human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

18日目:二種類の素朴、必然性の伝播、遍路トイレ事情 2017.3.18

<18日目>
(30)善楽寺 〜 (32)禅師峰寺 → 宿(えび庄)
22.5km(+サンダル2km)

(1)初のサンダル[=スポーツサンダル]スタート

身体がぎこちない、フワフワした感じだった。
[サンダルから]ゲタにはきかえるとシャキっとしたような。
出発前の夕方のゲタ歩きのような「ゲタからはきかえると体スイスイ」とは逆になった
身体がゲタ歩きモードに定着したか。
もしかして夜あまり寝れなかったのもこれと関係が…?

下線部は今自分が読んでも意味不明ですが、だいたい以下の内容です。
 
普段の靴歩きに慣れていると、天狗下駄はどうしても歩きづらい。
だから下駄から靴に履き替えた直後は、先の身体運用の不自然さから解放されて軽快に動ける。
それが、旅を始めて(つまり下駄を一日中履き続けて)18日目のこの日に感じたのは、その一般的な感覚とは逆に、歩きやすいはずのスポーツサンダルから一本歯に履き替えると身体が「シャキッとした」、身体性の賦活をまざまざと感じたようだった、ということ。

武道には「身体の動きに制限をかけることで自由を獲得する」という稽古思想がある。
ここでいう自由とは、「身体運用の自由度」を意味します。
身体の特定部分の動きを制限する(例えば、歩く時に腕を振らない)ことで、通常の生活動作では用いられない身体部分(たとえば体幹)を動員し、活性化する。

一本歯歩行はこの意味で、普段使わない身体のいろんな部分を活性化させるのでしょう。
そうして身体全体が動作に動員されていることが、身体にとって快感である。

という論理に力を与えてくれたのがこの経験だったように思います。
 

(2)昨日の話
そういえば(28)に着いた時に坂を登る途中ですれ違った団体歩き遍路の先頭の先達さんに「しっかり修行してはるなあ」と言われた。
通じる人には通じるのだ。

日記には参拝したお寺の記述がほとんどありませんが、このようなお寺での出来事を振り返ると、その場所の情景が浮かんできます。
ただ、それを説明する語力が自分にはありませんが…
風景描写に興味がないわけではなく、小説ではそういう場面を読み込んで頭の中に詳細な絵を思い浮かべるのですが、自分が風景について書くことがほとんどなく、その能力も信じていません。

なぜでしょうね…昔は「自分は理系だから」とか思っていた気もしますが、それは全然関係ないし、今は自分のことを文系(換言すると「右脳優位」)だと思っています。
…ん、もしかしてこれか?

まあ、今ここで考えることでもありませんね。
 

(3)竹林寺にて
中国人観光客の団体に写真をとられる。
座って[休んで]いたところを囲まれ「ゲタはいて」と。
太い神経。

こういうことは道中よくありました。

だいたいは集団でいて、加えて観光目的でいる集団ほど傍若無人である。
自分を客だと思い込めば、自分の周りのものは全て自分に奉仕するためにある、となる。
消費主義の極致にある感覚ですが、悪ではなくて素朴なだけですね。
 
僕は無垢とか素朴という性質が好きなのですが、ではどんな場面でもそうかと言われると、当然そんなことはない。
「システムに毒される」という言い方でもいいのですが、人がある価値観や状況に覆われると、その価値観や状況に無意識に従った結果の振る舞いが無垢や素朴として現れるわけですが、これに対しては、今ここで書いているような思考を経ることでようやく彼の無垢・素朴を「そういうものだ」として受け入れられるものの、その場での直感としてはまず不快になるわけです。

ではその直感は何に基づくのかと言われれば、人間性とか道徳という話に…
少し違うな、「相手が自分を一人の人間として見ているか」ですね。
あるいは、目の前の人間(僕のこと)に対する判断基準を集団(あるいはシステム)に委ねていないか、という。

そうすればもちろん楽だから、そうする人がほとんどですが、それによって何が失われるかというと、「今自分がいる、その場に感じる必然性」です。
場の必然性が薄れると、同時に、その場にいるその人自身がそこにいる必然性も薄れる。
「必然性」は(裏返して言えば「偶然性」は)、そのようにして連なっています。

よく混同しがちですが、これは因果関係とは別の問題です。
 

(4)またコケる
竹林寺の下の歩き遍路道が岩だらけで、[迂回できる舗装道があったが]サボらずに端[←岩同士の隙間]を狙いつつもまともに下りたが(そういえばヒザの調子は鶴林寺太龍寺で痛めてからしばらくの頃よりは回復した。ちびりゲタのせいも多少あったのだろう)、岩の隙間を伝う間に[花粉症用の]目薬をさしてないことを思い出し、あーと思う間に右足を踏み外した。
目では着地先をちゃんと見ていてこうなる。
再度思うが、わかりやすくてよい

日記に何度か出てきますが、個人的にこの手の逸話がいちばん好きです。
というのも、一本歯歩行が無意識のうちに敢行されていることを如実に示すエピソードだからです。
 
岩を踏むと朴の歯が滑って危険なので、岩と岩の間のわずかな土の部分を狙って、一歩一ごとに「狙い踏み」をします。
が、それを一歩一歩、細心の注意を払って慎重にやろうとすると、歩くのがむちゃくちゃ遅くなる。
加えて、神経への負担も甚大である。

旅の序盤の自然道では、ある程度このような慎重さをもって歩いていましたが、どこかの段階で吹っ切れたのだと思います(第一の遍路転がし「燒山寺越え」の後の下りでハデにコケてからじゃないかな…)。
やけくそで始めた無謀さが、適度な(というか異常な)集中と無心の境地をもたらした。
 
旅の後半だったと思いますが、草がボーボーで岩がゴロゴロ転がってる下りの山道(下りは踏み込みに勢いがつくので本当に怖いのです)を軽快かつ豪快に歩いていて、水分補給か何かの理由で立ち止まってから、さあ出発だ、と一歩目を繰り出すために足元(の荒れ放題の地面)を冷静に眺めて、とてつもない恐怖と、無意識的身体運用の神懸かりな精緻さとを同時に感じたものでした。

冗談ではなく、命が懸かっていたからこそ、可能だった芸当なのでしょう。

昔の遍路では、旅のお供の金剛杖が、道中行き倒れた時の墓標代わりになったそうです。
…これ以上は言わないでおきましょう。
 

(5)トイレの有難み
できるとこでしておこうと改めて思う。
竹林寺で面倒がって行かなくてその後ずっとガマンしていた。
トンネル前の会社のトイレを見つけた時は「救世主!」と叫んだ(ウソ)。

実際に叫んではいませんが、叫びたくなったのは本当です。
ちょっと涙ぐんでいたかもしれない。
 
四国遍路の「お接待」の形はいろいろあって、道中でなにか(食べ物など)を頂くとか、休憩所を設ける(日中にボランティアの人が常駐しているところもあります)とか、その休憩所にはっさくが置いてあるとか、まあいろいろあるんですけど、この「トイレ」もその一つです。

人里まばらでトンネルがいくつか続く、普段歩きの歩行者があまりいないような車道の遍路道だったと思いますが、トタン屋根の2階建の事務所の一画に、「お遍路さんお使い下さい」といった看板が掲げられたトイレがありました。
もちろん社員用であって公衆トイレではなく、この近辺の遍路道にトイレがないことを知っている経営者が善意で歩き遍路に開放している、ということです。
 
歩き遍路のトイレ事情は本当に切実で、特に「ちょっとそのへんで」が気軽にはできない女性には深刻な問題です(いや、山道とかの場合ですよ)。
歩き遍路同士の会話では定番のテーマで、あとは類似のものとして「ウォシュレット問題」もあります。
明日泊まるあの宿にはあるか、いや実はないんだ、といった会話が食堂での夕食時に、お互い真剣な表情でもって交わされるわけです。

僕がその話題に混ざったことはありませんが。
 

(6)小学生たち
宿の手前の直線で下校する小学生4人組に囲まれる。
話をしながら下校につき合う。
「大人になったらゲタはいてやる!」と威勢の良い男の子。
これで修験道魂は引き継がれた、か?(ウソ)
一人が「はいてみたい!」と言い、足が小さいと答えると他の子一人が「私は?」と聞いてくる。
素朴さがいい。

港町のような、半島のような地域の一軒家がこまごまと並ぶ、こじんまりとした街の中で細いながらもすらっと延びる道だったのを覚えています。
 
ここの「素朴さ」のことですが、

「子どもには足が小さいからこのゲタは履けない」と一度聞けば、論理的な思考に従えば直接言われなくとも「自分にはムリだ」と周りの子どもは理解するわけです。
ところがそういう思考とは無縁で、「このゲタのおじさんが(私には)『いいよ』と言えば履けるんだ!」、あるいは「あいつにはムリと言ったけど私はまだ聞いてない」、それかまあ単純に奇妙な異邦人と喋ってみたいという好奇心の発露だったのかもしれません。

このちょっとしたやりとりに、人間味のようなもの(むしろ「動物的コミュニケーション」の方が正確か)を感じて、ほっこりしたのでしょう。

同じ日に、団体観光客にサル扱いされてもいるし(そこまでは思いませんでしたが)。
 

(7)宿にて
[この日の]同宿がオーストラリアの老人(歩き遍路4回目)とヨーロッパ(たぶん)の老夫婦(1回目は自転車?[←字が汚くて怪しい]で今回が2回目)、自分以外が外国人という初めての状況。
夕食に英語で会話したため落ち着かず(笑)。
老人は3回目の結婚が2周り年下(27才?[←己の英語力不足起因の疑問符。以下同])の日本人女性で、3年前?に肺ガン?で亡くなったそうな。彼女は日本、彼はタスマニアと別々に住んで、とても上手くいっていたそう。東京には沢山友人がいる。
[その老人とは](32)で会っていたが、下りで彼に抜かされた後彼はショップで買い物をしている間にこちらが先に[宿に]着いたようで、"Amazing speed!" とびっくりしていた。さいご(88)の山[←大窪寺に至る道]は急勾配で岩だらけだがゲタで大丈夫か?と心配された。…その時考えよう。

所感:
今日はいろいろあった。
さいごの「えび庄」が(電話で予約した時に若干心配だったが)いい宿でよかった。
おいしいご飯とおフロで文句なし!
新ゲタの調子もまずまず良いし(左足指が行程終了後はシビれ気味なのはやはり鼻緒の締め付けのせいだろう)、3日後の32km行程も不可能でないかも。

宿の主人が多少無愛想だった、のかな。
あまり覚えていませんが、主人との間の通訳を含めて、同宿の外国人とはいろいろ喋ったようです。
 
やはり遍路を歩く外国人は、日本と何がしかの縁をもっているのですね。

外国人から日本についての話を聞くと、最初は何か誇らしげな気分を味わうものですが(この時点ではまだ内向きな価値観が主となっている)、その経験を重ねるにつれていつの間にか、外から日本を眺める立ち位置にいる。
その経過はつまり、異文化を生活レベルで見聞するようになる、ということですね。

僕自身が外国に行くのは旅行ではなく滞在がいい、と思う理由はここにあります。
まだ日本を出たことはなくて、きっかけなしに行きたいわけではありませんが。