human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

5日目:グローブの効用 2017.3.5

「私は韓国人で、踊り子で、人間国宝です。若いとき、日本に講演にきて、前の住職と出会いました」
「私の息子はいま19歳で、アメリカに留学しています。韓国語、日本語、英語、中国語、スペイン語の5カ国語をマスターしています。テレビで取材を受けたこともあります。今年の4月から高野山へ修行に入ります。きっと次の住職になることでしょう」

朝のお勤めが朝食の前にある。般若心経などを唱えた後に住職の説法がある。が、説法のほとんどは彼女の身の上話であった。ここはかなり国際的な寺らしい。長い説法のあと、朝食をとり、出発前に宿坊の前で記念写真をとる。「あなたはいいですか?」カメラを持っておらず、携帯を取り出す手間を考えて首を振る。観光でもないし、写真は撮らないと決めていた。

初日からずっと、両手にグローブをはめて歩いている。指先は開いていて、手の甲側にも生地がなく、手のひらには滑り止めがついている。荷物を運ぶ時にはめる、パワーグローブの一種だ。自分がするのはその本来の用途のためではない。京都で足を慣らすために日がな歩いていた頃、手の指がむくんだことがあった。調べるうち、長時間の歩行で手の血行が悪くなるのが原因と思われた。では指の付け根を刺激できるものをつけよう。そこで、なるべく軽量で風通しが良く、指を締め付けない手袋を探し、見つけたのがこのパワーグローブだった。効果のほどはよくわからないが、手が発熱していることは確かである。
そのグローブが地蔵寺遍路道の峠道で破損することになる。幅の狭い道で、何物かに足をとられて転んだ時に岩の上に右手をついて支えた。岩の凹凸が尖った部分に手のひらが当たり、グローブの滑り止め部分の生地が裂ける。一本歯歩行でつまずくことは日常茶飯事だが、つまずいてから怪我を防ぐべく行われる一連の身体動作は意思を介さない反射反応である。よって、危機回避行動が完了してから意識が戻り、現状を確認し、先の一瞬に起こった事を推測するという手順になる。この峠道で転倒した時は、グローブが裂けた瞬間にそのことだけを意識し、体が停止してから足と手の無事を確認し、そしてグローブがなければ手のひらが裂けていただろうことに思い至り、初めてグローブが手の保護にも役立っていることに気付いた。あらためて見れば、左手のグローブにも似たような浅い傷がある。自然道によっては木の枝をつかんで、草をかき分けて進むことだってある。当然起こりうることだ。偶然ながら、パワーグローブの予想外の活躍に感謝する。

17番井戸寺に着くと、見覚えのあるおばあさんが水色の背もたれのベンチに座っている。一昨日の焼山寺越えの日、なべいわ荘にいたおばあさんだ。話が弾み、というより一方的でこちらは聞いているだけだったが、流れで翌日泊まろうと考えていた民宿を一緒に予約してもらう。

18時を過ぎてから、18番恩山寺そばの民宿に到着する。もう少し早ければ今日中にお参りできたが、仕方がない。

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