16日目:宿に新しい一本歯が届いた日 2017.3.16
引き続き、当時の日記を抜粋しながら振り返ります。
<16日目> →宿(サイクリングセンターいわや宿) 15km
(1)遅めの出発
[歩く予定の]キョリが少なかったので明日以降の予定を朝に立てる。
上限25kmだと宿選びが難しい...ゲタを替えて歩行キョリが延びればやりやすいが。
四国遍路の道程にある遍路宿は、遍路が一日歩いてたどり着ける間隔に点在しています(もちろん結果として、だと思いますが)。
普通の人なら3km/h、健脚なら4km/hで、一日10h歩くとすれば30-40kmが、歩き遍路の一日の行程の上限。
一本歯だと普通の人よりスピードは遅くて、しかもこの日は歯が削れて極端に短くなっていたので、前数日の結果から現状の歩行速度は2.5km/hと算出したようです。
(2)ゆるい行程のおじいさんと喋る
安芸市バス待合所前にて。
大阪で奥さんと待合せ。
この人も停年[ママ]退職後に歩き始めて2回目。
10回目くらいから「飽き」がくるらしい。
だがそれとは関係なく、歩き続ける。
「この人"も"」というのは、遍路は圧倒的に年配者が多く、その大半の方が定年退職ののちに始めるからです。
私見ですが、年配者の比率は歩き遍路より外部動力遍路(バス、車)の方が高い。
ちなみに自転車遍路は若者が多いはずで、それはたぶん自転車遍路文化じたいが最近のものだからでしょう。
また「らしい」とあるのは、この人の体験談ではなく道中出会った先達さんの話なのだと思います。
(3)高知市内から歩きに来ているおばあさん
東野[←誤字の可能性あり]休憩所〜琴ヶ浜間の往復8キロを毎日?歩いている。
前に日本2周&四国2周で1万キロ歩くおじいさんと喋ったことあるそうな。
あとは百名山を登りながら日本一周している有名人?とか。
色んな鉄人がいますね。
なまりがほとんどなくて会話がまともに成立した。
たぶん休憩所の世話役のおばあさんのことだと思います。
「鉄人」の話は、遍路中で出会う歩き遍路や宿の人から数多く聞くことができます。
言い方を変えれば、彼らはみなアウトサイダーです。
誰もしないこと、しようと思わないことをする。
ある目的をもって、または傍目に何の目的もなく。
アウトサイダーの一員として自分が思うのは、四国遍路自体はもちろん長く引き継がれてきた文化なのですが、個人のスケールでいえば歩き遍路にとっての歩く理由はかりそめのものです。
軽重の問題ではなくて、歩く理由はその機能として「きっかけ」であると。
己の行為に孤独がつきまとうのがアウトサイダーの宿命ですが、遍路文化はその孤独をとても広いところから柔らかく包み込んでくれます。
どんな境遇であれ人生のどこかのシーンで人は孤独に陥る、しかし孤独であるからこそ、その孤独を癒す存在に胸打たれる。
四国遍路が人生の縮図、あるいは「第二の人生」だというのは(いうのかな?)、そのようなフラクタル的な相似があるからで、だからこそ一度歩いた人は、発見を通じて元の人生に帰りもするし、心機一転別の人生を切り開きもするし、「第二の人生」に居場所を置き換えもするのでしょう。
(4)鼻緒
麻紐3重ver.が切れたのでシンプル手ぬぐいver.で修理。
どうもワッシャーの輪っかの角が立っている部分でこすれて切れ[てい]るような気がする。
新しいゲタもあまりワッシャーを使わない方がいいかもしれない。
手ぬぐい鼻緒も一度穴(車止めの柵or棒を抜いた状態のもの)に落ちて回避動作をした時に一部(というか大部分)裂けたので再度調整した。
昨日から思っていたが、鼻緒調整時に(だんだん伸びるのを防ごうとして)思いきりひっぱるのはやめよう。
麻紐や手ぬぐいの仮留め時もそれで切れてしまったのだから。
仮留めはあくまで「つなぎ」、のびたらその都度対応。
鼻緒というのは、下駄の板にあけた3つの穴に紐(つまり鼻緒の布材)を通して結び目をつくることで、板上面における紐の張りを出しています。
本物の鼻緒は履物職人さんがクジリや槌を使ってズレや伸びが最小限となるように結び目を作って穴に埋め込むわけですが、素人作業ではそうもいきません。
結び目の締めがゆるいと、履きながら結び目が締まっていって鼻緒の実効長さが伸びてしまう。
一方で、その伸びを嫌って結び目をきつく締めすぎると、素材が傷んで、使い始めた早々に切れてしまう。
穴での紐の固定に結び目だけではなく、紐をワッシャーに括り付けてワッシャーを穴止めに使うという技は、遍路の出発前にネットで調べて、何度か試し歩きをして大丈夫そうな感触を得ていました。
それが、まあ素材が悪いせいもあるが道中で立て続けに短時間で紐が切れる自体を反省して、ワッシャー起因を思いついた。
平べったいドーナツ形の金属部品であるワッシャーは、その外縁・内縁にフィレット(面取り)が施されてはいますが、やはりそれなりに鋭利ではある。
ワッシャーで穴止めした下駄で歩いている時に紐の固定部で起こっていることは、喩えれば、強く張った紐にペーパーナイフの刃を当てて前後に動かすようなものです。
そらまあ切れますわな、というお話。
(5)料理おいしい
宿で肉が出た(ローストチキン)。
ほかもご飯に合うおかずばかりで、[白飯が茶碗]4杯。
満腹感がコワれているかも。
そしてこれを書いてる今[←たぶん同日の宿で寝る前]は空腹なような...
おいしく食べれればそれでいいか。
高知では宿の食事につねに「かつおのたたき」が出てきた印象が残っています。
だから殊更「肉」に喜んだのでしょうか。
所感:
待ちに待った[下駄の]新品が届く。
ここ2,3日のちびたゲタでの苦行がどういう結果につながるか...
歩き方を考えないといけないハズなので最初は調整ペースでゆっくり行こう。
今日も忍耐の一日でした。
鼻緒の心配をしながら歩くのは精神・体力ともに消耗が大きいので、仮留めもしっかりするべし。
海辺の同じような景色続きは明日から一度変わる、のかな?
歩きに余裕があれば何でもいい気も。
あと歩き方変更に伴って足の痛む部分も変わるはずなので要チェック!
ゲタが届いた時の写真は当時リアルタイムで上げてあります↓。
16日間歩いたゲタの凄まじい削れ具合がわかります。
だいたいがアスファルトの上を歩く仕様じゃないですからね。
京都で修行していた時期は、ゲタの歯に保護用のゴム材をつけるかどうか迷いました。
履物屋にそれ用のゴム材があって、耐久性もなかなか、凹凸がついて滑り止めにもなると、使用すればいいことづくめなのは実際にそれで試し歩きしたので分かっています。
それでもいざ本番で保護材を使わなかったのは、地面の感触が朴歯から直接伝わる「足裏感覚」を大事にしようと思ったからです。
歯底のゴムによって、安定感は増し滑りにくくなっても、「この瞬間に足が何を踏んでいるか」がわかりにくくなる。
そのことは、身体がバランスを崩した瞬間に「こける態勢」をとりながらこける、という一本歯歩行の危機回避術にとって、致命的なマイナスとなる。
山道で落ち葉に隠れた石ころを踏んづけたら、滑り止めもクソもありません。
…というのが現実的な理由。
もう一つの理由は、「地面の感触が鋭敏なほうが歩いていて楽しいから」。
いわば、芝生の上を裸足で歩くか靴で歩くか、と同じこと。
実際のところ、とことん歩くために歩く歩き遍路にとっては、後者の理由の方が重要だったと思います。