3日目:遍路転がし、山越え、美しい尻餅 2017.3.3
今日は山越え。「遍路転がし」という四国遍路に4つある難所のひとつが、12番焼山寺までの登り道。出発からの2日間が平地だっただけに落差が大きく、油断するとその名の通り「転がされる」ことになる。一本歯での山道は京都でいくらか練習を積んできたが、果たして「歯が立つ」かどうか。
日がまだ山の向こうで内職中の早朝に宿を出る。昨日来た道を戻って11番へ行き、本堂や納経所へ向かう途中で逸れて山道の登り口に入る。足場が砂地から、落ち葉と石ころに満ちた緩めの地肌に変わる。踏み抜けば転倒必至の小石と、その位置を知らせまいと覆い隠す枯れ葉のゴールデンコンビ。如意ヶ岳や貴船山での恐怖が頭の中で再生される。あのようなマゾヒスティックな山道はそうそうないとどこか多寡を括っていたが、考えてみれば早春もまだ先、3月頭のこの季節でいっぱしに樹木栄える山ならありふれた光景である。「もう戻れない」と呟き呟き、その内に「戻るのは面倒臭い」というニュアンスを込めながら、視線を前方斜め下に固定して登り始める。
傾斜がきつく、「甘踏み」で落ち葉の下を探りながらも一歩一歩に力が込もる。気温は低いがすぐに体は温まり、途中の東屋で薄着になる。後ろを振り返れば、昨日まで歩いてきた街並が一望できる。吐く息が白い。
途中に岩場がある。山道には要所に「遍路転がし」と書かれ数字が打たれた小さな看板がある。数字はこの山道にある難所のいくつ目かを示している。その何番目かのこの岩場は、道の幅いっぱいにごつごつした岩が無造作に並び、傾斜のきつい所にはロープが垂らされている。当然、足場としては岩しかない。岩の一つひとつを見定め、平らで水平でも滑らかな面は避けて、切れ目やわずかな凹凸で歯底と摩擦する面を慎重に選んでいく。
柳水庵だったか、ちょっとしたお堂を横目に通り過ぎ、さらに登り続け、いったんのピークのような所に至る。記念碑があり、石像があり、なにもない広場があり、腰を下ろせる小屋とトイレがあった。「早いですねえ」宿で一緒だった女性が石像の近くで休憩している。「お気をつけて」自分は小休止ののちすぐに出発する。峠のピークだったらしく、向かう先遠くには山が見えるが道は下りになる。
下る途中の東屋で男性が休んでいる。一歩ごとに踏みしめるようにゆっくり進む自分の姿を見つけ、その足もとを見て、顔に驚きが広がる。男性は頭にタオルを巻き、杖をもっている。写真を撮りたいというので了解する。
下りが反転する地点に、ちょっとした草原が広がり、道のそばにある小屋の前に給水場がある。湧き水らしい。ペットボトルに汲んでいくらか飲み、また汲んでペットボトルを満たす。
反転してからの上りは、蛇のようにうねる車道をまっすぐ突き抜けていて、何度もその車道と交差する。道は乾いた地肌に小岩が散らばっている。落ち葉はないので不安は少ないが、道幅が広くて先の見通しも良すぎるのか疲労感がある。一本歯の歩みの遅さは、視界の広い場所で際立つ。つい油断して何度か足首をひねりそうになる。
淡々と登り続け、景色が変わる。寺の敷地に入ったらしく、駐車場の表示などがある。参道は無慈悲な砂利道に変わっている。もちろん無慈悲に思うのはただ自分一人のみ。山裾をぐるりと大きく回りながら少しずつ上昇する。左手は崖、右手には八十八ヶ所の寺のご本尊を象った石像が順に並んでいる。立ち止まる余裕はないものの、ついつい足を止めて見ようとしてふらつく。参道に入ってからは下りてくる参拝者が多くなる。やはり車遍路が多いのだろう。すれ違いざまに視線を感じる。中年女性のグループの一人が躊躇なく話し掛けてくる。「お坊さんですか?」自覚はなかったが、なるほどそう見えないこともない。なにしろ菅笠の下はスポーツ刈りの頭だ。
石段を上がって門を抜け、ようやく寺にたどり着く。納経所横の見晴らしのよい空間に石でできた横長のベンチがあり、そこで荷物を降ろしてスポーツサンダルに履き替える。本堂、大師堂、鐘などがある一段上がる手前に休憩所があり、「うどん」の幟がわずかに風になびいている。腹が空いているが、食事はお参りの後にすることにする。が、お参りを終えた後に戻ってくると休憩所はカーテンが閉まっている。それを目にして少し離れたところで呆然としていると、ちらりとカーテンが動く。気配を感じたのか、中年のおばさんが顔を覗かせて辺りを一瞥し、すぐに引っ込める。なんとか食べられるよう交渉を思い立つ隙もなく。無常。仕方ないので非常食にしていた豆菓子を食べる。遍路旅に発つ前に行った、父の行きつけの食事処でマスターにもらったものだ。彼からは高知のいい飲み屋を教えてもらっていて、先はまだ長いがぜひ寄ろうと思っている。マスターとママの激励を思い出しながら、有り難く食す。
寺を出れば、あとは宿まで下るだけだ。と軽く考えていたが、甘かった。車道をそのまま下りるかと思えば、うねるアスファルトをショートカットするように勾配が急な自然道がいくつも待ち受ける。草の茂る道、石段、そして恐怖の石畳。石畳は表面がつるつるした石で構成され、しかも間隔の広い段差になっている。下り坂では踏み込む際に勢いがついてしまうため、なるべく軸足を溜めるように曲げて着地の勢いを殺す必要がある。下りの段差ではその努力がいっそう求められるが、延々と続く石畳に嫌気が差してきて、だんだんと溜めがぞんざいになる。
と、
まるで謀ったように美しく。
着地した右足の歯がつるりと前に滑り。
浮かせていた左足は為す術もなく。
全体重に8キロ弱のザックを加えた位置エネルギーが丸ごと運動エネルギーに変換され。
当該エネルギーが臀部を直撃する。
目に火花が散り、頭が真っ白になる。まず間違いなく負傷したという確信を抱く。再び頭が回り始めるまで身じろぎもせず、落ち着いてからおそるおそる体を起こす。なんとか立ち上がり、尻をさすってみる。と、思いのほか、なんともない。そうか、だから尻が軟らかいのか、と妙に納得する。誰にしたらよいかわからないが、臀部の必要十分な脂肪量について誰かに感謝する。
日が暮れ、薄暗くなったところでようやく宿に到着する。道から橋を渡って段差を上がった、奥まったところにある。古めかしい造りで、内装の木材も歳月の経過を感じる色をしている。宿の主らしき老人の細々とした説明を聞く。何が楽しいのか顔がにやついている。「部屋の鍵、あるけど、9割方使えないと思うよ。立て付けが悪いんだ。直したいんだけどねえ。いる?」いりません。
部屋は薄暗くて湿っぽく、鍵はかからないが、こたつの上にはお菓子がたくさん入った器がある。歩き遍路としては大変ありがたい。飴やせんべいなど、地域性も統一性もないそれらをいそいそと行動食用の袋に詰め込む。
夕食には5、6人の遍路客がいる。紫色に髪を染め、白髪とまだらになっているおばあさん。体格のよいヨーロッパ系の人。目の据わった、坊主頭の中年男性はビールを飲んでいる。みんなばらばらに、天気予報などを映すテレビを見ている。
山越え行程をなんとか無事に終え、ほっとする。一度激しく尻餅をつき、また一度足首をひねるこけ方で転倒したが、歩行に支障の出る怪我はなかった。「遍路転がし」がこの程度なら、この先もなんとかなりそうだ。強行軍の疲労に明るい見通しを薬とし、眠りに就く。
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