human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

24日目:忍耐の日 2017.3.24

<24日目> …→宿(民宿白浜) 23km

(1)ギフのおじいさんと再会
朝は自分より早く出たのに、国道から自然道(歩き遍路道)へ入る所で待っていた。
自然道を通り切ってから曲がる方向を間違えて車道を戻ってきたらしい。大変……
少し喋ってから別れる。

読んでなんのこっちゃ、と思ったので地図を参照しました。
すると「なるほどなあ」な感じだったので写真を載せます。

右から左へが進行方向で、赤実線と赤点線が歩き遍路のコースです。
(白塗りは道路で、薄黄色塗りは車輌の巡拝道だそうです。そうだったのか…)
赤点線は道路から外れていますが、これは自然道を意味しています(舗装されている箇所もあるが、歩いてしか行けない)。
地図の箇所は、車だと車道に沿ってウネウネ進むんですが、歩きなら自然道を選べばカーブを無視したショートカットができる。
(地図に緑ペンで「トンネルの上を通る」とあり、ここを見てこの自然道の記憶が少し蘇りました。トンネルを跨ぐんで当然アップダウンがあり、ちょっとジャングル的に生い茂った舗装なしの道だった。距離は縮むけどそう楽でもなかったような)

以上の前提で、日記の内容をわかりやすく書き直すと…

 おじいさんが宿を先に出たのに、僕とおじいさんは水色丸の場所で出会った。
 おじいさんはショートカット自然道を選び、紫丸の合流地点で車道に戻ったが、
 そこで間違って右に曲がってしまい、ウネウネカーブを戻って再び水色丸に来てしまった。

というわけです。
地図が若干分かりにくいのもあるけれど、まあよくあるトラップですね。
 
出発前に地図を丹念に読み込んでその日の遍路道をイメージしていれば、間違った道を進んでもすぐ違和感に気付いて修正できる……というのはやはり理想論で、だいたいがみんな無心で歩くので、目立つ目印に遭遇するまで気付かない方がふつうです。
一度通った場所に間違って戻ってきても、見る方向が逆だから全然気付かない、なんてこともあります。

でも、宿に泊まって部屋でやることって、日記書く以外は地図を眺めるしかないので、毎晩ガッツリ読み込むのところは本当です。

(2)ゲタの具合
最近は左足に負担がかかっている。
[両足のゲタのうち]鼻緒がキツい方を[左足で]はくと力を使ってしまうし、逆をはくと歯がナナメなので平地ですら負担がかかる。
後者[の組み合わせで履いて、歯がナナメの方のゲタの歯]を削るのがいちばん左足に負担がかからない方法なのかもしれないが、左足を休憩ごとにちゃんと(足先の)マッサージをすれば前者と左足のペアでいける気がする。
朝の歩き始めが日に日につらくなっているが、これも修行か。

足がダメになって歩けなくなったら即リタイアなので、必死でした。

宿では風呂や温泉に入るたびにマッサージをしていました。
そして可能な時は一晩で二回入ることもしていました。

この二度風呂、宿坊やホテルの温泉だと支障なくできるんですが、個人宅に近い民宿ではお風呂の時間が決められていて、できないこともありました。
それでもこちらは歩き遍路の生命線である身体が懸かっているので、主人や女将さんに交渉をして、オッケーがもらえることが多かったのですが、一度だけ、女将さんに怒られたことがありました(このことは20日目の回想記に書いてあります)。

これも修行か。
その通り。

(3)ずっと国道を南へ[?]
歩き[遍路]道に入り損ねてけっこう長く[国道を]歩いた。
歯裏も二度削った。
歩き××[←判読不能]なる。

所感:
今日は忍耐の日だった。明日もそうなりそうな……

これも地図を見ると分かるんですが、車道と歩き遍路道がときおり交差しながら川沿いを同じ方向に進む箇所があって、間違って車道をずっと進んでも遠回りにはならないんですが、自然道(舗装されてなければ)のほうが膝への負担がマシなのでそちらを選べばよかった、という後悔を書いています。
「南」はよくわかりません。
あるいは「筒」なのか? ホント汚くて読めない(>_<)

宿についての記述がありませんが、それだけ足に気を取られていたのかもしれません。
 
cheechoff.hatenadiary.jp
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