human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

25日目:一日中雨の日 2017.3.25

<25日目> …→宿(ペンションひらの) 20.5km 一日雨

(1)足の具合
鼻緒起因のマメはマシになってきた(水は治まらず[?]、痛みが引いてきている)、新たに足首のかかと寄りの部分が痛み出した。
ラストスパートで釈迦力を出したせいかもしれない。
そして痛みはほとんど左足に集中。
今は足の甲の痛みが主流。
アップダウンがあると膝にくるが、歩けないほどではない。
ふくらはぎの「寝起きの重さ」はどんどん威力を増している。
3足目の替え時が重要だが…いつにしよう。
スピードはまだ出ているし前[回の交換時]よりまだ歯も残っている。
研磨修正もできるし、注文は早くともあさって?
状況を見て判断。

満身創痍ですね。

(2)一日中雨
やむことなく出発から到着まで降っていたのは初めて。
雨だと足が疲れにくい、黙々と歩ける、などと思っていたが、長く続くとしんどいことを体感。
食べながら歩きにくいし、いつ休憩できるかがわからない(なるべく屋根[のあるところ]を探すので[休憩のタイミングが]休憩所依存になってしまう)。
今日の後半はなかなか休憩できずにひどく消耗した。
淡々と歩けるし、雨粒を見ながら歩くのも乙なのだが、日光がないと体の元気も出てこないのもまた確か。
修行と呼ぶにうってつけの天気だが、連日はつらいのでたまに降ってくれるとリズムがついていいかも。

休憩はわりと一定時間ごとにとるようにしていた(1時間だっけかな)ので、雨だとその周期が安定しなくて変に疲れが溜まったようです。
晴れていて悪いことはほとんどない(気温が上がりすぎた時くらい)ので、基本は毎日晴れだと心地よいとも言えますが、歩き遍路では日記にある通り「リズム」が大事で、天気にしろ風景にしろ単調過ぎると、それはそれで辛いものがあります。

徳島を出て高知に入り、一度海が見えてからは海沿いの道がずっと続くのですが、最初は開放感でウキウキするものの、何日も左手に海を見ながら歩き続けていると、だんだんウンザリしてきたという記憶があります。

だから、景色が単調な時は、天気が多少は荒れてくれた方が気分転換になることもある。

(3)休憩所のおじさん
[遍路道がその中を通っている]大規模公園の端の方の昔は店だったカンジの休憩所でおじさんに絡まれる(見ないふりをしていたがじっとこちらを窺っているのであいさつしたら近づいてきた)。
タバコを吸っていたので最初からまともに相手する気はなかったが、案の上[←定]というのか、何を言っているのか7割くらいは分からない。
相づちとアイマイな表情でゴマかした。
毎日ここに来てタバコをふかしているカンジだった。
公園のだだっ広さ、スペース利用の乱雑さ(サッカー場のすぐそばが廃棄場[ゴミ捨て場?]だったり、意味不明の池があったり、単品種の畑が延々と続いていたり)と合わせて、「場末感」が色濃く漂っていた。

後半は余計なお世話的なことを言っています。
が、この場末感は今も覚えています。

休憩所は遍路用ではなかったと思いますが、100席以上はありそうなフードコート的な内装で、でも店は何も開いおらず、ただテーブルと椅子がずらりと並んでいるだけ。
壁はガラス張りで、外はだだっ広い芝生なのか草地なのか、とにかく広さだけはあって、というか広さしかない所に人もほとんどいない(館内は僕とそのおじさんだけだったかもしれません)。

意味不明の池、という表現も謎ですが、筆の勢いで書いただけな気もします。

所感:
今日は今までで一番力をふり絞った気がする。
京都歩きの「雲ヶ畑デイ」を想起したほど。
どちらがキツかったかといえば、休憩が全然なかった分雲ヶ畑の方だが、こちらは明日からも歩き続ける。
寝て起きたらもう歩くしかないのだが、体の調子は足の状態が万全とはいえないが、思えば道中ずっとこんな感じで変化しながらやりくりしてきた気がする。
明日も歩く。
「歩々到着」。

雲ヶ畑デイ」について、なんだろう? と思ってこのブログで検索をかけると、ありました。


当時は京都に住んでいたんですが、歩き遍路に出る前の5ヶ月ほど、「修行」をしていました。
一本歯で遍路に行くと決めたのは前に働いていた神奈川の研究所にいる間でしたが、
このあたりの事情も過去のブログに書いてあって、参照すると、
どうやら四年ほど、独身寮の部屋の中(主にキッチン)を一本歯で歩き回る生活をしていたらしく、
その四年のどこかでキランと思いつき、退社する前の送別会の店に下駄を持って行って「これ履いて四国遍路行ってきます!」と宣言して退路を断ったり(笑)したのを覚えています。

で、その修行というのは、京都の街や山をひたすら歩く(まずは靴で、じきに下駄で)。
下駄は最初は夜な夜な川沿いを歩くだけだったのが、日中の(街中でない)車道を歩いたり、山(大文字ですね)を上り下りしたり、終盤には自然道の山越えをしたり、と、時間にあかせて様々なトレーニングをしていました。

雲ヶ畑というのは…えーと、地図でいうとここ↓です。赤丸が住んでいたところ。

この日のスタートは叡山電鉄二ノ瀬駅で、駅から自然道を西へ進んで車道(地図上の白い道)に出て北上、矢印で示したエリア内の「魚谷峠」らへんまで行って引き返し、あとは家まで徒歩、という(結果としての)行程でした。
あ、この日は靴です。

雲ヶ畑デイ」の日に起こったことは以下に記録してあります。
当時はブログ魔だったようですね。マメだなー
cheechoff.hatenadiary.jp
簡単にいえば、記事の中にある「史上最大の後退戦」。
一日中歩いたうえ、最後は命の危険を感じるレベルで山を下るという、相当無茶なことをやった日だったようです。
この修行の日々、山歩きなどで「ヤバいかも」と思ったことは何度もありますが(たとえばこの日とか、あの日とか)、それはもともと自然に無茶な歩き方をする性格だったからで(迷うのが好きとか、同じ道は歩きたくないとか…)、昔からのことで毎度反省しながら直る兆候はまったくなかったのが、「雲ヶ畑デイ」はよほど身と精神にこたえたようで、上のリンク記事には真面目な反省の弁がつらつら書いてあります。
 
最後の「歩々到着」は、種田山頭火から引いています。

京都に住んでいたころ、歩く(とプールで泳ぐ)以外は読書ばかりしていて、京都府立図書館へはよく歩いて本を借りに行っていて(その道中、鴨川でパンを食べながら歩いていてトンビに急襲されたりしていました笑 別の機会での闘いが記録されていました)、山頭火の句集もその時に借りて読んで、「これはまさに自分のことだ!」という箇所だったので、この言葉だけ覚えていたのでした。

検索したら青空文庫にあったので、そこから一部引用します(勝手に改行増やしてます)。

  私は歩いた、
  歩きつづけた、
  歩きたかったから、
  いや歩かなければならなかったから、
  いやいや歩かずにはいられなかったから、
  歩いたのである、歩きつづけているのである。

  きのうも歩いた、  
  きょうも歩いた、 
  あすも歩かなければならない、
  あさってもまた。

僕が歩き遍路に行こうと思ったのは、歩きたかったから、だけでした。
だから、山頭火のこの言葉にとても親近感をおぼえたのでした。

あ、そういえば公園の駐車場でネコの交尾をはじめて見た。
快感という感じは全くなく淡々としかし緊張をみなぎらせていた。
行為に及んでいる間はオスが夢中でメスは周囲をギラギラとうかがっていて、その前後ではオスがやたらとキョロキョロしていた。
ふむふむ。

村上春樹のエッセイにもこんな場面があって、たぶんこの「ふむふむ」はハルキ氏のノリで書いたのでしょう。
いやしかし、この記述のイメージはよく覚えていて、オスメスの交互の緊張具合は人間の同様のソレを全く連想させず、彼ら(ネコ達)の交合が本能なら、人間のは果たして本能なのだろうか……と、これは今ふと思いました。

 × × ×

cheechoff.hatenadiary.jp
この日のメール投稿ブログ記事です。
海沿いの道で、ちょっと高いところに建ててあった東屋での写真ですね。

「爪掛け」というのは、下駄の雨具で、鼻緒の前の部分の雨を防いでくれます。
布の面積が少ないようでいて、これがなかなか、あるとなしとで大違いです。
台座を掴む指の部分が濡れると指の裏が滑って歩行が非常に不安定になるんですが、この爪掛けによって、一番濡れて欲しくないところは守られるわけです。

まあ、土砂降りになるともう指もずぶ濡れですけどね(たぶん地面から跳ねた水が台座の裏から入ってくるのでしょう)。