宿をやっているの者です」なるほど。おかみさんが丁寧に名前まで伝えてくれていたのだ。そして「お宿ひわさ」のおかみさんは、通りを闊歩する下駄の音を耳にして追いかけてきたのだ。「すみません。宿坊が空いてなかったらお願いしようと思っていたんですが、予約がとれましたので」「そうですか、それはよかった。薬王寺はもうすぐですよ。お気をつけて」ありがたいことである。そして遍路宿ネットワークは、密なものなのだ。

ようやく宿坊、薬王寺温泉会館に到着する。ふらふらの満身創痍で受付をする。待ち時間が長く、カウンター前のベンチに座り込んで茫然とする。後に分かったことだが、受付の男性は厨房にも一人で立ち回り、部屋のメイキングも担当しているようだった。部屋数がホテル並みに多いのに、一人で切り盛りしているのだろうか。大変そうだと思うと、夕食のおかずが作り置きの弁当仕様であっても不満はない。もとい、白ご飯のおかわりができれば何の文句もない。ただし、4杯以上という条件が付く。

夕食時に、広々とした食堂で見知った人と再会する。昨日の「碧」で一緒だったおばあさんと、どこで会ったのか「カラス天狗さん」と自分を呼ぶおばさんだった。天狗の話は自分がしたのに違いないが、どうも記憶が混濁している。歩行に集中し過ぎて頭が回っていないらしい。おばあさんは早朝のおかみさんの送迎車に一緒に乗り、自分より手前で先に降りていた。つまり出発は自分が先行していて、すぐ追い越されるだろうと思っていたが道中では会わなかった。聞けば山ルートと海ルートの分岐点付近で迷っていたらしい。たしかにあの辺りは、地図上で交差点に見えたのが高架で下の道を飛び越えていて曲がれない、といった複雑な道だった。

強行の行程でぼろぼろになった足をなんとかしようと、温泉に浸かる。マッサージをして、湯船から上がって歩こうとすると、痺れが手足から始まり、なんだなんだと思う間もなく顔にまで進行してくる。全身がビリビリと音を発しているようで、思わずタイルの上にへたり込む。凄い勢いで血が全身を巡っているのが感じられる。無理が祟ったのかもしれないし、今日の後半で脚絆を締めすぎたかもしれない。脚絆は足首から膝下までのふくらはぎを覆うもので、コハゼという爪形の留め具で大まかに留めてから、生地の上下2ヶ所を紐で結んで装着する。ふくらはぎ全体を適度に、そして均等に締め付けると、歩行中の疲労が軽減される。が、まだ新しいせいか歩くうちに緩んでくるので、日中に一度巻き直すことにしていて、今日はその巻き直しがきついなという感覚があった。きつければ効果は上がるかと単純に考えていたが、血流を阻害していたとすれば締め過ぎであった。これも一つの経験。

ビジネスホテルのようにずらりとドアの並んだ廊下。その部屋の中も広々としている。4人が布団を広げて余りある部屋の隅にちんまりと布団を敷く。空調が天井へ埋め込まれているタイプで、風呂で洗濯した下着を干すことができない。仕方がないので、乾燥は翌日の宿にまわすことにする。

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7日目:山上の二寺、素敵なペンション宿、囲炉裏ご飯 2017.3.7 - human in book bouquet

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9日目:日の出を拝む、砂浜蟻地獄、鯖大師 2017.3.9 - human in book bouquet

7日目:山上の二寺、素敵なペンション宿、囲炉裏ご飯 2017.3.7

登り登って、20番。下った先の、21番。橋の向こうにそびえる2つ目の山に、ため息をつく。もちろん21番太龍寺の姿は見えない。

山の斜面に忠実に登る形で出発した鶴林寺を擁する山と違い、山と山の間に通る道を進む。舗装されているが、アスファルトではない。薄い灰色の舗装で小石が混ざり、進む方向に縞状に波打っている。もちろん歩きにくいが文句は言わない。不平は畢竟すべて酔狂な自分に返ってくるからだ。

岩場がいくつもある。丸木石が階段状に並べられた地点に差しかかる。丸太の円頂を狙い、石の延伸方向と平行に歯を踏み込んでいく。踏み外すと大惨事が目に浮かぶので最初は慎重になるが、だんだんと慣れていく。一本歯操法の技術が向上していく感覚がある。

太龍寺に参り、再び下る。急な岩場を一歩ずつ踏み締めて下りる。段差が大きい所では左足を軸に右足を踏み降ろす癖に気付く。利き足の右の方が着地の狙いを定めやすいからだが、そうなると軸足の左の太腿が心配になる。左右均等がよいと思い、軸足を右に、左足で踏み降ろす歩き方を試す。ぎこちなく不安定だが、先のことを考えて危なくない範囲で実践する。

傾斜の緩い土道になってしばらくして、今日泊まる宿から電話がかかってくる。「今どの辺りですか?」さっき見た道案内の立て札の情報を伝える。「そこならもう数十分ってところですね。若い方だし、足も速いでしょう」一本歯の下り道はことのほか遅いのだ、と説明しようとして、どこから話せばいいのかを考えて面倒になり、やめる。「いや、たぶん、もうちょっと遅くなると思います」「分かりました。気をつけて下りてきて下さいね」思えば到着予定時刻はとうに過ぎ、日が暮れ始めている。急ぐと危険なので、ペースは変えずに、引き続きゆっくりと進む。

一面が木々の視界の先に、明るい光が小さく見えてくる。その光の中から短髪の女性が現れ、道を登ってくる。「…さんですか?」こちらを認めて、声をかけてくる。「よかった。すぐ下はもう車道です。車の中で待ってたんですが、遅いなと思ったので。随分かかりましたね…まあ!」自分の妙な歩き方にふと気付き、足下を見て驚く。とりあえず遅くなったことは納得してもらえたようだ。山を下り切り、22番平等寺に至る峠の手前、阿瀬比から車に乗る。

しばらく走った後、ペンションのような宿に着く。床はすべて天然板で、案内された食堂兼広間には囲炉裏がある。装いは新しいが、懐かしさを感じる。囲炉裏を実際にこの目で見たのは初めてのことではあるが。2階の個室も板間で、天井が高く、ベッドやテーブルもペンション然としている。非常に居心地がよい。玄関で拭きはしたが、砂まみれの裸足が申し訳なくなる。そうだ、あとで下駄の台座も拭きに行かなくては。

夕食は広間の囲炉裏で、鍋である。「お宿で野菜って、なかなか出てこないでしょう?」というおかみさんの配慮で、野菜がたっぷりと入っている。そば粉の元であるそばの実も入っているという。定食が主体だったこれまでの民宿の朝夕食とはがらりと変わり、味もよく、囲炉裏で車座という独特の座で楽しく食事をいただく。同宿者は小柄なおばあさんで、食事の間ずっと、食べ終えてサービスのコーヒーを飲んでいる間もずっと話をしていた。なにか、テーブルと違って囲炉裏には話さずにはいられない雰囲気をつくるものがあるのかもしれない。

おかみさんの話では、ペンションを始めたのは数年前、わりと最近のことだという。以前から所有の農園で果物狩りを運営していたが、この一帯、つまり20番鶴林寺の麓の宿から22番平等寺の間に遍路宿がなく、地域の要望があったという。確かに、麓の宿から平等寺そばの宿までは距離もありアップダウンもあり、健脚でないと一日では踏破できない。自分もそれが無理だから、この宿を知る前はどうしようかと悩んでいたのだ。その地元と歩き遍路の期待に応え、宿が遍路道から離れているため送迎をやることにして、ついでに宿を今のようなペンション風に改装したのだ。広間の壁には、おかみさんが地元の新聞からインタビューを受けた記事が貼られていた。歩き遍路のためにできた、遍路宿。大変ありがたいことである。

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6日目:空海の気持ち、取星な話、雛祭り 2017.3.6 - human in book bouquet

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8日目:思考即転倒、最長記録更新、遍路宿ネットワーク 2017.3.8 - human in book bouquet

6日目:空海の気持ち、取星な話、雛祭り 2017.3.6

納経所の開く時間に合わせて宿を出て、すぐそばの18番恩山寺へ向かう。霧模様である。敷地一帯に木が茂っていて、境内へ向かう車道に沿って石畳の敷かれた自然道がある。その車道の途中から19番に向かう細い道が出ているため、行きは覚悟をして石畳を歩くことにする。

お参りを済ませて、竹やぶの続く細い道へ入る。道に従って、山羊がいるらしい飼育小屋が並んだ私有地の真ん中を突っ切る。衛生に関する注意書きの看板がある。外国人も含む不特定多数の人が通るのだ、地主の心配ももっともである。竹林を抜け、ひっそりとした住宅街に出る。アスファルトの道が続く。

街中の立て込んだ小さな敷地にある19番立江寺に着く。通りも門を入ってからもちらほらと人がいる。本堂のそばでおじいさんが大声で話しているのが、下のベンチにまで聞こえてくる。交通事故に遭って重症を被ったが、大師様に願をかけたおかげで、この通り歩けるまでに回復した。寺の人がすぐそばでうんうんと頷きながら耳を傾けている。その光景は生活的で、とてもありふれたものに見えた。この街に馴染んだ寺のようだ。

下駄をベンチの下に置いてサンダルを履き、日記をちまちまと書く。そのうち、いつの間にか隣のベンチにいた女性が話し掛けてくる。スニーカ、青のジーンズにウインドブレーカ、手荷物はポーチだけでいたって軽装である。どことなくタレントの杉田かおるに似ている。
「歩いて回られているのですか?」
「そうです。あなたは?」
「車で逆打ちです。あなた、魂レベルが高いですね」
「え、そういうのは見た目でわかるものですか?」
「わかります。いろんな人に会っていくうちにわかるようになります」
いきなり魂レベルと言われても困るが、相手は真顔なのでこちらも真面目に取り合うしかない。下駄の話をしないので、サンダルで歩いていると思っているようだ。それはそれで普通の会話ができると思ったが、どうも普通がよくわからない。
「車で回るとけっこう無理がきいてしまって、宿をとるのが意外に難しいのです。だから車中泊をよくしました。人気のない真っ暗な駐車場に停めて車内でじっとしていると、とても心細いのですが、そうやって震えながら朝日を待っているある時に、ふと19歳の空海の気持ちを理解したのです。『明星来影』と言うでしょう。空海は真っ暗な山の中で、いっぱいの不安を抱えて縮こまっていました。そこに現れた星のきらめきは、空海にとても深い感動を与えたのです。私はいろいろ考えたのですが、メジャーな言い伝えとは違って、空海がその時見たのは明けの明星です。金剛頂寺の宿坊に泊まる機会があれば、住職の奥さんの話をぜひ聞いて下さい。これ、金剛頂寺のパンフレット、差し上げます」
季節や方角や天体の話は全く理解できなかったが、おそらく自分が地学に疎いせいではない。車遍路はもう何度もやっていると言うが、専門的な話を滔々と語る彼女は学者というよりは主婦に見える。何者だろうか。どうもこれまでの経験上、熟練の遍路には共通の性質がいくつかあるようだ。一、目が据わっている。一、言動に確信が満ちている。一、人の話を聞かない。良し悪しを超越した確信は、やはり宗教の力だと思う。

今日の行程には余裕があり、回り道をして別格の取星寺(しゅしょうじ)へ向かう。平地が続いていたが、取星寺へ向かうために小さな峠を越える道に入る。峠道は自然道で、地図上では破線で表示される。建治寺の朽ち果てた破壊的山道を思い出して不安になる。が、アスファルトが続くと着地の衝撃で足首に負担がかかることもあり、自然道の選択肢があればなるべく選びたい思いもある。余裕はある。なるようになる。

のどかな田んぼを抜ける車道を進むうち、草の茂る土手の道に変わる。小山の裾に沿ってゆるりと歩く。ベンチがあったので、視界いっぱいに広がる田んぼを眺めて体を休める。近くに民家はなく、ふと思いついて篠笛を取り出す。指の思うままにぴろぴろと奏でる。竹製の篠笛は京都で足慣らしをしていた頃に入手して、入門書を頼りに独自に練習したものだ。押さえる穴が等間隔で、ピアノの音程とはずれるが、竹の音色と相まって和楽の趣がある。西洋音楽でいうスケールを知っていれば、スケールに沿って適当に音を並べるだけで曲のように聞こえる。といっても和楽のスケールを具体的には知らないので、そのようなものがあるとして吹く。高音が耳障りなのであまり街中では吹けない。音がいくらか気分を反映している。吹き慣れてくるうちに楽しくなる。

峠の入口には竹の杖がいくつも並んで立てかけてある。「お遍路さん どうぞお使い下さい」きっと峠の出口にも杖置き場があるのだろう。ありがたくお借りして登り始める。道は主に土、地形が複雑なところには板が渡してある。板はしっかり固定されている。良い足場、素敵な自然道。峠を登り切ったところに、屋根付きの掲示板のようなものがいくつかある。地元の人が寄せたメッセージが貼り出されている。そばには掃除用具入れがあり、手入れも行き届いている。阿千田峠という自分にはなにやら近しく感じるこの峠は地元に愛されているようだ。

峠の下りで道を間違え、川沿いの車道に出た位置がわからず迷う。いくらか右往左往したのち、取星寺に続く坂道を見つける。敷地内は観光施設が整っている。自然公園があり、車道で上がる途中にトイレもある。門を抜けた中にも売店がある。音楽が流れているが、人はほとんどいない。スーツを着た男性が駐車場そばのベンチで休んでいる。敷地は広く、本堂と大師堂にも観光思想の仕掛けがある。裸足で踏めば健康になるという大師様?の足形など。納経所は閉まっており、案内に従って呼び鈴を押すと住職が出てくる。参拝人が珍しいのか、長話をする。
「普段の生活ではもちろんのこと、俗世を離れて遍路をしている間も、心配事は常にあります。予定通りに寺に着けるか、宿には何時に到着できるか、明日は晴れてくれるか、などなど。でも、頭が主体になっている限り、心配事はなくなりません。身体を主体にする、『身体に頭をついてこさせる』ことが大事なのです。そうすれば、心配や不安に振り回されなくなります」
世間話がいつの間にか説法になる。よく聞く内容ではあるが、落ち着いた雰囲気の住職から直に聞くと、話の滋養が身体に染みわたる心地がする。家の奥に納経帳を持って行かれ、一筆ののち、手渡してくれる。礼を言って、寺を後にする。

海沿いの道を歩く。表通りの両側に並ぶ商店のそれぞれに、ひな人形が飾ってある。生比奈というこの地域は、ひな人形が有名であるらしい。ひな人形展をやっている施設もある。ショーウィンドウをちらちら見ながら進んでいると、二人組のおじさんに声をかけられる。どちらも本格的なカメラを手にし、腕章をはめている。ひな祭りの取材をしている地元の記者だろうか。「写真を撮っていいだろうか。できれば店をバックに、歩いている姿を撮りたいのだが」快く了解する。花粉症対策のマスクをしているし、だいいち顔を撮られて生じる不都合が思いつかない。「じゃあ、この店の前をゆっくりと。お願いします」二方向からシャッターが下りる。きっとお雛様とのツーショットになっているのだろう。

表通りから陸側に入り、宿が見えてくる。と、なにかを撮っていたらしいおじいさんがひょこっと出てくる。「お、すごいね。撮っていいかい?」趣味なのだろう。疲れていたが、にこにこした顔を見て元気になる。

宿に着き、夕食までに時間があったので、先に風呂に入る。すでに遍路客が多い。湯船に浸かりながら、旅慣れた風の男性のを聞く。いつか海外へ行ってみたいと思う。

夕食の時に、明日の行程が難所であることを聞く。回る予定の2つの寺がどちらも山の上にあるのだ。そして自分が一日に歩ける距離には宿がない。道中で仕入れた「宿はちょっと遠いが遍路道のある地点まで車で迎えに来てくれる」という宿を予約している。山越えは常に危険と不確定要素がある。なんとかなる、と自分に言い聞かせ、今は深く考えないことにする。

(…)取星寺の住職の話が良かった。「身体に頭をついてこさせる」が理想とはまさにその通り。この先歩く中で身体が主になるようにしたい。さすがに予定と天気予報は気にしてしまうが…でも空腹のコントロールはもうできるようになった気がする。そういえば指のむくみもなくなりそう。歩くとやはり健康になる。(…)頭の中のコトについては(途中で何かメモしたくなった時とか)溜めこまないようにする。さっさと書くか、忘れるに任せる(後に、機に応じて思い出すに任せる)。

6日目の日記より抜粋

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5日目:グローブの効用 2017.3.5 - human in book bouquet

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5日目:グローブの効用 2017.3.5

「私は韓国人で、踊り子で、人間国宝です。若いとき、日本に講演にきて、前の住職と出会いました」
「私の息子はいま19歳で、アメリカに留学しています。韓国語、日本語、英語、中国語、スペイン語の5カ国語をマスターしています。テレビで取材を受けたこともあります。今年の4月から高野山へ修行に入ります。きっと次の住職になることでしょう」

朝のお勤めが朝食の前にある。般若心経などを唱えた後に住職の説法がある。が、説法のほとんどは彼女の身の上話であった。ここはかなり国際的な寺らしい。長い説法のあと、朝食をとり、出発前に宿坊の前で記念写真をとる。「あなたはいいですか?」カメラを持っておらず、携帯を取り出す手間を考えて首を振る。観光でもないし、写真は撮らないと決めていた。

初日からずっと、両手にグローブをはめて歩いている。指先は開いていて、手の甲側にも生地がなく、手のひらには滑り止めがついている。荷物を運ぶ時にはめる、パワーグローブの一種だ。自分がするのはその本来の用途のためではない。京都で足を慣らすために日がな歩いていた頃、手の指がむくんだことがあった。調べるうち、長時間の歩行で手の血行が悪くなるのが原因と思われた。では指の付け根を刺激できるものをつけよう。そこで、なるべく軽量で風通しが良く、指を締め付けない手袋を探し、見つけたのがこのパワーグローブだった。効果のほどはよくわからないが、手が発熱していることは確かである。
そのグローブが地蔵寺遍路道の峠道で破損することになる。幅の狭い道で、何物かに足をとられて転んだ時に岩の上に右手をついて支えた。岩の凹凸が尖った部分に手のひらが当たり、グローブの滑り止め部分の生地が裂ける。一本歯歩行でつまずくことは日常茶飯事だが、つまずいてから怪我を防ぐべく行われる一連の身体動作は意思を介さない反射反応である。よって、危機回避行動が完了してから意識が戻り、現状を確認し、先の一瞬に起こった事を推測するという手順になる。この峠道で転倒した時は、グローブが裂けた瞬間にそのことだけを意識し、体が停止してから足と手の無事を確認し、そしてグローブがなければ手のひらが裂けていただろうことに思い至り、初めてグローブが手の保護にも役立っていることに気付いた。あらためて見れば、左手のグローブにも似たような浅い傷がある。自然道によっては木の枝をつかんで、草をかき分けて進むことだってある。当然起こりうることだ。偶然ながら、パワーグローブの予想外の活躍に感謝する。

17番井戸寺に着くと、見覚えのあるおばあさんが水色の背もたれのベンチに座っている。一昨日の焼山寺越えの日、なべいわ荘にいたおばあさんだ。話が弾み、というより一方的でこちらは聞いているだけだったが、流れで翌日泊まろうと考えていた民宿を一緒に予約してもらう。

18時を過ぎてから、18番恩山寺そばの民宿に到着する。もう少し早ければ今日中にお参りできたが、仕方がない。

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4日目:建治寺闇雲冒険譚 - human in book bouquet

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4日目:建治寺闇雲冒険譚、大日寺にて 2017.3.4

宿を出てすぐ、車道から自然道に入る。小さな森の中の、土手になって幅の狭い道を歩く。幅が狭いうえに斜めになっていて、まっすぐ歩けずにてこずっていると、坊主頭の中年男性が後ろから追いついてくる。「こっちはゆっくりやってるから、また追い越していったらいい」道をあけた横をすいすいと歩み去って行く。

自然道を抜けてアスファルトに戻ったところで前方に男性が立ち止まっているのが見える。男性は畑にいるおじいさんに大声で話し掛けている。「おはようさん。寒いですなあ」「ああ、ご苦労さん」佇まいや落ち着きようからして、初めてではなさそうだ。

車道から峠道に入る。所々で岩がごつごつしているが、足場は悪くない上りで、すいすいと登ってゆく。先の男性に追いつく。「若いなあ。その下駄でそんなに速く登れるんか」歳をとると上りで膝がきついのだろうが、こちらは体力面より技術的な問題が大きい。着地の勢いを楽に殺せる上りで足場が良ければ、靴と同等の速度は出せる。

峠を越えて車道に合流した先にお堂があり、縁側で休んでいると男性が追いついてくる。一緒に休みながら話をし、同道することになる。男性は3回目の遍路で、歳は70だという。「おじさん」だと思っていたし、とても古希の老人には見えない。見かけはまた別の問題かもしれないが、歩き遍路をする老人はやはりどこか若々しい部分があるようだ。

峠の先はゆるい下りで、これから進んでいく道とその回りの家々を右の眼下に見渡せる。その下り始め、見晴らしのよい所にあった東屋で一休みする。テーブルにははっさくらしき柑橘が置いてある。「これもお接待なんだよ。もらったら、箱にお札を入れておく」男性が2つに分けてくれた半分をもらう。はっさくを二人で食べていると、後方から体格の良い女性がやってくる。杖を持っているがジーパンとスニーカーが清々しく、軽装である。聞けば徳島に住んでいて、区切り打ちで来ているらしい。八十八ヶ所を一度に回る期間がとれない人は、何度かに分けて回るのだ。彼女は観光関係の仕事をしていて、歩き遍路をする人の評判を心配していた。「四国の人は基本的に遍路に優しいんですが、地域によっては住む人が遍路を敬遠しているところもあります。時々ですが、家を訪ね回ってお接待を強要する人がいたり、あとは同情するような嘘を言ってお金を要求する遍路もいます。不治の病だとか、財布を盗まれただとか。遍路だって、ほとんどみんな礼儀正しい人ばかりなんですが」靴が合わないのか、足の状態が思わしくない彼女を残して、男性と先に出発する。

下りの道路ではやはり男性の方が速く、会話をしながらもだんだんと距離があく。無理をして歩調を合わせることもあるまいと思いなすとさらに間が広がり、会話は男性の独り言のようになり、終いに自然消滅する。ほうと一息、自分のペースでゆっくり歩く。

下り下って、川沿いの道に合流する。途中で河川敷に下りたところのトイレに寄る。「店といったら、この先は大日寺に着く手前のコンビニしかないようだねえ」トイレの前の石塀に座っていた年配男性も疲れているようだ。

今日の宿泊予定地でもある13番大日寺が近くなり、時間に余裕があったので寄り道をすることに決める。川沿いの下り道を逸れ、小山を登った先にある建治寺へ向かう。前日の宿では「別格の別格」と言っている人がいた。滝行をする岩場があるらしく、道行きの険しさが想定される。道を逸れてすぐ急勾配の上り坂をしばらく地図に従って進む。と、自然道の入口に至り、遍路道を示す赤い矢印とマークの看板がある。間違いないと思って進むが、草はぼうぼうとして道の体をなしていない。それでも無理やり進むうちに周りは木々に覆われていく。石垣があるが、それ以外のすべてが朽ち果てたようでわけが分からず、道のヒントにもならない。時間の余裕に気が緩んでいたか、入口の看板を過信したか、それでも道はないかと探し続ける。そのうち、山道跡のようなものが繁茂する自然の中に見出せる。急勾配の斜面をうねるように迂回しながら上ってゆく道の面影があるが、その本来の道であるはずの空間には、道でない所と同じくらいの丈の草が密集している。道が使われなくなってから相当の年月が経ったようだ。それはもはや道ではなく、一本歯で進むにはあまりに無謀で、履き物に関係なく無謀なのは否めないが、スポーツサンダルに履き替えて進むことにする。もはや地図は頼りにならず、完全に自然に帰した、けもの道ですらない斜面を、コンパスの指す方角のみを当てにして登り続ける。白衣が枝にひっかかり、菅笠は幹にぶち当たる。闇雲とはまさにこのこと、などと自己言及する余裕のかけらもない。

密集した草や木々で遮られていた前方がやがて明るくなる。よくある丸太を模した柵が見える。柵を乗り越えると、牧場のようにのどかな草原が広がる。すぐ横を見ると「何事か」という見開いた目でこちらを窺うカップルがいる。「…………?」相手が何か言ったが、構わずここはどこかと尋ねる。すると、ここは丘の上の公園で、地図によれば建治寺の南西に位置するらしい。地図の道からは逸れてしまったが、どうやら助かったようだ。というより、地図の明示する道が崩壊していたのだ。自然道の入口までは確かだったのだが。建治寺は八十八寺に含まれず、また別格三十三でもないため、寺への道はおそらく正当な遍路道ではないのだろう。こういうこともある、という教訓が一つ。そして、いかに冒険心を刺戟されようとも冷静さを失わずに行動すべし、という自分への教訓がいま一つ。

建治寺への別ルートを見つけ、サンダルのまま自然道を進み、なんとか到着する。物音のない静謐なお堂でお参りを済ませ、納経帳に朱印をもらう。窓口には妙齢というには若い女性が座っている。整った顔つきは美人と言って差し支えない。両側に垂れた長髪と落ち着いた所作が清楚な雰囲気を醸している。奥の事務机に座る坊主頭の住職がこちらをじっと見ている。その視線を受け、なんとなく女性の手元を見る。その薬指で指環が光っているのを目にする。言葉にならない幾つかの納得が訪れる。
寺の正門から大日寺への正規ルートへ戻ることにする。山を下る参道は険しく、途中で滝行をする岩場を横に眺める。その岩場近くの参道自体も岩場だが、昨日の焼山寺越え山道の比ではない。岩が大きく、飛び移らねば進めないのだ。現在の一本歯技術レベルでは、到底不可能な難所である。公園手前の崩壊道で時間と体力を消耗していたこともあり、修行がてら試しに一本歯を履こうという気力も起こらず、スポーツサンダルにて素早く通過する。疲労していても一本歯から急に解放されていたため、足取りは極めて軽い。岩場を下り、落ち葉の土道を下り、砂利の散るアスファルトに至ったところで一本歯に履き替え、正規ルートへの合流を急ぐ。

コンビニにも寄らず、13番大日寺に着いたのは18時の数分前、ギリギリセーフである。納経所が閉まる直前に着いた場合はお参りよりも納経を先に済ませる「例外的不作法」をすることになる。納経所にすべり込み、一息つき、落ち着いてお参りを済ませると、宿泊所の入口で納経所の女性がこちらを凝視している。「今日泊まる人?なら早く」彼女は宿坊の女将?でもあるようだった。

宿坊は広い。玄関も通路も広く、部屋数が多く大広間もあるようであり、築浅ではないが古さには異国情緒が漂う。廊下に赤いカーペットが敷いてあるところなど、中国風だろうか。玄関を上がった通路の右側には大きな肖像が掛かっている。華やかな装いの女性である。誰だろうか。

夕食は二組だけで、自分と、2日目の旅館吉野で一緒だった奈良の夫婦だった。40人は座れるだろう長机のならんだ広い食堂の中央に、3人でぽつんと座って食べる。夕食のメニューは、なにやら怪しげである。どう表現すればよいのかわからない。女将らしき女性が食堂に入ってきて、短い話をする。多い時は何十人もここに泊まります。別館もあるのです。等々。ここで彼女が住職でもあることが判明する。そして調理場のカウンターにいる女性のそばへ行って話をしている。どうも顔が似ている。そして会話が日本語ではない。解釈のしようもなく、会話少なに3人で食べ続ける。調理場の女性がしきりにご飯のおかわりを薦めるので、おかわりはいいのだが明日の行動食用のおにぎりを作ってもらえないかと頼む。「なんですかそれは?」という表情をされる。意味が分からないが、とりあえずご飯を両手で握り込むジェスチャーをすると表情がぱっと明るくなる。「海苔もつけるんですよね」という言い方と、一塊となったご飯にぺたぺたと貼るその手つきと、それによる完成品とが、それぞれ確信的に怪しげである。

静かなのはよいが、なにか異様な雰囲気がある。建物が広すぎるのかもしれない。照明が少々暗いのかもしれない。部屋にいても落ち着かない。かといってすることもないので、地図を睨んで明日の算段を立て、ちょっとした荷造りを済ませて、早々に眠ることにする。

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3日目:遍路転がし、山越え、美しい尻餅 2017.3.3 - human in book bouquet

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3日目:遍路転がし、山越え、美しい尻餅 2017.3.3

今日は山越え。「遍路転がし」という四国遍路に4つある難所のひとつが、12番焼山寺までの登り道。出発からの2日間が平地だっただけに落差が大きく、油断するとその名の通り「転がされる」ことになる。一本歯での山道は京都でいくらか練習を積んできたが、果たして「歯が立つ」かどうか。

日がまだ山の向こうで内職中の早朝に宿を出る。昨日来た道を戻って11番へ行き、本堂や納経所へ向かう途中で逸れて山道の登り口に入る。足場が砂地から、落ち葉と石ころに満ちた緩めの地肌に変わる。踏み抜けば転倒必至の小石と、その位置を知らせまいと覆い隠す枯れ葉のゴールデンコンビ。如意ヶ岳や貴船山での恐怖が頭の中で再生される。あのようなマゾヒスティックな山道はそうそうないとどこか多寡を括っていたが、考えてみれば早春もまだ先、3月頭のこの季節でいっぱしに樹木栄える山ならありふれた光景である。「もう戻れない」と呟き呟き、その内に「戻るのは面倒臭い」というニュアンスを込めながら、視線を前方斜め下に固定して登り始める。

傾斜がきつく、「甘踏み」で落ち葉の下を探りながらも一歩一歩に力が込もる。気温は低いがすぐに体は温まり、途中の東屋で薄着になる。後ろを振り返れば、昨日まで歩いてきた街並が一望できる。吐く息が白い。

途中に岩場がある。山道には要所に「遍路転がし」と書かれ数字が打たれた小さな看板がある。数字はこの山道にある難所のいくつ目かを示している。その何番目かのこの岩場は、道の幅いっぱいにごつごつした岩が無造作に並び、傾斜のきつい所にはロープが垂らされている。当然、足場としては岩しかない。岩の一つひとつを見定め、平らで水平でも滑らかな面は避けて、切れ目やわずかな凹凸で歯底と摩擦する面を慎重に選んでいく。

柳水庵だったか、ちょっとしたお堂を横目に通り過ぎ、さらに登り続け、いったんのピークのような所に至る。記念碑があり、石像があり、なにもない広場があり、腰を下ろせる小屋とトイレがあった。「早いですねえ」宿で一緒だった女性が石像の近くで休憩している。「お気をつけて」自分は小休止ののちすぐに出発する。峠のピークだったらしく、向かう先遠くには山が見えるが道は下りになる。

下る途中の東屋で男性が休んでいる。一歩ごとに踏みしめるようにゆっくり進む自分の姿を見つけ、その足もとを見て、顔に驚きが広がる。男性は頭にタオルを巻き、杖をもっている。写真を撮りたいというので了解する。

下りが反転する地点に、ちょっとした草原が広がり、道のそばにある小屋の前に給水場がある。湧き水らしい。ペットボトルに汲んでいくらか飲み、また汲んでペットボトルを満たす。

反転してからの上りは、蛇のようにうねる車道をまっすぐ突き抜けていて、何度もその車道と交差する。道は乾いた地肌に小岩が散らばっている。落ち葉はないので不安は少ないが、道幅が広くて先の見通しも良すぎるのか疲労感がある。一本歯の歩みの遅さは、視界の広い場所で際立つ。つい油断して何度か足首をひねりそうになる。

淡々と登り続け、景色が変わる。寺の敷地に入ったらしく、駐車場の表示などがある。参道は無慈悲な砂利道に変わっている。もちろん無慈悲に思うのはただ自分一人のみ。山裾をぐるりと大きく回りながら少しずつ上昇する。左手は崖、右手には八十八ヶ所の寺のご本尊を象った石像が順に並んでいる。立ち止まる余裕はないものの、ついつい足を止めて見ようとしてふらつく。参道に入ってからは下りてくる参拝者が多くなる。やはり車遍路が多いのだろう。すれ違いざまに視線を感じる。中年女性のグループの一人が躊躇なく話し掛けてくる。「お坊さんですか?」自覚はなかったが、なるほどそう見えないこともない。なにしろ菅笠の下はスポーツ刈りの頭だ。

石段を上がって門を抜け、ようやく寺にたどり着く。納経所横の見晴らしのよい空間に石でできた横長のベンチがあり、そこで荷物を降ろしてスポーツサンダルに履き替える。本堂、大師堂、鐘などがある一段上がる手前に休憩所があり、「うどん」の幟がわずかに風になびいている。腹が空いているが、食事はお参りの後にすることにする。が、お参りを終えた後に戻ってくると休憩所はカーテンが閉まっている。それを目にして少し離れたところで呆然としていると、ちらりとカーテンが動く。気配を感じたのか、中年のおばさんが顔を覗かせて辺りを一瞥し、すぐに引っ込める。なんとか食べられるよう交渉を思い立つ隙もなく。無常。仕方ないので非常食にしていた豆菓子を食べる。遍路旅に発つ前に行った、父の行きつけの食事処でマスターにもらったものだ。彼からは高知のいい飲み屋を教えてもらっていて、先はまだ長いがぜひ寄ろうと思っている。マスターとママの激励を思い出しながら、有り難く食す。

寺を出れば、あとは宿まで下るだけだ。と軽く考えていたが、甘かった。車道をそのまま下りるかと思えば、うねるアスファルトをショートカットするように勾配が急な自然道がいくつも待ち受ける。草の茂る道、石段、そして恐怖の石畳。石畳は表面がつるつるした石で構成され、しかも間隔の広い段差になっている。下り坂では踏み込む際に勢いがついてしまうため、なるべく軸足を溜めるように曲げて着地の勢いを殺す必要がある。下りの段差ではその努力がいっそう求められるが、延々と続く石畳に嫌気が差してきて、だんだんと溜めがぞんざいになる。

と、
まるで謀ったように美しく。
着地した右足の歯がつるりと前に滑り。
浮かせていた左足は為す術もなく。
全体重に8キロ弱のザックを加えた位置エネルギーが丸ごと運動エネルギーに変換され。
当該エネルギーが臀部を直撃する。

目に火花が散り、頭が真っ白になる。まず間違いなく負傷したという確信を抱く。再び頭が回り始めるまで身じろぎもせず、落ち着いてからおそるおそる体を起こす。なんとか立ち上がり、尻をさすってみる。と、思いのほか、なんともない。そうか、だから尻が軟らかいのか、と妙に納得する。誰にしたらよいかわからないが、臀部の必要十分な脂肪量について誰かに感謝する。

日が暮れ、薄暗くなったところでようやく宿に到着する。道から橋を渡って段差を上がった、奥まったところにある。古めかしい造りで、内装の木材も歳月の経過を感じる色をしている。宿の主らしき老人の細々とした説明を聞く。何が楽しいのか顔がにやついている。「部屋の鍵、あるけど、9割方使えないと思うよ。立て付けが悪いんだ。直したいんだけどねえ。いる?」いりません。

部屋は薄暗くて湿っぽく、鍵はかからないが、こたつの上にはお菓子がたくさん入った器がある。歩き遍路としては大変ありがたい。飴やせんべいなど、地域性も統一性もないそれらをいそいそと行動食用の袋に詰め込む。

夕食には5、6人の遍路客がいる。紫色に髪を染め、白髪とまだらになっているおばあさん。体格のよいヨーロッパ系の人。目の据わった、坊主頭の中年男性はビールを飲んでいる。みんなばらばらに、天気予報などを映すテレビを見ている。

山越え行程をなんとか無事に終え、ほっとする。一度激しく尻餅をつき、また一度足首をひねるこけ方で転倒したが、歩行に支障の出る怪我はなかった。「遍路転がし」がこの程度なら、この先もなんとかなりそうだ。強行軍の疲労に明るい見通しを薬とし、眠りに就く。

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思い立ったが缶詰 → 身体に悪いですね

3/21

求職活動が一段落しました。
結局決まっていないのですが、近い内に岩手を離れます。
暖かいところへ、海の近いところへ。
未定ですが。

前に二度ほど触れたことですが、今は大沢温泉自炊部にいます。
2ヶ月間の歩き遍路を振り返る記事を書こうとして、序盤で止まっていました。
次に動き始める前に、続きを書いておきたい。
今がちょうどよいと思い、今朝二泊を予約して今に至ります。

三日で最後までは恐らく無理ですが、「カンヅメ」がどんなものか、やってみます。
道中書いた日記を頼りに、1年前の旅の記憶を少しずつたぐり寄せていきます。
触媒は我那覇美奈のアルバム「風、光る」から、「月の雫」
四国にいる間はこの曲が、ずーっと、頭の中を流れていました。

写真は自炊部の部屋の窓際。
盆にちょこんとのった地蔵さんの話は、どこかで出てきます。

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3/22追記
現在は二泊目の夜、日付が変わるちょっと前。
食事と風呂以外はひたすら思い起こしながら書いていましたが、集中力が切れました。
9日目まで書き終えましたが、一日中やって5,6日分が限界のようです。
これだと1週間追加でカンヅメやっても足りませんね。

それに座り続けると身体に毒ですね、尻やら首やら、これ以上続けると支障が出そうです。
なので、続きは日常生活に戻ってから、ちまちま更新していくことにします。
これを完遂させないと仕事を始める気にならない、わけでは決してないですが、
遍路の後半ほど体験が濃密になっていくので、記憶が薄れる前にぜひ形にしておきたいです。

上の写真の地蔵さんは香川県に入ってからのことで、やはり登場はずっと先になります。
さて、あらためて「身体賦活をベースにした生活設計」をし直さねばなりません。

図書館から生活思想を立ち上げる

以下で引用した本はウチダ氏のいう「コンピ本」で、ブログに書かれたものを編集者がかき集めて編まれており、従って全文がリンク先で読めます。
NHK職員によるインサイダー取引のニュースが話のマクラになっています。

今回のようなモラルハザードは「ルールを愚直に守る人間たちが多数派である場所では、ルールを破る少数派は利益を得ることができる」という経験知に基づいている。
だから、ルール違反をした本人は彼以外の人々はできれば全員が「ルールを遵守すること」を望んでいる。
そうであればあるほど利益が大きいからである。
高速道路で渋滞しているときに、ルール違反をして路肩を走っているドライバーは「自分のようにふるまうドライバー」ができるだけいないことを切望する。
それと同じことである。
しかし、この事実こそがモラルハザード存在論的陥穽なのである。
「自分のような人間」がこの世に存在しないことから利益を得ている人は、いずれ「自分のような人間」がこの世からひとりもいなくなることを願うようになるからである。
その願いはやがて「彼自身の消滅を求める呪い」となって彼自身に返ってくるであろう。
何度も申し上げていることであるが、もう一度言う。
道徳律というのはわかりやすいものである。
それは世の中が「自分のような人間」ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になるということに尽くされる。
それが自分に祝福を贈るということである


内田樹『邪悪なものの鎮め方』p.149-150
モラルハザードの構造 (内田樹の研究室)

自分がいま興味をもって読む複数の本は、分野が違っても共通点がなにかしらあって、その共通点は自分の関心と深く関係している。
図書館関係の本も定期的に読んでいて、それは僕がこれから就こうとしている司書職と直接結びつくはずの内容を含んでいて、そしてそれらと上記ウチダ氏や中沢新一渡辺京二*1各氏の言葉とが、同じ入口から僕の中に、あるいは違う入口から僕の中の同じある箇所にはたらきかけてくる。

 身の丈に合った生活をする。
  際限のない欲に駆られた消費から遠ざかる。
  自分や自分のまわりの人の必要に基づいて。
 
 過去と未来と親和した今を生きる。
  過去に縛られず過去をないがしろにしない。
  未来をないがしろにせず未来に希望をもつ。

図書館は「消費活動から離れた場」としてこれから重要になってきます。
コンテンツも、人が集まって活動する場としても、生活機能を担う場としても、重要です。
けれど、それらを安心して利用できるのは図書館が「経済とは無縁の場」だからです。
これは「タダだからお得」という意味ではありません。
安い、お得、高コスパ、こういった考え方から解放される、現代では希少な場なのです。
税金を使って自治体が運営するからこそ、こういう場が成立する。
(この意味では、佐賀の武雄図書館は「図書館」とは別物です)

消費が低迷して不況になると「生活」が苦しくなる。
こう言う時の「生活」は、明らかに身の丈を超えています。
というより、そもそも「不況」というものが架空の設定物です。
実体のない、お金の回り方に付された名称。
一個人の身の丈から、あまりにかけ離れた概念。

"世の中が「自分のような人間」ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間"

そのような人間が、必ずしも社会成員の多数派であるとは限りません。
ウチダ氏の「モラルハザードの日常化」の話からすれば、少数派でしょう。
僕は、今の日本がどうあっても、そのような人間になりたいと思います。
「過去をないがしろにせず、未来に希望をもつ」のは、この意味においてです。

図書館は生活思想の面において、先進復古的な(過去と未来が親和した)場になり得ます。

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拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう

拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう

知の広場――図書館と自由

知の広場――図書館と自由

野生の科学

野生の科学

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

*1:イリイチの本の訳者が渡辺氏(とおそらく氏の娘さん)です。なので「氏の言葉」というのは媒介者としての語り口に現れてきます。一文が長く、関係代名詞の構文が日本語としてわかりやすく整理されておらず、ゆっくりと(あるいは同じ箇所を何度か)読まないと分かりにくいですが、装飾のはぎ取られた実直な文章は渡辺氏のものだと感じられます。

スパイス考

昨日、帰りがけにギャバンフェンネルを買いました。

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とだけ書くといろいろと「?」な文ですが(「ファンネル」じゃないのか、とか。いや誰も思わないか…そういえば「宇宙刑事ギャバン」というのがありましたね。古いか)、フェンネルは香辛料です。

さっき作って食べた夕食は「カレーのお焼き」で、作りだめしたカレーのバリエーションとして何度か作るうちに「焼きカレー」(グラタン皿に米+カレーを盛ってチーズ+αをトッピング。そういえば遍路で高知の民宿兼「隠れ家的カフェ」の夕食に出て初めてその存在を知ったのでした)「焼き野菜カレー」(カレーに具はあるが別途にオーブンで焼いた野菜を加える)などいくつか加えてきたうちの一つで、そういえば作りだめした野菜スープの残りにも同じことをしていたんですが、カレーに米と小麦と片栗粉を適量加えてタネをつくり、油を引いたフライパンで焼き上げるもので、今日はタネがお焼き4個分できたので、片面に香辛料を変えて振ることで味の違いを出しました。

その香辛料とはカレー粉にも入っているもので、でも特定種(2種類)を表面に振るものだからその2種の味が引き立ってきて、香辛料の特徴がわかるし、それらがカレーの中でどう引き立つかもわかるという、たいへん勉強になる夕食でした。

そものはじめ香辛料は、自作カレーを「カレー粉を使わずに」つくるつもりで買い始めたんですが、ある時カレーのレシピ本(たしか「レトルトでもこんなに旨い」的な)に「カレーの隠し味ランキング」という記事があって、その中にコーヒーがあるのを見て、常々頭の中にあったもやもやが言葉になったんですが、すなわち「カレーの隠し味にコーヒーがいけるなら、コーヒーの隠し味にカレー(粉)もアリだろう」と、まあ標語的にこう書いたものの実際ドリッパー上のコーヒー粉にカレー粉を振ったことはなくて、要はカレー粉を構成する個々の香辛料をコーヒースパイスとして使えるだろうという発想に至ったわけですが、思えばクミンコーヒーなるものを昔自分で編み出したこともありました。

cheechoff.hatenadiary.jp

…とここまで書いて、上に張ったリンク先の記事を読み返してみると、「コーヒー×カレー」の発想を梨木香歩氏のエッセイを読んで得ていたようです。そうだったのか。

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本題。
カレー粉の成分表を見て「ふんふん、いろいろ入ってるのね」と勉強し、カレーのレシピ本(これはたぶん自分で味付けするやつ)のレシピにある登場頻度とか分量の多い香辛料をチョイスして、クミン・カルダモン・ターメリックから買い始めたのがたぶん数ヶ月前で、それから時々スーパーの調味料棚を通るたびに小瓶を手に取って説明書きを読んで気に入ったらというか気になったら買う(学生時に業務スーパーの肉で一時期食いつないだ時期があって、食材を100グラム単価で価値付ける癖もとい貧乏性が身についてしまって未だ無意識に居座っているため、香辛料がとても高価に思えて一度にたくさん購入できないのです)ことをいくたびか繰り返し、その直近の1回が昨日のフェンネル購入でした。

僕の生活において香辛料は「カレースパイス」かつ「コーヒースパイス」であると同時に「ミューズリースパイス」でもあって、ミューズリーに入れるのはアララ(というイギリスメーカー)の無糖ミューズリー(たしかDELUXなんたらという種類)にカルダモンが入っているのを見て「なるほど」と思って始めたもので、こちらはこちらでけっこうこだわりというか体系ができあがってきていて、いつか記事に書こうとは思っていますが今回は本題ではなく、ここで書こうと思っているのはその上位概念、つまり香辛料そのものについてです。

コーヒーやらミューズリーにいろいろと種類や組み合わせを変えてスパイスを入れてきて、個々のスパイスの特徴がだんだんと見分けられるようになってきたので(最初はクミンとカルダモンの違いもよくわかりませんでした)、ここでひとつその違いを言葉にしてみようじゃないか、と、今晩のお焼きを食べながら思いついたのでした。

が、ここまで書くのに疲れたので、列挙だけやっておいて本題の中身は後半にまわすことにしましょう。

名称 形態 原産国 備考
クミン パウダー トルコ  
カルダモン パウダー インド  
ターメリック パウダー インド うこん
ホァジョー パウダー 中国 中国産山椒
コリアンダー パウダー マレーシア *1
ナツメッグ パウダー インドネシア  
クローブ パウダー (記載なし)  
フェンネル パウダー (記載なし)  
シナモン フレーク インドネシア 瓶にミル付属
バジル みじん切り エジプト  
オレガノ みじん切り トルコ  
セージ パウダー トルコ *2
パクチー みじん切り フランス 香菜(シャンツァイ)

 × × ×

3/18追記

フェンネルの香りが、料理ではなく昔のいろいろな記憶の断片を呼び起こしたのですが、それを言葉にしようとして嗅ぐと、言葉は逃げていってしまいました。
名前がメジャーでないこと、そして代表的な料理がない(というか僕が知らない)ことで料理の記憶が香りとリンクしていないこと、それでも実際はいろんな料理に使われていることが、子供の頃によく行っていたよくわからない施設(ビルの名前は覚えていて、新車売り場にあるような子供の遊び場もあったんですが、何の目的をもった建物だったんでしょう)の記憶に結びつくことになったのでしょう。

というわけで、一つひとつのスパイスについて書こうと思っていましたが、それはやめておくことにします。

以下は、後編として書こうとしたなにか。
構造、メカニズムとしてはあるていど考えられるんですが、
生情報が含まれていないという意味で、今の自分にはあまり面白くないので筆を折りました。


 スパイスは記憶と結びつきやすい。
 ささやかな、うっすらとした記憶。
 断片、印象。
 それはスパイスの特性に因っている。
 引き立て役、下で、あるいは上で支える。

 ある一瞬と共に活発になっていた五感。
 記憶に「色」がつくメカニズム。
 色の質量と明確さは視覚が優れる。
 耳と鼻はそれぞれの曖昧さで脳に刻む。
 色の曖昧さに加えての、意思の曖昧さ。
 無意識に晒されるのは、嗅覚の方が上。
 記憶の曖昧さは相互のリンクしやすさにつながる。
 

*1:豆知識でもなんでもありませんが、SFCバハムートラグーン」にコリアンダーという敵(グランベロス帝国だったかな…)がいた記憶があります。固有名詞の知識が増えていくとへんな所でつながりが出てきますね。

*2:これもゲームの話ですが、SFC「テイルズ・オブ・ファンタジア」では使用により能力値がアップする薬草として出てきます(たしかに薬効がありそうな風味で、風邪を引いた時はコーヒーを飲まないのですが(経験上悪化するので)、治りかけから完治までは薄めのセージコーヒーがなぜか美味しく感じます)。ゲームをやっていた当時は中学生で、「ソーセージとなんか関係あんの?」とか思っていました。薬草ではあと「とうちゅうかそう」というのも出てきて、漢字を全く想像しなかった(だから草だとも思わなかった)のを覚えています。「薬草」という分類は今の僕がしていて、当時は「能力アップのアイテム」という認識だったでしょう。

シューズ補修、ジムあれこれ、ムージル読了

ライミングシューズのソールの補修をしました。
足裏に穴が開き、穴はゴムとプラスチックの下地と足裏接触面の布地を貫通していました。
布地部までの穴は直径約1センチ、ゴム部分は直径約2センチほど。
紫波の店に置いてあった補修キットを昨日買い、今日さっそく使いました。

補修自体は二度目で、一度目は市販のゴム用接着剤と下駄の歯のクッション材(ゴム製、一本歯修行時に使っていた余り)を使いましたが、ジムへの復帰後初日で外れてしまいました。

キットはこれで、粉末ゴムと接着剤を練り合わせて、補修部表面にも接着剤を塗って練りゴムを塗り付けるもの。
Amazonレビューに素晴らしい解説があるんですが、作業が終わってから見たので活かせませんでした…次はこれを参考に着実にやります。
(紙ヤスリの話は店でも聞いていたのに忘れていました…)
で、次回のためにレビューのコツ部分を転載しておきます。引用元は上のリンク。下線引用者。

コツは
①しっかり荒い紙やすりでソールを磨いておく
②アルコールで脱脂をする
③ゴム粉末はダマになってるのでボンドを混ぜる前にしっかりほぐしておく
④ソールにはボンドを薄く塗り広げて半乾きの状態にしておく
⑤ゴムとボンドの分量は規定量よりボンドを少し多くして柔らかくしておくと塗りやすい
⑥ソールに乗せていくようにゴムを広げていく。塗り広げようとすると、ガラス棒について来てしまうので難しい。ソールにあらかじめ塗っておいたボンドに乗せていくようにしていくとよい
⑦半乾きになるまで待ち、ガラス棒で潰すようにしながら平らにしていく
⑧表面が乾燥したら指で表面をならしました。

一晩で乾くとキットの説明書にはありますが、店の人は1週間はみておくいいとのことなので(寒いし)、今週はジムではレンタルシューズを使うことにします。
(二足目は足がきつくて6時間ぶっ通しでは履けないので)


そういえば昨日紫波へはいつも通り図書館へ行きましたが、そのついでに盛岡のジム「ストーンセッションズ」へも行きました。
同じく盛岡のワンムーブもそうでしたが北上クラムボンよりは辛口で、五段階レベル(ピンク、水色、赤、グレー、白)の水色で既にかなりきつかった。
(グレーは「もう少しで神」、白は「神レベル」とのこと)
初級のはずのピンクでもホールド間隔が広く、設定コースは小さい子供を想定していないようでした(恐らくシールのないオリジナルコースがあるのでしょう)。
やってる人を見ていて、強傾斜で「ブラ」(ホールドに飛びつく時に足が離れてぶら下がる状態)がとても多いと感じたのも、間隔の広さのせいだと思います。
そして(特に強傾斜で)壁がホールドで埋まっていて隙間がほとんどないのが、クラムボンに慣れているとなかなか威圧感があります。この点は通い甲斐がありそうですが。
そしてジムの手前の部屋がクラブのようになっていて、DJがいて、ジャズをずっと流していました。
ジャズはいいんですが(北上のジムでほんの時たまかかる絶叫ロックよりは)、どうも頭が空っぽになりすぎる気がしましたが…
無音で登るのも僕は構いませんけれどね。
そういえばワンムーブではふつうのFMラジオが流れていました。北上はたぶんドイツあたりのラジオか有線です。

 × × ×

『特性のない男』(R.ムージル)全6巻を先日ようやく読了しました。
感想等は何もありませんが、読み始めてたぶん5ヶ月くらい経ち、ちょうど新年度前ということもあって、一つの節目と考えています。

春には生活に何らかの動きが、見られるはずです。

動く前に四国遍路回想記を書いておきたいところですが(ちょうど1年前のことで、しかし期間どうこうではなく、「前世の記憶」のような遠さがあります)、きっと1週間くらい大沢温泉自炊部にカンヅメだろうと思いつつ、今日はこれから優香苑へ行ってきます。