human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

27日目:「八百万の神」のみぞ知る 2017.3.27

<27日目> …→宿(ペンション サライ) 20km

(1)砂浜を歩く
大岐の浜。
当然ながら歯が埋まるので脱いで裸足で歩く。
砂の感触が足裏に心地良い。
波打ち際で水がうっすら張ったところに空が映って清々しい。
親指タコの傷が心配だったが結果的にこれは大丈夫だった。
帰り(←打戻り)は「川越え」をやってもいいかも。
入り口は分かっているし。

砂浜に遍路道があり、その砂浜領域の中にも分岐があったのだと思います。
浅い川をざぶざぶ歩いて渡るか、迂回して砂浜続きの道を歩くか。
行きは迂回コースをとったので、帰りはざぶざぶやっちゃおう、という意気込みですね。

(2)歯の切削改善
クジリのハニカマイズ[=歯底に刺して蜂の巣状にすること]を、真上からでなく斜めから(3方向)やる。
今日はチェックインより早めに宿の前に着いたので翌日のために歯を削っていて思いついた。

朴の木はかなり丈夫で粘り気もあり、上から突き刺すだけだと「削る」というより「押し込む」感じになってきて、目が詰まって手応えが硬くなってゆく。
だから、斜めからも突き刺して、削り取るというか、引きちぎるというか。

一日に二時間以上この作業をしてた日もあったはずで、この「突き刺す感覚」は忘れようがないくらい手に残っていますが、ホーンマどんだけ丈夫やねーんと自分で削ってる時は思ってても、歩いてるとアスファルトにどんどこ削られていくんですね。

脚の筋肉は腕の3倍(これはボルダリングでよく聞く話)、どころではありません。

(3)ゲタと足の具合
毎日切削してわりとそつなくやってきていたが、そろそろ歯が短くなってきた。
左足の[下駄の歯の]ナナメ具合はまだ許容範囲だが、かかとと足首の間の部分がけっこう痛い。
歯が短いところ[の真上にあたる足部]に負担がかかるようで、今日の午後に3足目を注文。
明日の宿(くもも)で受取れるので、[下駄が届いたら]早速鼻緒調整をしよう。
一足目は出発前練習&16日もったが、2足目は12日だった。3足目はナナメにならないよううまく使おう。

一本歯は鼻緒が足にフィットしていれば、長時間歩いても靴擦れのような不調(足裏のマメや鼻緒が擦れての皮剥けなど)は起きないんですが、自分の足で試さないですげられた下駄を履けば、まあまずフィットしない。

それを2足目が送られてきた時は無精をして(違和感が大きくなったら調整しよう、みたいな)、足の不調や歯の早期消耗(踏み込む時に歯で地面をまっすぐ射貫けなければ、ブレて歯裏と地面の擦れが大きくなる)を招いたのでした。

(4)以布利遍路道の砂利道
漁港の奥へ進むと石ばかりの浜辺に着く。
歯が斜めに埋もれて難儀したが、カニ歩きやらを試す中で後ろ歩きをやると歯が全然埋もれないことに驚いた。
歩いている間はなぜか納得していたが、今考えるとよくわからないが、誰かが言っていた「鼻緒を前後逆にスゲられるゲタ」は案外いい発明かもしれない。
…思い出した、ギフ高山の彫り士の人だ。
あと砂利浜のあとの南国自然道がステキでした。

「後ろ歩き」の記憶が全くありません。
「鼻緒を前後逆」というのもいまいちピンとこない…が、今ネットで調べると、台座を前後にひっくり返せるように鼻緒用の穴を4つ開けることがあるようで、そのことかもしれません。

あ、最近知ったんですが、一本歯の歯を台座の前後真ん中付近ではなく、後ろの方に設けたものがあるらしく、それはかかとからの着地感覚にいいらしく、一本歯の後ろ歩きというのも「かかと着地感覚」に関したものかなと今は納得できます。
ある種のハイヒール歩きのぎこちなさを想像するとわかるんですが、つま先で着地すると着地面から胴体に達するまでに経由する関節が増えてしまうので、身体全体を使った歩き方がやりにくくなる。
(「ある種の」というのは、ハイヒールでもヒール着地歩行が可能かもしれないからです。見たことないけど…あるいはヒール着地は軸が折れちゃうから厳禁なのかも。履いたことないから全部想像でしか言えませんが…機会があれば履いてみようかな笑)

(5)丸山さん(ギフのおじさん)と再々会
以布利の小学校過ぎの分岐にて。
本当によく会う。
どうかお達者で。

会う人は本当に、何度も会う。
八百万の神のみぞ知る。
(こう言うと「人間以外はみんな知ってる」みたいやな)

(6)宿にて
夕食がスゴい!
魚祭り。
炊き込みご飯を5杯頂いて満々腹。
水を大量に飲んでお湯で[お腹を]温めて落ち着かせて今に至る。
トイレでの「身体に完全に支配されてる感じ」が心細いながら心地良かった。
腹の中(あるのは胃?)にとてつもなく大きいものがいる、とでもいうような。
小さい頃にカゼを引いた時に[よく]見た怖い夢の「自分がとても小さくてやたら大きな物に囲まれている(の中にいる?)」というのに感覚が似ているかも。

舟盛りがあったのを記憶しています。
たしか、同時に夕食を食べていた同宿のかなり痩せた女性に「お腹いっぱいなのでどうぞ」と、刺身やら何やらを頂いた記憶もあります。

この歩き遍路旅では、夕食にご馳走が出るたびに(というか白御飯がおかわりできる場面では全て)食べ過ぎて、苦しむ夜を繰り返していたんですが、胃拡張もあるにせよ、ウォーキングハイとでもいうのか、一日中歩き続けることに独特のテンションがあったのだと思います。
腹八分目という発想が全く無かったなあ…道中のトイレ事情が切実なだけに水分には敏感でしたが。
 
トイレでの、というのは…あんまり詳しく書くのもアレですが、まあ出すもの出さねばという思いで駆け込んだものの降りてくる気配はなく、極限まで膨れたお腹の感覚以外に何も感じず考えられず頭真っ白、わずかな動きが刺激になるので微動だにせず、といった状態でした、あの時は。
「心細いながら心地良い」なんてのは事後だから言えることですが、とはいえ妙な表現ではあって、能動的に考えようとしても全く頭が回らない状態が稀な経験だったからでしょう。

小さい頃によく見た夢を連想したようですが、あれは決して心地良いものではなく、自分の身体が(感覚はもちろん)物理的に小さくなったような、寄る辺ない心地がしたものでした。
あの感じも未だに覚えていますが…まあここで精神分析をしても仕方ありませんね。

所感:
タコがぶり返したのか少ししんどかった。
ガーゼ用テープを使った簡易テーピング(指の裏に巻かない)を思いついたのはファインプレーだった。
ばんそうこうが残り少ないので…
明日は2足目最終日。
正念場だ!

頑張れ!
歩く以外に明日はない!

 × × ×

泊まった翌日の朝に客室の窓から撮った風景です。
cheechoff.hatenadiary.jp