human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

8日目:思考即転倒、最長記録更新、遍路宿ネットワーク 2017.3.8

早朝に出発の準備をし、おかみさんに車で昨日の地点まで送ってもらう。「今日の宿はお決まりですか?」「薬王寺の宿坊に泊まろうと思ってるんですが、まだ連絡していませんね」「もしよかったら、知人がやっている宿が日和佐にあるので」お宿ひわさ、という宿の電話番号を紙にかいてもらう。「どうぞお気をつけて」

平等寺に通じる大根峠で、盛大に転倒する。自然道はだいたい無心で歩く。考え事をすると危険だからなのだが、この時ついつい考えてしまった。昨日お参りした山上の2つの寺の名前は何だったかと思い、「太龍寺と…あと1つが思い出せない…ッ」と頭が思い出そうとしたその瞬間に石につまずき、回避動作もできずに体ごと地面に落ちる。無心であればつまずいた瞬間に軸足に体重を戻してつまずいた方の足を別の地点に踏み直す、というこの回避動作を反射的にとれる。それができないことが体が落ちる前から認識され、敗北感を味わう。完敗である。誰が、何に負けたのか? 身体が、頭に負けたのである。身体を主体に歩くことの、なんと難しいことか。

平等寺を出て、アスファルトをひたすら歩く。薬王寺への道は山ルートと海ルートがある。山ルートは単調、交通量が多いが距離が短い。海ルートは町を通るし海も見える道だが、遠くなる。楽しく歩くなら、容赦なく後者である。昨日までは平均して一日に20キロを歩いていたが、今日の海ルートは難所がないものの27キロほどある。冒険だが、きっとなんとかなる。ひたすら歩く。

日和佐の町に入った頃には、身体は随分くたびれている。余計な力を加えないと前に歩けないもどかしさがある。一度止まるともう歩けなくなりそうな強迫感。息も絶え絶えに、薬王寺が先に見える橋を渡っていると、後ろから名前で呼ばれる。かなり驚き、ありうる可能性が1つしか浮かばず、相手の身なりを気にせず問いかける。「薬王寺の宿坊の方ですか?」「いえ。あの、昨日『碧』に泊まられましたよね。…さんから『今日、下駄の人がそちらに泊まりに行くかもしれない』と電話をもらいまして。ここの近所で遍路宿をやっているの者です」なるほど。おかみさんが丁寧に名前まで伝えてくれていたのだ。そして「お宿ひわさ」のおかみさんは、通りを闊歩する下駄の音を耳にして追いかけてきたのだ。「すみません。宿坊が空いてなかったらお願いしようと思っていたんですが、予約がとれましたので」「そうですか、それはよかった。薬王寺はもうすぐですよ。お気をつけて」ありがたいことである。そして遍路宿ネットワークは、密なものなのだ。

ようやく宿坊、薬王寺温泉会館に到着する。ふらふらの満身創痍で受付をする。待ち時間が長く、カウンター前のベンチに座り込んで茫然とする。後に分かったことだが、受付の男性は厨房にも一人で立ち回り、部屋のメイキングも担当しているようだった。部屋数がホテル並みに多いのに、一人で切り盛りしているのだろうか。大変そうだと思うと、夕食のおかずが作り置きの弁当仕様であっても不満はない。もとい、白ご飯のおかわりができれば何の文句もない。ただし、4杯以上という条件が付く。

夕食時に、広々とした食堂で見知った人と再会する。昨日の「碧」で一緒だったおばあさんと、どこで会ったのか「カラス天狗さん」と自分を呼ぶおばさんだった。天狗の話は自分がしたのに違いないが、どうも記憶が混濁している。歩行に集中し過ぎて頭が回っていないらしい。おばあさんは早朝のおかみさんの送迎車に一緒に乗り、自分より手前で先に降りていた。つまり出発は自分が先行していて、すぐ追い越されるだろうと思っていたが道中では会わなかった。聞けば山ルートと海ルートの分岐点付近で迷っていたらしい。たしかにあの辺りは、地図上で交差点に見えたのが高架で下の道を飛び越えていて曲がれない、といった複雑な道だった。

強行の行程でぼろぼろになった足をなんとかしようと、温泉に浸かる。マッサージをして、湯船から上がって歩こうとすると、痺れが手足から始まり、なんだなんだと思う間もなく顔にまで進行してくる。全身がビリビリと音を発しているようで、思わずタイルの上にへたり込む。凄い勢いで血が全身を巡っているのが感じられる。無理が祟ったのかもしれないし、今日の後半で脚絆を締めすぎたかもしれない。脚絆は足首から膝下までのふくらはぎを覆うもので、コハゼという爪形の留め具で大まかに留めてから、生地の上下2ヶ所を紐で結んで装着する。ふくらはぎ全体を適度に、そして均等に締め付けると、歩行中の疲労が軽減される。が、まだ新しいせいか歩くうちに緩んでくるので、日中に一度巻き直すことにしていて、今日はその巻き直しがきついなという感覚があった。きつければ効果は上がるかと単純に考えていたが、血流を阻害していたとすれば締め過ぎであった。これも一つの経験。

ビジネスホテルのようにずらりとドアの並んだ廊下。その部屋の中も広々としている。4人が布団を広げて余りある部屋の隅にちんまりと布団を敷く。空調が天井へ埋め込まれているタイプで、風呂で洗濯した下着を干すことができない。仕方がないので、乾燥は翌日の宿にまわすことにする。

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