human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

23日目:人の温かさ、「守り人」という司書志望の原点 2017.3.23

<23日目> (37)岩本寺→宿(村の家) 22.3km 午後過ぎから雨

(1)そえみみず遍路道
上りは岩が多くて崩れた箇所もあり大変だったが、下りはゆるやかで石もまばら。
テンポ良く降りられて気持ち良かった。今までの自然道の中で一番快かったかも。
頂上で歯を削ったのも○[マル]。

「そえみみず」という音の響きは記憶に残っていて、「寝耳にミミズ」というシャレを思いついたのはここからのはずですが、それはどうでもよくて。

ここで写真を一枚貼ります。
「あっちゃんさんのお遍路道中記」というブログからの転載です。

この前日に僕と(逆打ちなので)すれ違った方で、どうやらその時に撮った写真のようです。

涼しい時期はだいたいこんな格好で歩いてました(厚い生地の服が手持ちがなく、袖なし-半袖-レインコートの重ね着。レインコートは学生時代にチャリ旅用に奮発したゴアテックスです)。
そして花粉症対策のマスク。

懐かしい。
……残念ながらこの出来事の記憶は戻ってきませんが。
(写真を撮られる機会はかなりあって、でもユースホステルの入り口で外国人に囲まれたりとか、寺の境内で中国人に囲まれたりとか、ショックの大きい出来事ばかりが印象強く、まともなやりとりの方を忘れてしまうのでした)

(2)風自遊庵[←接待処の名前]
岩本寺の手前4kmほどのところで接待処でひと休み。
福屋旅館で一緒だったおじいさん[マルヤマさん]も一緒。
宿情報、仁井畔[?]、こめぶた・いもぶた[??]の話、川と魚の話などを聞く。冬は氷点下まで下がる寒いところ。でも米がおいしい。
近くに道の駅があり、寺もすぐそばなのでコーヒーを頂く。うまい。
石坂夫妻がいつまでも元気でいますように。

道中で聞いた話は、遍路を歩き終えてすぐ後ならこのメモでも思い出せたんですが、うーん、全然記憶が出てきません。
字面からして、こめぶた・いもぶたは餌に何をあげたかで味が違うんだ、という話だったのでしょうか。

コーヒーの話の部分は、接待処でよくコーヒーを頂く機会があったんですが、飲むとトイレが近くなるので、近辺のトイレ事情を勘案してお断りすることが何度かあったからです。
好きだし、飲めば元気になるし、毎回悩んだ末に判断していたのですが、焙煎から手前でやったやつとか、もう香りからして間違いなく美味しかろう場合は誘惑に負けたりもしました。

(3)↑[接待処]をあとにして
寄る前はけっこう疲れて足も前に出なかったが、話をした後は軽快に歩けた。
人と喋ると元気が出る、を実感
また雨も降り続いていたが、山をバックに雨を見ながら歩くのも乙と思った。

雨の中を歩くのは、よほど土砂降りでなければほとんど苦ではありませんでした。
菅笠の雨よけ効果は抜群だったし、雨が少し強ければ白衣を脱いで上はレインコート、下もハーフ丈だけどレインパンツもあったし、荷物の登山用リュックはザックカバーで濡れない。

むしろ、雨なのに傘を持たずに両手を降って歩ける、という喜びがありましたね。
もちろん、道は滑りやすくなる(排水溝の蓋なんか元々危険なのに、雨だと誠にデンジャラスでした)ので、山を見ながら歩くなんてのは、見通しがよく、よほど整った穏やかな道だったのだと思います。

(4)待つor守る仕事
自然道を下りてきてから、なぜか仕事のことを時折考えていた。
遍路でお接待をしてくれる方々の中には落ち着いてゆったり構えている人がいて(蔵空間、風自遊庵)、こういう境地はいいなあと思い、この方々は「待つ」「守る」人なのだと思った。
生産性から離れつつ、充実・自足している。

僕はまだ余後[老後?]というほど老いてはいないが、「待つ」「守る」仕事は元々受け身の自分に合っていると思う。
そして具体的には司書のことを考えていた。
あとは言語習得(仏語)&翻訳とか。
住む処は仕事をする地域が決まってから、二の次でもいいかもしれない。
新しい第一歩のためにゆっくり時間をかける(すぐ働き始めることもない)のもいい、等々。

ここで「司書」が出てきて、今読んで自分でびっくりしました。

確かに、道中考えてたなという記憶もあり、遍路道に面して図書館を見つけた時は「入ってみようかな…」と思ったことも確かにありました(もちろん入りませんでした。一本歯で気軽に屋内に寄り道できるほど精神的にタフではありませんでした)。
が、そうか、僕はここで出会った方々の佇まいに惹かれたのですね。
 
待つ人・守る人、というイメージは、遍路に出る前から、内田樹村上春樹梨木香歩の本を読んでいて、具体性は帯びないままであれ、強い印象を持っていました。

内田樹は氏のブログでよく灯台守、センチネル、といった単語を用いていたし(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で、羊が崖から落ちそうになるとさっと抱きしめて内に戻す、誰からも賞賛されないし羊も気付いてすらいないのに淡々とキャッチをこなす青年「キャッチャー」の像は、氏の文章によって深く刻まれました)、村上春樹小説の評論(というか一方的な絶賛文)の中で「雪かき仕事」について繰り返し触れていました。
梨木香歩、と書いて思い出したのは『沼地のある森を抜けて』で描かれていた灯台守。
いや、梨木氏の他の作品でも、灯台守のような「境界を守る人」が、静けさと共に魅力的に描かれていたと思います。
マジョリティから境界に弾き出され傷ついた若者を、受け入れ、自覚の促しによって癒す「境界人」。
西の魔女が死んだ』、『僕は、そして僕たちはどう生きるか』など。

…本の話は止まりませんね、戻りましょう。
 
このブログに、司書のことを「本を守る人」という表現で何度か書いていました。

もちろん、図書館にいる司書は、利用者のために最善を尽くす存在です。
けれど、何を「守る」かと言われれば、利用者ではなく、やはり本なのです。
そして司書もまた、「境界を守る人」であり、ここでいう境界とは、一冊の本という異世界の入り口のことです。

だから、僕のもつ司書の「利用者に最善を尽くす」というイメージの本質は、本を読んでみたいと思ってくれた人を、その異世界の入り口まで案内すること。
そこはあくまで「境界」であり、マジョリティから離れた場所、当人に知悉された生活空間の縁(へり)です。

その本を読む者は、その入り口を進む者は、ただ一人だけで、行かねばならない。
本の内容に関係なく、姿勢として。

司書ができるのは、その結果の保証ではなく、そのプロセスの充実を身を以て示すことだと思っています。


そういえば(という言い方もあんまりですが)、図書館で働き始めて3ヶ月半くらいになりますが、僕が司書に対して抱いていた上記のようなイメージは、特に変わっていません。
それは、おいおい変わるのかもしれないし、新しく何かが付加されるのかもしれませんが、よくわかりません。

(5)岩本寺にて
本堂の天井絵がスゴかった。油絵? 一枚一枚に年季が入っており、独特の蓄積が感じられた。

この天井絵は覚えています。境内が砂利で、雨が降っていて、ええと……(以上)

(6)宿にて
↑のおじいさんと再び同宿。夕食時に色々話す。
田舎では線路の上をふつうに歩ける、
[昔は?]列車のトイレは[外に?]垂れ流しだった、
昔はゲタの鼻緒のうしろの部分も自分でさげた(布and麻紐を使用)、
道路坑夫と線路坑夫、乞食はよく線路の上を歩く、
JR四国・北海道の苦しい経営、
へんろ宿&接待してくれる方々のありがたさ、等々。

ホントいろんな話してるなあ(笑)

所感:
歯を削る&道の右側を歩くようになって、ペースが上がり歩きやすくなった。
あとは[足裏の]マメが治ればいうことなしなのだが…
これはじっくりやるしかない(バンソウコウはなくなりかけたら買おう)。
沢山話せたおかげだと思うが、まだまだ歩けるよ!
精神的にも、肉体的にも。

足裏のマメは、ゲタの交換時にできたものです。

ゲタに慣れれば、鼻緒が足にフィットしてさえいればマメなんかできないのですが、ゲタの交換というのは、履物屋さんが宿に送ってきてくれたものを新たに履くわけなので、初期状態として鼻緒の締め具合が自分の足にフィットしていない。
それでも最初はなんとかなるかと調整しないで歩き始めるんですが、やはり痛くなってきて、何日かあとに自分で鼻緒を調整することになる。

そのために、クジリという針の根元が太いアイスピックのような道具を携帯していました。
あとは麻紐と布、それからネットで調整方法を調べた時に使えるよと書いてあった、ワッシャーも持っていました。
麻紐と布は、鼻緒の元々の紐が切れた時の応急処置的な代替品で、全然長持ちしないので、新品下駄に交換できる前の数日はそのたびにかなり苦労しました。

このあたりの記述はおいおい出てくると思います。