14日目:高知市街で一本歯を探すが見つからず 2017.3.14
ロルバーンのリングノートに書いた14日目の日記は以下だけです。
というのも、この日は歩き以外の移動日で、その移動の際に日記を携帯するのを忘れたからです。
(メイン荷物の登山ザックを奈半利駅のロッカーに入れたのだったかな…?)
高知市からの電車の帰りに、歩き遍路必携の遍路地図である「黄色い本」の余白にメモをした、という内容だけ日記に書いてあります。
そしてその黄色い本は最早手元にはありません。
以下、遠い記憶を呼び起こしながら書きます。
四国遍路を出発してちょうど二週目となったこの日は、高知市街へたどり着く手前で早々に宿を決め、電車で先に高知市に入って履物屋を探しに行きました。
一本歯の下駄の歯がアスファルトですり減り、まともに歩ける状態ではなくなっていたので、歯を替えてもらうか、そうでなくとも下駄本体を買える店を探す必要がありました。
これまでの道中、四国の履物屋事情について地元の人に何度か尋ね、生活感覚とはいえ「高知で下駄履いてる人は見たことない」などと言われて、不安ではありました。
奈半利駅から高知駅へ向かう鉄道はモノレールのように街並みの上を走ります(モノレールなのかな?)。
これから歩いて向かう所へ先に電車で行くのも変な気分ではないかと思えますが、歩くことが日常となった当時の自分は、日常とは完全に分離した「非日常」として、淡々と受け入れていたはずです。
高知市は土地が平坦で、南に大きく開けた印象がありました。
市内に限りませんが、高知県の海沿いの町はだいたい、広域で標高が低い。
(六甲や尾道のような、斜面に家屋が連なるような光景は見られません)
海抜を示す立て札が至るところに立てられ、避難所の案内板も多く見かける。
ちょっとした小山(神社や祠の敷地程度の)があれば、その上方に備蓄倉庫がある。
高知駅へ着き、旅行案内所で情報を集め(→得られず)、ネットカフェへ行って市内の履物屋について検索することにしました。
自分はガラケーしか持っていなかったからです。
(旅の出発前、本当は携帯すら不携帯にするつもりだったんですが、道中での宿の予約を公衆電話に頼るのは相当にリスキーだというまっとうな認識が勝ちました。徒歩という原始的な移動手段に合わせて文明の利器は然るべく排除する、というようなことを計画時に考えていました)
電話をかけたり、連絡がとれずいくつかの店の地図をメモして実際に足を運びましたが、捗々しい結果は得られませんでした。
仕方なく、神奈川県在住時に自分が初めて天狗下駄を買った、東京の履物屋に電話をして、何日か後に泊まる予定の宿に下駄を送ってもらうことにしました。
そしてもちろん、その宿にも予約を取り、荷物が届くことを伝えて了承してもらいました。
こうなると、下駄を手に入れるまでは、歩く行程を予定通りこなさねばなりません。
元々はその日の進行具合で当日に宿の予約をすることも多かったので、なかなかのプレッシャーとなります。
とはいえ、こうなるだろうとは数日前から予感していたことです。
旅に予定外はつきもので、それを嘆かずに粛々と受け入れるのが旅行との違いであり、さらにはこれも(弘法大師のお計らいによる)縁だと思って有難く思うのが遍路人の心得であります。
本当に自分がそう思っていたかは、知りませんが。
夕方まで市内をあちこち歩き、電車に乗って奈半利に戻ってきた時は日が暮れていました。
宿には、というかホテルですが、最上階に展望露天風呂があったことを覚えています。
甲野善紀氏の simple complexity についての私見
複雑性(コンプレクシティー)
確実な計算のための情報が欠けていること。複雑性の下では処方箋を書いても呪文を唱えても効き目がない。ただし、「それ自体として」複雑な対象があるわけではないのであって、ある構造がどれだけ複雑で「ある」かはそれを記述できる形式によって決まってくる。
(…)
人は環境に対して適切に反応できるほど自分自身が複雑であるわけではないから、複雑性の縮減と複雑化の埋め合わせが必要になる。過度の複雑性は、縮減の強制という実践に駆り立てる(そうすれば安心できるかのように思われる)。しかし、複雑性の縮減で問題が片づくわけではない。外部の複雑性の縮減は内部の複雑性の増大をもたらすのである。組織は、外部の複雑性を縮減し外界を見通しの利くものにした分だけ、みずから複雑になる。その結果、コントロールのための分業が不可欠になる。システム自身が複雑になればなるほど、それは命令によって制御しにくいものになるのだ。
「用語解説」p.282 (ノルベルト・ボルツ『意味に餓える社会』)
この「複雑性」についての用語解説は、とても重要な知見を多く含んでいます。
自分の関心に対しては3つくらいリンクがあるのですが、その中の一つについて書きます。
× × ×
「外部の複雑性の縮減は内部の複雑性の増大をもたらす」
この言明はメタファーとして広く適用できる可能性を持っています。
解説では組織が具体例に挙げられ、個人としての人に対しては抽象的にだけ触れています。
僕の興味は、では個人において複雑性はどのように発現しているのか、です。
その流れで、ふと甲野善紀氏の言葉を連想しました。
「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う」のが氏の武道における基本姿勢だと、
内田樹氏との対談本で発言されていた記憶があります。
その氏が武術研究に身を置くことになったきっかけの考え方について、
手元に本がないのですぐに引用できないのでひとまず記憶の印象で書きますが、
「人間における自然とは何か」
「人間の運命は必然であると同時に偶然である」
といったテーマの探求を生涯の課題とする決意に至られたが、
それによって氏は自分がいかなる状況に陥ろうとこの課題への関心は失わないだろう、
と思われたようです。
つまり、自分の行動、そして自分のまわりで起こる出来事のすべてが、
自分の探求テーマと深い関わりを持つがゆえに熱心に取り組まざるを得ない、
ということだと思います。
先に引用した複雑性に関する言明を、個人について当てはめてみます。
まず、以下のように考えてみる。
個人における「外部」=個人の外部認識
個人における「内部」=個人の内的欲求
これを単純に言明に当てはめると、2つの命題が導ける。
”外部認識の複雑性の縮減は、内的欲求の複雑性の増大をもたらす”
”内的欲求の複雑性の縮減は、外部認識の複雑性の増大をもたらす”
命題の逆は真とは限りませんが、論理学的には対偶は真であり、2つ目が成立します。
さて、命題の逆か対偶かは今の自分にあまり関心がなくて、
それはつまり1つの命題が含む2つの現象の因果関係はどうでもよい。
問題にしたいのは、2つの現象に相関があり、並立していることです。
僕が甲野氏を連想したのは、氏が上記2つの、後者だと直感したからでした。
自己のシンプルな欲求に基づいて、複雑な現象を複雑なまま取り扱える人物。
僕はこの意味で、氏のような(氏が目指す)思想を体得したいと思う者です。
一方で、上記2つの命題の前者。
ちょっと分析してみたいと思ったのは実はこちらのほうです。
具体的に言い直してみます。
世界の成り立ちを単純化して捉える、自分が何をしたいのか分かっていない人物。
こんな人がいるだろうか、と疑問に思う前に、
この類の人における「内的欲求の複雑性」について考えます。
それは例えば、思想の問題、言語運用の問題です。
複雑なものを単純に言い表そうとすれば、切れ味は良くても、取りこぼれが生じる。
言語運用における複雑性の縮減の常用が生み出すのは、
いずれ山となる「微妙なもの」、ニュアンスや行間に潜むものの蓄積です。
言葉に対する正確さを求めなくなる、その怠惰の影響は当然、自己表現にも及ぶ。
端的に表される、自分が欲しいもの、やりたいこと、好きな言葉。
それらが自分自身を表現していると思い込むうちに、ふと兆す不安。
「内的欲求の複雑性」が指すのは、その不安を解きほぐす手段が失われている状態です。
「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う」こと。
この言葉は、単に言葉の限界を表しているだけではありません。
言葉の限界を受け止め、それでも使うしかない言葉によって、その限界を打ち破る。
限界は無限への導きの糸であり、不自由は自由の探求に不可欠な素材です。
これは、設計されたシステムには代替できない、徹底的に個人的な仕事です。
× × ×
「いいんだよ」
「パパ」
「なんだい?」
「パパって、ほんとに、パパ?」
「たぶん」
「ぜったい、っていって!」
「なんで?」
「こわいから。パパ」
「なんだい?」
「ぼくって、ほんとに、ぼく?」
「そうだよ」
「えええっ! なんで? パパは、パパじゃないかもしれないのに、どうして、ぼくはぼくだってわかるの?」
「そうであってほしいから」
「そんなんでいいの!」
「いいんだよ」
高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』新潮社
「あの、私に会ったのは、どうしてですか? 何が目的ですか?」
「一度お目にかかりたいと思っただけ。好奇心です。いけませんでした?」
「いえ、とんでもない。震えるほど光栄です。貴女の名前を教えて下さい。たぶん、有名な科学者でしょう。そうでなければ......」
「私は、ウォーカロンです」
「嘘だ。そんなはずはない」
「では、人間です。先生の判断に従いましょう」
「素晴らしい」僕は頷いた。知らないうちに身を乗り出していた。
森博嗣『彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?』講談社タイガ
- 作者:高橋 源一郎
- 発売日: 2012/04/01
- メディア: 単行本
不死身(富士見)の伝統芸能「純粋暗箱形式主義」
それ以来、人々はポスト・イストワール的に硬直した世界に動きをもたらす「情念(パトス)の型」を求めてきた。失われた「生の緊張」を、改めて純形式的に、生活世界に注ぎ込もうというのである。これが、コジェーヴが分析した魅惑的現象、すなわち純形式的な評価という日本的スノビズムにほかならない。能や茶の湯を考えてみよう。日本人は明らかに、完全に形式化された価値に従って生きているのだ。その形式はどんな内容とも結ばれておらず、形式自体にのみかかわるものである。アービュー・ヴァールブルクの「情念の型」という概念を右に用いたのは、そのためだ。情念についてその表現形式というものがあるとしたら、消えてしまった情念を形式の祭儀(カルト)によって甦らせることも可能なはずである。その祭儀においては、文化とはさまざまの差異から成る秩序としてのみ存在しうるものだという意識に立って、内容を問わずに差異そのものが定められる。言い換えれば、意味は序列においてのみ存在するのである。われわれはそのことを、日本人から学べるかもしれない。シェイクスピアも、「地位はすべての高貴な企図への梯子だ」と書いている。
「3 ポストヒューマン……人間という尺度からの別れ」p.107-108 (ノルベルト・ボルツ『意味に餓える社会』)
いくつもの連想が錯綜して現れる箇所に出会ったので、とりあえず抜粋してみました。
まず整理し切れないので、思いつくそばから書いていきます。
× × ×
「純形式的な日本的スノビズム」、その例として能や茶の湯が例として挙げられています。
明示的ジャンルとしての、つまり記号的な伝統芸能は、現代日本では勢いを失っています。
が、ここに書かれていることは、そのまま今にも当てはまるだろうと思います。
赤信号 みんなで渡れば こわくない
という交通標語(だったかな?)があります。
その派生として、次のようなものもある。
崖の上 みんなで落ちれば こわくない
いかにも日本的な行動原理、抜粋の下線部に書かれているのはこのことです。
「どんな内容とも結ばれて」いない、「完全に形式化された価値に従って生きている」。
「内容を問わずに差異そのものが定められ」、「意味は序列においてのみ存在する」。
僕は、先に書いた意味ではない「日本の伝統芸能」は今でも生き続けていると思います。
形式主義、換骨奪胎的能力主義、和魂洋才、…
その性質に当てはまる言葉がすでに数多くありますが、
ある概念の類義語が多いことは、ある文化におけるその概念の重要性を示しています。
ただ、これらの類義語は、もちろん思いつきで僕が並べたもので、
それぞれの語がもつ意味の一部が、ある一つの性質に対する共通性を同じく持っている、
ということに過ぎません。
そしてここでは、複数のスポットライトが重なり合って照らすある領域、
その領域について掘り下げてみたい。
いつからか知りませんが、大昔から日本人が体得してきた性質、
ここでいう「日本」が示すのは、大陸(文化の本家・中国)から離れた「辺境性」、
そしてモンスーン気候がもたらす季節の多様性と人知に負えない天災の多様性、
こういったもので、血縁や文化よりは、地政学的、風土的な視点を持っています。
この性質を「伝統芸能」という、ひとつの能力としてとらえようとする時、
上に並べたものに、さらに加えることができます。
日和見主義、なし崩シズム、相対主義、流行(モード)主義、…
以下より、ボルツ氏の言葉を手がかりに話を進めます。
× × ×
「完全に形式化された価値に従って生きる」とはどういうことか。
その生き方は、どういう変化を、どのような展開を見せるのか。
形式とは本来、有意味な内容を広く行き渡らせるために生み出されます。
しかし、形式となって流通し始めると、含めたはずの内容が失われていく。
意味が顧みられなくなり、身が剥ぎ取られ、骨抜きされ、器だけが残る。
形骸化によって、純粋な骸となった、美しい型としての形式。
この過程で除去される内容は、美に対する夾雑物として扱われる。
では、「形式に堕す」と言われるようになった型は、このようなものか?
たぶん違う。
堕落した形式には、美が、美すら失われている。
美を創造するはずの骨抜きのプロセスが、美の堕落をもたらすこともある。
何が違うのか?
それはきっと、「西洋人にはわからない」と昔に言われていたような違い。
大正日本で弓道を志したドイツ人オイゲン・ヘリゲルによれば、
禅的な、大乗仏教的な領域の問題。
閑話休題。
その違いを言葉にする難しさに比べて、
その違いが発生する原因の分析は易しい。
ひとつは、手段の目的化である。
「行く先彼方の星を見よ」。
北極星を目指して歩み始めた者は、いつしか、
星を指差す先人の指しか見なくなる。
形式の追求が容易に堕落するのは、
たとえばその質を担保していた徒弟制が成立しなくなったこともある。
「言葉で伝わらないことを、背中で伝える」
その背中に頼らない継承システムを、近代日本は構築しようとしたはずだ。
日本人には、理念がないとされる。
欧米人との議論に弱い、という評もある。
もとは、抽象的な思考をしない文化による。
西洋が行動原理とする「概念」を、机上のことと見なす価値観。
形式主義は、この価値観と相性が良い。
根拠の曖昧な基準に従順でいられ、その基準の変化に機敏に対応できる。
個人の価値観を根底で支えるものが、確固としておらず、流動的である。
だから臨機応変、現場主義で、人災も天災になる。
責任は自分が負うものではなく、他人に負わせるものになる。
また、形式主義には、抽象性(抽象度)という尺度が適用できない。
これも、日本的形式主義に独特なものである。
茶の湯や能、武道における「型」も形式である。
これはきわめて具体的(身体的)な形式である。
世間の常識や通念、多数派解釈も形式である。
これはきわめて抽象的(脳的)な形式である。
おそらく、西洋でいう形式主義は原理主義に近いものだ。
ある絶対的な価値に基づいた形式(つまり原理)を判断基準にする。
そういった姿勢は、辺境モンスーン島国においては主流とならない。
だから、科学も容易に宗教になり、見分けがつかなくなる。
科学者のデータ捏造が、素朴で生活者的なプラグマティズムによって実行される。
さてここで、日本的形式主義、これに名前をつけようと思います。
キーワードは、暗箱、ブラックボックスです。
根拠のない、論理が曖昧な、ただ存在し流通するがゆえに是とされる形式。
中身が任意である、つまり空っぽな暗箱。
暗箱は通常、仕組みが外からは見えない、何らかの入出力を伴う構造体を指します。
飛行機の航空データ格納器がブラックボックスと呼ばれるように、
覆いを取り払い、解析を施せば、論理に則ったメカニズムを知れるものです。
しかし、日本的形式主義は、ふつうの暗箱ではありません。
外見は黒く覆われ中身が窺えない、しかしその内側は全き空虚、エンプティです。
純粋無垢な暗箱、そこに美しささえ見出せる究極のブラックボックス。
これは日本にとっては伝統でも、世界からすればあまりに先進的でした。
たとえば「言葉と意味の結びつきは恣意的である」と説いた言語学者ソシュール。
たとえば自己準拠の論理的不可能性を「不完全性定理」として確立したゲーデル。
理性に基づいた哲学と科学が、研究の過程で直面することになった理性の限界。
それらを感性に従ってなんとなく「そうだよね」と、僕らは首肯することができる。
日本は少子高齢化だけでなく、プラグマティズムにおいても世界最先進国です。
議論が先走っているので補います。
先の日本的形式主義の名、これを「純粋暗箱形式主義」としましょう。
日本は長く、この思想ともいえない思想に基づいて社会を運営してきました。
明治に入って西洋の科学主義を輸入しても、その本質は微動だにしなかった。
科学を前面に押し出しながら、日本はいまでもアニミズム仏教国です。
この「アニミズム」も形式であって、「自然」の対象は移り変わっています。
藁小屋は自然物か、人間の行為が加担したのなら人工物か?
ビルは人工物か、自然たる人間が作ったのなら自然物か?
バイオ材料は、原子分裂は、遺伝子操作は?
自然と人工の境界は文脈依存、すなわち任意です。
しかしそのことを「アニマ」に適用できるのはおそらく日本だけです。
根拠がまっすぐ空虚とリンクする「純粋暗箱形式主義」。
これは、現代社会において複雑化した「システム社会」と親和性が高い。
メカニズムを組み入れられたあらゆるシステムには設計者がいます。
そしてそれが複雑・大規模化するほど、多数の専門家と、時間などの設計原資を要する。
次第に、個人としては一般人はもちろん、専門家の手にも負えなくなる。
またシステムは、自然な流れとして階層的に発展します。
ある一定規模以上の仕組みを維持するシステムには、
そのメンテナンス(保守点検)を行うサブシステムが付随する。
会社がシステムだとすれば、人事部や経理課はサブシステムとみなせます。
株式市場がシステムだとすれば、その安定性に寄与する会社はサブシステムといえる。
市場のメカニズムを、ある会社の経理課係長が解析できるかどうか?
そもそも、そんな必要もなければ、彼に動機もありません。
システムの階層化は、その構成員を上層システムからどんどん遠ざけていきます。
介在するリンクが増えれば増えるほど、存在実感が薄れ、興味の対象から外れていく。
住民一人の民意が、日本の政治を変えることは不可能なのか?
「いや、国政選挙というシステムがそれを可能にしています」
たとえばこの回答が、ボルツ氏のいう「ブラックボックスの手品」の一例です。
高度の構造的複雑性を機能的単純性によって隠蔽する技術製品を、「ユーザーにやさしい」と言う。はっきりいえば、そうした製品を使うのは簡単だが理解するのは難しい。まさにそのことが、ブラックボックスの手品なのだ。
同上 p.111
個人の生活を安心、便利にする社会システム。
そのシステムには、設計者が存在し、メカニズムを内在している。
その原理に関心を持たない個人にとってはブラックボックスであっても、
専門家にとって同様にブラックボックスであっては当然困ることになる。
設計者がシステムのメカニズムを理解していることの実際的な意味のひとつは、
そのシステムを制御できることです。
この観点によれば、現代の社会システムの設計者はそのメカニズムを理解していない。
それは別に、いまに始まったことではない気もします。
僕が問題にしようとしているのは、専門家ではなく一般人の感覚のほうです。
いや、専門家も一般人然とするようになってきた意味では、特定個人の話ではない。
上述のシステム階層化の別の一面ですが、専門分化が進むほど、
つまり一人の専門家がプロとして扱える対象が狭くなるほど、
自分の専門を成り立たせている技術や学問の全体性に目が届かなくなるからです。
話を戻せば、
今の僕らにとって、現代社会は「純粋な暗箱」に見えているのではないか。
あるはずのメカニズムが見出せない、ブラックボックス的なカオス社会。
道徳や倫理に根拠がないから、行為に後付けで根拠をくっつける形式主義。
論理の破壊、政治の放蕩を他人事にして、消極的に黙認する形式主義。
黙認では気が済まないから追従し、縮小再生産する形式主義。
ああ、この縮小再生産が「トリクルダウン」と呼ばれているものでしょうか。
日本はお家芸だから度は過ぎてもまあ仕方ないとして(近く安全弁が働くでしょう)、
世界中で政治が「純粋暗箱形式主義」に則って運用されている今日は、
(たとえばトランプ、習近平、ボルソナロ、…)
「世界がやっと日本に追いついた」という一言でまとめることも可能です。
そしてそんなことに意味は特にありませんが、
今僕たちがいる場所が、「赤信号」の前なのか「崖の上」なのか、
そういった方面に想像力を向けることは少なくとも、
現状認識にはつながるだろうと思います。
× × ×
<AR-F02> ある表情
表情に自然法則を適用することはできない。
物体ではある人の顔の、それは意味だから。
表情のない顔と向き合うことを人は恐れる。
しかし稀に、人を内省に誘う無表情がある。
彼の顔から笑いが消えている。自分の回りの大地に気づいて目を凝らしているからだ。彼の顔は、ひとつの自然法則のようだ。つまり、人が疑問に思ったり、変えたり、哀願したりはできないもの。彼の顔のやせた頬のくぼみのうえに高い頬骨がある。冷静な落ち着いた灰色の眼。固く閉じられた、人を嘲笑しているかのような不敵な口元。死刑執行人の口だ。もしくは聖人の口か。
彼は湖の周囲にそびえる花崗岩を眺める。彼は思う。切られて壁にするのにふさわしい石だ。木々を見る。割られて、丸太にするのにいい木だ。それらの花崗岩にはさびの一筋がある。 地面の下に鉄鉱石があるのだなと、彼は思う。鉄鉱石ならば、溶かされて空を背景に空を渡り空から現れるような梁にふさわしい。これらの岩は僕のためにある。これらの岩は、ドリルを待っている。ダイナマイトや僕の声を待っている。割られ、裂かれ、打たれ、再生されるのを待っている。僕の手がそれらに与える形を待っている。
アイン・ランド Ayn Rand『水源 The Fountainhead』(藤森かよこ訳) p.7
現実へのリンクとしての「自己包摂性」
自己包摂性(アウトローギッシュ)
自己包摂的な概念とは、その概念自体を定義のなかで用いることによってのみ定義できるような概念である。そうした概念は、その概念自体に適用することが可能であり、必要でもある(そうしても無意味にはならない)。たとえば個性(インディヴィデュアリティー)とは、それぞれの個人(インディヴィデュアル)の事柄である。学問から例を挙げれば、知識社会学は自分自身を対象にする。つまりそれは、自分自身に当てはまるものでなければならない。言い換えれば、知識社会学はつねに、知識社会学についての知識社会学でもなければならない。一般化すればこうである。他人が自分で見ることのできない区別によって観察していることを私が観察する場合、私は、私が観察するさいにもやはり「自分には見えない」何らかの区別を用いているという「自己包摂的な」自分自身への当てはめをすることができる。
用語解説 p.277-278 (ノルベルト・ボルツ『意味に餓える社会』東京大学出版会、1998)
この本を読んでいて、「自己包摂性」という新たなキーワードに出会いました。
自分が普段から興味をもっているなにか、性質や機能としては漠然と把握しつつ、しかしなかなか言葉にしづらいなにか。
その「なにか」に、とてもスマートな表現が与えられた気がしました。
僕の「漠然とした把握」とその表現とはもちろん食い違いがあり、しかしそのズレが存在することによって、思考の動機や、発見、新しくひらける視界(同じものが前と違って見える)、そのようなものが導かれることがある。
× × ×
僕の関心から表現すると、自己包摂性とは、現実の性質ではないかと思います。
リアリティといってもいいんですが、普段使われるこの単語の意味は「現実っぽさ」であって、ほんとうはそうではない。
「現実っぽさ」というのは、「他人(誰か)が見て現実だと思うようなさま」であり、つまりは主観的幻想に縁取られた現実のことです。
たとえば今の日本の政権は、コロナ対策であれ他の政策であれ、「やってる感」の演出にこだわっています。
政策の策定根拠が、実質的な効果(もちろん見積上の)よりも、形式や見栄えにおかれており、加えてその形式や見栄えの判断主体も至極曖昧である。
いや、曖昧というか、言ってしまえば、「やってる感」を納得・感得しうると想定している主体も政権自身であって、この点は先の記事で取り上げた「自己準拠性」の好例で、つまり「私がちゃんと仕事をしていると思って仕事をしているんだから、私はちゃんと仕事をしているんだよ」と、願掛けや念仏のように自分に唱えて、それを事実だと思い込んでいる人が政権中枢にいる(別の文脈ですが、内田樹氏はブログで「彼」のことを、科学的ではなく「呪術的」に政治判断を下していると書いていました)。
話を戻すと、「現実っぽさ」とは、今流行りの「やってる感」と同じで、相当に幻想的なものです。
小説に対する批評として「リアリティがある」とよく言われますが、これは、「現実にありそうだ」ということを意味します。
ところが、「現実にありそうだ」という感覚自体が、時代とともに移り変わっていく。
たとえば、リアリティ溢れる小説というのは、つまりほとんどノンフィクションである、ということなのか?
いや、実際のノンフィクションが嘘くさい、「現実っぽくない」ことは十分にありうる。
世間の日常生活からすればかけ離れた感覚や価値観、ドラマ性を備えた現実の事件について克明に記録されたノンフィクション、それが「その意味で」現実であればあるほど、世間日常の目からすれば「現実っぽくない」作品に映ることは道理である。
もう一つ回り道をします。
「ハイゼンベルクの不確定性原理」がいいヒントになります。
電子の挙動を観測するための測定行為が、ありのままを見たいその電子の挙動を変えてしまう。
完全に客観的な現象の観測はミクロの世界では不可能である。
この原理はしかし、「ミクロの世界」の外にも活路があります。
活路というのは、メタファーとしての活用、ということです。
人間の意識を考えればいい。
何かを考えるとする。
その思考対象を、純粋に把握したいと意図するとする。
しかし、そうして開始された思考の中に「その対象を思考する自分」が含まれることを、避けることはできない。
「純粋な把握」が一連の文章として表現された時、その文章を読んで自分は考え込むことになる。
思考を開始する前には思ってもみなかったことが、その文章に含まれているからだ。
そしてこうも思う。
「これを考える前の自分と、今考え終えた自分は、同じ自分なのだろうか?」
なにか別の話になっているかもしれません。
いや、やはり同じ話なのです。
少しずつ言い換えてみます。
観測主体が対象に全く影響を与えずに観測することはできない。
観測主体は対象に対して、観測において中立性を維持できない。
観測主体は対象と必然的にある関係を結び、その関係性は観測において変化する。
ここまでは、科学的実験において言えることです。
3つめにいう「関係性の変化」は、観測主体が人間(の意識)であれば、こう言い換えることができる。
観測主体は対象の観測において変化する。
ある人にとって「関係性の変化」は、その人自身の変化でもあるからです。
自己包摂性の話をしていました。
現実というのはつねに、過去が未来に繰り込まれているのです。
あらゆるものが変化し続け、一定の姿を保つものは存在しない。
形を保って見える物体は、その変化が知覚できないほど遅く、また微小であるに過ぎない。
それはメタファーではなく、万物は流転する。
……今気付きましたが、僕が現実だと感じたのは「言語表現における」自己包摂性に対してです。
(だから今まで書いたことは途中から話がおかしい、たぶん)
言葉の機能のうちのひとつは、意味を定着させることです。
多くの人が、同じ単語に共通の意味を設定し、それを了解することで、齟齬のない意思伝達が可能となる。
それは他者との生きたコミュニケーションをするうえで、とても大事な機能です。
でも、別の見方がある。
生物の本質が変化にあるとすれば、生きたコミュニケーションの正確な実現のために、意味の固着に基づいて用いられる言葉は「死んでいる」。
時間経過に従って意味をどんどん変えていく、そのような言葉を「生きている」と呼べば、そうなる。
「生きている」言葉を使えば、コミュニケーションは誤解の量産にしかならない。
けれど、事は「ゼロかイチか」ではない。
× × ×
……。
とっちらかった話を、まとめられませんでした。
最初に書きたかったことを唐突に置き逃げして帰結とします。
意味をきちんと把握せず用いられた言葉は、名残とともに、
未来の思考継続の契機としたいと思います。
「自己包摂性」という言葉を知って、
僕は「自己包摂的な言葉(文章)」があると思いました。
そのような文章は、その性質によって、一つの現実です。
そしてそのような文章は、その性質によって、分野(たとえば学問分類)に関わりなく、
相互にリンクし得る、また僕自身の現実である生活とリンクし得る。
だから僕は、こう思いました。
もしかすると、
あらゆる「自己包摂的な文章」を興味深く読めるのではないか。
さらに、
もしかすると、
ある文章の「自己包摂性」は、その文章の内的な性質ではないのではないか。
それは、たとえ幻想であれ、読み手の姿勢が生み出すものではないのか。
現実のふり、の現実、のふり、の…
だいたい、パパがお話をしてくれるのは、寝る前だ。パパはこんな具合に始める。
「さて、もう寝る時間だ。その前に、ひとつ、お話をしよう。ききたいかい?」パパはいった。
パパは、ぼくにお話してくれる前に、かならず「ききたいかい?」という。「どうして『ききたいかい?』っていうの?」ってきいたら、パパは「お話というものは、ききたくないひとにするべきではないからだ」という。
「ききたいかい?」
「ききたくない」
「わかった。では、今晩は、お話はなし。おやすみ」
パパはぼくに背中を向けて、寝たふりをする。ぐうぐう。
ぼくも、パパと反対の方を向いて、寝たふりをする。ぐうぐう。
でも、けっきょく、がまんできなくなって、ぼくは、こういう。
「パパ」
「なんですか」
「もう、寝たの?」
「寝たよ」
「起きてるみたいだけど」
「いや、起きている『ふり』をしているだけだ」
「ふーん。じゃあ、ぼくも起きている『ふり』をしてもいいかな?」
「いいとも」
「お伽草紙」 (高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』)
太字は引用者
木の上に座っているサルが言った。
「二階から目薬」
焚き火の前で汗をかいているカニが言った。
「火中の栗を拾う」
切り株の前で手を合わせたウサギが言った。
「三方一両損」
頭に鉢巻を巻いたカメが言った。
「まんじゅうこわい」
小屋のドアをノックするオオカミが言った。
「三密を回避しましょう」
藁小屋を編みながらブタが言った。
「バブル期には土地転がしが有効です」
父さんが言った。
「笑って〜……」
母さんが言った。
「ダメもと!」
サングラスの奥の目は、笑っていない。
経験が同一の体験様式あるいは認知様式に関わっている限り、したがって経験がある限定的な意味領域のうちに留まっている限り、その経験の現実性は持続する。われわれが現実のアクセントを別の意味領域に移さざるを得ない──あるいは「移そうとする」のは、われわれが別のライフプランによって別の態度をとるよう動機づけられる時(…)、あるいは「異他的なものの介入」によって邪魔される時(…)、要するに、われわれにとってある時点において「現実的」である限定的な意味領域の境界を突破する特有のショックを経験する時に限られている。
「第二章 生活世界の成層化」p.82-83 (アルフレッド・シュッツ、トーマス・ルックマン『生活世界の構造』ちくま学芸文庫)
太字は引用書傍点部
私は自分がその女(名前も知らない若い女)を最後の瞬間に本当に絞め殺してしまうのではないかと、心の底で恐れていたのだ。「ふりをするだけでいいの」と彼女は言った。しかしそれだけでは済まないかもしれなかった。ふりだけでは終わらないかもしれなかった。そしてそのふりだけでは終わらない要因は、私自身の中にあった。
ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない。
村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』新潮社
太字は引用傍点部、下線は引用太字部
体験を処理する形式としての意味はつねに不確定的である。意味は、これだとかあれだとか言えるものではなく、別の可能性の参照を求める。このように、意味は、さまざまの可能性を過剰に参照させるものであるが、同時に、「現実世界におけるさまざまの可能性を繋ぎ止める場所(N・ルーマン)でもある。意味とは、われわれがどんな行為においても世界全体のことを思い浮かべられるための媒体にほかならない。だから意味は、読んだり分析したりすることによって世界を選択的に整然と解明するものでは全くない。
(…)
人類学者の間では争いがないことのようだが、ある対象について意味が生まれるのは、個体同士がコミュニケーションによって互いに適応することによる。私の仕草に対する他の人々の反応が、その仕草の意味なのである。ユルゲン・フレーゼによれば、「ある行為の意味とは、その行為が開く多様な接続可能性のことである」。
「2 意味社会」p.77-79 (ノルベルト・ボルツ『意味に餓える社会』東京大学出版会)
太字は引用者
三島由紀夫と上野千鶴子
連想でオフィスの書庫の本を繋げてセット販売する、「鎖書店」というネット古書店を運営しています。
書庫には多様なテーマの本が並んでいて、作成するセットの分野はいろいろです。
が、やはり連想という自分の無意識に頼ると、僕自身の興味の度合いがセット作成に影響を与えます。
そのセット作成、つまり選書作業をあまり秩序立てない、ルーティン化しないことが仕事の独自性を生かすことになる、と考えて現在はわりと奔放に作業を進めています。
そんなこんなで、手当たり次第に本を読んではテーブルや棚に並べ、積み上げるという散文的に書けば無秩序な作業の中で生まれるセットの中には、自分の関心にピタリと合ったものが混ざることがあり、それがそうしようとあらかじめ考えて作ったわけでなく、出来上がってふと気付いて驚き、ついでに感心もします(こんなことをしていると、自分の無意識が誰か他人ではないのかと思うこともあります)。
そういう時には商売に関係なくその関心を掘り下げてしまい、仕事と趣味の境目がどこにあるのか、さっぱりだと言いたいところですが、そんなものは最初からないことははっきりしています。
(これで儲かっていれば言うことないのかもしれませんが、きっと話はそう単純ではないのでしょう)
とにかくそのようにして、鎖書店のラインナップを追加したという通知(facebookへの投稿)に添える文章が、売り文句どころか誇大妄想になっている、という実例が以下です。
× × ×
鎖書店より、1セット追加しました。
セットを考えるうち、テーマが自分の関心のど真ん中であることに驚いています(因果の不思議な商売です)。
ので、思いついたことをちょっと書きます。
設計者や管理者の本来の意図を超えて自己維持・発展を続ける"システム"(←すごく広い意味で使っています)の駆動原理のひとつに「自己準拠性」というものがあります。ある物事の価値や目標を判断する基準が、その物事自体に存在するという構成を指します。管理者はシステムの維持発展のためにこの性質をシステムに組み込むわけですが、この性質の獲得と、システムが管理者の手から離れていくことは、必然の糸で結ばれています。
自己準拠性はトートロジーと似ていますが、それよりもっと構造が複雑なイメージでしょうか。
三島由紀夫と並べられて上野千鶴子氏がどう思うか知りませんが、フェミニズムはマッチョイズムと、自己準拠性を胚胎しているという意味で繋がりうると気付きました(セットのあと一冊には、消費社会の自己準拠性について書かれています)。
三島の『行動学入門』は「行動の美学」と「終わりの美学」について書かれており、彼の「行動と終わり」を知る現代人にとってこの本は遺書に思えなくもありませんが、最近とりあげた多田富雄氏の『生命の意味論』からの抜粋をこのセットと照らし合わせると、恐ろしいメタファーが生まれます。平たく抽象的に言えば次のようになります。
・「存在」の究極の自己準拠は、ひたすら「存在」である
・「現象」の究極の自己準拠は、「現象」の消滅に至る
"システム"はもちろん「存在」と「現象」のアモルファスですが、その構成比率(の変遷)について考えることは、現代人にとって決してムダにはならないでしょう。
13日目:遍路宿「蔵空間」にて、行程先取りのこと 2017.3.13
ふと思いついて、「一本歯遍路」回想記の続きです。
日記を見返すたびに当時の記憶が薄れていることを感じるのですが、
記憶は「なくなった」のではなく「底に沈んでいる」だけなのだと、
毎日新聞の人生相談欄にあった高橋源一郎氏の言葉で気付いたので。
引用枠内は道中の日記からの抜粋で、
( ) は日記そのままの表記、
[ ] は今回ブログに載せるにあたっての僕自身の注釈です。
ひとまず全文引用してから、思い出したことをぽつぽつ書きます。
<13日目>25津照寺〜26金剛頂寺→宿(蔵空間) 20.3km
(1)遅い…今日は8時間行動して、[参拝したのが]2寺とはいえ[歩いた距離が]20km。やはり[下駄の]歯が短くなった影響か。指も痛いし、早めにゲタを買い換える算段を立てねば。短くなるほど、歯の減りが激しい気もするし。
(2)宿にて…ご主人と[遍路が]3回目のおじさんの話いろいろ。料理おいしい&大量の宿の話。2種に分かれる先達さんの話*1。タチの悪い***[滲みで文字が消えている]さんの話(香川ではおきびき注意、満願直前の納経帳は数10万の値がつく!*2 なんかヤバそうな人は直感で判断)、池田邸*3の話(本家入れて8代目、分家5代目でずっと家を継いでいる)、おじさんの遍路出立のいきさつ(1回目は亡くなった後輩社員の家族のために供養、2回目はその話を聞いた取引先の社長さんと同行、今回の3回目は2回目時に「赤い杖」(←先達の証)が欲しくなったから。先達は4回以上[歩きで遍路を]まわって公認を受ければなれる。ちなみに2回目以降の納経は筆描きはなしでハンコのみ。
所感:宿の主人はいろんな遍路さんの話をきいてきた(2500人以上世話してきたそうな)し、対応もしてきた(これまでに2人だけ「遍路らしからぬ振舞」をされて追い出したそう)、という話を聞いた。深みのある喋りと奥行きのある包容力がステキなおじさんでした。そして雨が一日降り続いたのは[13日間歩いてきて]今日が初めてだったが、足の負担はマシだった気がする。[下駄で歩く]音が響かないぶんショック吸収ができているのか? 太平洋も快晴の景色ばかり見てきたので曇天の海もまたよいと思った。ただ日が出てないと気温が低くなくても身体が冷えるので薄着はしないよう注意!
「蔵空間」と書く宿はたしか「ざくうかん」と読む。
土地の地元で代々継いできた家(古民家ですね)を、いまのご主人が遍路宿に改装なさった。
門をくぐると、土の上に作られた飛び石の歩道があり、いくつか分かれた棟の間にそれぞれの軒先と中庭がこじんまりと広がった建屋がある。宿泊者用の棟の軒先は廊下になっていて、大河ドラマなどで老人が日向ぼっこをしている、まさにあのような空間。客室(という表現の似合わない、襖で仕切られた畳の和室)は広く、家具は古風な調度品ライクで、窓のそばには明治の文豪が使っていたような横長の文机がある(これが気に入って、旅から帰って岩手のリサイクルショップで文机を買いました)。
そして宿の風呂は五右衛門風呂。湯船の底になにが敷いてあったか忘れましたが、中腰で湯に浸かった記憶があります。
この日に宿に泊まったのはたしか3人で、日記中のおじさんと僕のほかに、30-40代の女性がいました。
その女性とは、実は金剛頂寺のベンチで会話を交わしていました。
一本歯下駄を目にすると、話しかけてくる遍路さんはまず間違いなく下駄のことを聞いてきますが、この時は下駄を石造りのベンチの下に置いてスポーツサンダルを履いていた(寺に着くと履き替えることにしていた。お勤めで足元をふらつかせながら経を読むわけにはいきませんからね)ので、とてもありふれた歩き遍路同士の会話をした記憶があります。つまりその内容は覚えていないということですが…。
宿では、僕とおじさんが宿泊棟の1階、女性が2階に部屋を与えられました。
夕食時は3人がテーブルに座って、ご主人と奥さんが給仕をされながら僕らと喋っていたのですが、「部屋にカギはないけれど、夜這いなんかしちゃダメだよ」と言うご主人の顔は真剣で、その実際的な可能性云々に関わらずこちらもみな真顔で聞いていました。きっと、過去にそれに類したことがあったものと想像します。
遍路には面白いルールがあるものです。
「歩き遍路」とは遍路道の全行程を徒歩で通すことを指しますが、基本的に一日の行程は、前日泊まった宿から始まり、その日の夜に泊まる予定の宿で終わります。
ところが、宿泊予定の宿への到着が早すぎる場合もままあります。
前日に地図とにらめっこして、出発時間と到着時間、自分の歩く速さ、立ち寄る場所、食事の段取りなどを考慮して翌日に泊まる宿を決めるわけですが、そもそも宿は都合良くどこにでもあるわけでもないし、歩き遍路は車やバスや自転車など、ほかの遍路者より予定外の事態が起こりやすい。
その予定外を安全側に見積もって、到着予定時間は早めになるのですが、その早めよりもまた早く着いてしまえば、時間が勿体ないと思う気持ちもでてくるし、だいいちチェックインができない、できても宿側の準備がまだで部屋に入れない場合もある。
そんな時に、「その日中に、泊まる宿より少し先まで歩いておく」という小技(裏技とは呼べないくらい普及している手段です)があります。
宿に一声かけるなり、あるいは荷物を置かせてもらって(←これは僕はどうかと思ったのでやりませんでした)、先に続く遍路道をさらに進み、ここが頃合いと思えばバスで引き返し、夕食までに宿に戻る。そして翌日はバスに乗って、昨日歩いた駅で降りて「本日のスタート地点」とする。
とはいえ、この遍路道の先取りは、距離を稼ぐパターンよりは、宿の少し先に次のお寺がある場合に「(本来の行程からいえば)前日に参拝しておく」というパターンの方が多い。
13日目に僕はこれ(この小技には名前がついていたような…)を初めてやりました。
つまりこの日、バス停で言えば宿から5,6駅分だけフライングで「コマを進めた」わけです。
そして泊まった翌日には、ご主人に車で各バス停まで送ってもらいました(つまり宿泊者3人ともが同じことをしていたわけです。バス停はそれぞれ違いました)。
次の日の行程がギリギリで、宿の人だったかお遍路さんにこの小技を教えてもらってやったんですが、妙な気分がしたものでした。
ルールを守っていれば功徳はある、ということなのでしょうが、いや、遍路に徒歩以外の手段が生まれた時点で考えても詮無いことではありますが、そして僕自身はただ歩きたいだけで功徳なんてどうでもよかったのですが、もともとは「ひたすら歩き続けるだけ」という徹底的に身体的な勤行だったものが、時代を経てだんだんと「頭のなかのできごと」のようになってきた。
だから、功徳というものを脇に置いても僕は違和感を持った、というだけのことだと思います。
鶴見俊輔の「菌糸眼的思考」
自分が生きてゆくにつれて視野がひらける。そういう遠近法を捨てることはできない。しかし、そういうふうにしてひらけてくる景色には、自分にとって見えない部分がふくまれる。この自分にとって見えない部分を見るというのは、できないことだが、見えないものの気配を感じることはできる。そういうふうでありたい。
自分の思想は自分にとっての落し穴だろうが、そこからはいでる道は、自分の思想の落し穴への気配を感じようとすることから、ひらける。すくなくとも、見えやすくなる。
「あとがき」p.345 鶴見俊輔『思想の落し穴』岩波書店、1989
下線は抜粋者
タイトルを思いついたのは、このあとがきを読んだその直前、評論集である本書の最後にちょこんと載せられているのが「きのこのはなし」だったからです。
その一部(といって3/4ですが)を抜粋します。
きのこのはなしをきいた
きのこのあとをたぐってゆくと
もぐらの便所にゆきあたった
アメリカの学者も知らない
大発見だそうだ
(…)
きのこはアンモニアをかけると
表に出てくるが
それまで何年も何年も
菌糸としてのみ地中にあるという
表に出たきのこだけをつみとるのも自由
しかしきのこがあらわれるまで
菌糸はみずからを保っている
何年も何年も
もぐらが便所をそこにつくるまで
「寓話」 同上 p.342-343
寓話なので、読む人はここに登場するものたちをいろいろ想像することができます。
これもまた最後近くの節から、第二次大戦中の東大総長だった南原繁という人についての記述を引きます。
南原は、戦中も日本の政治と対峙し得た政治学者である。彼のくらしは、明治人らしい気骨に支えられ、その姿勢を歌集『形相』にうかがうことができる。学者を本業とするものの、この人は自分の著作であとにのこるものはこの歌集一冊と信じていた。
「中井英夫」 同上 p.317
この抜粋の下線は、じっさいに僕が読んでいて鉛筆で線を引いた箇所です。
「こんな人もいるのか」という単純な驚きで線を引いたはずでしたが、この記事を書くうちに、鶴見俊輔も「こんな人」なのではないかと思えてきました。
というのも、2つ目の抜粋「寓話」の「もぐら」は、鶴見氏自身ではないかと思いついたからです。
この本は「もぐら」が地面のしたでしずかに、同じくひっそりと息づく「菌糸」を、無数にからみ合うそれらのひとつひとつをたぐりよせる活動報告書のようです。
「もぐら」は「菌糸」をていねいに解きほぐし、ぱくぱくと食べ、ひととおり食べおわると「便所」をつくります。
もちろん「便所」は便所であって、そのような目的でつかわれるものですが、地上の「便所」でころころと丸まったいくつかの「それ」から、「菌糸」の歴史を読み取ることもできます。
なぜならば、にんげんも「それ」を、からだの歴史、そして健康のしるしと見るからです。
この自分にとって見えない部分を見るというのは、できないことだが、見えないものの気配を感じることはできる。そういうふうでありたい。
あるいは「寓話」は、鶴見氏の「もぐら」への憧れの表現かもしれません。
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