自分が生きてゆくにつれて視野がひらける。そういう遠近法を捨てることはできない。しかし、そういうふうにしてひらけてくる景色には、自分にとって見えない部分がふくまれる。この自分にとって見えない部分を見るというのは、できないことだが、見えないものの気配を感じることはできる。そういうふうでありたい。
自分の思想は自分にとっての落し穴だろうが、そこからはいでる道は、自分の思想の落し穴への気配を感じようとすることから、ひらける。すくなくとも、見えやすくなる。
「あとがき」p.345 鶴見俊輔『思想の落し穴』岩波書店、1989
下線は抜粋者
タイトルを思いついたのは、このあとがきを読んだその直前、評論集である本書の最後にちょこんと載せられているのが「きのこのはなし」だったからです。
その一部(といって3/4ですが)を抜粋します。
きのこのはなしをきいた
きのこのあとをたぐってゆくと
もぐらの便所にゆきあたった
アメリカの学者も知らない
大発見だそうだ
(…)
きのこはアンモニアをかけると
表に出てくるが
それまで何年も何年も
菌糸としてのみ地中にあるという
表に出たきのこだけをつみとるのも自由
しかしきのこがあらわれるまで
菌糸はみずからを保っている
何年も何年も
もぐらが便所をそこにつくるまで
「寓話」 同上 p.342-343
寓話なので、読む人はここに登場するものたちをいろいろ想像することができます。
これもまた最後近くの節から、第二次大戦中の東大総長だった南原繁という人についての記述を引きます。
南原は、戦中も日本の政治と対峙し得た政治学者である。彼のくらしは、明治人らしい気骨に支えられ、その姿勢を歌集『形相』にうかがうことができる。学者を本業とするものの、この人は自分の著作であとにのこるものはこの歌集一冊と信じていた。
「中井英夫」 同上 p.317
この抜粋の下線は、じっさいに僕が読んでいて鉛筆で線を引いた箇所です。
「こんな人もいるのか」という単純な驚きで線を引いたはずでしたが、この記事を書くうちに、鶴見俊輔も「こんな人」なのではないかと思えてきました。
というのも、2つ目の抜粋「寓話」の「もぐら」は、鶴見氏自身ではないかと思いついたからです。
この本は「もぐら」が地面のしたでしずかに、同じくひっそりと息づく「菌糸」を、無数にからみ合うそれらのひとつひとつをたぐりよせる活動報告書のようです。
「もぐら」は「菌糸」をていねいに解きほぐし、ぱくぱくと食べ、ひととおり食べおわると「便所」をつくります。
もちろん「便所」は便所であって、そのような目的でつかわれるものですが、地上の「便所」でころころと丸まったいくつかの「それ」から、「菌糸」の歴史を読み取ることもできます。
なぜならば、にんげんも「それ」を、からだの歴史、そして健康のしるしと見るからです。
この自分にとって見えない部分を見るというのは、できないことだが、見えないものの気配を感じることはできる。そういうふうでありたい。
あるいは「寓話」は、鶴見氏の「もぐら」への憧れの表現かもしれません。
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