human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

22日目:ヤスリで朴歯を削る 2017.3.22

 
(久しぶりの更新なので記述に関する説明。引用内の文章は遍路旅の道中に書いた日記をそのまま転記しています([ ]内は現在の追記)。引用の外の文は、それを今の僕が読んで思いついた内容です。当時の記憶はほとんど定かでないので、回想に届いてない感じですが…… 以前の記事はタグ「四国遍路回想記」を参照して下さい)

この日も下駄の記述が大変多いです。

<22日目> 大善寺→宿(福屋旅館) 14.5km

(1)[焼坂]峠にて
木の根と石・岩と落盤箇所多数で大変。砂利道も含めればキョリが長かった。[以下はふつうのアスファルト道の話]また左側が路肩の道がほとんどで(高知ではずっとそうだ)、斜め歯との相性が悪くてカニ歩きも多かった。

「斜め歯」は、この写真の状態のことで、歯の削れ方が両足とも左側で激しく、平らな地面に立っていても体が左に傾いてしまう。こんな状態で道の左側の路肩(道路は幅方向がかまぼこ型になっているので左側は左に傾いている)を歩くと、普通に歩くだけで左にコケてしまうので、カーブなどの傾斜が特に激しいところではカニ歩きを余儀なくされた、ということです。

途中で歯の斜めっぷりに危険を感じて切削を試みたが、その辺の石を先人に倣って(どんだけ昔だ)打製石器として使った時に、歯裏に対して真上から研がった[尖った?]部分を打ち下ろすと朴歯がタテにヒビが入ってしまった! 幸い歯の端の方だったので応急処置をして(ヒビが進行しないよう裂けた断片の方の木の先の方を削った)先へ進んだが、危惧していた下りで落ち葉(と石?)に滑ってコケた時にヒビが根元まで進行して完全に裂けてしまった(たぶん裂けたからコケたのではない)。台に刺している部分は損失部が少ないので継続してはいているが、何かが起きてもおかしくない心積もりはしておく。なので3足目の購入はも少し先延ばしできそう[←?]。

上の写真の、左端に移っているヤスリは道中あったコーナンで買ったもので、「斜め歯問題」が深刻化する前に入手して、この写真を撮った時のような休憩時に、歯底を水平に戻すべく削っていました。

が、いかんせん朴歯は丈夫で削れるのが非常に遅く、腹も減って大変だということで(というか面倒臭くなって)打製石器ソリューションを試みた時の記述が上の通りです。
まあ、木の目の方向からして、亀裂はタテに入りますわな。
頭カラッポで歩いている(考え事してるとコケるからこれは仕方ない)だけに、回した頭が猿知恵レベル。

この日記を書いてるのはこの日の夜の宿のはずですが、最後の一文も意味不明です。
歯のヒビが台座の根元まで進んで、さいあく、歩いてる途中で歯が台座からボロッと取れかねないという状況で、じゃあ当然次の新品を早く手に入れた方がいいはずなんですが、「心積もりをしたから大丈夫!」だったのか?

危機管理も猿以下ですね。

(2)3足目の検討
歯の減りが激しいが、まだ歩けるし、ヤスリを使えばわりとまともに歩ける。[歩くスピードが]遅くはなるが、一本歯も身体の一部と考えて、「快適に歩く」より「十全に歩く」=使えるものは使えるところまで使う、を基本方針としよう。

「一本歯も身体の一部」はほんとうにその通りです。
でも「十全」の使い方がおかしいような。

(3)宿にて
同宿は東京のおじいさん(1回目[←遍路行が])と、ギフ[岐阜]のおじいさん(区切り、徳:2 高:3)。「こういう旅は若いうちにやるのと年とってからだと全然違うのだろうね」と言われる。ふむ。あと「愛媛はヘビがよく出る」らしい。そうですか。

所感:
焼坂峠がキツかったがこれが一本歯のダイゴ味でもある。明日も峠越え!

途中にある略称は「区切り打ち」のことで、一度で歩き遍路を通す時間がとれない人が、何度かに分けて行く(打つ)こと。
徳島を2回で歩き終え、この日僕と同宿した時が通算5回目の区切り打ちだったという意味です。
 
この岐阜のおじいさんとは縁が深かったようで、道中、後に二度出会ったようです。
名前もメモしてあるんですが、小さすぎて(あと汚すぎて)読めんな……
と思って、写真に撮って拡大したら読めました。
マルヤマさん。
茶文字には「翌日宿と足摺[岬]打戻り時に会う」とあり、後者の記憶は今うっすら蘇りました。

打ち戻りというのは、たしか、足摺岬へ行く遍路道が(地図でいう)輪っかになっていて、往路と復路は別の道なんですが、復路が最終的に往路に合流して、同じ道を逆に歩く行程がいくらかあった(その近くに遍路宿があるので、人によってはそこに二度泊まることもある)と記憶しています。

で、マルヤマさんとは間近ですれ違って「やあやあ前に会いましたね」というのではなく、その、ちょうど往路と復路の合流地点でニアミスしかけたところ、つまり僕が合流地点を過ぎて往路をちょっと歩き始めたところでマルヤマさんが復路から合流地点に戻ってきたところで、彼がゲタの音に気付いて僕を見つけて「おーい」と声をかけてくれたのでした。
なかなか劇的な邂逅(しかもこれは3回目)で、お互いものすごくテンションが上がったのを覚えています。
 
こういうことは歩き遍路では何度もあって、事あるごとに「縁」の力というか、巡り合わせの妙を感じ、またそれへの信頼が増していくのでした。


今読み返すと恐ろしく判読困難。
こんな字になったのは、小学校の頃折り紙の裏にちっこい迷路を休み時間のあいだ描きまくってたからです。
すぐに読み返す前提の汚さなので、時間があいちゃうと、ホンマに分からん。


あ、ちなみに当時リアルタイムの小日記的記事のリンクを張っておきます。
この頃はガラケーで、写真を添付して、メールに記事本文を書いて、ブログ投稿用アドレスに送っていたのでした。
cheechoff.hatenadiary.jp
ガラケーかあ、懐かしいな。
スマホを一度持ってしまうと、隔世の感ですね。
遍路なんて、もう十なん年前くらいの感覚ですが、あれからまだ五年半しか経っていないようです。