human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

13日目:遍路宿「蔵空間」にて、行程先取りのこと 2017.3.13

ふと思いついて、「一本歯遍路」回想記の続きです。

日記を見返すたびに当時の記憶が薄れていることを感じるのですが、
記憶は「なくなった」のではなく「底に沈んでいる」だけなのだと、
毎日新聞の人生相談欄にあった高橋源一郎氏の言葉で気付いたので。

引用枠内は道中の日記からの抜粋で、
( ) は日記そのままの表記、
[ ] は今回ブログに載せるにあたっての僕自身の注釈です。

ひとまず全文引用してから、思い出したことをぽつぽつ書きます。

<13日目>25津照寺〜26金剛頂寺→宿(蔵空間) 20.3km

(1)遅い…今日は8時間行動して、[参拝したのが]2寺とはいえ[歩いた距離が]20km。やはり[下駄の]歯が短くなった影響か。指も痛いし、早めにゲタを買い換える算段を立てねば。短くなるほど、歯の減りが激しい気もするし。

(2)宿にて…ご主人と[遍路が]3回目のおじさんの話いろいろ。料理おいしい&大量の宿の話。2種に分かれる先達さんの話*1。タチの悪い***[滲みで文字が消えている]さんの話(香川ではおきびき注意、満願直前の納経帳は数10万の値がつく!*2 なんかヤバそうな人は直感で判断)、池田邸*3の話(本家入れて8代目、分家5代目でずっと家を継いでいる)、おじさんの遍路出立のいきさつ(1回目は亡くなった後輩社員の家族のために供養、2回目はその話を聞いた取引先の社長さんと同行、今回の3回目は2回目時に「赤い杖」(←先達の証)が欲しくなったから。先達は4回以上[歩きで遍路を]まわって公認を受ければなれる。ちなみに2回目以降の納経は筆描きはなしでハンコのみ。

所感:宿の主人はいろんな遍路さんの話をきいてきた(2500人以上世話してきたそうな)し、対応もしてきた(これまでに2人だけ「遍路らしからぬ振舞」をされて追い出したそう)、という話を聞いた。深みのある喋りと奥行きのある包容力がステキなおじさんでした。そして雨が一日降り続いたのは[13日間歩いてきて]今日が初めてだったが、足の負担はマシだった気がする。[下駄で歩く]音が響かないぶんショック吸収ができているのか? 太平洋も快晴の景色ばかり見てきたので曇天の海もまたよいと思った。ただ日が出てないと気温が低くなくても身体が冷えるので薄着はしないよう注意!

 
「蔵空間」と書く宿はたしか「ざくうかん」と読む。

土地の地元で代々継いできた家(古民家ですね)を、いまのご主人が遍路宿に改装なさった。
門をくぐると、土の上に作られた飛び石の歩道があり、いくつか分かれた棟の間にそれぞれの軒先と中庭がこじんまりと広がった建屋がある。宿泊者用の棟の軒先は廊下になっていて、大河ドラマなどで老人が日向ぼっこをしている、まさにあのような空間。客室(という表現の似合わない、襖で仕切られた畳の和室)は広く、家具は古風な調度品ライクで、窓のそばには明治の文豪が使っていたような横長の文机がある(これが気に入って、旅から帰って岩手のリサイクルショップで文机を買いました)。
そして宿の風呂は五右衛門風呂。湯船の底になにが敷いてあったか忘れましたが、中腰で湯に浸かった記憶があります。

この日に宿に泊まったのはたしか3人で、日記中のおじさんと僕のほかに、30-40代の女性がいました。
その女性とは、実は金剛頂寺のベンチで会話を交わしていました。
一本歯下駄を目にすると、話しかけてくる遍路さんはまず間違いなく下駄のことを聞いてきますが、この時は下駄を石造りのベンチの下に置いてスポーツサンダルを履いていた(寺に着くと履き替えることにしていた。お勤めで足元をふらつかせながら経を読むわけにはいきませんからね)ので、とてもありふれた歩き遍路同士の会話をした記憶があります。つまりその内容は覚えていないということですが…。

宿では、僕とおじさんが宿泊棟の1階、女性が2階に部屋を与えられました。
夕食時は3人がテーブルに座って、ご主人と奥さんが給仕をされながら僕らと喋っていたのですが、「部屋にカギはないけれど、夜這いなんかしちゃダメだよ」と言うご主人の顔は真剣で、その実際的な可能性云々に関わらずこちらもみな真顔で聞いていました。きっと、過去にそれに類したことがあったものと想像します。
 

遍路には面白いルールがあるものです。
「歩き遍路」とは遍路道の全行程を徒歩で通すことを指しますが、基本的に一日の行程は、前日泊まった宿から始まり、その日の夜に泊まる予定の宿で終わります。
ところが、宿泊予定の宿への到着が早すぎる場合もままあります。

前日に地図とにらめっこして、出発時間と到着時間、自分の歩く速さ、立ち寄る場所、食事の段取りなどを考慮して翌日に泊まる宿を決めるわけですが、そもそも宿は都合良くどこにでもあるわけでもないし、歩き遍路は車やバスや自転車など、ほかの遍路者より予定外の事態が起こりやすい。
その予定外を安全側に見積もって、到着予定時間は早めになるのですが、その早めよりもまた早く着いてしまえば、時間が勿体ないと思う気持ちもでてくるし、だいいちチェックインができない、できても宿側の準備がまだで部屋に入れない場合もある。

そんな時に、「その日中に、泊まる宿より少し先まで歩いておく」という小技(裏技とは呼べないくらい普及している手段です)があります。
宿に一声かけるなり、あるいは荷物を置かせてもらって(←これは僕はどうかと思ったのでやりませんでした)、先に続く遍路道をさらに進み、ここが頃合いと思えばバスで引き返し、夕食までに宿に戻る。そして翌日はバスに乗って、昨日歩いた駅で降りて「本日のスタート地点」とする。
とはいえ、この遍路道の先取りは、距離を稼ぐパターンよりは、宿の少し先に次のお寺がある場合に「(本来の行程からいえば)前日に参拝しておく」というパターンの方が多い。

13日目に僕はこれ(この小技には名前がついていたような…)を初めてやりました。
つまりこの日、バス停で言えば宿から5,6駅分だけフライングで「コマを進めた」わけです。
そして泊まった翌日には、ご主人に車で各バス停まで送ってもらいました(つまり宿泊者3人ともが同じことをしていたわけです。バス停はそれぞれ違いました)。
次の日の行程がギリギリで、宿の人だったかお遍路さんにこの小技を教えてもらってやったんですが、妙な気分がしたものでした。

ルールを守っていれば功徳はある、ということなのでしょうが、いや、遍路に徒歩以外の手段が生まれた時点で考えても詮無いことではありますが、そして僕自身はただ歩きたいだけで功徳なんてどうでもよかったのですが、もともとは「ひたすら歩き続けるだけ」という徹底的に身体的な勤行だったものが、時代を経てだんだんと「頭のなかのできごと」のようになってきた。
だから、功徳というものを脇に置いても僕は違和感を持った、というだけのことだと思います。

*1:静謐な空気漂う風格のある先達と、口数の多いやたら権威的な先達、といった対照。

*2:遍路者の名前の書いていない納経帳は、記名のあるものより高く売れるという話もある。四国遍路の功徳を信仰しているが自分では(主に身体上の理由から)歩けない人が、そういった無記名の納経帳を買ったりするそうな。こんな裏ビジネスもあるから、納経所では納経は一人一冊と定められているが、バスツアーの団体客などは添乗員が人数分をまとめて持ってくるので冊数勘定の厳密さには限界があると思われる。

*3:宿の元の民家のこと