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読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

コンポステーラの記憶、歩く必然

四国遍路の回想記↓は、序盤の山場手前で長らく更新が途絶えています。
司書講習が始まる前の、時間を少々持て余していた時期に書き始めたものです。
社会的立場は今もその時と変わりませんが、今はなかなかその時間が現れてきません。
大沢温泉(値段の安い自炊部)に連泊して、集中的に書く気がないでもありません。

とにかく遍路の話は、まずは回想記に書こうと思っていました、が。

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序盤の山場とは3日目の12番焼山寺の山越えのことです。
急勾配の山を越え、下りは長々と緩く、5日目は平地でお寺が密集した所を歩きます。
その後、たしか6、7日目だったか、「第二の山場」の麓まで進みます。
アップダウンの激しい2つの山と、それぞれの高所にある2つのお寺。

いろいろ名前を忘れていますが、その第二の山場の麓にある民宿での話です。


公式*1その民宿のほかに麓に宿がなく、僕が泊まった日は多くの宿泊客がいました。
夕方前に宿に着いて、早めのお風呂に入った時も、遍路が数人いました。
その中の一人、旅の年季の入った風体の男性から、湯船に浸かる間に少々話しました。
話したというより一方的に聞いていたのですが、淀みない口調も旅慣れたものでした。

ヨーロッパの巡礼で有名なのが、たしかスペインの「なんたらコンポステーラ*2」への巡礼。
男性は過去にその巡礼を行ったらしく、四国遍路との違いを説明してくれました。
国をまたがる数千キロの道のり、多国籍の巡礼者、巡礼然とした道と宿場街。
安く簡素な宿、街で素材を調達しての自炊、あって有り難い冷シャワー。

今追って想像するに、巡礼者の年齢層も、四国遍路とは違うのでしょう。
定年を過ぎた年配より、前途を見はるかす若者の方が多いに違いない。
歩く理由も、それに応じて違ってくるでしょう。
具体的に想像はつきませんが、「歩く理由の多様さ」という点において。

 × × ×

そんな大した記憶ではありませんが、今日ふとこのことを思い出しました。
例のごとく読中長編『特性のない男』の、ウルリヒの特性の描写にあたって。
そして自分の海外への興味について、新たな視点を得ました。
大陸へ行く必然は、定住ではなく巡礼にあるのかもしれない、と。


僕はビザを取ったことがなく、つまり日本を離れたことがありません。
外国への興味はつねにあって、そしてその内実は日本を外から見ることにある。
きっと自分はかなり日本的で、日本的な性質が好きで、しかし同時に嫌いでもある。
嫌いなのは、おそらく日本人の集団特有の、多数派的な諸々の性質。

そういった好きも嫌いも、日本で暮らし続けて感得するに至ったものです。
このことに良いも悪いもありませんが、この認識は固定化される運命にある。
いくら分析し掘り下げても、日本にいる限りは「身体丸ごとの視点」は変わらない。
その内容がどうあれ、自分のなにかが固定化されることは、好ましくない。

これが日本を外から見ることの動機で、しかしこれは単なる旅行では達成されない。
行きそして「戻ってくる」ことを前提とした旅行は、軸足を母国に残したままとなる。
そう考えると、自分の思想の基盤を揺るがす変化は、外国に住むことでしか起こり得ない。
異文化の異質に触れ、それが自分の身ぶりに決定的に影響するような状況としての定住。


と、こういった考えは今言葉にしてみて、そのまま持ち続けていることを知りました。
考えの中で想定した状況に至る必然の「ひ」の字もないことも含めて、そのまま。
この必然ということを考えた時に、巡礼と結びついたのは、それが「歩くこと」だからです。
歩くのが好きな僕は、どういう事情で歩くことになっても、難なくそれを受け入れてきました。

 それがどれだけ常識外れで、無意味で、徒労で、そして過酷であっても。

ここまで書けば、あとは簡単。
「認識の固定化」を打破する必然に、どうすれば自分は導かれるのか?
…歩けばいい。
大陸の「とある地点」に降り立ち、そこから歩き始めるだけでいい。

これも前↓と同じく、今の生活が許す奔放な想像の一例ではありますが。
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 × × ×

彼は、むかし旅の途中で汽車を降りてしまい、目的地に行かなかったことがあったなと、このときなんとなく思い出していた。なぜそうなったかといえば、やり手ばばあのようにいわくありげに、あたりの風景からヴェールを剝ぎとる澄みきった日が、彼を駅から散歩に誘い出した。そして日が暮れたころには彼は見捨てられて、荷物をもたずに何マイルも離れた村に置きざりになっていたからである。とにかく彼は、自分でもわからなくなるほど長時間外を歩いて、そしてけっして同じ道を戻らないという特性を、自分がつねにもっていたということを、いま思い出していた。

「第23章 ボーナデーア、あるいは病気のぶりかえし」p.158 (ムージル『特性のない男Ⅳ』)

*1:知る人ぞ知る、あの「黄色い地図」のこと。

*2:書き上げてから一応調べました。正式名称はこれのようです。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 - Wikipedia