human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

23日目:人の温かさ、「守り人」という司書志望の原点 2017.3.23

<23日目> (37)岩本寺→宿(村の家) 22.3km 午後過ぎから雨

(1)そえみみず遍路道
上りは岩が多くて崩れた箇所もあり大変だったが、下りはゆるやかで石もまばら。
テンポ良く降りられて気持ち良かった。今までの自然道の中で一番快かったかも。
頂上で歯を削ったのも○[マル]。

「そえみみず」という音の響きは記憶に残っていて、「寝耳にミミズ」というシャレを思いついたのはここからのはずですが、それはどうでもよくて。

ここで写真を一枚貼ります。
「あっちゃんさんのお遍路道中記」というブログからの転載です。

この前日に僕と(逆打ちなので)すれ違った方で、どうやらその時に撮った写真のようです。

涼しい時期はだいたいこんな格好で歩いてました(厚い生地の服が手持ちがなく、袖なし-半袖-レインコートの重ね着。レインコートは学生時代にチャリ旅用に奮発したゴアテックスです)。
そして花粉症対策のマスク。

懐かしい。
……残念ながらこの出来事の記憶は戻ってきませんが。
(写真を撮られる機会はかなりあって、でもユースホステルの入り口で外国人に囲まれたりとか、寺の境内で中国人に囲まれたりとか、ショックの大きい出来事ばかりが印象強く、まともなやりとりの方を忘れてしまうのでした)

(2)風自遊庵[←接待処の名前]
岩本寺の手前4kmほどのところで接待処でひと休み。
福屋旅館で一緒だったおじいさん[マルヤマさん]も一緒。
宿情報、仁井畔[?]、こめぶた・いもぶた[??]の話、川と魚の話などを聞く。冬は氷点下まで下がる寒いところ。でも米がおいしい。
近くに道の駅があり、寺もすぐそばなのでコーヒーを頂く。うまい。
石坂夫妻がいつまでも元気でいますように。

道中で聞いた話は、遍路を歩き終えてすぐ後ならこのメモでも思い出せたんですが、うーん、全然記憶が出てきません。
字面からして、こめぶた・いもぶたは餌に何をあげたかで味が違うんだ、という話だったのでしょうか。

コーヒーの話の部分は、接待処でよくコーヒーを頂く機会があったんですが、飲むとトイレが近くなるので、近辺のトイレ事情を勘案してお断りすることが何度かあったからです。
好きだし、飲めば元気になるし、毎回悩んだ末に判断していたのですが、焙煎から手前でやったやつとか、もう香りからして間違いなく美味しかろう場合は誘惑に負けたりもしました。

(3)↑[接待処]をあとにして
寄る前はけっこう疲れて足も前に出なかったが、話をした後は軽快に歩けた。
人と喋ると元気が出る、を実感
また雨も降り続いていたが、山をバックに雨を見ながら歩くのも乙と思った。

雨の中を歩くのは、よほど土砂降りでなければほとんど苦ではありませんでした。
菅笠の雨よけ効果は抜群だったし、雨が少し強ければ白衣を脱いで上はレインコート、下もハーフ丈だけどレインパンツもあったし、荷物の登山用リュックはザックカバーで濡れない。

むしろ、雨なのに傘を持たずに両手を降って歩ける、という喜びがありましたね。
もちろん、道は滑りやすくなる(排水溝の蓋なんか元々危険なのに、雨だと誠にデンジャラスでした)ので、山を見ながら歩くなんてのは、見通しがよく、よほど整った穏やかな道だったのだと思います。

(4)待つor守る仕事
自然道を下りてきてから、なぜか仕事のことを時折考えていた。
遍路でお接待をしてくれる方々の中には落ち着いてゆったり構えている人がいて(蔵空間、風自遊庵)、こういう境地はいいなあと思い、この方々は「待つ」「守る」人なのだと思った。
生産性から離れつつ、充実・自足している。

僕はまだ余後[老後?]というほど老いてはいないが、「待つ」「守る」仕事は元々受け身の自分に合っていると思う。
そして具体的には司書のことを考えていた。
あとは言語習得(仏語)&翻訳とか。
住む処は仕事をする地域が決まってから、二の次でもいいかもしれない。
新しい第一歩のためにゆっくり時間をかける(すぐ働き始めることもない)のもいい、等々。

ここで「司書」が出てきて、今読んで自分でびっくりしました。

確かに、道中考えてたなという記憶もあり、遍路道に面して図書館を見つけた時は「入ってみようかな…」と思ったことも確かにありました(もちろん入りませんでした。一本歯で気軽に屋内に寄り道できるほど精神的にタフではありませんでした)。
が、そうか、僕はここで出会った方々の佇まいに惹かれたのですね。
 
待つ人・守る人、というイメージは、遍路に出る前から、内田樹村上春樹梨木香歩の本を読んでいて、具体性は帯びないままであれ、強い印象を持っていました。

内田樹は氏のブログでよく灯台守、センチネル、といった単語を用いていたし(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で、羊が崖から落ちそうになるとさっと抱きしめて内に戻す、誰からも賞賛されないし羊も気付いてすらいないのに淡々とキャッチをこなす青年「キャッチャー」の像は、氏の文章によって深く刻まれました)、村上春樹小説の評論(というか一方的な絶賛文)の中で「雪かき仕事」について繰り返し触れていました。
梨木香歩、と書いて思い出したのは『沼地のある森を抜けて』で描かれていた灯台守。
いや、梨木氏の他の作品でも、灯台守のような「境界を守る人」が、静けさと共に魅力的に描かれていたと思います。
マジョリティから境界に弾き出され傷ついた若者を、受け入れ、自覚の促しによって癒す「境界人」。
西の魔女が死んだ』、『僕は、そして僕たちはどう生きるか』など。

…本の話は止まりませんね、戻りましょう。
 
このブログに、司書のことを「本を守る人」という表現で何度か書いていました。

もちろん、図書館にいる司書は、利用者のために最善を尽くす存在です。
けれど、何を「守る」かと言われれば、利用者ではなく、やはり本なのです。
そして司書もまた、「境界を守る人」であり、ここでいう境界とは、一冊の本という異世界の入り口のことです。

だから、僕のもつ司書の「利用者に最善を尽くす」というイメージの本質は、本を読んでみたいと思ってくれた人を、その異世界の入り口まで案内すること。
そこはあくまで「境界」であり、マジョリティから離れた場所、当人に知悉された生活空間の縁(へり)です。

その本を読む者は、その入り口を進む者は、ただ一人だけで、行かねばならない。
本の内容に関係なく、姿勢として。

司書ができるのは、その結果の保証ではなく、そのプロセスの充実を身を以て示すことだと思っています。


そういえば(という言い方もあんまりですが)、図書館で働き始めて3ヶ月半くらいになりますが、僕が司書に対して抱いていた上記のようなイメージは、特に変わっていません。
それは、おいおい変わるのかもしれないし、新しく何かが付加されるのかもしれませんが、よくわかりません。

(5)岩本寺にて
本堂の天井絵がスゴかった。油絵? 一枚一枚に年季が入っており、独特の蓄積が感じられた。

この天井絵は覚えています。境内が砂利で、雨が降っていて、ええと……(以上)

(6)宿にて
↑のおじいさんと再び同宿。夕食時に色々話す。
田舎では線路の上をふつうに歩ける、
[昔は?]列車のトイレは[外に?]垂れ流しだった、
昔はゲタの鼻緒のうしろの部分も自分でさげた(布and麻紐を使用)、
道路坑夫と線路坑夫、乞食はよく線路の上を歩く、
JR四国・北海道の苦しい経営、
へんろ宿&接待してくれる方々のありがたさ、等々。

ホントいろんな話してるなあ(笑)

所感:
歯を削る&道の右側を歩くようになって、ペースが上がり歩きやすくなった。
あとは[足裏の]マメが治ればいうことなしなのだが…
これはじっくりやるしかない(バンソウコウはなくなりかけたら買おう)。
沢山話せたおかげだと思うが、まだまだ歩けるよ!
精神的にも、肉体的にも。

足裏のマメは、ゲタの交換時にできたものです。

ゲタに慣れれば、鼻緒が足にフィットしてさえいればマメなんかできないのですが、ゲタの交換というのは、履物屋さんが宿に送ってきてくれたものを新たに履くわけなので、初期状態として鼻緒の締め具合が自分の足にフィットしていない。
それでも最初はなんとかなるかと調整しないで歩き始めるんですが、やはり痛くなってきて、何日かあとに自分で鼻緒を調整することになる。

そのために、クジリという針の根元が太いアイスピックのような道具を携帯していました。
あとは麻紐と布、それからネットで調整方法を調べた時に使えるよと書いてあった、ワッシャーも持っていました。
麻紐と布は、鼻緒の元々の紐が切れた時の応急処置的な代替品で、全然長持ちしないので、新品下駄に交換できる前の数日はそのたびにかなり苦労しました。

このあたりの記述はおいおい出てくると思います。

22日目:ヤスリで朴歯を削る 2017.3.22

 
(久しぶりの更新なので記述に関する説明。引用内の文章は遍路旅の道中に書いた日記をそのまま転記しています([ ]内は現在の追記)。引用の外の文は、それを今の僕が読んで思いついた内容です。当時の記憶はほとんど定かでないので、回想に届いてない感じですが…… 以前の記事はタグ「四国遍路回想記」を参照して下さい)

この日も下駄の記述が大変多いです。

<22日目> 大善寺→宿(福屋旅館) 14.5km

(1)[焼坂]峠にて
木の根と石・岩と落盤箇所多数で大変。砂利道も含めればキョリが長かった。[以下はふつうのアスファルト道の話]また左側が路肩の道がほとんどで(高知ではずっとそうだ)、斜め歯との相性が悪くてカニ歩きも多かった。

「斜め歯」は、この写真の状態のことで、歯の削れ方が両足とも左側で激しく、平らな地面に立っていても体が左に傾いてしまう。こんな状態で道の左側の路肩(道路は幅方向がかまぼこ型になっているので左側は左に傾いている)を歩くと、普通に歩くだけで左にコケてしまうので、カーブなどの傾斜が特に激しいところではカニ歩きを余儀なくされた、ということです。

途中で歯の斜めっぷりに危険を感じて切削を試みたが、その辺の石を先人に倣って(どんだけ昔だ)打製石器として使った時に、歯裏に対して真上から研がった[尖った?]部分を打ち下ろすと朴歯がタテにヒビが入ってしまった! 幸い歯の端の方だったので応急処置をして(ヒビが進行しないよう裂けた断片の方の木の先の方を削った)先へ進んだが、危惧していた下りで落ち葉(と石?)に滑ってコケた時にヒビが根元まで進行して完全に裂けてしまった(たぶん裂けたからコケたのではない)。台に刺している部分は損失部が少ないので継続してはいているが、何かが起きてもおかしくない心積もりはしておく。なので3足目の購入はも少し先延ばしできそう[←?]。

上の写真の、左端に移っているヤスリは道中あったコーナンで買ったもので、「斜め歯問題」が深刻化する前に入手して、この写真を撮った時のような休憩時に、歯底を水平に戻すべく削っていました。

が、いかんせん朴歯は丈夫で削れるのが非常に遅く、腹も減って大変だということで(というか面倒臭くなって)打製石器ソリューションを試みた時の記述が上の通りです。
まあ、木の目の方向からして、亀裂はタテに入りますわな。
頭カラッポで歩いている(考え事してるとコケるからこれは仕方ない)だけに、回した頭が猿知恵レベル。

この日記を書いてるのはこの日の夜の宿のはずですが、最後の一文も意味不明です。
歯のヒビが台座の根元まで進んで、さいあく、歩いてる途中で歯が台座からボロッと取れかねないという状況で、じゃあ当然次の新品を早く手に入れた方がいいはずなんですが、「心積もりをしたから大丈夫!」だったのか?

危機管理も猿以下ですね。

(2)3足目の検討
歯の減りが激しいが、まだ歩けるし、ヤスリを使えばわりとまともに歩ける。[歩くスピードが]遅くはなるが、一本歯も身体の一部と考えて、「快適に歩く」より「十全に歩く」=使えるものは使えるところまで使う、を基本方針としよう。

「一本歯も身体の一部」はほんとうにその通りです。
でも「十全」の使い方がおかしいような。

(3)宿にて
同宿は東京のおじいさん(1回目[←遍路行が])と、ギフ[岐阜]のおじいさん(区切り、徳:2 高:3)。「こういう旅は若いうちにやるのと年とってからだと全然違うのだろうね」と言われる。ふむ。あと「愛媛はヘビがよく出る」らしい。そうですか。

所感:
焼坂峠がキツかったがこれが一本歯のダイゴ味でもある。明日も峠越え!

途中にある略称は「区切り打ち」のことで、一度で歩き遍路を通す時間がとれない人が、何度かに分けて行く(打つ)こと。
徳島を2回で歩き終え、この日僕と同宿した時が通算5回目の区切り打ちだったという意味です。
 
この岐阜のおじいさんとは縁が深かったようで、道中、後に二度出会ったようです。
名前もメモしてあるんですが、小さすぎて(あと汚すぎて)読めんな……
と思って、写真に撮って拡大したら読めました。
マルヤマさん。
茶文字には「翌日宿と足摺[岬]打戻り時に会う」とあり、後者の記憶は今うっすら蘇りました。

打ち戻りというのは、たしか、足摺岬へ行く遍路道が(地図でいう)輪っかになっていて、往路と復路は別の道なんですが、復路が最終的に往路に合流して、同じ道を逆に歩く行程がいくらかあった(その近くに遍路宿があるので、人によってはそこに二度泊まることもある)と記憶しています。

で、マルヤマさんとは間近ですれ違って「やあやあ前に会いましたね」というのではなく、その、ちょうど往路と復路の合流地点でニアミスしかけたところ、つまり僕が合流地点を過ぎて往路をちょっと歩き始めたところでマルヤマさんが復路から合流地点に戻ってきたところで、彼がゲタの音に気付いて僕を見つけて「おーい」と声をかけてくれたのでした。
なかなか劇的な邂逅(しかもこれは3回目)で、お互いものすごくテンションが上がったのを覚えています。
 
こういうことは歩き遍路では何度もあって、事あるごとに「縁」の力というか、巡り合わせの妙を感じ、またそれへの信頼が増していくのでした。


今読み返すと恐ろしく判読困難。
こんな字になったのは、小学校の頃折り紙の裏にちっこい迷路を休み時間のあいだ描きまくってたからです。
すぐに読み返す前提の汚さなので、時間があいちゃうと、ホンマに分からん。


あ、ちなみに当時リアルタイムの小日記的記事のリンクを張っておきます。
この頃はガラケーで、写真を添付して、メールに記事本文を書いて、ブログ投稿用アドレスに送っていたのでした。
cheechoff.hatenadiary.jp
ガラケーかあ、懐かしいな。
スマホを一度持ってしまうと、隔世の感ですね。
遍路なんて、もう十なん年前くらいの感覚ですが、あれからまだ五年半しか経っていないようです。

ヘルシオ(2004)「連絡13」その場凌ぎの法

えーと、久しぶりの記事がこれでアレなんですけど、
作業記録的に残します。
(経過の写真は撮ったんですけど、
 なんとなくアレなんで載せません。
 アレばっかだな、なんだ、アレって)

前回投稿(といって当時の現状は何も書いてませんが)からの経過を
近々書こうと思ってはいるんですが、
やることが多くて後回しになっていて、

ざっくり今回のアクシデントにことづけて言えば、

「今月から離島暮らしなのでとてもメーカー修理に呼べない」
 (修理の料金目安が書いてあって、距離で料金が変わるらしく、
  はー、、と思ったらさらに「離島は除く」とあって、
  来れないかとんでもなく高いかどちらかだろうと早合点)

ので、自分でなんとかしてみることにしました。


まあ、ブリコラージュが離島の町のコンセプトでもあるので。

 × × ×

久しぶりに庫内の掃除をと思い、
「内部洗浄」を2回ほど実行したんですが、
そうすると「連絡13」のエラーが表示されてしまいました。
と、これが本記事の発端です、最初に書くべきこと。


他の方のHPを見ていると、
原因はカルキ詰まりだそうで、
その方は写真を載せていたので(型式は自分のより新しい)、

装置背面を開けてみると、
その写真と似たようなパッキンがあって、
そこからホースがつながっているのでたどっていくと、
水が8割ぐらい溜まったままのタンクがありました。

 僕の場合は「連絡13」(というエラー表示)は、
 「本体の水抜きをしてください」
 という強制指示 (他の操作ができない)を実行したあとに出たので、
 水抜きができないのが悪いのだという認識が念頭にあり、

先ほどの話に戻って、
その水が溜まったタンクの上蓋(前後側がプラの板バネ変形留め)をあけると、
その上蓋上部についている電線が
タンク内部で電極になって水に浸かる仕組みで、
ははあ、これで水位を検知しているのだなあと思い、
これが件の水抜き指示と関係があればいいなあ、という願いのもとに、
そのタンクの固定を外して、
コップをそばにもってきてタンクを傾けて水抜きをしました。
(そのタンク下部にはホースがつながっていて、
 ホース内も水で満たされているわけですがそこはタンクを傾けても抜けず)

で、これ以上できることもないので、
(簡単に戻せそうなネジしか外さなかった、という意味です)
(余談ですけど、インパクトドライバが手元にあると、
 分解の心理的ハードルがぐんと下がりますね。ラクだから)
仕方なく分解した分を元に戻して電源コードをつないで起動させると、
同じく水抜き指示が最初に出るんですが、

そのあとの「連絡13」が出ませんでした!


よかったー
とりあえずはよかった。

そのまま使ってるとまた同じことに多分なるのだろうて、
クエン酸洗浄をちゃんとやれば防げるのかもしれません。
クエン酸物語」があったはずなんですけど、
荷物整理でどこにやったか…


まあ、当然ですが、
業者が呼べるなら分解はしない方がいいと思います。
僕は最悪もう使えなくなってもいい気でやりました。
あと、やるならもちろん電源コードは抜いて。


「ないものはない」、
思い切りよく行きましょう。
 

「弱い現実」と「危険社会の参加率」

一冊の本を読んでいて、ふと思考を催す箇所に遭遇する。
それが区切りのいいところだったりすると、そこで本を置いたりする。
そして別の本を手にとって(続きを)読み始め、前の本を連想する箇所に出会う。

それは一つの面白いことだし、「面白いな」で済ませてもいい。
でも、そこから「なぜだろう」と考えてみるのもいい。

連想でリンクした二つの記述が、内容的にほぼ同じものなら、
その考察にはあまり時間を要さないだろう。
一方で、自分がしたその連想が「飛躍」したものであればあるほど、
その考察に含まれる謎は多くなり、解釈の甲斐も増えるだろう。

そこには、論理を解きほぐしたり繋いだりする知的な充実感だけでなく、
当の連想の主体である自分自身を知るきっかけもあるだろう。

それは前言語的な、従って無意識や身体と通じる自分の傾向を言語化する機会でもある。

 × × ×

という前置きは一般論で、以下は本記事の本題です。

 先述の内田樹くんが出版した『街場の戦争論』(ミシマ社)という本に、大変おもしろいことが書いてありました。
 それは、「強い現実」と「弱い現実」についてのお話です。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、ご説明したいと思います。

平川克美『あまのじゃくに考える』 p.192

平川克美氏の本からの抜粋なんですが、この部分の文章の実質は内田樹氏のものです。
この「ご説明」は実際はもっと長いんですが、
例示から始まる前半部は省いて、要点の後半部だけ以下に引用します。

 当今はよく「現実的に考えろ」とか、「お前の言うことにはリアリティがない」などという言い方をします。
 長いあいだ守られてきた憲法や法律の変更についても、変化する世界の現実に合わなくなっているからだ、という理由で進められます。
 しかし、その変化する現実は、確かに現実には違いないのですが、わずかな入力の違いによって生まれた、たまたまそうなっている現実にすぎないわけです。
 これを内田くんは「弱い現実」だと言うのです

 そして、ぼくたちは、数十年を経ても変化しない「強い現実」に軸足を置くべきであって、たまたまもののはずみでそうなった「弱い現実」に生活の基盤を置くべきではないと結論しています。
(…)
「強い現実」、つまり、入力のちょっとした変化では、変わりようがない確固とした現実というものがある。そこに、生活の基盤を置くべきだと内田くんは言ったのです。
 これはぼくにはものすごく腑に落ちる言葉でした。彼の本のなかで、そこが一番響いたところだと言ってよいかもしれません。

同上 p.194-195

平川氏のこの本は、以前に一度読み終えていて、
さっきは(以下に取り上げるのとは)別の本とのリンクで付箋箇所だけ再読していました。
その中で、この引用箇所を読み返した時に、
この「読み返し」の数時間前に読んでいた『危険社会』の、ある箇所を連想したのでした。

まず、その抜粋をしてから、思考を進めてみようと思います。

階級状況では、この状況を想定している潜在的な脅威、例えば失業などは、当事者に自明な事実である。それを知るためには何も特別な知識手段を要しない。
(…)
日常飲むお茶にDDTが入っており、新品のキッチンユニットにホルムアルデヒドが含まれていることを知った者は、[階級社会において脅威と遭遇した場合とは]全く異なった状況に置かれる。自分が曝されている危険がどんなものか、自分自身の知識手段や経験では決めることができない。(…)これらの物質が、短期間ならどの程度で有害か、長期間だったらどの程度の濃度で有害なのかという疑問についても同様である。しかしながら、これらの疑問に対していかなる答えを持っているかが自分が曝されている危険を決定するのである。危険に曝されているか否か、自分の曝されている危険の程度や範囲、あるいはそれがどういう形で現れるか。これらについては、原則として他者の知識に依存しているのである。
(…)
有害物、危険物、敵はあちこちで待ち伏せをしている。しかし、それが自分にとっていいのか悪いのか、自分で判断することはできない。(…)したがって、危険状況[=危険社会において脅威と遭遇した場合]では、ただの日常生活の事柄が、ほとんど一夜のうちに「トロイの木馬」のような変貌をとげる。その馬から危険と危険の専門家たちが、どっと繰り出す。そして、争うようにして何が危ないか、何が大丈夫かを告げるのである。(…)当事者が危険の専門家を探すのではない。むしろ専門家の方で当事者を捜しあてる。専門家が突然に戸口に現れることもあり得る。なぜなら、危険は日常生活のありとあらゆる物の中に潜んでいると推測されるからである。
(…)
所得減少などのニュースと違い、食品や消費物質の中に有毒物質が含まれているというニュースは、二重のショックを与える。危険そのものがまず脅威である。それに加えて、ショックなのは、自分が直接曝されている危険がどのようなものか評価する主権をも喪失している事実である。

ウルリヒ・ベック『危険社会』 p.81-83

最初に、僕が連想でこの二冊の各々の箇所をリンクさせた意味についてですが、
シンプルに一言でいえば、(僕の顕在意識ではなく)僕の連想が抱いたのはこういうことです。

 危険社会の基盤は「弱い現実」である。

むろん、ここには飛躍があり、粗雑な論理の結合があると思いますが、
その修正や整合性をとるための考察はさておいて、
このテーマをベースに話を進めます。


引用中の「食品や消費物質の中に有毒物質が含まれているというニュース」、
ここから過去の例として思い浮かべるのは、

 紫外線が体に悪いと分かって「日焼けサロン」が廃れていった とか、
 ひじきに多く含まれているとされた「鉄分」が実は調理に使う鉄鍋の成分だった とか、

つまり「健康という概念の中身はある日突然がらりと変わる」ということです。


「健康」という言葉自体が指示するのは、人間のきわめて身体的な状態であるはずですが、
その身体状態は一方できわめて個人差が激しいものでもあって、
「健康」を社会的に定義する過程で、科学の視点を借りて数字を色々と持ち出してきますが、
そうして抽象化された「健康」は、個人差を平均・統計的操作で見えなくするだけでなく、
本記事の文脈上重要な点として、
科学の技術水準如何で評価がコロリと変わりうる


「危険社会では『いかなる知識を持っているか』が自分が曝されている危険を決定する」

とウルリヒ・ベックが言うのを、僕の挙げた例に寄せればこうなります。

 「ひじきには鉄分が多く含まれる」という知識があるから、
 生の(あるいは乾燥の)ひじきをスーパーで買ってきて、
 家のアルミ鍋で煮付けをつくって長いあいだ食べ続けている人は、
 その限りで"鉄分を十分に摂取している健康な人"であるが、
 「ひじきの鉄分は実は調理時の鉄鍋から移ったものだった」と知った瞬間に、
 自分は"鉄分摂取面では不健康かもしれない"と疑いを持ち始める。
 なぜなら、スーパーで買っていたひじきが、その製造過程で鉄鍋が使われていなければ、
 自分は長期間にわたって「人体に必要な一日の推奨鉄分摂取量」を満足していなかったはずだから。
 そしてもっといえば、
 「ひじきの鉄分の真実」を、それが判明しニュースになったとしても、
 彼がその報道を知らなければ、
 彼はやはり鉄分に関しては「健康」なままだったはずである。


「人が決めた健康なんてそんなもんだよ」と割り切る人が大半でしょう。

「一日の推奨栄養摂取量」なんてのも、どうやって決めたのか皆目わからないし、
カップ麺ばかり食べててもこうして身体はピンピンしてるし(と大学生なら言うかな)、
慢性的な食糧不足に見舞われた大戦直後は子供で、長生きした人もたくさんいる。

自分の健康のことは、自分の身体が、つまり自分がいちばん知っている。

でも、そう思う人が一方では、ちょっとは健康に気を遣おうかななどと思って、
野菜ジュースを飲んだりビタミン剤を買ったりする。
彼がビタミン剤の成分と摂取量を考える時の念頭には「一日の推奨栄養摂取量」があり、
その彼の中では、自分の健康は、自分の「頭」が決めたものである。


問題は、
いや僕がここで問題にしようと思っているのは、
「彼の『脳内の健康観』が、将来的に自分の身体に裏切られるかどうか」
ではありません。

考え方ひとつで自分の身体が「健康」か「不健康」かが決まる、という発想。

ここにはどうも、(内田樹氏の概念を借りれば、)
「強い現実」と「弱い現実」の混同があるのではないか。
あるいは混同ではなく、この両者を、
都合に応じて選べる(目の前の現実に適用できる)という作為があるのではないか。
(後者は結果的に両者の混同につながるのですけど)

これは健康問題にとどまるものではなく、
現代社会で暮らす個人の「現実感覚」にも関係するのではないか。

 × × ×

話は一気に戻りますが、
危険社会(脳化社会)の基盤が「弱い現実」であるとすれば、
その社会を生きる人間の主観的な現実も「弱い現実」となる。
(たとえば、日常生活のあれこれに「砂上楼閣感(←なんだそれ)」が伴う、とか)

…疲れてきて文章が雑になってますが、
あとは最初に書きたかったことに触れて締めます。

「弱い現実」よりは「強い現実」に生活の軸足を置いた方が、
生活は(お金じゃなくて精神面で)安定するし、思考も冷静になります。

でも、自覚なく危険社会を信頼してどっぷり浸かっていれば、
生活の軸足は否応なく「弱い現実」に突っ込まれてしまう。


そこで、考え方として思いついたのが、
「危険社会への参加率」です。

システムやルールでいっぱいの現代社会、
そのすべてに関わらずに生きるには文明の利器を全放棄せねばなりませんが、
「弱い現実」的システムに対する自覚が培うことで、
ここまではオーケー、だけどここからは立ち入り禁止ね、
みたいなことができるはずです。

重心はその数値化にあるのではなく、
自分の生活にかかわることの一つひとつに対して「腑分け」をするという姿勢にあります。

実体経済をかけ離れてマネーゲームが価値を決めるお金、
ある面では幻想だし、生活必需品の調達という面では至極実体である、
そのお金に、自分はどのように(どこまで)関わるか。

たとえば、この「どのように」「どこまで」が、上述の参加率です。


まあ、ようするに、
自分にとって何が「強い現実」で何が「弱い現実」か、
それをじっくり考えよう、ということですね。

社会が「弱い現実」を動力にしている以上、
その腑分けは自分が主体になってやるしかありません。

もちろん、本(読書)はその作業において心強い味方となります。

(結論はありません)
 

危険社会の現実主義的頽廃と形而上的リスクヘッジ

社会が階級社会から危険社会へと移行するとき、共有という関係の質も変わり始める。
(…)
階級社会の発展力は、平等という理想とつねにかかわっている。(…)しかし、危険社会においては、このような価値体系は見られない。危険社会の基礎となり、社会を動かしている規範的な対立概念は、安全性である。危険社会には、「不平等」社会の価値体系に代わって、「不安」社会の価値体系が現れる。

平等というユートピアには、社会を変革するという、内容的にも積極的な目標が多い。一方、安全というユートピアは消極的で防御的である。ここでは、「良い物」を獲得することは、もはや本質的な問題ではない。最悪の事態を避けることだけが関心事となる。

「第一章 富の分配と危険の分配の論理について」p.75
ウルリヒ・ベック『危険社会』

危険社会は、不安社会でもある。
不安が、社会を動かすエネルギー源となる。

現代社会は生きにくい時代である」

という表現が、時評や社会批評の枕詞としてよく出てきますが、
人々が「生きにくい」と考え、感じる理由が個々に色々あるにせよ、
みんながそう思うこと、それが社会の総意ではないにしろ隠れた基調としてあること、
そのこと自体が現代の特徴、すなわち不安社会の特色である。

何か同語反復のようですが…

不安が社会の通奏低音である現代なんて、まさに不幸の時代である、
というシンプルな感想も抱きうると思います。

ただ、時代に関わらず、誰しも幸福と不幸の時期をそれぞれ繰り返すのであり、
言葉は言い放ったそばから意味が遊離するものであることを鑑みれば
(後者を言い換えれば、言葉は発言者を規定するだけでなく変化させもする)、
不安社会は不安の共有、共通理解を通じて幸福を捻出する社会である
という「ひとひねり」を、その感想に加えることができます。


僕が「現代の生きにくさ」と言われていつも思いつくのは、
環境問題が人類から無垢性を引き剥がしたこと、です。
人間の地球上での活動が、地球にダメージを与える、という発想。
 思えば、狩猟にせよ農耕にせよ、
 乱獲や過剰な収穫が近い未来のしっぺ返しを食うことは、
 小さな地域に定住する民、また周期的にいくつかの地域を巡る民にとって、
 経験上の知識(それが宗教行事に昇華される)としてあったはずです。
 だから、人間が環境の一部であるという認識は何ら新しいものではない。
 でも、その中世以前には、「自然の限界」という概念は(たぶん)なかった。
 宇宙から地球の写真が撮られ(「地球は青かった」)、
 また石油など天然資源の埋蔵量の限界が議論されるようになって(ローマクラブ)、
 そこで初めて、人間の生が、
 地球に対してある種の原罪を負っているという感覚が生まれた。
 (いや、キリスト教にも生まれ持った原罪という考え方があって、
  信者はそれを生前に贖うことで死後に天国に召される(のだっけ?)。
  だからキリスト教徒にとっては、
  原罪が宗教的なものから科学的なものに変わった、ということ?
  …いや、自然との共生が文化として当たり前にあった時代の人々は、
  そもそも自然に対して無垢(全く責任を負っていない)ではありえなかったのか)

この話、何度かブログに書いたおぼえがあって、
でも今回は同じようなことを書くのかなと思いきや違う認識に至ったんですが、
 アメリカ大陸に進出した西欧の開拓者にとって大陸の自然は荒涼としていて、
 自然は人にひたすら厳しいゆえ、征服の対象、制御の対象として見られていたのに対し、
 温帯モンスーン気候のアジア人にとって自然は脅威であると同時に恵みの源でもあって、
 自然に対しては暮らしの必要最低限の操作に留める「手入れ文化」が発達した、
といった自然観の東西差については梅棹忠夫などを読んで知っていましたが、
「自然に対する人類の無垢性」という考え方がこれらのどこに位置付けられるか
を考えたことがなくて、今考えると、たぶんこれは西洋的な発想なのですね。

 「自然は道具である」
 「自然は人類の生存のために自由に利用できる資源である」
という自然観に、
 「使い過ぎると回復しなくなるからほどほどに利用しよう」
という譲歩がくっついても、
やはりこれは人間中心の視点であって、
人間は自然と対等であるという姿勢からは程遠く、
また人間が自然に対して「直接に」責任を負っているという感覚もない。

実は「人間は自然の一部」から「人間は自然と対等である」が直通で導けるはずなんですが、
これは論理的であっても合理的(←グローバルスタンダードあるいは進化論)ではないのですね。
前者は日常的に使われますが、後者はこの言葉を使おうものなら、
「お前はナチュラリストか」とでも言われそうなイデオロギー性を負わされています。
でも、この差の大元って、
人間が自分たちのことを考えるんだからヒューマニズムは常識
みたいな短絡ではないでしょうか。


…すみません。
思いのほか脱線が面白かったのでつい続けてしまいました。
本題へ戻る。


不安社会の話でした。

不安を社会で共有してみんなで安心を得る。
なんだかシンプルじゃないというか、
面倒なことだなあと思うんですが、
これは実はかなり恐ろしいことなのですね。

不安を使って不安をなくす、というのは、
わかりやすくいえば、
「目前の不安に別の不安をぶつけて相殺する」
というようなもので、
そのやり方が不器用だと「別の不安」が「目前の不安」に重なってさらに辛い
ってことにもなりかねない(もうなってるか)。

というか、現代社会の複雑さを一言で表せば
「多種多様な不安の相殺合戦」となるのでしょうね。
だから、情報ひとつでものごとの価値がくるくる入れ替わるし、
身の丈感覚が「不安の相殺合戦」につけ入る余地はないし、
でも人間の生活って本質的に身の丈だから「じゃ、見なかったことに」で済まそうとする。

階級社会の原動力は、「渇望がある」という言葉に要約できるとしたら、危険社会を進展させる運動エネルギーは「不安である」という言葉で表現できよう。つまり、危険社会では、階級社会にみられる欠乏の共有に代わって、不安の共有がみられる。この意味で、危険社会という社会形態の特徴は不安からの連帯が生じ、それが政治的な力となることである。

同上 p.75

この引用部がすごいことを言っています。

 社会を進展させるエネルギーが「不安」である。
 え、でも「不安」って、行動の停滞も引き起こすんじゃないかしら。
階級社会の原動力は「渇望」で、これは前向きにのみ働く。
高度経済成長期の日本も「渇望」を元手に飛躍した(階級社会じゃなくて「一億総中流」ですけど)。

「渇望」は、いわば前進しかできない車のガソリンにあたります。
そして同じ比喩でいけば、「不安」のガソリン車は、前進もするしバックもする。

あれ?
なんか後者の方がまともに聞こえる喩えになっちゃいました。
…いや、もしかして。


「不安」を原動力にした社会って両極に走るんだよという、
危険なイメージを表そうと思って上を書いていたんですが、
あるいは、
危険社会は階級社会よりも「人間的」な社会なのかもしれません。


ただ、
「より人間的な社会」が、
そこで暮らす人間にとってハッピーなものなのかどうか、

これには一考の余地があります。
もちろん、
社会は、人間に喩えられることはあっても人間とはぜんぜん違うからです。

「より人間的な社会」…。
たとえば、独裁国家とか。
貴族領主のいない王政社会とか。
うーん。。


p.s.
タイトルの話にたどりつきませんでした。
つけなおすのも面倒だし。
えー、タイトル詐欺、黙認します(もう黙認じゃないけど)。
 

GRAVITY LOVERS(後)

えーと、前半の内容はさておき、早速本題に入ります。

まず、件の動画を貼ります。
以下の話は、動画HP中に書いた文章と重複する部分もあります。
 

 
これは月一で通う近所のジムで撮ったものです。
いつもそういう動画は古本屋のインスタアカウントにアップするんですが、
最近は撮ってから上げるまでの時間差が開いてきたので、
今回の話題のためにニコニコ動画に上げてみました。

さて。
登璧の後半はバテて登りが雑なので、主に前半部分への言及になります。

(結論というか要点を先に知りたい方は飛んじゃってください)
 
<目次>

まえおきとよりみち

ほぼ天井のような傾斜の壁で、それほどしがみつく感じでもなく、
所々では悠々と一手が出てすら見えるのですが、
これはパワーに余裕があるからというより(最低限は要りますが)、
身体にかかる力の配分が慣性とほぼフィットしているからです。

次の一手を取りに行く時に、
持っていたホールドから手を離して別のホールドを目指すわけですが、
手を離した瞬間に身体全体が動かないということは、
その手以外の三点による支持で完全にバランスがとれていることを意味します。

そのバランスをとる姿勢の維持のために、
腕の筋肉などを偏って使っている場合は、そこが疲れてきますが、
全身(の筋肉や骨)を均等に使えていれば(あくまで理想ですが)、
あたかも地上にすらりと立っているだけ、のように壁に張り付くことができる。


この、「全身を使う感覚を練ること、その賦活」は、
スポーツの中でボルダリングが優れて行いやすく(何せそれを技術と捉えるので)

また武道的身体操法と非常に深い縁を感じるところでもあります。

合気道でも、手裏剣術でもいいのですが、
武道の基礎訓練の中に、
「敢えて一部の身体部位を制限して動作を行う(開始する)」
という思想があります。

それには敵に腕を掴まれた状態から逃れる、等々、
実践的な意味もあるのでしょうが、
動きの「身体を割る」、末端だけでなくその中枢(体幹)においても、
身体部位を細かく分けてそれぞれ別の動きができるようにする。
そのために、動かしやすい手先や足などを敢えて制限して動く訓練、
という意味もあります。


実は、ボルダリングは競技ルールからして、この性質を備えています。

決められたホールドだけを使って、身体一つで自由に登る、その方法を探ること。
登るルートに制限があることが、間接的に自由動作の可能性を制限します。
そして、その制限の中で自由に試行錯誤することは、
まさに「身体を割る」ことで、制限された自由を拡張していくこととイコールです。

ただ、今言ったことは「方向性の一つ」であって、
身体のいろんな部位を使えるようになって上達していくやり方もあれば、
主要な登り方に動員される特定の身体部位を集中的に鍛えてレベルを上げていく、
そういうやり方もある。
…というか、プロスポーツという枠組み内では、後者の方向性は必須です。

「ムーブ」と呼ばれる、半分定型化しているボルダリングの基礎(だけではないが)技術の、
そのそれぞれに要する身体部位のパワー、またその組み合わせが(わりと明確に)あり、
課題のルートを作る人は、その明確さに依拠することで一般的な課題のレベルを設定できる。

わかりやすい能力基準があるから、それを大人数のなかで競うことができる。
これはスポーツ全般の性質です。

では武道はというと、武道はスポーツではありません。
…という一言が、当たり前に聞こえる人とそうでない人がいるはずで、
僕は前者ですが、そういう人にとっては、
現代の剣道も柔道も、武道ではない、ということになります。

それはよくて。
簡単にいえば、武道は人と競うことを(手段ではありえても)本質としない。
えーと、話が逸れつつあるので戻します。

よりみちはつづく

ボルダリングには武道と共通の性質がある、という話でした。
もう少し戻ります。
いや、違うな、武道の話をします。

「地面にリラックスして立っている」ように登る。
これは全身をうまく使うためのクライミングのコツ、の一つの表現なのですが、
そもそも立つ姿勢はリラックスできるのか?
という疑問もありえます。
 理想的な姿勢を、ビシッとした、海兵隊の敬礼姿勢のようなものと想定すれば、
 それはリラックスとは程遠いものとなります。
 それにそもそも、立っている時は足や腰だけを使っていてバランス悪いじゃないか、
 と思うかもしれない。
実は、「武道的な立ち方」というものがあります。
 足を肩幅より少し外側に広げて、
 膝を軽く曲げて、
 お尻を腰骨の真下に「収納」して、
 両肩を下げて、
 遠くを見る。
という、これはあくまで、本をいくつか読んで僕がイメージする姿勢ですが、
特にこの「お尻の収納」によって上半身と下半身がつながり、
立姿勢における腰への(上半身の荷重という)負担が足に流れていく。


重力は、あらゆる物質にその密度に応じて作用するわけですが、
もとは一体である人間の身体も、その名を付けて各部位にバラして考えれば、
各々の身体部位ごとにそれぞれ一定の重力を受ける。
その人の姿勢に関係なく。

寝ている姿勢がリラックスできるのは、
身体各部にかかる重力が、
その身体各部のすぐ下にある地面に逃げていきやすいからです。

いっぽうで立っている姿勢がなんだか体力を使うように思われ、
腰や膝に負担がかかるように感じられるのは、
上半身にかかる重力は地面からは離れていて、
地面に逃げる前に、下半身の(特に)関節各部に集中しがちだからです。

だから、立姿勢はそもそも(つまり物理的に)重力がアンバランスにかかるんですが、
その人体構造上の傾向(前者)と、ではその構造をどう扱うのか(後者)は、
イコールではない(妙な言い方)、というか、
前者は後者に従わざるを得ないのではなく、
前者を前提にして後者はいくらでも工夫できる、という関係にあります。

純化していえば、人体の動作能力の向上という目標に対して、
筋力トレーニングや単純動作の反復練習は前者にアプローチし(増強、補強)、
武道的、古武術的な身体動作の開発探究は後者にアプローチします。


話が進まんな…また戻します。
重力の話をしたいのでした。

重力に自然に従って動けるようになるために、
重力を理解する必要はありません。
むしろ、頭での理解は、自然な動作を妨げる方に進みやすい。
というか、ジャングルの木々を飛び回る猿の動きを「自然動作の理想」と考えれば、
頭で考えることはその状態から離れていく(進化論的にも)ことといえる。

身体の大きさ、身体各部の相対重量、筋肉や骨の比率など、
違うところはいくらでもありますが、
ボルダリングにおける理想は「猿の木登り」であると考えて大きく過たない。

進化によって頭で考えることをやり過ぎてしまった人間は、
その理想的な動き、自然な動きを目指す(取り戻す…という言い方は怪しい)ために、
あらためて「考え直す」必要がある。

脚立が使えれば、ハシゴがのぼれればボルダリングはできる、といいますが、
登璧の身体運用を掘り下げていくと、ある段階から、
日常動作のシンプルな延長ではなく、それとは別のフェーズへ進んでいくことができます。

(注意ですが、先の「筋力トレーニング的身体観」は日常動作のシンプルな延長であって、
 それでいくら身体を鍛えて登れるグレードが上がっても、あくまで日常動作の延長です。
 もちろん、方向性の問題であって、良し悪しはそれを採用する個人が判断することです)


話を戻します(何度目だ)。

立姿勢には、重力の負荷を全身に散らす立ち方もある。
それには、身体を割って、身体各部への感度を上げる必要がある。
そのような立ち方の実現への道は長くとも、
そういうものがあるとして、
そのような立ち方ライクな登り方もまたある、
ということを同時に探究していく。
これは、立ち方が登り方のヒントになり
その逆、登り方が立ち方のヒントになることもある、ということです。

そして「立ち方」のほうは、至極シンプルながら、
武道の基本の型のごとく何十年続けても完全な会得にたどり着かない、
かもしれない。
一方で、「登り方」のほうは、バリエーションがふんだんにある。

やっと本題

何の話かというと、「重力のバリエーション」です。

ふつうは「慣性」と言いますが、
あらゆる身体の動きが重力の統制上に成立するということは、
その動きのプロセス(真っ只中)において身体が受ける任意方向の加速度、
つまり身体動作に伴うあらゆる慣性は重力のバリエーションである
と考えることができます。

やっと話が本題に入ったのですが、
今ここに書いたことが、
この動画の自分の登りを何度か見ている間に思いついたことです。

そして、
「重力研究」というジムの名前の話を本記事の前編に書きましたが、
武道的なボルダリングとは、重力を対象化するのではなく、
いかにその身に引き受けるか、重力との一体化を実現するか、
いわば「重力を愛する人(Gravity Lover)」になれるか、
という方向性を持つものではないかとも思いました。

この、
「重力を愛する」という表現を、僕はいま初めて使うのですが、
こんな言い方をこれまでまるで思いつかなかったところ、
口にしてみれば実は全く違和感はないのだと教えてくれたのが、
サン=テグジュペリ(『人間の土地』)だった、ということです。


ボルダリングにおいて、
身体に対していろんな方向にかかる負荷、そして慣性(加速度)、
これらに、いかに抵抗せず、従順になれるか。

頭上に伸びる壁を登ること、
この、そもそもが重力に反する動きである営み、
それを「重力への抵抗」ではなく、「重力への従順」によって実現すること。

哲学的に考えれば大いなる矛盾として楽しそうですが(まあ単なる言葉の綾ですね)、
その言葉に惑わされず、いや、言葉の(気付きという)助力を得ながら、
この「武道的ボルダリング」を探究していこうと思います。
 
 × × ×

p.s. 1
冒頭に貼った動画の、ニコニコ動画HPでの説明文に、

「静中動、動中静」

ということを書いています。
この武道の言葉を、ボルダリングに応用(転用?)してみます。

この記事の最初の方で、
一手を取りに行く時に身体が振られる話を書きました。

両手両足の4点支持の状態から、いずれか1点を放して、別の位置へ移動する。
この移動が、残り3点を維持したまま行える動きを「スタティックムーブ」、
また、1点どころか数点放し、全身の動きを伴う動きを「ダイナミックムーブ」、
正式な用語はちょっと違うと思いますが、たとえばこのような言い方があります。

スタティックムーブなら、全身を大きく動かさずに一手を進めることができます。
とはいえ、残りの3点をホールドに置いたままではあっても、
その3点にかかる負荷のバランスが(大きく)変われば、
一手を取りに行く間に(変化した負荷バランスの再配置のために)身体が振られます。

この、
「スタティックムーブにおいて『身体の振られ』を(体感上)ゼロにすること」
これを、
ボルダリングにおける「静中動、動中静」と呼んでみたいと思います。

ワンムーブのプロセス全体において身体が全く振られないということは、
「そのあいだずっと身体の重心位置が変化していないこと」と近似できます。

身体の(壁に対する)相対位置、それと身体姿勢も変化している中で、
身体の重心位置を維持するためには、
身体のいろんな部分をいろいろな方向に動かす必要があるはずです(表現が雑)。
(でもこう書けば、甲野善紀氏の「多方向異速度同時進行」の術理と親近します)

そして、そのような動きを実現することで、
外から見た人には身体が全くブレていないように見える。
以上のことは、「必然的な動線」という概念を導入すれば、
ダイナミックムーブにおいても同様に考えられます。

うーん、とても武道的な話ですね😊
 

p.s. 2
「言葉の助力を得て」とい言い方をしましたが、
いわば人間は、猿(というか動物一般)だった頃は自然な身体動作だったのが、
言葉によって自然な動作に様々な偏見がくっついてしまった。
(まあ「手で道具を使う」も偏見ですけど、おかげでいろいろ便利になりました)
その、言葉によって得た偏見を、同じく言葉によって解除していこう、ということです。

時代小説家で居合道・手裏剣術を探究されている多田容子氏は、
古武術は「目からウロコを剥がし続ける営みである」と新書に書いてましたが、
人間にとって、
自分の目にウロコをどんどん貼り付けていくのも言葉だし、
そのウロコをひとつずつ丹念に剥がしていくのも言葉である、
ということです。

なので、身体動作について、
とにかくいろいろ言葉にして表現してみることは大事なことです。
もちろん、その言葉は実動作を伴うものであったほうがいい。
 

GRAVITY LOVERS(前)

ちょっとしたきっかけがあって、
テグジュペリの『人間の土地』を五年ぶりに読み返していて、
童話でも小説でもなく、おそらく体験記だと思うのですが、
つまりジャンル的にはドキュメンタリーと言えなくもないはずですが、
そうだとすれば、この本の哲学と詩の成分は異常なほど濃密です。

一度目に読んだ時に傍線を大量に引き、
今回はその追加にくわえて付箋を新たに貼ったりなどして、
家の本棚もオフィスの書庫も、未読の積ん読本は増える一方なのに、
いつも再読はさらりと済ますつもりで取り掛かり、
その心積もりが序盤で折られなかったためしがありません。

(↓Amazonでタグ検索したら、堀口大學訳の新潮文庫版がありませんでした。
 絶版なのかな…訳もすごいし、宮崎駿の解説もすごいのに)

それはよくて、
再読でやっぱり連想することが所々でいろいろあって、
そのいちいちを展開したい欲求を、
その場で好きなだけ膨らませることで解消してなんとか読み進めるのですが、
いかんせん、クライミングにまで連想が及んでしまい、
こういう機会もなかなかあるまいということで書いて掘り下げようと思い、
ちょうどその連想のきっかけにもなった最近の登璧動画を、
以前しょーもない動画をアップするためのニコニコ動画のアカウントがあったので、
それを利用して投稿してこの記事に貼っつけようと思い、
そのためのあれこれ、また動画の説明文章を書くなどして、
この記事を書くための体力と関心を入り口前でそちらに持っていかれたので、
本題に入る前から疲れています(展開としてはいつも通り)。

さて、タイトルのことにどこまで触れられるか。

 × × ×

テグジュペリが飛行機乗りであった頃、
どこぞの砂漠に不時着して、
近くの砂丘のてっぺんに寝転び、
夜空を仰ぎ見ていた時のこと。

 眠りからさめたとき、ぼくはあの夜空の水盤以外の何も見なかった。(…)自分の目の前のこの深さが何であるかまだ気づかないうちに、ぼくは眩暈にとらわれた。この深さとぼくとのあいだに、身をささえる木の根もなければ、屋根一つ、木の枝一本ありはしないので、いつしか拠所を失って、ぼくはダイビングする人のように墜落に身をまかせていた。
 とはいえ、ぼくは落下はしなかった。頭の先から足の先まで、ぼくは自分が地球に縛りつけられていると気づいた。ぼくは自分の重量を地球にまかせている事実に一種の慰安を感じた。引力がぼくには恋愛ほど力強いものに感じられた。
 ぼくは地球が、ぼくの腰を受け止め、ぼくをささえ、ぼくをもち上げ、ぼくを夜の空間へと運び去るような気がした。ぼくは自分がぴったりこの地球に寄りかかっているのに気づいた、ちょうど操縦しながら、方向を変えるとき、全身にのしかかってくるあの重さと同じ重さで、ぼくはこのがっちりした肩を組みあわせた気持、あの堅実感、あの安全感を味わうのだった。そしてぼくは、自分の体の下に、自分の乗船地球の、円味のある甲板のあることを感知したものだ。

「飛行機と地球」p.75-76
サン=テグジュペリ『人間の土地』新潮文庫、1955

この引用部分だけで連想がいくつも働いたんですが、
まずは脇道からいきましょう(そこで力尽きるかも…)。

ある年齢以上の人(たぶん僕より年上)なら、
「自分の乗船地球」という表現から、
フラーの「宇宙船地球号」を連想しない人はいないでしょう。

が、フラーの方は「思想」であって、
ここでのテグジュペリの言葉は「体感」を表現したものです。

同じ文章の前半は、飛行機の操縦における体感の比喩ですが、
一般的な現代人であれば、車の運転における車体との一体感と同じです。
カーブを曲がる時に、あるいは狭くて障害物の突き出た路地を通る時に、
車体が自分の身体であり、車体表面に運転車の触覚が宿ったような感覚。

砂丘で仰向けに横たわるテグジュペリは、
自分と地球との(介在者なしの)一体感を、そのように感じた。
…ということの絵面を想像すると、
ボカロ作曲者はるまきごはん氏の初期作品を連想しました。
彗星に乗っかる少女(彗星の擬人化?)の歌だそうです。
(いや、思い出してみれば、
 『星の王子さま』が元いた星も、
 王子の身体と比べて、そう巨大なものではなかったはず)

「(地球が)ぼくを夜の空間へと運び去るような」というテグジュペリの表現、
これは、ここだけ見れば夜空に放り出されるように読めなくもありませんが、
その前後の、自分と地球の結びつきの強さを表す多くの言葉と合わせれば、
「夜」というのは実際は夜でも、イメージとしては「宇宙」であって、
地球という球体にまたがった彼が宇宙を旅している情景がぴったりで、
体感と、それに合わせた地球のサイズ感のイメージとしても、
この歌はなかなかフィットするのではないかと思います。
www.nicovideo.jp

さて、本論です。
本記事タイトルの出所は、ここです(引用一部再掲)。

ぼくは自分の重量を地球にまかせている事実に一種の慰安を感じた。
引力がぼくには恋愛ほど力強いものに感じられた。
(…)
あの堅実感、あの安全感(…)。

日本全国に点在するクライミングジムの名前の中には、
ライミングという営為そのものにかけたものが多い。
その有名どころの一つに「グラビティリサーチ」がある。
重力探査、あるいは重力研究。
いい名前だなと思うし、
ライミングの探求とはやはりそういう目線で見るものだよなと思う。

いや、クライミングに限りませんが、
一般的に…

(今、時計を見て、急激に眠くなりました。
 というか朝になると寝られなくなる…
 というわけで急すぎますが一度筆を措きます。
 以下、後半に続く。
 執筆意欲が残ってたらいいな☆
 動画も上げたし、たぶん大丈夫だと思います)
 

3tana.stores.jp

危険社会の自己言及とシステム的孤独について

『危険社会』(ウルリヒ・ベック)を最近読み始めました。

読もうと思ったきっかけ(最後にちょっと触れるつもり)はだいぶ前にあって、
しばらく前にテンポラリー(読み待ち)本棚に移したんですが、
先週末くらいに難しめの本を一冊読み終えたので(何だっけな?)、
では次は、というので手に取りました。

 × × ×

原著の初版が1986年、僕の誕生年と同じなんですが、
スリーマイル原発事故(1979年だそうです)がその近年にあり、
沈黙の春』(レイチェル・カーソン)の紹介が序論でなされたのち、
理論展開の引き合いとして、その原発事故について何度も言及されます。

むろん、今日的な問題意識として福島原発事故に通じない部分は少ないはずで、
(はず、というのはまだ50ページ読んだところなので)
古典というほど内容は古びていません(まあ30年ちょっとだから当然か)。
つまり、当時の常識を現代に読み替える、なんてことをしなくてもそのまま読める。


本書はたぶん名著に数えられているはずで、出版以降さまざまな他書で言及され、
僕は書名も含めて引用されているのを何度か見たことがあるし、
「危険社会(リスク社会)」という考え方としては、もっと一般化しているはずです。
そういう意味で、今読んでみて、論理として新鮮だ、と思う部分は少ない。

でも、翻訳の影響はあるにしろ、原著独特の言い回しみたいなものがあって、
理論の内容よりは言葉遣いにおいて考え込ませる部分が多くあり、
(難解ではないので)さらりと読めそうなところが、たびたび立ち止まっています。
それでまた、考えてみたいことを思いついてしまうと、こうなるわけです。

 × × ×

本記事の論旨はタイトルが導いてくれるはずです。

さて、「自己言及」はニクラス・ルーマンを読み始めてからというものずっと念頭のテーマで、
『危険社会』でもルーマンへの言及があって嬉しくなったんですが、
まずはその部分を引用します。
序盤、主張の概略として五つにまとめられているうちの二つ(の部分抜粋)です。

(三)
しかしながら、危険が蔓延し、市場で取引されるようになると、危険は資本主義的発達の論理から切断されるのではなく、むしろその論理を新たな段階に押し上げるのである。近代化に伴う危険はビッグ・ビジネスとなる。危険は経営者が捜し求める無限の需要となる。飢えは鎮めることができ、需要は満たすことができる。だが文明社会の危険は、底が抜け、塞ぐことのできない、限りなく自己増殖する欲望の桶である。危険によって──ルーマンの説に従えば──経済は人間の欲望を満足する環境とかかわりなく「自己準拠的」となる

(四)
富にあってはこれを所有することができるが、危険にあってはこれに曝されるのである。危険はあたかも文明の一部として割り当てられる。単純に図式化すればこうである。階級や社会〔←ママ。「階級社会」?〕や階層社会においては、存在が意識を決定するが、危険状況においては、意識が存在を決定する。知識は新たな政治的意味を獲得する。したがって危険社会のもつ政治の潜在的可能性は、危険をめぐる知識の発生と普及を研究対象とする社会学理論によって明らかにされ、分析されなければならない。

「第一章 富の分配と危険の分配の論理について」p.29-30
ウルリヒ・ベック『危険社会 新しい近代への道』法政大学出版局、1998

本書の冒頭、危険を考えるための補助線として、富に対する考え方との比較があります。
つまり、「富の生産」「富の定義」「富の分配」という問題との相違を通じて、
「危険の生産」「危険の定義」「危険の分配」を想定し、各々が掘り下げられていきます。
なので、引用の(三)にあるような「危険の需要」という言葉もさらりと出てきます。


さて、ルーマンの「自己準拠」も「おっ」と思った箇所ではあるんですが、
引用した中でいちばん驚いたのが、(四)の太字部です。
「単純な図式化」と本人も書いているように、極めて抽象的な一文です。
まあ、えてして、連想がぐるぐると回り始めるのはこういう抽象に接した時です。

「階級社会においては、存在が意識を決定する」、これはたとえば、
貴族なら貴族のように振る舞う(考える)、平民なら、商人なら、以下同、という感じ。
対して、「危険状況においては、意識が存在を決定する」。
これがどういうことなのかが、本書の全体にわたって詳述されていることです。

よって、本書を読み進めるごとに、繰り返しこの後者の標語を思い起こすわけですが、
僕は引用部で初めてこの一文を目にした時に、瞬間的に言い換えを思いつきました。
……ご推察の通り、本ブログでも頻出する「脳化社会」(@養老孟司です。
養老先生のエッセイを一つ読んでいれば、この連想だけで「危険社会」がピンと来ます。

ここで「意識が存在を決定する」ことの具体例を、一つだけ引用します。

危険の場合は、排除するか、否定すること、つまり新しい解釈を施すことが必要である。富における取得を目指す肯定的な論理に対して、危険における、排除、回避、否定、新たな解釈といった否定的な論理とは対照的である。
 所得や教育などは、人間が消費したり経験したりすることが可能な財産である。これに対して危険は、その存在や分配の状況を理解するためには、本質的に論証の努力が必要である。(…)危険を危険として「視覚化」し認識するためには、理論、実験、測定器具などの科学的な「知覚器官」が必要である。(…)この種の危険にあっては、当事者は、ハリスバーグ原子炉の事故でみられたように、戦々恐々としながら、専門家の判断やミスに完全に身を委ね、専門家の論争の展開を見守るより他はないのである。

同上 p.35-36

危険はそれ自体としては存在せず、何らかの手続き(「論証」)を経たのち、認識できる。
ないもの(「危険」)をあらしめる(「論証」)、つまり存在を意識が決定する。
そして、その危険を「存在」させ、社会的価値を付与するには、「否定的な論理」を要する。
「それがないこと」が価値であることの把握、二重の意味で、危険は意識の賜物です。

複雑な現代社会の中で、危険は、絶えず(往々にして見えないところで)生産され、
科学とその他(経済・政治など)の狭間で定義され、(国や地域に応じて)不平等に分配される。
その危険を認識する前提は、もはや一個人の身の丈の生活とはかけ離れたところにある。
さて、「意識が存在を決定する」のなら、個人は主体的解決法として危険をどう扱うか。


いや、何か結論が言いたいわけではなく(暫定解としては考え続けるしかありません)、
ここまではタイトルの話に触れるための、まえおきであったことにします。
危険社会における個々の危険の原因は、分業が高度に進んだ今、誰かに帰するものではなく、
分業システムにある、という、これもルーマンを連想する言及がなされた箇所を抜粋します。

ただ、その言い方に「あれ?」と思ったこと、これが以下の思考の出発点です。

そこでさまざまな被害を、複雑な工業生産体系の内部にある相互に分離不可能な個々の諸要素と関連づけてみよう。経済、農業、政治などの分野の高度に専門化された近代化過程の舞台に登場する人物たちが相互依存状態にある以上、個々の原因や責任を分離することは難しい。
(…)
言い換えれば、高度に細分化された分業体制こそ、すべてにかかわる真犯人なのである。分業体制が常に共犯となっていることが全般的な無責任体制をもたらした。それぞれが原因であり、かつ結果であり、それと同時に原因ではない。登場人物と舞台、作用と反作用が常に入れ代わる可能性があるので原因が消えてなくなってしまう。この結果、システム的な思考の必要性は当然のこととして受け入れられている

以上において例示されているように、システム的な思考が何を意味するかは明らかである。つまり、自分の行いに対して個人的に責任を持つ必要もなしに何事かをなし、さらにその行いを続けることができるというわけである。自分があたかもその場に居合わせないかのように行動するのである。人は、道義的かつ政治的な行動をすることなく、ただ物理的に行動する。一般化された他者──つまりシステム──は個人に影響を及ぼし、個人の行動を通じて社会に影響を及ぼしていく。これは文明において見られる奴隷的倫理である。そこではあたかも自然の運命──すなわちシステムの「引力の法則」──に支配されているかのように社会的にも個人的にも行動が行われる。差し迫った生態系の大災害を前にしても自分の責任逃れを狙うこのような「ババ抜き」が演じられているのである。

同上 p.45-46

内容は、まさにその通り、としか言いようがない。
のですが、この引用の後半は「システム的な思考の意味」として記述されています。
この「システム的な思考」が指すのは、個人がシステムを理解すること、ではなく、
「システムの一員となり、依存し切った時の個人の思考」ではないかと思います。

そう考えた時、引用前半は、危険社会の分析でありながら、問題提起ではなくなる。
「システム的な思考の必要性」は、問題解決の条件ではなく、現状の説明として言われている。
何が言いたいかというと、人間のシステム理解の、その針が両極に触れる可能性についてです。
つまり、システム理解は、システムからの独立だけでなく、システムへの一体化にも進みうる。


いや、もしかして当たり前のことを言っているだけなのかもしれませんが、
僕自身はルーマンなどを、現代社会システムの高度複雑化に対していかに個人を保つか、
という視点でずっと読んできたので、驚いたのだと思います。
そして、このシステム理解の両極という考え方が、新たな認識につながる予感もあります。

 × × ×

個人がシステムへの一体化を目指すことは、システムの価値観をその身に引き受けることでもある。
最初の引用(三)ではルーマンの説を引くかたちで「経済の自己準拠性」に触れていました。
本来の「経世済民」から遠く離れ、経済は、人間を手段として経済自身のために回るようになった。
経済システムの自己準拠とはそれで、そしてシステムへの一体化を目指す人間はその真似をする。

真似の中身は、おそらくこれまで(過去に)考え書いてきたようなことで、繰り返しません。
上で両極といった、その他方について、が実は本記事の関心ごとです。
システムへの一体化を目指す人間は、システムの自己準拠に準拠することで自己同一化を果たす
では、システムから独立しようとする人間は、自己準拠的なシステム内で、どう振る舞うのか?


そのキーワードが、おそらく「自己言及」となるはずです。
それは、己が準拠すべき対象をたえず外部に求めようとするプロセスです。
安定化を、静的な閉ループではなく、常に構成が入れ替わる開放系のもとで追及する。
数学の関数で喩えれば、位置xの定数化は動かないが、傾きaは定数にしても位置は変化し続ける。

危険社会のコラテラルダメージからは、その成員は誰しも逃れられない。
が、社会のシステム内で生きるうえで、選択肢はシステムへの適応だけではない。
システムからの独立は、達成不可能ではあるが、「導きの星」として機能する。
それは、階級社会における「下克上の夢」のようなものかもしれません。

 環境問題に対して個人がとりうる姿勢を考えてみましょう。
 自分にも責任の一端があるらしいが、効果的な解決に貢献するのは不可能な規模の問題。
 道義的には何かしなければと感じるが、行く先は徒労の未来しか見えない。
 それでも動くか、何もせず後ろめたさに日々苛まれるか、問題自体を否定・無視するか。

 問題の規模の大きさは、身の丈感覚が全く役に立たないことを痛感させます。
 だから、焼け石に水の環境配慮の行動が、自己満足や偽善に見えてくる。
 そして、明確に悪いことをしたわけでもないのに疚しさを感じるのは、理不尽である。
 上記の「システム的な思考」を会得した人間にとっての正解は、否定、あるいは無視。

 たとえば、「危険社会の自己言及」的姿勢は、この3つ、いずれにも与しません。


話を戻しますが、というのはタイトルのもう一方のことなんですが、
システム社会の中で自己言及を追求することは、何か孤独を感じさせます。
一人でやるか、同じことを考える仲間がいるか、という話ではありません。
システム社会への不適応という姿勢には、何か本質的な孤独が伴うのではないか。

そして、何かそれは、大事にしなければならないもの、のような気がします。

 × × ×

『危険社会』を読もうと思ったきっかけ。
蔵書としてはずっとあったんですが、前に読んだ漫画に引用されて目にしました。
それは、いくつか出ている「サイコパス」シリーズの(たぶん)最初の物語。
個人の徳性が犯罪指数(だったかな?)として数値化・測定できる社会というSFです。

この作品以外にも、「表面上は安心安全な社会」という未来SFはいくつもありますが、
そしてその多くは「ディストピア社会」の基調で描写されていますが、
この認識はもしかして偏見であるのかもしれないな、とふと思います。
たぶん危険社会に完璧に適応できた人にとっては、それは「ユートピア社会」だから。


多分に感覚的なことを言っていますが、僕自身は、
システム社会への適応は個人の感度低下と対をなすと考えていて、
ゆえに、「自己準拠的な人々」とはこの先、論理ではなく感覚の水準で、
どんどん話が通じなくなっていくのかな、と本記事を書きながら思っていました。

言葉のやりとりにおいて、論理は通じても感覚が通じない。
これはある種、ベイトソンダブルバインド状態ではないかと思います。
それは情報伝達ではあっても、コミュニケーションにはならない。
言葉を交わす両者において、言葉の意味は通じながら、言葉を交わす意味がすれ違う。

それは孤独かもしれず、では「それを避けるための孤独」とは何だろう、と思う。
 

Craftsmanship for Sensitivity

  
セネットの『クラフトマン』からの抜粋です。

CADはまた、設計士が、実物のサイズとはまったく異なるものとしての、縮尺(スケール)について考えるのを妨げる。縮尺には比率=バランス(プロポーション)についての判断が含まれている。(…)たしかにディスプレイ上の物体は、それが、例えば現場にいる誰かの見晴らしのきく地点から見られているいるように、自在に操作されうるのだが、CADがしばしば誤用されるのは、このときに外ならない。つまりディスプレイ上に現れているものは、ありえないほどに首尾一貫しており、実際の光景ではけっしてありえないほど統一的に構成されているのである。

「第一章 悩めるクラフツマン」p.82
リチャード・セネット『クラフツマン 作ることは考えることである』高橋勇夫訳、筑摩書房、2016

 
 ”縮尺は実物のサイズとは異なる”
 ”縮尺にはバランスについての判断が含まれる”

このあたりの表現について、
セネットが言おうとしていることと正確に一致するかは別として、
僕自身の経験を改めて照らすものがありました。


縮尺とは、製図用語としては、図面と実物の大きさの比を表します。

 コーヒーカップの高さが100mmで、
 カップの正面図の高さが同じく100mmならば、
 この図面=正面図の縮尺は1:1である。

一方、セネットのいう縮尺に含まれるという「バランスについての判断」、
これは、(1)図面内の物体間の大きさの比率に対する感覚、それから、
(2)図面の物体(群)とそれと対応する実物(群)の対応感覚、を指しているはずですが、
引用した箇所の最後の一文を考慮すると、
(3)(風景内の)実物間のバランス感覚、も含めてよいと思います。

 ”ディスプレイ上に現れているものは、(…)実際の光景では
  けっしてありえないほど統一的に構成されている"

これは一見すると変なことを言っているようですが、
ディスプレイ上の図面データは、その物体間の大きさの比は実物と等しいが、
「実際の光景」つまり実物を目前に人が感じる大きさの比とは必ずしも一致しない、
という意味に僕は読みました。

写実主義が最も実物っぽい描写である、という価値観は
 客観主義のバイアスがかかった主観がなすものである」
といった教訓をここから導くことができますが、
ここからまた別の(自己言及的な)連想が働きました。


最もローテクな状況を想定してもらうとして、
「何かを絵に描こう」と思った人が、その絵を描いて、
さて、その絵かきは、人にその絵を「どう見て欲しい」と思うか?

りんごの絵なら、それを見て「実際のりんご」を感じて欲しい。
基本はそのはずで、間違っても、
「実際のりんごを見て、それを描いている絵かきの画用紙の絵」
を感じて欲しいとは思わない。
それは、感じるまでもなく「そのもの」だからです。

セネットの、クラフトの現場における「テクノロジーの誤用」に対する懸念は、
このことではないか、と思います。
ある目的を達成するための、手段としてのテクノロジーが発達する。
その発達が、人間のクラフツマンシップの発揮を妨げる(不必要にする)とき、
手段であったはずのテクノロジーが、結果を勝手に導き出すことで、目的化する。


いや、文脈がとんでいるので、あいだを繋ぎますが、
冒頭の引用文を読んだ時に、僕は最近読んだマンガのことを連想しました。

あまり実際を知らないので想像で言うのですが、
多作の漫画家の中には何人ものアシスタントと共同作業をしていて、
それは様々な分業の形式をとるはずで、
枠線、人物、風景、吹き出しと発言内容、といった分担があれば、
人物描写の行程も、粗い描線、全身の詳細化、目の描き入れ等に分割する、
ということもあるかもしれません。

昨日読んでいたマンガで、ストーリーを追いながら読んでいて、
ふと目に付いた一コマに、ストーリーとは関係のない想像が働いたのですが、
そのコマでは、斜め横向きの人物の肩上がアップで描かれていて、
その顔における片目の位置が少しおかしかったのです。
人物描写の目がちょっと変だ、という違和感は、
「作画の乱れ」(=同じ人がコマによって別人物に見える)ではなく、
「作画の分業」という連想を呼んだのでした。
(この2つの違いについては、別文脈で掘り下げる余地があります)

つまり、ここでりんごの例と対応するのですが、
僕はマンガを読んでいて、ある箇所で、
「マンガが描く物語そのもの」ではなく、
「マンガが描かれている現場」を想像したということです。

この出来事は、ほんらい、漫画家が意図するところではないはずです。

が、セネットの文章を読むうちに考えさせられたのは、
どうも「そう」とばかりは言えないのではないか、
ということです。


「楽屋ネタ」というのがありますね。
バラエティ番組がテレビにおける発祥だと今勝手に考えていますが、
今ではドラマやPVのクリエーション番組や、
テレビクルーを映像内に映し込む旅番組など、色々あります。

「テレビとは画面上にひとつの幻想を作り上げることで、
 その幻想のリアリティは舞台裏を見せない(想像させない)ことで担保される」

この常識は、リアルの舞台では残っていても、もはやテレビにはないのでしょう。
その昔、「アイドルは"大"をしない」(トイレのこと)という伝説があったそうですが、
それはアイドルが幻想としてリアリティを持っていた時代のことで、
今は「アイドルだって人間だ」を再確認できることにテレビのリアリティがある。

いや、上と同じ話かもしれない、と思って書いてみたんですが、
どうでしょう。
「楽屋ネタは飽きられたら先がない」といつか聞いた気もしますが、
どうなのでしょう。


「楽屋ネタ」の話は、
「幻想の製作現場という手段」を「目的」にしてしまった一例です。
マンガを読んでいる間の作画現場の想像は、
漫画家が意図してそうしているわけではないのですが、
手段の目的化という話に合わせて持ってくれば、
マンガのあとがきにある「このマンガはこうしてできた」という章がそれです。

あるいは、カバー裏に漫画家の顔写真…はほぼあり得なくて、
なんだかよくわからない写真か絵か、著者近影という名の似顔絵がありますが、
そうだ、新聞に漫画家が(なんかの受賞とかで)記事になる時に、
そこは新聞側の規範なのか顔写真を載せている人がいますが、
そこでも似顔絵などで通す漫画家もいますね。

ここにある表現者側の認識は、
「作者の顔写真が作品の世界観に影響を与える」というものです。
その影響の良し悪しではなく、
「舞台裏は物語に対しては異物である」という感覚。


…話を戻しますが、
最初のほうで「自己言及的」連想、と書いた部分にやっと来ました。
自己言及、という言い方は少し妙なんですが、要は、
現象の相互作用は一往復で終わりではなく相互に影響を与え続ける
という話です。

 分析的思考、またそれを表現するための文章化というのは、
 ダイナミックな過程をスタティックに(かつ線的に)置き換えるもので、
 「現象の相互作用」と言う時に、端的にいえば、それが一往復で終わってしまう。

 「ああすればこうなる」という因果の繋がりは、その連鎖はいくらでも続けられるが、
 その因果を想定する主体本人の変化を、その連鎖に織り込むことができない。
 なぜなら、主体が途中で変われば、後半で言うことが前半とは違ってくるから。
 でも、現象のダイナミクスとは、そもそも「そういうもの」です。

リアリティをなんとか言葉にしようとして、
でも必ずこぼれ落ちてしまうものがある。
言い足りない、と思えば言い過ぎる。
どっちだ、と思う間に自分は変化している。
必然的に起こる、表現における不全感。

これの対処法は原理的に2つあって、
表現者が作品の向上のために追求すべきは、言うまでもなく前者です。

 ひとつは「言葉をリアリティに近づける努力をする」、
 他方には「リアリティを言葉に近づける努力をする」。

機械の誤用、楽屋ネタ志向、
また、今思いついた『◯◯(今話題の若い棋士の名前)の作り方』といった本のタイトル、
(中身は知りませんが、おそらく伝記的な内容の本にそういうタイトルをつける発想の方)
も含めてもいいかもしれませんが、これらはどれも、
努力の方向性をいえば後者にあたるのだと思います。

あるいは、消費者とは本質的に後者を追求する存在なのかもしれません。


…ええと、「現象の相互作用」の話をしようとしていました。

養老孟司が、2000年前後の著書で、
「一緒に住む家族が幽霊みたいに思える」という学生の話に対して、
テレビばっか観て育ちゃそうなるだろう、といったことを書いていました。
 テレビの中の人物は一方的に喋る、観ているこちらに関係なく。
 テレビの中で爆発が起こっても、瓦礫の破片はこちらに飛んでこない。
 身近に自分とは関係を持たない秩序があって、
 その秩序の時間は、自分を巻き込まず、自分の影響を受けずに流れていく。

世の中(=身の回りの秩序)とは「そう」である、と思って育てば、
(例えば、家族との会話よりもテレビを観る時間が圧倒的に長い幼少期を経る等)
自分が呟いた言葉に返事がくることを「気持ち悪い」と感じるようになる。
いや、なってもおかしくない。

また、同じ著書の中には、
若い時に非常に苦労して大成した資産家が、
今の若い人に苦労させないために惜しまず教育支援をする、
というニュースを聞いて「なんでそんなことするんだ」と怒り、
養老氏の奥さんに怪訝な顔をされた、という話もありました。
つまり、その資産家の善意を疑うわけではないが、
 彼は自分の「非常に苦労した過去」を果たして肯定しているのかどうか、
 その過去があったから今の彼があることを彼自身がどう考えているのか、
 彼の「若者に苦労をさせない善意」はそのどういう答えになっているか、

といったことに対する自覚に、養老氏は疑問を感じたということでした。

教育の問題は非常に難しくて、
特に世の中(技術革新や生活水準)が大きく変わる時代には、
古くから定常が良しとされた教育観も変容を被ることになる。
そういう変化の時代に、慎重に考えなければいけないのが、
世代をまたがる「現象の相互作用」についてです。

…いや、教育の話は収拾つかないのでやめましょう。
タイトルの話に戻ります。


 ”縮尺にはバランスについての判断が含まれる”

冒頭に引いた、セネットの文章の一節です。

「バランスの判断」、これは感覚的なものです。
手で建築図面を描かずにCADに頼ると、こうした感覚が衰える。
セネットは、引用した節でこう懸念しています。

ここでは建築家、設計者のバランス感覚を問題にしていますが、
無論、この影響は波及していきます。

CADで描いた「ありえないほど首尾一貫した」絵を、
家を建てようとする人や、あるいは展覧会の客などが、
「そういうものだ(=こういうものにリアリティがある)」と思えば、
まさに、そうなる。
(「リアリティの意味」という言葉上のことだけでなく、
 リアリティという言葉が本人の中で指示する感覚的なものまで影響を受ける)

ペンタブと描画ツールで隙なく整然と描かれたマンガを当然と読んでいれば、
漫画家が一人で全部描いた、筆致がありありと浮かぶマンガが「別物」に見える。


これらは、感受性の鈍磨とは言い切れないのかもしれません。
感受性の方向が変わっただけだ、と。
でも、僕はここに「それっぽさ主義」とも言える危ういものを感じます。

自分の感覚がまずあって、
対象がその感覚に対してどう響くか、
ではなく、
自分の感覚の「外部」に確固としたなにかがあって、
その「外部の基準」に対象がどれだけ忠実であるかを自分の感覚よりも優先させる。

感覚の判断基準が「外部」にあって、
でもそれを「内部」のことである、と読み替える、
無自覚的な、自身の感覚への裏切り。


クラフツマンシップそのものについては本記事で掘り下げられませんでしたが、
(それはセネットの本全体にいや(ではないけど)というほど充溢しています)
クラフツマンシップはこの「自身の感覚」を鋭敏にしておくために欠かせず、
また、それはクラフトの(製作者としての)現場だけでなく、あらゆる場面で、
マンガを読むでも、あらゆる消費活動においても発揮できる作法です。

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想像力を派生力に/希望のイコンとしての「パンドラの空箱」

ずっと前からいつ読もうかと思っていた、
セネットの『クラフツマン』をようやく読み始めました。

 僕が工学部で、専門科目が本格的に始まった三回生の頃、
 大学のキャンパスも移って工学部図書館に出入りするようになって、
 読みたい特定の本としてその図書館を探した記憶があるのは、
 クーン、ポパー、ファイヤアーベントといった「科学哲学」の範疇の著作で、
 彼らは当時の僕がもっていた疑問に答えてくれるようであったのですが、
 その時に念頭にあった問題意識とは今思えば正確には「ものづくりの哲学」
 統計力学流体力学やら設計工学等々、各論として意義も実践もわかるが、
 「総じてそれらを学ぶ意味は何か」という疑問には答えてくれなくて、
 しかしそれは工学部生個人の視点で見れば学部の志望動機のようなもので、
 「その答えを見つけたから今君は大学のここにいるのだろう?」という前提があり、
 そして当然ながら(胸張って言うことではないが)大学全入時代に一定数は必ずいる、
 「デモシカ学生」の一人であった僕がその前提を満足しているはずもなく、
 だからこそ当時三回生の時に他学部(文・法・経済など)への転部に悩んだり、
 院に行かずにLECに通って弁理士の資格をとろうと思ったり、
 (結局は周りに(中途半端に)流されて別の大学院へ進学したのですが)
 そうして「自分のことを掘り下げて考える」ことを知らずに血迷い続けていた、
 学生時代の自分をふと思い出したのはなぜかというと、

 リチャード・セネットこそが、
 工学部に在籍する当時の自分を勇気づける本だったのではないか、
 と思ったからです。

 当時これを読んでいれば、
 意気揚々と大手メーカーに就職するか大学に残って研究職をやるか、
 していたかもしれませんが、
 今ほど(いわば「文系」の)本を読むこともなかったろうと思います。

 そのどちらでも、
 それなりによかったのだろうし、
 どちらにしても、
 「自分が選ばなかった道」への想像の芽は摘まないようにしたい。


いや、本論に入る前に逸れまくってますが、

過去の自分にあった人生の岐路を回想することには、
現状の不満とか、その「自分が選ばなかった道」に対する未練がくっついたりしていて、
回想の意味は(誰かと昔話などしていれば特に)最終的にそれらに回収されてしまうのですが、
(「昔はよかった」は容易に「今は(あんまり)よくない」に裏返る)
それは、その方が話が単純だからで、話を単純にしたいからそうなるのであって、
もちろんそれだけではないはずです。

とにかく、なるべく多くの状況で「想像力を抑圧したくない」と思っている僕は、
一人で回想する時にその安易な結論でそれを閉じることは「想像力の抑圧」になると考えます。

というのも、「昔はよかった」の回想に浸るあいだは気持ちとして充実するとはいえ、
その充実の大きさは「でも今は…」と戻ってくる時のダメージに比例し、
従って回想すること自体が充実と反動のアンビバレントに直面して、
「とおりいっぺん(いつも通り、予定調和)の回想」に留まってしまい、
そこから(たとえば、自分が選ばなかった道「の先」といった)羽を広げることがないからです。

なので、回想に通俗的でない価値というか方向性を持たせたい、
ということを前に考えたことがあって、
今ちょうどそれを思い出したので脇道で書いているのですが、
回想は「系譜学的思考」の私的バージョンである、という認識が一つ、
(「系譜学的思考」とは、歴史の転換期を起点に「ありえた別の未来」を想像すること)
もう一つ、「個人的な経験にリアリティを支えられた私小説」というのがある。

小説はフィクションであって、そのリアリティは主に想像力が担い手となります。
小説中の言葉の一つひとつを、文脈と、その言葉に関する自分の経験を元手に想像を膨らませる。
だから、小説で自分の経験が活きるのは、文脈ではなく言葉(単語)のレベルです。
あくまで単純化してのことですが…

一方で、自分の過去の回想というのは、
そのストーリーの始まりに自分の(過去のある時点の)経験があります。
つまり、自分の経験を文脈レベルで活かして、想像を膨らませるのが回想です

だから過去の回想が小説よりリアリティを持つのですが、
いやこの認識自体は言われずとも実感として多くの人が持っているはずで、
けれど今ここで言おうとしている大事なことは、
「自分自身の回想を小説の一種として考える」という認識のほうの意味です。

過去の経験の回想の「元手」を、
自分に手が届きやすいもの(過去なので実際は無理だがそう思ってしまう)ではなく、
想像の素材として、特にビビッドなリアリティを備えたものとして捉える。

想像のリアリティを、「没入感」ではなく「派生力」に投入する、
と言い換えてもいい。

これは懐古が「温故知新」となり、未知の新しいものを生み出すための認識です。

 × × ×

本題です。

『クラフツマン』、期待通りのセネット、
飛ばし読みでなく、噛み締めたくなる文章が続いて、
これまた読了に時間がかかりそうで、
それは良きと思ってぼちぼち読み進めますが、
ちょっと考えたい、というか、
近頃考えていたことと繋げて言葉にしておきたい箇所に出会いました。

最近何度か書いてきた、マリオン『存在なき神」との関連です。


ギリシャ神話の「パンドラの箱」についての記述があって、
その神話の具体的な内容を(『クラフツマン』の序章で)さっき初めて知ったのですが、
簡単にその内容に触れると、

 パンドラというのは「すべてを与えられた者」という意味で、
 プロメテウスが天界から火を盗んで人間界に与えた罰として、
 ゼウスが人間界(プロメテウスの弟?)に贈った初めての女性の名前だそうです。
 「パンドラの箱」というのは、パンドラと一緒に人間界に贈られた箱のことで、
 「ゼウスから贈られた箱は開けるな」と警告されていたにも関わらず、
 パンドラが魅力的な女性だかなんだかでプロメテウスの弟はそれを開けてしまって、
 病気だとか、憎悪だとか、ネガティブなものがたくさん飛び出してしまう。

アダムとイブの「知恵のりんご」と似たような話ですが、
その、パンドラの箱から色々飛び出た「その後に残ったもの」のことを知って、
僕は「へえ!」と思って、想像がいろいろと膨らみました。

そこだけ引用します。

そして、ある日パンドラ(エピメテウス[←あ、これがプロメテウスの弟です]という説もある)はついに持ち前の「好奇心」に負けて箱を開けてしまう。するとそこから痛風、疾病、死、貧困、嫉妬、怨恨、復讐、悲嘆などさまざまな災いが飛び出し、パンドラは慌ててその箱を閉じるが、「希望(「前兆」ともいわれる)」を除いてすべて飛び去ってしまっていた。

「序論 自分自身の製作者としての人間」p.21
リチャード・セネット『クラフツマン 作ることは考えることである』
太字部は引用者

この箱には、あらゆる災いの種が詰まっている。
開ければ最後、取り返しがつかない。
パンドラの箱」という慣用句には、そのようなニュアンスがあると思います。
引用文もそのように読めます。

 パンドラは慌てて箱を閉じるが、
 時既に遅し、
 災いの種は一つ残らず飛び出してしまった。

僕が知らなかったのは、事前にちょっと触れましたが、
「その箱には希望(前兆)だけが残っていた」ということです。


開けてはならない、パンドラの箱
日本昔話でいえば、竜宮城のお土産である玉手箱を連想します。
要するに同じだろ、と思っている人もいるかもしれません。

この(通俗版の?)「浦島太郎」から考えてみましょう。

玉手箱を開ける。
浦島太郎は浦島翁になる。
さて、この時、いやこの後
玉手箱はどうなったか?

蓋を開けると、煙がもうもう。
箱の中は空っぽ。
この後、玉手箱がどう扱われたかといえば、
手にとって振るわけでなく、覗き込んで詳らかに検討するわけでなく、
放置されたでしょう。
あるいは、造りや飾りが綺麗だとかで、
家に持ち帰り、物入れくらいにはなったかもしれない。


僕はギリシャ神話について詳しく考えたことはありませんが、
ざっくりしたイメージとして、
パンドラの箱もこのようなものだと思っていました。

つまり、
蓋を開けて、あらゆる災いが飛び出し、
人々はその災いへの対処で大わらわ、
残されたパンドラの箱には、誰も見向きもしない。
なぜなら、全てが出払って、そこは空っぽだから、と。

しかし、
そうではなく、「希望」がそこには残っていた。

だからなんなのか?

 × × ×

パンドラの箱」は、メタファーとしてよく用いられます。
たとえば、現代では科学技術に対して、その比喩を使う。
原子力が「プロメテウスの火」だというのと、同じ意味で。

そのメタファーを念頭に考えを進めるとして、

遺伝子工学原子力、戦争兵器、といった、
人類に、文明の発展と同時に滅亡の種をもたらした技術、
これらは「パンドラの箱から飛び出した災い」の具体的な一つひとつです。
技術者倫理、科学哲学といったものは、
これらに対するフェールセーフ的な学問です。

さて、
科学技術がパンドラの箱だとするなら、
時間を特定すればその箱は「開封前」あるいは「開封中」のはずですが、

では、
「災いが出払った後の空箱」は、なんのメタファーなのか?

…わかりません。
今思いついた問いで、その答えを今は思いつきません。
これは宿題にして、方向性を変えます。


先に触れたことを言い換えたものですが、
技術者倫理や科学哲学は、
メタファーでいう「パンドラの箱の中身」を扱う対象としています

ふと僕が思ったのは、これに対して、
「ものづくりの哲学」
「工作人(ホモ・ファーベル)」の精神を掘り下げる哲学、
と言ってもいいのですが、
こちらは「パンドラの箱そのもの」を対象としているのではないか。

そこに何があるのかといえば、
ギリシャ神話のいう「希望(前兆)」がある。

つまり、「ものづくりの哲学」とは、
「ものづくりの希望に関する哲学」であって、
科学技術が文明の盛衰を左右する規模に膨らんだ現代ではそれは、
「人類の希望に関する哲学」でもある

 × × ×

ここで、やっとというか、
話のつながりがあるかは(書いてみるまで)よくわからないんですが、
タイトルの「希望のイコン」の話に移ります。

 箱から災いが飛び出し、
 パンドラが蓋を閉めるも間に合わず、
 「希望」以外のものすべてはそこから飛び去った。

神話の一節、この表現で読めば、
蓋はこの時閉じられたまま、二度と開けられないともとれる。
残った中身も、そして箱自体も、
多くの災いを生み出した元凶として忌み嫌われ、遠ざけられる。

しかし、そこには希望がある。
どういうことか。

希望は、普段遣いの目では見えない。
災いの多様さと規模に隠れて、存在すら認識されない。
かかりきりになる目の前のことが多すぎて、その出自を辿れない。

あるいは、箱に目を付ける者が、まれに現れる。
また、禍々しい封印を解き、その蓋を再び開ける者が。
そして、(知ってはいたが)中は空である
内容物が全て出払えば、箱の中には何も残らない。
合理的精神も要さない、日常の真理。

しかし、そこには希望がある。
どういうことか。(二度目)


「パンドラの空箱」が、イコンとして存在し、
そのイコンの指し示すものが希望である。


『存在なき神』の内容を今思い出しているのですが、
「イコンと偶像」という一節(どころではなかったが)の中にあった記述によれば、

イコンとは、「見る者に、そのものでないものを志向させ続けるもの」である
だから、イコンは意味ではない、意味を持たない。
イコンと、何かの対象とが、一対一に結びついているわけではない。
ただ、イコンは、それをまなざす者に、「なにか」を志向させる。
永遠にそれにたどり着けないことを知っていながらも求めさせる「なにか」を。

偶像は、イコンと同様に「見る者にそのものでないものを志向させる」が、
その「そのものでないもの」は固定されたある一つの「なにか」であり、
その固定対象は、見る者の志向(願望)が投影されたものである。
だから、偶像をまなざす者は、そのまなざしが固着する、居着く。

イコンへのまなざしは、そうではなく、
いわば「安定しないことを本望とする」ようなまなざしである…

このへんでやめますが、
マリオンは「神」を「偶像でもイコンでもないもの」として考えていました。
というのも、イコンは機能としては「神」でも、仮想的存在だからです


話を戻しますが…
セネットのギリシャ神話紹介文を読んでいて、
「パンドラの空箱」が希望のイコンである、
という発想を、なぜかしら抱きました。

本記事ではこの発想を掘り下げられませんでしたが…

「そうであればいい(面白い)」という知的願望かもしれませんが、
同時に、これを日常生活の思想として掲げておくのもいい、と思いました。

 × × ×

あらゆる災いが飛び出し切って、あとに残るのが「希望」であること。
その「希望」は、災いに目を奪われていては、見えないこと。

そして、
「パンドラの空箱」が何のメタファーであるか?
この疑問を、念頭に置いておくこと。


結論というには、何が何だかわかりませんが、
僕の中で、これは大事なことではないか、という認識に至りました。

セネットの『クラフツマン』は、ぼちぼち、じっくり読んでいきます。