human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

4日目:建治寺闇雲冒険譚、大日寺にて 2017.3.4

宿を出てすぐ、車道から自然道に入る。小さな森の中の、土手になって幅の狭い道を歩く。幅が狭いうえに斜めになっていて、まっすぐ歩けずにてこずっていると、坊主頭の中年男性が後ろから追いついてくる。「こっちはゆっくりやってるから、また追い越していったらいい」道をあけた横をすいすいと歩み去って行く。

自然道を抜けてアスファルトに戻ったところで前方に男性が立ち止まっているのが見える。男性は畑にいるおじいさんに大声で話し掛けている。「おはようさん。寒いですなあ」「ああ、ご苦労さん」佇まいや落ち着きようからして、初めてではなさそうだ。

車道から峠道に入る。所々で岩がごつごつしているが、足場は悪くない上りで、すいすいと登ってゆく。先の男性に追いつく。「若いなあ。その下駄でそんなに速く登れるんか」歳をとると上りで膝がきついのだろうが、こちらは体力面より技術的な問題が大きい。着地の勢いを楽に殺せる上りで足場が良ければ、靴と同等の速度は出せる。

峠を越えて車道に合流した先にお堂があり、縁側で休んでいると男性が追いついてくる。一緒に休みながら話をし、同道することになる。男性は3回目の遍路で、歳は70だという。「おじさん」だと思っていたし、とても古希の老人には見えない。見かけはまた別の問題かもしれないが、歩き遍路をする老人はやはりどこか若々しい部分があるようだ。

峠の先はゆるい下りで、これから進んでいく道とその回りの家々を右の眼下に見渡せる。その下り始め、見晴らしのよい所にあった東屋で一休みする。テーブルにははっさくらしき柑橘が置いてある。「これもお接待なんだよ。もらったら、箱にお札を入れておく」男性が2つに分けてくれた半分をもらう。はっさくを二人で食べていると、後方から体格の良い女性がやってくる。杖を持っているがジーパンとスニーカーが清々しく、軽装である。聞けば徳島に住んでいて、区切り打ちで来ているらしい。八十八ヶ所を一度に回る期間がとれない人は、何度かに分けて回るのだ。彼女は観光関係の仕事をしていて、歩き遍路をする人の評判を心配していた。「四国の人は基本的に遍路に優しいんですが、地域によっては住む人が遍路を敬遠しているところもあります。時々ですが、家を訪ね回ってお接待を強要する人がいたり、あとは同情するような嘘を言ってお金を要求する遍路もいます。不治の病だとか、財布を盗まれただとか。遍路だって、ほとんどみんな礼儀正しい人ばかりなんですが」靴が合わないのか、足の状態が思わしくない彼女を残して、男性と先に出発する。

下りの道路ではやはり男性の方が速く、会話をしながらもだんだんと距離があく。無理をして歩調を合わせることもあるまいと思いなすとさらに間が広がり、会話は男性の独り言のようになり、終いに自然消滅する。ほうと一息、自分のペースでゆっくり歩く。

下り下って、川沿いの道に合流する。途中で河川敷に下りたところのトイレに寄る。「店といったら、この先は大日寺に着く手前のコンビニしかないようだねえ」トイレの前の石塀に座っていた年配男性も疲れているようだ。

今日の宿泊予定地でもある13番大日寺が近くなり、時間に余裕があったので寄り道をすることに決める。川沿いの下り道を逸れ、小山を登った先にある建治寺へ向かう。前日の宿では「別格の別格」と言っている人がいた。滝行をする岩場があるらしく、道行きの険しさが想定される。道を逸れてすぐ急勾配の上り坂をしばらく地図に従って進む。と、自然道の入口に至り、遍路道を示す赤い矢印とマークの看板がある。間違いないと思って進むが、草はぼうぼうとして道の体をなしていない。それでも無理やり進むうちに周りは木々に覆われていく。石垣があるが、それ以外のすべてが朽ち果てたようでわけが分からず、道のヒントにもならない。時間の余裕に気が緩んでいたか、入口の看板を過信したか、それでも道はないかと探し続ける。そのうち、山道跡のようなものが繁茂する自然の中に見出せる。急勾配の斜面をうねるように迂回しながら上ってゆく道の面影があるが、その本来の道であるはずの空間には、道でない所と同じくらいの丈の草が密集している。道が使われなくなってから相当の年月が経ったようだ。それはもはや道ではなく、一本歯で進むにはあまりに無謀で、履き物に関係なく無謀なのは否めないが、スポーツサンダルに履き替えて進むことにする。もはや地図は頼りにならず、完全に自然に帰した、けもの道ですらない斜面を、コンパスの指す方角のみを当てにして登り続ける。白衣が枝にひっかかり、菅笠は幹にぶち当たる。闇雲とはまさにこのこと、などと自己言及する余裕のかけらもない。

密集した草や木々で遮られていた前方がやがて明るくなる。よくある丸太を模した柵が見える。柵を乗り越えると、牧場のようにのどかな草原が広がる。すぐ横を見ると「何事か」という見開いた目でこちらを窺うカップルがいる。「…………?」相手が何か言ったが、構わずここはどこかと尋ねる。すると、ここは丘の上の公園で、地図によれば建治寺の南西に位置するらしい。地図の道からは逸れてしまったが、どうやら助かったようだ。というより、地図の明示する道が崩壊していたのだ。自然道の入口までは確かだったのだが。建治寺は八十八寺に含まれず、また別格三十三でもないため、寺への道はおそらく正当な遍路道ではないのだろう。こういうこともある、という教訓が一つ。そして、いかに冒険心を刺戟されようとも冷静さを失わずに行動すべし、という自分への教訓がいま一つ。

建治寺への別ルートを見つけ、サンダルのまま自然道を進み、なんとか到着する。物音のない静謐なお堂でお参りを済ませ、納経帳に朱印をもらう。窓口には妙齢というには若い女性が座っている。整った顔つきは美人と言って差し支えない。両側に垂れた長髪と落ち着いた所作が清楚な雰囲気を醸している。奥の事務机に座る坊主頭の住職がこちらをじっと見ている。その視線を受け、なんとなく女性の手元を見る。その薬指で指環が光っているのを目にする。言葉にならない幾つかの納得が訪れる。
寺の正門から大日寺への正規ルートへ戻ることにする。山を下る参道は険しく、途中で滝行をする岩場を横に眺める。その岩場近くの参道自体も岩場だが、昨日の焼山寺越え山道の比ではない。岩が大きく、飛び移らねば進めないのだ。現在の一本歯技術レベルでは、到底不可能な難所である。公園手前の崩壊道で時間と体力を消耗していたこともあり、修行がてら試しに一本歯を履こうという気力も起こらず、スポーツサンダルにて素早く通過する。疲労していても一本歯から急に解放されていたため、足取りは極めて軽い。岩場を下り、落ち葉の土道を下り、砂利の散るアスファルトに至ったところで一本歯に履き替え、正規ルートへの合流を急ぐ。

コンビニにも寄らず、13番大日寺に着いたのは18時の数分前、ギリギリセーフである。納経所が閉まる直前に着いた場合はお参りよりも納経を先に済ませる「例外的不作法」をすることになる。納経所にすべり込み、一息つき、落ち着いてお参りを済ませると、宿泊所の入口で納経所の女性がこちらを凝視している。「今日泊まる人?なら早く」彼女は宿坊の女将?でもあるようだった。

宿坊は広い。玄関も通路も広く、部屋数が多く大広間もあるようであり、築浅ではないが古さには異国情緒が漂う。廊下に赤いカーペットが敷いてあるところなど、中国風だろうか。玄関を上がった通路の右側には大きな肖像が掛かっている。華やかな装いの女性である。誰だろうか。

夕食は二組だけで、自分と、2日目の旅館吉野で一緒だった奈良の夫婦だった。40人は座れるだろう長机のならんだ広い食堂の中央に、3人でぽつんと座って食べる。夕食のメニューは、なにやら怪しげである。どう表現すればよいのかわからない。女将らしき女性が食堂に入ってきて、短い話をする。多い時は何十人もここに泊まります。別館もあるのです。等々。ここで彼女が住職でもあることが判明する。そして調理場のカウンターにいる女性のそばへ行って話をしている。どうも顔が似ている。そして会話が日本語ではない。解釈のしようもなく、会話少なに3人で食べ続ける。調理場の女性がしきりにご飯のおかわりを薦めるので、おかわりはいいのだが明日の行動食用のおにぎりを作ってもらえないかと頼む。「なんですかそれは?」という表情をされる。意味が分からないが、とりあえずご飯を両手で握り込むジェスチャーをすると表情がぱっと明るくなる。「海苔もつけるんですよね」という言い方と、一塊となったご飯にぺたぺたと貼るその手つきと、それによる完成品とが、それぞれ確信的に怪しげである。

静かなのはよいが、なにか異様な雰囲気がある。建物が広すぎるのかもしれない。照明が少々暗いのかもしれない。部屋にいても落ち着かない。かといってすることもないので、地図を睨んで明日の算段を立て、ちょっとした荷造りを済ませて、早々に眠ることにする。

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3日目:遍路転がし、山越え、美しい尻餅 2017.3.3 - human in book bouquet

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