human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

浮きめクロールと手甲装着開始

昨日の夜にプールに行って、平泳ぎで膝を痛めました。
普通に歩くのに問題はありませんが(ということを今日MKボウルまで行って確認できました)、段差のある所で少々痛みます。
引き続き静養した方がよいようです。
出歩くのも図書館くらいに…

そうだ、プールはクロールで進展というか変化が最近ありました。
手を掻く時間間隔をこれまでわりと長くとっていて、それは一掻きで進む距離を伸ばすためである程度その通りであったのですが、最近「身体が沈まないように泳ごう」と意識し始めて、すなわちなるべく水面に近い高さを保って泳ぐということですが、そうなると必然的に一掻きごとの間隔は短くなるのですが(バタ足は身体を沈ませない程度で、身体を浮かせるほどには機能していません。何せ腕一掻きに対して1or2バタなので)、そうやって早く(速く、ではありません。掻くスピードは意識の上では変わらない)掻いても25mを泳ぐストローク数にほとんど差がない時があるのでした。
それはつまり泳ぐスピードとして速くなっているということで、まあ少しは嬉しいです。

早く掻きつつ波に乗れる(掻く動作の進行に関わらない成分を減らす)ようになればブレイクスルーになりそうな気がします。

 × × ×

さて、今日は加茂川沿いを2時間ほど歩いたんですが、早速今朝届いた手甲をつけて出掛けました。

手甲と脚絆(脚絆はもうすぐ届きます)を試すに至る経緯は一つ前の記事に書きましたが、プロテクターとかではなくこれらの装身具を選んだ直接のきっかけは以下の記事を読んだからです。

第156回「手甲(てっこう)と脚絆(きゃはん)」 | 香杏舎銀座クリニック

手甲も脚絆も、直接手首・足首に巻くわけではないが、それぞれ回転のための二本の骨を締め付けることで骨頭の位置にあたる手首・足首の不都合(バランスの崩れ)を抑制できる、という仮説であると読みました。
自分の左手首の痛みの原因がこれかどうかは分かりませんがそうだとすれば儲け物で、目下のその問題とは別に歩行における疲労軽減になればこれは大変ありがたい。
特に効果を急いで得たいわけでもないので、日々歩く中で付けたり外したりして効果があるかを身体で確かめてみたいと思います。

で、話を戻して今日は手甲をつけて歩いたのですが、腕をねじる動きに対して手甲の締め付けが抵抗となっているとまず感じました。
それから「いちばん"抵抗"を感じない手首の角度が『負担が少ない』ということではないか」と思ったんですが、これは今日歩いた限りではよくわかりませんでした。
この"抵抗"の要因はたぶんいくつかあって、自分が今知りたい「2本の骨の絡み具合」(?)とは別に「手甲と腕の皮膚表面で擦れることによる抵抗」が働いていて、自分が感じているのは後者ではないかと歩きながら思っていました。
今これを書きながら左腕だけ手甲をはめていて、ゆったり座りながら左腕をひねってみると前者の抵抗もわかる気がしないでもないですが、まあやっぱりよくわかりません。

今日歩いた後の左手首の状態は、素直にどちらかといえば、悪化したような気がします。
そして手首の小指側が痛いことに今日気づきました(いや気づいたのではなく悪化した結果かもしれませんが)。
左手首に関してはプロテクターの使用も検討しつつ(幸い近所の薬局で見つけてはいます)、もう少し様子見をしてみます。
(手首が冷えるのが良くない気もしますが、これは今の季節どうしようもありません。意固地にまだ手袋を使っていませんが、使った方がよいかしら)

あと、手甲の効果として和歩の歩き方にも変化を与えるのではないかと考えています。
これも今日歩いただけでは未知数ですが、手甲をつけた方が歩行における「手(腕)の存在感」が増すのは確かで、歩行に対して全身を導入するという方針にプラスにはたらく可能性があります。
また手甲によって手首や腕をひねらない歩き方になるとすれば(換言すると今までの歩き方が無意識のうちに手首や腕のひねりを何らかの形で利用したものであったのならば)、手甲をはめることによる歩き方の変化は必然となります。
これと同じことは脚絆にも言える気がしていて、これらの使用の有無で手足の疲労だけでなく歩き方がどう変わるかもじっくり観察したいです。

この歩き方の変化が靴で歩く時より一本歯で歩く時の方が大きいかもしれない、という予感もあります。

万霊の第二十六歩

おととい、昨日とゆっくりして、今日は久しぶりに一本歯で高野川を歩いてきました。

まだ疲労が残っていましたが(足首の痛みというかしこりというか滑らかでない感じが気持ちよくなかったですね)、歩くうちに慣れていきました。
歩き方についても、やはり普段靴で歩いているので一本歯用の身体運用にシフトチェンジするまでに時間がかかります。
この感じは回数を重ねても同じようにつきまとっていて、歩き始めのぎこちなさが旅への不安をかき立てるのですが、後半になって慣れてくると「うん、これならいける」とポジティブに切り替わるのも毎度のことです。

そのことに関係するのですが、3日前に雲ヶ畑へ行った時(1つ前の記事)に痛感した長時間歩行の大変さについて、一日に歩く量をちゃんと計画を立てて決めるほかに、装身具でなんとかしてみようという気になり、さっそく今日手甲と脚絆を注文してみました。
自分でメジャーで測ってネット注文するのはサイズが合うかが気になりますが、ダメならダメでまた店に行くと思います。
一度は遍路用品店に行くはずなので(ちょっと調べると枚方にあるらしい)、必要ならそこで試着をしてみましょう。

そういえば最近なぜか左手首が痛くて、原因不明ながら前にも同じことがあった気もして、前は腱鞘炎だった気がするんですが、今回はそんなになるほど手首を使っていないので不思議です*1
寝起き時に特に痛いとか、冷えると痛いとか、風呂に入るとマシになるとか、手がかりはいくつかあるんですがよくわかりません。
手甲が手首の安定によいらしいので、歩く時だけでなく日常生活でも使ってみて効果をみようと思います。


そうだ、面白いと思ったのは今日歩きながら「下駄にもその時々の気分がある」という感覚を持ったことでした。
下駄の気分が良ければ力を抜いても足がぶれずにすいすい歩けるし、なぜだか意固地になってそっぽを向かれるといくらこちらで制御しようとしてもうまくいかずに身体がぐらぐらしてしまう。
もちろん自分の身体や精神の状態が下駄の操法に影響を与えているという見方が科学的ですが、自分次第の部分がある一方で「下駄次第」の部分もあると考えてみると、それはそれで面白いです。

四国遍路で「同行二人」とは杖をお大師さんと見立ててのことだと言います。
僕はたぶん杖は持って行かないと思いますが*2、下駄と一緒に歩いて「同行二人」でもいいのでは、とふと思いました。
もちろん下駄をお大師さんに見立てるわけではなく、まあ友人くらいの関係でしょうか。
比喩でなく、いや比喩でもよいのですが、同行の友人と気楽に喋りながら歩ければ乙なことだし、互いに黙り込んで(でも機嫌が悪いわけでもなく)淡々と歩調を合わせるのもまたよし。

あまり意識しすぎずに、ときどき聞き耳を立ててみようと思います。


タイトルですが、『禅堂生活』(鈴木大拙)の以下抜粋する文中から借りました。

仏教者の中には、針供養*3とか筆供養とか鰻供養とか云うことを行う人々がある。如何にも仏教的世界観の発露の一面であると思う。鰻や鰌[どじょう]は生き物であって、それを殺して人間の食餌にするのであるから、その霊に供養して人間的報恩底を尽すとも云える。が、針や筆の如き非情物の供養には如何ような意味を附すべきであろうか。これはやはり何れも「三界万霊」の中へ含めておいてよいと信ずる。筆も針も紙もペンも石燈籠も朝顔も皆その中にそれぞれ恰好の場処を見出し得るものと考えてよい。筆や燈籠は人間の自作で、朝顔や鰻は自然の生物だと云う区別は、畢竟は人間的・知性的分別上の事件でしかない。

第五章 祈願と報謝 p.136

*1:歩く時に「足だけなく全身を使う」を意識しているので変に力がかかっている可能性もありますが…鷹取の手とか親指を人差し指の付け根に沿わせて畳むとかすると腕を緊張させることができるんですが、たしかに手首の自由度が制限されている気もします。

*2:道中でどうしようもない難所があれば一本歯を脱いで代わりに履ける何か(草履とか?)を持って行こうとは思っています。ふつうの道であれば一本歯に対する杖はあまり役に立たない気がします。

*3:そういえば前に宝ケ池から鞍馬へ歩く途中にあった幡枝八幡宮には針供養の神社がありました。

二ノ瀬〜雲ヶ畑

昨日はへとへとだったので帰って風呂をはって浸かり、夕食を作って食べると体力気力共に底をついたので寝ました。
帰ってきたのが8時半で、道中も帰って風呂に入る間もそれほどお腹は減っていなかったんですが、夕食を食べているうちに空腹を自覚してきたようで、(豚すき焼きだったんですが)締めの蕎麦(うどんが手元になかったので)のあとにご飯を入れてその日中にタレを余さず頂きました。
道中よほど身体を緊張させていたようです。
後述するようにそれも当然なのですが…

この日の行程のハイライトを一言でいえば「史上最大の後退戦」です*1
後退戦という言葉に僕は特別の印象を持っていて、元は戦争で前線の戦況が悪化して被害を最小限に抑えながら敗走するという意味ですが、それが転じて、物的な経済成長の限界にあり少子高齢化の最先進国である日本社会を(今後何世代という長いスパンで)どう落ち着かせていくか、という文脈で使われるのを内田樹氏の文章で(平川克美氏の著書の引用だったかな)初めて読んだ時に、自分の生活思想とこの言葉に高い親和性を感じました。

昨日の行程においてはまた違う意味で、「自分の意思で行動した分は自分の身体で後始末をつける」といった感じになるのですが、歩くことが自分の身体との対話である以上、そして脳を身体と密接に関わらせるという意志がある以上は、非常時を除けば当然のことです。

その意味では、昨日の行程はこれまでの京都歩きでは得られなかったものが得られた気がします。


…分かりにくい書き方をしてますが、即物的にいえば単に「足が棒になるまで歩いた」ということです。
前に金閣寺に行った時のように車道メインの行程だったんですが、街中のようにいざとなれば交通機関を頼れたり店で休めたりできない点が違っていて、これに加えて(山の車道に限りませんが)車道は「距離に関して手加減がない」ことを身に染みました。
本当に当たり前なことですが。

昨日の道中、「後退戦」のまっただ中では歩き旅に対する恐れが今までにない形で自分の中に芽生えるのを感じましたが、これはつまりは一日に歩ける距離は身体の限界があるのだから長期で歩くならしっかり予定を立てるべきだ、と頭が(身体の悲鳴を聞くことで)真剣に理解したということです。
一日歩き回る時に「最初から地図を見たら面白くない」と思うのは勝手だが、旅で同じことをしたらどうなるか。
これも当たり前ですね。

…短期の歩き旅を何度かやっておいた方がいいかもしれません。
熊野古道とか大分の耶馬渓*2とか、行ってみたいところがいくつかあるので。

f:id:cheechoff:20161215134405j:plain
これは今日出会った仏さんです。
上の文脈とつなげれば「メメント・モリ」でしょうか。
詳細は後述。

 × × ×

f:id:cheechoff:20161215134941j:plain
今日は二ノ瀬から夜泣峠を越えて大岩に出て、雲ヶ畑へ行くことを考えていました。
大岩に出てからはずっと車道ですが、まあそういう日があってもいい。
前日にそれとなく地図を見ていたので、ぐるっと回って帰って来れれば、くらいに思っていました。

写真は叡山二ノ瀬駅で下りて、最初の橋を渡るところ。

f:id:cheechoff:20161215134955j:plain
鞍馬へも行けるのか…と考えながら通り過ぎる。

線路を渡って山道を歩き始めると序盤に池を通り過ぎた先に流れをまたぐ小さな橋があります。
ここで前に二ノ瀬〜貴船を歩いた時に撮った写真を載せます。
f:id:cheechoff:20161215141549j:plain
一月以上前の写真ですが、今とあまり変わりませんね…紅葉を終えると山は時を止めるかのよう。
それはさておき、前回この橋を越える時に、橋を渡る直前右側に傾斜のきつくて幅の狭い道が見えて「いいなあ…」とそそられてこの写真をとったのでした。
今回同じ地点に達した時に、また「同じ道をなるべく歩かない」という生来の癖*3でこの狭い道を上り始めました。

f:id:cheechoff:20161215135006j:plain
水が流れるそばを少し上るとすぐに道らしきものがなくなり、そして流れは強くはなく岩がごろごろしている。
というわけで成り行きの沢登りになりました。

f:id:cheechoff:20161215135015j:plain
よいしょ、よいしょと岩を伝って登る。
さすがに手を使わないと登れませんが、手はいつでも洗えるのがうれしい。

f:id:cheechoff:20161215135037j:plain
f:id:cheechoff:20161215135044j:plain
f:id:cheechoff:20161215135051j:plain
途中にいたきのこ。赤い。

f:id:cheechoff:20161215135058j:plain
まだまだ登ります。天然アスレチック。

f:id:cheechoff:20161215135108j:plain
ひときわ大きな岩を登ったところで来た道を見下ろす。
岩に手をかけたところで目に入って一瞬ぎょっとなったんですが、流れに留まって漱がれている白い物体が写真下端にいます。
もちろん端っこに写るように撮ったんですが…

f:id:cheechoff:20161215135117j:plain
そのままの状態で近くから。
この独特の白さはもう、一目見ただけでわかりますね。
最近読んだポーの短編で、望遠鏡で遠くから大木の枝の先に置かれた髑髏を見つける場面でこの白さの描写があったはずですが…せっかくなので探して引用してみます。

「あるいはそうかもしれん。だが僕は、常識ということが、詩的調和ということとまったく同じくらい、このことに関係があると考えずにはいられないんだ。(…)その物は、もし小さい物なら、どうしても白くなくちゃならん。ところで、どんな天候にさらされても、その白さを保ち、さらにその白さを増しもするものとしては、人間の頭蓋骨にかなうものはないからな」

「黄金虫」p.186(E・A・ポー『黒猫・黄金虫』新潮文庫
下線は文中傍点部

もちろんこれは人骨ではありませんでした。
上の状態から取り出して、洗って静置しました。

f:id:cheechoff:20161215135124j:plain
f:id:cheechoff:20161215135147j:plain
下顎はありませんが、頭部が綺麗に残っています。
何の動物か想像がつきませんが、そのあたりにいそうな動物として鹿かな、とその時は考えました。

不意に目に入った時は驚いたんですが、ものが分かるとそれほど抵抗なく触れることができました。
たぶん街中で同じものを見かけたら目を背けて近づかないようにしただろうと思うんですが、それはこの頭蓋骨が見せる恐怖が「頭の方」だからですね。
…って、頭蓋骨の頭ではなく、身体に対する頭つまり脳の方という意味ですが、畢竟恐ろしいのは頭蓋骨そのものではなく「頭蓋骨が連想させるもの」であるということ。
街中にこんなものがあればまず間違いなく不穏な事態を想定しますが(人骨ならなおさらです。なぜこんなものが放置され続けているのか?この街の治安は大丈夫か?的な)、山の中のしかも人がほとんど通らない所で見かければ、冷静な頭なら「なるほど」と思うわけです(これは人の通らなさを裏付けているなあ、とか)。
…とはいえこれが人骨だったなら今の自分の状況と照らし合わせて恐慌を来したかもしれませんが。

石を積み上げて供養しようかと少し思ったんですが、そんなことより現状を思い出して、というのは沢登り行程が一段落していたのは行く手に滝(というか「滝になるほどの高低差」)があったからでさてどうしたものかという現状認識をほっぽり出して骨を観察していて、その時上の方で人の声が聞こえて、見上げると登山者のグループが通りかかったのでした。

f:id:cheechoff:20161215135240j:plain
僥倖、と思って咄嗟に撮った写真。
中央に人が写っています、小さいですが。

f:id:cheechoff:20161215135304j:plain
行く手にある滝。
さすがにこれは登れません。

ところで、すぐ下に書いてますがこの滝は上側の山道から下りるのは困難でたぶん沢登りしないとたどり着けないんですが、そういう難所なので名前がついてないのではと今思ったので、ここで勝手に命名しておきます。
偶然出会った仏さんにちなんで「髑髏瀧」でどうでしょう。

いや、いい名前だと思いますよ、「ユウレイ峠」だってあるし。

f:id:cheechoff:20161215135321j:plain
登山者のグループを見かけた時に、その方角になんともおあつらえむきの(正規の山道に戻れそうな)道を見つけました。
骨と滝を後にしてさっそくこの道を進んだんですが、お約束というかご多分に漏れずというか(つい2日前に同じ経験を何度もしました)、道がどんどん先細って斜めになっていき、しまいには単なる斜面になるという有様で、しかも広葉樹の落ち葉が滑って下さいと言わんばかりに隙間なく敷き詰められている始末。

思い出すと頭に来たので、絵を描いてみました。
(こういうのを「昇華」と言うのです。たぶん)
f:id:cheechoff:20161215163540j:plain
先細っていく斜面の道の断面図を時間経過に沿って3つ描きました。
断面図なので、赤い人は紙面方向に進んでいるわけです。
まあ3つ目になるまで無茶はふつうしませんが、何も考えずに「道だから」と進んでいくとほんとうに絵のようになりかねません。
この時は2つ目と3つ目の間くらいの状態でこの道に見切りをつけ、さっき人が通った山道がすぐ上にあると知っていたので(人が通らなかったらどうしていたでしょうね…ぶるぶる)、生えている木と倒木を足がかりにして斜面を登りました。
落ち葉に加えて前日の雨で土がもろもろになっていて、一度足をかけた土が崩れて斜面にしがみつく場面もありひやっとしましたが、無事に山道に合流することができました。

f:id:cheechoff:20161215135334j:plain
合流した地点は少し登ると立て札があるところでした。

f:id:cheechoff:20161215135351j:plain
あとは前も通った正規の山道を上るのみ。

f:id:cheechoff:20161215135400j:plain
夜泣峠の分岐点に着きます。
今日は大岩へ抜けます。

f:id:cheechoff:20161215135411j:plain
ふむふむ。

f:id:cheechoff:20161215135421j:plain
下ります。

f:id:cheechoff:20161215135437j:plain
日を浴びる苔。
光ってました。

f:id:cheechoff:20161215135447j:plain
苔の絨毯。
もふもふ。

f:id:cheechoff:20161215135457j:plain
f:id:cheechoff:20161215135507j:plain
そして大岩へ。
ここからはずっと車道です。
もう今日の山場は越えた気分でした。

f:id:cheechoff:20161215135518j:plain
鴨川の上流に沿ってどんどん歩く。
これは車道から見える景色です(右下に少しだけガードレールを入れました)。

f:id:cheechoff:20161215135528j:plain
f:id:cheechoff:20161215135538j:plain
途中で山道入口を見つけ、奥の方にある立て札を見ると「判官坂」とあります。
なるほど、ここを行けば前に見つけた分岐にたどり着けるわけですね。

f:id:cheechoff:20161215135549j:plain
f:id:cheechoff:20161215135603j:plain
民家が並ぶ地帯にたどり着きました。
北大路〜雲ヶ畑間を一日二便走る小型バス「もくもく号」のバス停「市ノ瀬」付近。

f:id:cheechoff:20161215170001j:plain
さらに歩くとちょっとにぎやかな所に。
視界に入る情報量が一気に増えたのでそう感じました。
バス停「出合橋」付近。

f:id:cheechoff:20161215135614j:plain
f:id:cheechoff:20161215135625j:plain
左へ行けば村の中心部へ、右は林業センターなるものがあるそう。
この時にはもうけっこういい時間で「どう帰るか」がまず念頭にあり、じっくりと考える。
今は中心部を見に行けばよかったとつくづく思うんですが…

f:id:cheechoff:20161215135639j:plain
広域図の端へと目が吸い寄せられる。
なにを見てんだという感じですが、この右上の隠れたところが非常に気になったわけですね。

 府内広域図に隠れた道は、貴船神社に至る道(府道361号)に通じているのではないか?

うん、いやそうだ間違いない、それなら貴船口まで歩いて叡山電車で帰れる…と確信的に楽観視して、今いる出合橋の分岐を右に進むことにしました。
行き止まりなら引き返せばいいや、車道だし暗くなっても平気だし、ともちろん予想が外れた時の事態も想定はしていたのですが…

f:id:cheechoff:20161215135653j:plain
林業総合センター。
冬期休業とのこと。
林業を営む方々の憩の場なのでしょう。

f:id:cheechoff:20161215135704j:plain
すかっとした気持ちのよい道。

f:id:cheechoff:20161215135718j:plain
ふむふむ。

f:id:cheechoff:20161215135728j:plain
f:id:cheechoff:20161215135740j:plain
善明寺端にいた苔たち。
勢いがあります。

f:id:cheechoff:20161215135755j:plain
アグレッシブ間伐。

神去なあなあ日常』(三浦しをん)を前に読んだことがあるので、ひたすら林を抜ける道を進む間もいろいろと想像しながら歩いていました。

f:id:cheechoff:20161215135813j:plain
f:id:cheechoff:20161215135824j:plain
進んで行くと分岐があり、左へは魚谷峠(徒歩)という表示。
山道はふだんは大歓迎ですが、この時はこの状況(もう日が暮れる)にしてこの方針(車道で貴船へ抜ける)で、そして当然思い至るのはこの峠を進んで果たしてどこに通じるのか全く不明なので、特に迷うことなく引き続き車道の右を進む。

f:id:cheechoff:20161215135838j:plain
と、アスファルトが途切れて砂利道に変わる。
…若干不安。

f:id:cheechoff:20161215135854j:plain
振り返ると日暮れ。
が、まだいけると行程続行。

f:id:cheechoff:20161215135909j:plain
f:id:cheechoff:20161215135924j:plain
砂利道というか小石のばらつく地肌の道を進んでいるとまた山道の入口が。
枝に巻き付けられたラミネート紙には「樋ノ水谷を経て樋ノ水峠へ」とあります。
なるほどなるほど。ここを進めば前に歩いた、貴船山手前の樋ノ水峠に至るわけね。
…かなり不安。

というのも、この峠に至る山道に対して今歩いている車道(でなくなりかけている道)の方角が90°違っていて、要はこの先で車道がぐーっと右に曲がってくれないとどんどん目的の合流地点から離れていくからです。
この辺りでもうほとんどさっき立てた行程は諦め、どこで引き返すかの機を窺っていたように思います。

f:id:cheechoff:20161215135941j:plain
小屋を見つける。
「麗杉荘」という看板があったように思います。
もうだいぶ暗い。

f:id:cheechoff:20161215135955j:plain
大岩から車道を上る間にぱらぱら降っていた霧雨は小屋に至る前か後かにみぞれっぽい雪に変わっていて、これも不安材料の一つだったんですが(寒いからという以上に、どんどん北へ向かっている証拠のように思えたからです。行きたいのは東)、(1)日がとっぷり暮れ、(2)雪は勢いを増し、(3)写真にあるように「柳谷峠」なる峠に至る山道の入口を見つけ、(4)ふうんと思って車道を進もうとした先がぐしょぐしょになっているのを見て、という踏ん切り材料が4つ並んでようやく「ここまでやな」と元来た道を引き返す決心をしました。

つまりここからが「後退戦」で、車道だから暗くても大丈夫と舐め切っていた道はとうに山道のごとくになっていて(小石がばらつきぬかるみもある)、雪の降り続く中を極小LEDライトで地面をサーチライトの如く時折「投げ照らす」ようにして無心で歩きました。
上賀茂の街まで下りてきてから満月だったと気付いたんですが、雲が薄かったようで雪の降る山道も真っ暗ではなく、ライトなしで歩いていて水たまりが月の光を受けて目に判別できるほどではありました。
なので行く先をずっと照らし続けるよりは(といってそれができるほどの光量をLEDは持っていないのですが。何せキーホルダ大ですから)怪しげなものを感じた時にだけ前方にさっと光を走らせる、という歩き方をしました。

ところで今日これを書く前にgooglemapで調べてみたんですが、やはりこの道は府道には繫がっておらず行き止まりとなっていました。(しくしく)
また「柳谷峠」で調べてみると、京都の峠について詳しく載っているHPに興味深い記述がありました。
以下はそのHPの「柳谷峠」の項目からの抜粋です。

■地図:http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350853&l=1354433

峠から西に進めばほどなくして魚谷山へ。地形図に表示はないが、峠から東に延びる京北町との境界尾根を行くと芹生峠に到達する(未踏)。

リンク先の地図を見ると(あの、登山部が使うような地形図です。僕は高校時代に見て以来な気がしますが、分かる人ならこの図を見て「尾根の道」が見えるのでしょうか)、芹生峠がまさに僕が行こうとしていた府道361号だったことがわかります。
つまり、柳谷峠に入って進めば実際に府道にたどり着けたのですね。

f:id:cheechoff:20161215140021j:plain
元来た道を戻って出合橋を過ぎ大岩を過ぎ、柊野へ至る少し手前のクリーンセンターへ至る道のある分岐まで来ました。
気温表示を見ると3℃!
ここで3℃なら雲ヶ畑は何度だったんだろう…歩いている間は腕が多少冷えましたが胴体は寒くはなかったです。
立ち止まっていたらどうだったか知りませんが…それが怖かったので引き返した地点からここまでは途中屈伸する以外はノンストップでした。

引き返した時は日の暮れ方からして17時前で、最初に書きましたが帰宅は20時半なので、「後退戦」では3時間以上ぶっ続けで歩きました。
山道とどちらが楽かといえばどっちもどっちですが、山道の方が足にかかる負荷が(大小ではなく)柔らかいのと、立ち止まって考える時間があったり足場にバラエティがあるので局所に連続的な負荷がかかりにくいという点を重視すれば僕は山道の方が楽ですね…ということを今回の行程でひしひしと感じました。

途中で立ち止まれない制約と大事を起こさないようにという緊張感の中でよくやったとは思いますが、足の方は(帰宅時は)もう「全部使い切った」という感じで、「後退戦」の途中で足首が痛い、膝関節が痛い、太腿が痛い*4、と普段の徒歩中に痛むところが全部痛んだ時に「次はどこを使おうか」と思って「太腿の背中側」とか「臀部」とか色々試して*5の総力戦の結果ですね。

それで普段痛まないよくわからない足の部位も痛みがあったんですが、帰宅後に1時間ほどじっくり風呂に浸かっていると自炊できるほどには元気になったのでした(もっとも外食より自炊の方が楽だと思いますが)。
今これを書いている翌日はそこそこぼろぼろ(なんだそりゃ)なので静養していますが、夜のプールは行くつもりです。

話を昨日に戻しまして、街に下りてきてからは街灯りを見るだけで嬉しくなり、ついつい余計な写真を撮ってしまいました。
街の有り難さが本当に身に染みました。
今日の経験は普段の生活というか、生活思想(価値観)に影響を与えるかもしれません。

f:id:cheechoff:20161215140030j:plain
街コン。(違うか)
志久呂橋のそば、だったかな?

f:id:cheechoff:20161215140038j:plain
週1くらいでご飯を食べにくるMKボウル上賀茂。
いっそのことボウリングしてやろうか、と思いました(学生の頃で、一人でなかったら同じ疲労困憊の状況でもやっていたかもしれません。あの頃は体力とは「別腹」でテンションで動けたものです)。

長くなってしまいました。
歩く間に考えなかった分、いろいろ思うところがあった(ある)ようです。

*1:何の歴史かといえば僕自身の徒歩史ですかね。

*2:耶馬渓は最近山頭火の日記を読んで知りました。深耶馬渓(昔は「新耶馬渓」だったそうです)の紅葉がすごいのだとか。

*3:たぶん小学校の時に身についたのだと思います。「同じ道ばっかり歩くとボケるよ」と祖母に教えられ(小学生に聞かせる話ではないですね)て真に受け、通学は集団登校でしたが下校時はいろんな道を通って帰宅したのを覚えています。家も学校も大阪と京都の府境にあったからか、はたまた山の方の住宅街だったからか、小学生が下校でバリエーションを楽しむには十分な選択肢がありました。

*4:これらの痛みに加えて、あと「右足の魚の目跡が痛い」もあったんですが、もうこれはぶり返してますね。翌日の今日も押し込むと痛いし…また静養しなきゃですね。『白衣の女』(ウィルキー・コリンズ)が今週はご無沙汰だったので、これを機にずんずん読み進めることにしましょう。

*5:「そこを意識して歩く」というだけで他の部分の痛みに差があるのです、実際に。もちろん意識だけでなく身体の動かし方も変えるのですが。

大文字山〜比叡平〜近江神宮

今日の全行程を書けば、

 大文字山(火床下部経由)
 〜比叡平
 〜皇子山カントリークラブ近辺
 〜近江神宮
 〜近江神宮駅(京阪)

となります。
11時半に出て、帰ってきたのが19時半で、座ったのは駅で電車が来るまでの数分だけ(ほんとは立って待つつもりだったんですが待合椅子に老人クラブかどこかから寄贈の座布団が敷き詰められていたので思わず座ってしまいました)だったので、ほぼ8時間歩きっぱなしの立ちっぱなしでした。
なんというか、やりすぎですね。今日はこんなに詰め込む気はなかったんですが…

明日は静養か外出しても図書館くらいですかね。

では例によって以下に写真つきで報告。

 × × ×

今日は大文字山はいつものコースを通って比叡平から滋賀に抜ける道を考えて出発しました。
f:id:cheechoff:20161213000316j:plain
小さな橋に至るまでの砂利道。
「こけばむ」を作ってからあらためて眺めると、ステキな道ですねえ。

f:id:cheechoff:20161213000329j:plain
f:id:cheechoff:20161213000334j:plain
f:id:cheechoff:20161213000340j:plain
というわけで石垣で戯れる苔たちをばしばし撮りました。
コメントは「こけばむ」をご参照下さい(たぶん明日投稿します)。
(もし「見れないけど見たい」という方がいればどうにかしますのでご連絡下さい)

橋を渡って通常の登山道を上り始めたんですが、途中で分かれ道にそそられて新コース探索を始めてしまいました。
行きつ戻りつして結局火床の下側に出る道(道というか…管理道?)を見つけたんですが、ここではもろもろ省略して途中のこけ+αだけ載せておきます。
f:id:cheechoff:20161213000346j:plain
f:id:cheechoff:20161213000717j:plain
「もふ…もふ…」という鳴き声というか呟きが聞こえてきそうな…。

f:id:cheechoff:20161213000357j:plain
f:id:cheechoff:20161213000403j:plain
f:id:cheechoff:20161213000410j:plain
f:id:cheechoff:20161213000613j:plain
f:id:cheechoff:20161213000516j:plain
f:id:cheechoff:20161213000817j:plain
最後の2枚は火床の下側に出る直前にあった小さな森にて。
その昔子どもたちが植樹した木々が今は立派に生い茂って…ということなんでしょうか。
すぐ抜けられはするんですけど、ステキな入口ですね。

f:id:cheechoff:20161213000826j:plain
で、火床に出て「大」の字の四画目の「はらい」を上って一画目の筆の方向に進んだんですが、ここでもまた脇道にそれて斜面のきつい道なき道(ただしテープがこまめに配置してある)をしばらく進んで、一回落ち葉に滑って壮大に転んだりひとまず落ち着こうと昼食のパン(今日はさつまいもパン、チーズフォンヂュパン、かたいフランスパン、とかき揚げ)を食べ始めたりして、結局は山頂に通じる道に合流するんですがけっこう時間をくいました。
このかわいい写真は「落ち着こう」と思ってふと木を見たらぴょこんと健気に生えていたので撮ったもの。
「やあ、元気かい?」

f:id:cheechoff:20161213000831j:plain
今日の山頂からの景色。
遠くが霞んで、靄の中に(たぶん)大阪のビル街のシルエットが見えていました。

今日はいろいろ寄り道をしたので大文字山付近の行ったことない道をてきとうに回ろうかと思い始めてたんですが、結局山頂に足が向いてしまって、山頂に着いたからには(まだ日も高いし)比叡平に行こうかな、という気分になりました。

f:id:cheechoff:20161213000839j:plain
山頂を越えて、最初の分岐に着く前にいた苔。
城下町(塔下街?)のミニチュアみたいです。

f:id:cheechoff:20161213000853j:plain
f:id:cheechoff:20161213000847j:plain
右に行けば三井寺方面(前に行きました)、左に行けば池ノ谷地蔵尊比叡平方面。薬草園は池ノ谷のそばにあります。
今日は右。

f:id:cheechoff:20161213000902j:plain
f:id:cheechoff:20161213000909j:plain
f:id:cheechoff:20161213000917j:plain
f:id:cheechoff:20161213000923j:plain
f:id:cheechoff:20161213000929j:plain
f:id:cheechoff:20161213000936j:plain
大文字山〜池ノ谷間にいた苔たち。
最後3つの写真は、その上の朽ち木に屯している苔です。
苔のワンダーランド。
小さな人型の人形(レゴのやつとか。別にスタートレックでも構いませんが)を置けば想像力をかき立てられそうですね。

f:id:cheechoff:20161213000946j:plain
f:id:cheechoff:20161213000953j:plain
林道。
冬ですね。

f:id:cheechoff:20161213001005j:plain
f:id:cheechoff:20161213001012j:plain
f:id:cheechoff:20161213001019j:plain
f:id:cheechoff:20161213001044j:plain
「こけれどもこけれども」*1

f:id:cheechoff:20161213001052j:plain
そういえば大文字山〜池ノ谷間を歩いている時に小柄で体力のありそうなおじいさんとすれ違う前に立ち止まってしばらく喋ったんですが、「比叡平から来こられたんですか?」と聞くと「いえ、大文字の方から。」と返されて「???」となったんですが、どうも大文字から三井寺方面に向かおうとしてどこで間違えたかぐるっと回って戻ってきたようでした。このとき「コンクリートの柱の所で云々…」ということを聞いたんですが上の写真がたぶんそのことで、何か私有地っぽい雰囲気があってこの柱ゲートに入らずにV字に戻る道があるので、たぶんおじいさんはこのゲートを見て入らずに戻ってきたのだろうと思います。そう思って、僕はゲートの先へ進むことにしました。

おじいさんと話していて「どこに向かわれてるんですか?」と聞いたら「いやあ、特に行くあてはありませんで」と返事があって、つい「あー、僕もそんな感じなんですよ」と相槌をうちました。もちろん本心からのことで、つまりは「ただ歩きたい」ということ。この辺の(本格的でない)山道を歩く人にこういう考えの人はそこそこいるとは思いますが、実際にそういう人に会うと嬉しいですね。

f:id:cheechoff:20161213001100j:plain
選んだ道は正解で、池ノ谷地蔵尊に着きました。
そのまま過ぎて車道に出ると左右の分かれ道になっていて、左が比叡平バス停とか団地がある方(とここに来る途中の看板広告に書いてあった)、右が皇子山カントリークラブへ至る道。
(分かれ道の看板のところにちょうど車が停まっていたので写真は撮れませんでした)
「団地」という表現に引っかかっていたので(でも地図で道路の感じを見たらたしかに団地だったかもしれない)、進めば他に道があるだろうと思ってカントリークラブの方へ行くことにしました。

f:id:cheechoff:20161213001110j:plain
車道をずっと歩いていて、途中で見つけた洞穴。
中には何が…! と相当期待して中に入ったんですが、底が浅くすぐ行き止まりでした。
トンネル掘ろうとして早々に諦めた、という感じでしょうか。

f:id:cheechoff:20161213001117j:plain
洞穴から外を撮る。

f:id:cheechoff:20161213001125j:plain
f:id:cheechoff:20161213001132j:plain
f:id:cheechoff:20161213001140j:plain
洞穴付近の苔たち。

f:id:cheechoff:20161213001159j:plain
カントリークラブの看板には「琵琶湖を一望できるフィールド(コースだっけかな?)」みたいなことが書いてありましたが、途中の道からすでに琵琶湖を眺めることができます。

f:id:cheechoff:20161213001208j:plain
と、カントリークラブの入口が近づいてきたところで林道に入れそうな所がありました。
鉄塔があってすぐに思い出したんですが、この鉄塔は前に浜大津へ行った時に通りました。
その時の写真を2つここに再掲します。
f:id:cheechoff:20161213011025j:plain
f:id:cheechoff:20161213011036j:plain
鉄塔の柵に書かれた行き先(下の写真)の、写真でいう右側には「比叡平・ゴルフ場」と書かれています。
前にこれを見た時は「すぐ近くにありそうもないな。どれだけ歩けば着くんだろう…」と周りの景色を見て途方もない感じを抱いていたんですが、それが、この鉄塔のすぐ裏に車道が通っていて、ゴルフ場もその車道のすぐ先だったとは。
まあ、いいんですが。

f:id:cheechoff:20161213001217j:plain
車道からゴルフ場のコースが見えます。

鉄塔そばの林道入口を見つけたので、ここは前に通ったから戻ろう、と潔く何十分かかけて歩いてきた車道をとって返し始めたんですが、その矢先に(方角的に)滋賀に出られそうな自然道の入口を見つけました。

f:id:cheechoff:20161213001239j:plain
行きに通った時↓は「看板があるな」と思っただけで見逃していたのでした。
(なのでこの写真は入口を見つけた時に、最初に通り過ぎた時の視点をイメージして撮ったもの)
f:id:cheechoff:20161213001226j:plain
で、最初は木が固定された階段とかがあってわりと整備された自然道かと思わせたんですが、途中から道がなくなったように見えて(すぐ先にはフェンスの向こうにゴルフコースがある)、うーんと思って見回すとかすかに道に見えないこともないようなコースが覚醒ガウェインのように光って見えて*2、戻って車道をずっと歩くのも気が進まなかったので思い切って進んでみました。
f:id:cheechoff:20161213001301j:plain
f:id:cheechoff:20161213001311j:plain
f:id:cheechoff:20161213001321j:plain
f:id:cheechoff:20161213001330j:plain
写真で見ると道っぽく見えますが人が通るにはどうも狭かったり低かったり(すぐ上が枝葉で覆われているような道もありました)して、そういえばこの自然道に入ってからやたらと鹿の糞があるなと思ってもいて(たとえば上の写真の2つめのような)、もしかしてこれは人の道ではなく鹿の道ではないかと思ったりもしたんですが、進んでいくなかで人の道のようにも見えたり鹿の道にも見えたりして、よくわからないながらとにかく進めたので道は道であったのでしょう。

f:id:cheechoff:20161213001342j:plain
木の根っこ付近に密生する苔を勢い余って足で掘り返してしまったんですが、表面の新しい苔の下には古い苔が積層されていました。
いいですね、積層。

f:id:cheechoff:20161213001351j:plain
「苔の国から」*3

f:id:cheechoff:20161213001406j:plain
奇木。

f:id:cheechoff:20161213001413j:plain
f:id:cheechoff:20161213001420j:plain
林道を進む途中で妙な構造物に遭遇しましたが、これは車道を歩いている時に見えていたゴルフコースの一部です。
確か上には芝生が植わっていたような気がしますが、なぜ足場を組んでまでしてわざわざコースを足すようなことをしたんでしょうか。
バンカーだったのかな…なんでもいいですが。

f:id:cheechoff:20161213001426j:plain
ゴルフコース構造物のすぐそばにはゴルフボールがたくさん落ちていました。
まあそりゃ、飛んできますわな。
ここで登山者にショットが命中するのは、スタジアムの観客席でホームランボールにぶつけられるよりもだいぶ確率は低いでしょう。

f:id:cheechoff:20161213001433j:plain
人の道か鹿の道を方角を頼りに進んで行くと川の先に工事現場がありました。
林道はその先にもあったんですが方向が元の車道に戻るようだったのでこの工事現場に下りることにしました。

f:id:cheechoff:20161213001440j:plain
鹿の足跡。

f:id:cheechoff:20161213001448j:plain
そういえばこのゴルフコースそばの林道には赤や黄のテープの目印が一つもなかったんですが、「ここにあったか!」と思って近づくと椿の花でした。
ちょっとこわい。

f:id:cheechoff:20161213001458j:plain
ここから出られます。
橋を渡った上に車がいてすぐ車道かとも見えますが、この車は廃車で上ったところもぼうぼうの草で覆われてました。

f:id:cheechoff:20161213001514j:plain
ぼうぼうの草をかきわけて出たら工事現場の裏でした(写真のショベルカーの裏から出てきました)。

出てきた時にちょうど現場のおじさんが通りかかって、僕をじーっと見ながら通り過ぎていったんですが、僕がこの上の写真を撮るちょうどその時に引き返して戻ってきたようで「なんで撮ってんの」と尋問口調で聞かれてひやっとしました。
山道を歩いててここから出てきて比叡平に行きたいんですけど(と言ったんですがこれは「比叡平から来た」の間違いでした)ここどこですかねへへへ、みたいな気弱で愛想の良い感じを出してなんとかその場をしのぎました。
「車道下りたら大津だよ。だいぶかかるけど」と言ってくれたので、さっそく車道を下り始める。

f:id:cheechoff:20161213001526j:plain
f:id:cheechoff:20161213001534j:plain
もうけっこう薄暗くなっていたんですけど、車道の途中で自然道の入口があり、「近江神宮」の文字があり、20分とあるので「これなら行ける」と勢いで入っていったんですが、これはペケでした。
わかりやすい道のはずがいつの間にか勾配が急な細い道になっていってしまいには道がなくなってただの山の斜面になり、しかもどんどん暗くなっていくので「これはやばい」と引き返すことにしたんですが、引き返し始めると今度はさっき来た道が分からない、というか見えない。
かなりピンチになりながらも這々の体で元来た道に戻って来れた時は大きな溜め息がもれました。

今日はこういうパターン(「車道をずっと歩くのか…」と思っているとちょうどよい時にちょうどよさそうな林道を見つける、という)が多かったから調子に乗ってしまいました。
いやしかし、そもそも薄暗いのに新たに自然道に入るなよというのはありますが、引き返す時の判断が素早くできたのはよかったです。
こうして勘が鍛えられていって、油断さえなければ大事には至らないはずなんですが…毎回なにかと危機がありますね。
気を抜かないよう気をつけましょう。

車道をずっと下って街にたどりついて、京阪の駅を探そうとてきとうに歩いているとこのような道路標示が。
f:id:cheechoff:20161213001547j:plain
「えー5km!?」とまずは思いました。坂本という駅があったはずなので(少し後で京阪の終点だとわかりました)。
で、このすぐそばに近江神宮があるらしいことに気付き、地図があるだろうと中に入ると、

f:id:cheechoff:20161213001555j:plain
近江神宮前駅」というもっと近い駅があることを知ったのでした。
これに安心して、近江神宮の敷地内を少し歩いてみました。

f:id:cheechoff:20161213001605j:plain
本宮は閉まっていたので、手水場の写真だけ。
水が竜の口から出ています。

f:id:cheechoff:20161213001611j:plain
近江神宮前駅
琵琶湖からは遠かったです。


ぷふー、疲れました。

これで、滋賀へ至る山道はあと比叡山を残すのみ、かな?
大文字山経由ではあと京都山科と蹴上があったと思います。
まあ、気分とその日の持ち時間で決めましょう。
比叡山は半日では到底かなわない気がするので、行くなら予定をちゃんと立てないとですね。
 

*1:小説タイトルのもじりです。わかるかな?

*2:ゴルフコースなので『ライジングインパクト』(鈴木央)にちなんでみました。もちろん光って見えてなんていませんが。

*3:言わずもがな。

曲に刻む経験の強度、脳内BGMについて

『菅野満子の手紙』(小島信夫)の派生で『白衣の女』(ウィルキー・コリンズ)を読んでいます。
語り手が複数いて、「それぞれの場面で最も適切な者が語る」みたいなことが序文に書いてあります。
今日は一日読むかと思っていましたが、その一人目の手記が終わったところでちょっと気分を変えたくなって、その時ちょうど頭の中を流れた音楽に導かれて『晴子情歌』(高村薫)を読み始めました(ちなみに二度目の再読です)。

その音楽というのが、僕はやったことないですがRO2という(名前からして多分オンラインの)ゲームに使われているらしいYoru Voという曲。
この曲は僕にとってかなり濃厚に経験が刻まれた曲の一つで、というのは脳内BGMとは読む本や作業と一度結びつけると決めてそれを続けることで曲と経験が相互参照されるようになるもので、「濃厚な曲」は他にもいくつかあります*1

この曲は高村薫氏の「福澤家三部作」(『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』)を読む間ずっと頭の中を流れていて、それは読書記録によれば2010年10月〜11年8月末までのことでこれだけでも長い付き合いと言えるんですが、(今思うとこの長い付き合いの延長だったのかもしれませんが)そのあと修論を書く間もずっと*2聴いていて(これは研究室PCでイヤホンをして。だからふつうのBGMですね)、その修論執筆がというか所属した研究室が大変なところで、ただ今は「当時は閉鎖的かつ孤独だった」と言うにとどめますがつまりはこれによって小説の記憶に上乗せ*3して濃密な負の経験を背負ってしまい、卒業後就職してからもずっと能動的に聞く気にはなれなかったのですが、今年のGWに秋田の玉川温泉へ七泊八日の湯治へ行った時に*4、温泉に浸かっている間に流す曲はないかと記憶に検索をかけると、温泉家屋の総木づくりで古色蒼然ながら重厚な風情にぴったりだと思いついたのがまたこの曲で、負の記憶のこともあるが場所が非日常だからいいかと決めて、八日間に温泉場に入っている間はずっと流し続けていました*5

というわけでこの曲を聞けば連想されることがたくさんあって、一日中この曲を聴きながらぼーっと過ごせるんではないかと思えるほどです。


そういえば、内田樹氏が昔のブログに大瀧詠一さんのことをけっこう書いていて*6、その中の話で、「無人島に一冊だけ持って行ける本を何にするか」というアンケートがその昔業界人の間にあったらしく大瀧さんは「○○年のレコード年鑑」と回答した。これはある年(何年かは忘れました)に出荷されたレコードの詳細が一覧できる冊子で、つまり曲名(と歌手)を見ればその曲を頭の中で流せるからこの一冊があれば一生暮らせるのだと。

脳内BGMに対してこれほどの情熱を持つ人がいるのだということを僕はこれを読んだ時に初めて知ったのでした。

 × × ×

このブログに脳内BGMについて書いた記事が既にいくつかあるのでタグを作りました。
記事を読み返すと、なかなか面白いことが書いてありました。
2つ張っておきますので、興味があればご覧下さい。

cheechoff.hatenadiary.jp
cheechoff.hatenadiary.jp

*1:たとえば村上春樹の小説を読む時にいつも流す曲とか。何の曲かはまた機会があれば書きます…と打ち込む間にもう書いてあったことを思い出しました。興味があればどうぞ。マニアックな話ですが脳内BGMについて熱く語られています。

*2:本当にずっと、一日中聴くのを何日続けたか、というくらい。他の曲も時々挟んでいましたが。

*3:「上書き」ではないのですが、記憶の新しさのせいか体験の強度のせいか、曲を聴けばまず修論を思い出すのでした。

*4:そういえば湯治記がまだ途中でした。肝心の温泉治療のことをまだ書いていませんが…思い出すの大変かもですね。このすぐ下↓にちょこっと書いて、書いた気になっちゃいましょうか(笑)。そして湯治記のタグもつけちゃいましょう。

*5:ふつうの温泉旅行と違うのがこの長さで、源泉100%のお湯なんかはずっと浸かれない(治したい患部と感度の高い部分がヒリヒリというか、筆舌に尽くせないような「堪え難い状態」になるのですが、こうなるまでに「温泉皮膚炎」が生じてこれは効いてる証拠だという説もありますが、滞在が長くなるほど皮膚炎が発達して一度浸かった時に「堪え難い状態」になるまでの時間が短くなります。こんな具合なので源泉に浸かる時間よりそれ以外の時間の方が長いです)ので入っては出たり別の所(サウナとか、頭だけ出して蒸気で満たされた箱に入る「箱風呂」とか)へ行ったりを繰り返すんですが、この繰り返しをやるうちに二時間くらいは経って(つまり一度温泉場に行けばこれだけの時間滞在する)、体力が続けばこの繰り返しを一日三〜四回はやります。つまり僕の脳内では最長で一日八時間はこの曲が流れていたわけです。

*6:はっぴいえんど」というグループで一世を風靡した人らしいのですが、時代が違うので僕は全然知りません。ウチダ氏がどれほど熱烈な「ナイアガラー」かを氏のブログを読んで知るのみです。

減速の第二十五歩、歯の磨耗と脚絆問題

今日はラナーバイキング→加茂川下り。
なぜかいつもより多く食べてしまい、歩き始めが大変でした。
(帰宅後も変わらず満腹で、泳いだら吐くと思ったのでプールは行きませんでした)

最近気づいたというか、現象自体は知っていたんですが歩行に影響が出ているのを知ったのはここ2、3日のことで、なにかと言えば歯の減りがけっこう激しくてしかも外側が大きく削れて斜めになっています。
写真を見れば一目瞭然です(前からと後ろから)。
f:id:cheechoff:20161210204529j:plain
f:id:cheechoff:20161210204538j:plain
靴がすり減るのも外側からなので違和感はないですが、これでよいのかがよくわかりません。
自分の歩き方に歯の角度が最適化されたのか、歩き方の癖が歯の削れに反映されてどんどん癖が酷くなっている(歯が傾くことで癖が強調されている)のか。
両足の歯を揃えて立とうとすると両足が外側に傾いてしまう(ちゃんとした言い方がわかりませんが、「よりO脚になる」と言えばわかりやすいかな)のであまりよくないような気がしていたんですが、今日歩いていて、がに股っぽく歩く(つまり足先を前方に対して少し両足が開くように向けて歩く)とそんなに違和感はないかもしれないと思いました。
もともと僕は(つまり靴で)がに股気味で歩いていたのだったか?

いずれにせよ、前にも検討したことですがもう一足一本歯を買ってみて歩きやすさの比較をした方がいい気がします。
その時は二足目で歩き始める前に歯底にゴムをつけるつもりです。


あとは、安定していると思ってしばらく歩いていて足がぶれてきたら、原因が何であれとりあえずゆっくり歩く、一歩一歩を確かめるように歩くと落ち着いてくるようです。
「歩歩到着」を心の内で唱えるだけでなく実際に行動に移すのがこれである、ということにしましょう。

今日も歩きながらあまり考えませんでしたが、加茂川河川敷の足場が悪いせいもあります。
足下を見るべきときはしっかり見ながら歩く、をやると当然頭は空っぽになります。
やはり高野川だけでは悪路慣れできないので、時々加茂川も歩かないとですね。


さて、日中歩行はいつやろうかと今ふと思いましたが、厳しく冷え込む前の方がいいですね。
今日はまたぐっと冷えて歩行時に上着を1枚足しましたが(大外のGore-Texレインコートも合わせてつごう5枚)、足はまだ裸足でもなんとか平気です。
もっと冷えるとちょっと考えものですが、だからといって靴下や足袋を履いて一本歯で歩こうとは思えません。
(つい最近足袋を購入して履いてみました*1。グリップ力がなかなかあって畳の上では動きやすそうだと思ったんですが、一本歯を履くとやはり裸足に比べて滑りやすい。ふつうの二本歯の下駄なら台が前方にしか傾かないから足袋を履いても平気に思えますが、一本歯は後ろにも傾くのでグリップが弱いと脱げてしまうのです)
 

*1:足袋のことを書いて思い出しましたが、足袋は道中で使わないと思いますが脚絆はいるかもしれないとこれは想像の段階ですが考えています。長時間歩いて足首に大きな負担があるようなら付けた方がよい気もしますが、そもそも脚絆がいかなるものかがよく分かっていません。近いうちに調べるつもりです。

ところで「裸足で脚絆」が可能なのかもちょっと疑問ではあります。

元同僚と会う、魚心の第二十四歩

今日は北大路ビブレで元の会社の同期Iくんと食事してきました。
京都で知人とまともに話をするのは初めてですね*1
そのこと自体はどうということもなくなってしまいましたが。

辞めた者同士が別天地で再会するというのもなかなかなものです。
本当は僕が京都に来る前に連絡していて、引っ越し後落ち着いたら会うつもりだったんですが、ちょうど子どもが生まれたということだったので彼が落ち着いてからの今日となったのでした。

まず元気そうで何よりでした。
自分にとって興味深い話(奥さんが大学の時に四国遍路をまわったこと、彼の東北旅行や長崎、小倉(福岡)、弘前の話など)もたくさん聞けました。
この冬に北海道(か東北)に行ってみるよ、という話もしたのでした。

またご飯食べにいきましょう。

 × × ×

今日も高野川へ。

最近は歩き始めにあった鼻緒の締め付けによる痛みがほとんどなくなりました。
鼻緒の締め具合を微調整することもしなくてよくなり、このあたりは安定してきた感があります。


今日はだいたい空を見ながら歩いていました。


歩いている間は何も考えないのがいいのではと今日思いました。
修行なのでフィードバックが必要な部分もありますが、反省や分析は少なくとも歩いている間はしなくてもいいのではないか。
反省や分析の材料が生じれば(「材料が生じる」なんて言い方するのは初めてですね)、それは脇に寄せておいて歩き終わってから再び手に取ればよい。
(実際の遍路の)道中でいろいろと考えることがきっとあるにしても、それは歩いている時以外の時間のことで、というかそうである方がよいのではないか。
「ただ歩く」あるいは「歩かざるを得ないから歩く」というのはそういうことではないのか。
歩きながら考えることはもはや当たり前のこととして僕の中で定着はしているし、じっとしている時よりもある意味で健全な思考ができていることも間違いはなく、それはそれで「生活の中で歩くこと」として相応の意味があるとは思います。
でもそれは「ただ歩く」とは異なる歩き方である。

今日も昨日思いついた歩き方のシフトをやってみて「なかなかいいかも」と思ったりしたんですが、後半の下りの途中で、眠くなるというか「眠くなってもいいかも」と思いました
靴で歩く時はけっこう当たり前にしていて、最近一本歯で歩く時も安全を確認してから時々やるんですが、目を瞑りながら歩く経験はわりと長くあるのですが、その目の瞑り方というのが、精神統一の時のそれというのか、力の入ったというか「若干眉間に皺が寄る感じ」なのですね。
「眠くなっていいかも」と書いたのは、こういうのではなく「脱力に伴って目が閉じられる」あるいは「脱力を誘うように目を閉じる」というようなもので、もちろん本格的な脱力だと困るんですが局所的な力みを緩めるような効果がその目の閉じることにはあるようだと感じました。
このことのさわりをさっき(というのはプールで泳いでからシャワーを浴びている間ですが)考えた時に連想したのが『魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない』という保坂和志氏のエッセイの謎めいたタイトルで、前に似たようなことを書いた記憶があるんですがたぶんちょっと違っていて、魚は水の中で泳ぐ時と同じ姿勢で寝られるわけですが、これを思った時に「目指すべきは魚だ!」と直感しました

 「魚心あれば歩心」

でどうでしょうか。
「歩」は「かち」と読みます。

魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない

魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない

*1:そういえば先月あたりには大阪で大学院の研究室仲間(ゴウ君)の家に遊びに行ったのでした。長男、長女と会うのは初めてで、元気いっぱい高感度のレオくんも貫禄たっぷり志村喬似のルリちゃんも良い子でした。ちなみに志村喬は『七人の侍』(黒澤明)で野武士から村を守る侍集団のリーダ役をやった人です。きっと大物になるよ。女の子だけど。

街で求職と買い物、転換の第二十三歩

今日は烏丸御池ハローワークに行ってきました。

修行と両立できて生活リズムが整うようなパートを探します。
希望職種に「未定(職歴問わずなんでもいい)」、その他備考に「PCをあまり使わない仕事、事業規模10人以下」と書きました。

どんな仕事があるでしょうか。


街へ出たついでに買い物をしてきました。

コーヒーのドリッパが欲しかったのでロフトを探したんですが、新京極から河原町に出る道にあった記憶があったんですがそこにはなく(記憶が古すぎる?)、四条通まで出て通りを歩き、河原町通も四条-三条間を歩きました。
木曜のまだ夕方だというのに人でいっぱいでした。

ロフトでなくともそれっぽい店があれば、という目で通りを歩いてはいて、河原町通でOPA(だったかな?)を見つけて、各階の店舗一覧を見ると目当てのキッチン雑貨屋はないがBookOffがあって、寄ってみるとちょうど欲しかったマンガが求める分だけあったのでまとめ買いしました。
これで「今ほしいマンガ」がなくなったので、BookOffに行く主要な目的はなくなりました。
(「読みたくなる(かもしれない)本・マンガ」はいざそれを前にすればたくさんあるんですが、今は図書館の本を読んでいるのでこれ以上積ん読を増やそうという気もなくて、多少の例外*1を除いて手を出さないことにしています。とはいえその例外も店に入らなければ発生しようがありません)

ロフトは河原町通にあって、4Fに目当てのカリタの陶器(茶色)ドリッパがありました*2


時を遡りますが、ハローワークへ行く前に府立図書館に寄りました。

昨日『菅野満子の手紙』(小島信夫)を読了したのでその次を借りるためです。
次は短篇集成かな、と思っていたんですが、ふと『手紙』の中で話題になっていたマリアン・ハルカムのことを思い出して、彼女が主人公の小説『白衣の女』を見てみようと図書館内で検索したら自動書庫にあったので司書さんに取り出してもらって最初を読んで「うん、読もう」と思って上中下巻を借りました。
何しろ『手紙』の登場人物がみんなこの小説のことを夢中になって語るものだから、読まずにはいられなくなるというか、これは避けられない寄り道なのです。

ちなみに「白衣」は「はくい」でなく「びゃくえ」なのですね。
ハルカム女史のことなのかな…どきどき。

f:id:cheechoff:20161208235535j:plain

というわけで今日の出物。

 × × ×

街へひと歩きしてから、今日も一本歯で歩いてきました。

前半は大丈夫だったんですが、だんだん疲れが見えてきて、どうもふくらはぎあたりの筋肉が使い過ぎなのか脚が固まっている感じがしてきました。
小手先の制御がきかないので、前回に考えた(というか「これから考えよう」と考えた)「歩行方法の転換」をさっそく実地に移そうとしました。
といって、その実地に移す内容をこの歩きながら考えるということなんですが、ふくらはぎが固いということで身体のもっと上の部分を使って歩こうと思い、歩き方とその意識について色々試していたんですが、後傾とまではいかなくとも重心を後ろめにすることで歩行に主に使う足の部分がふくらはぎから太腿に移るような感覚を得ました
一度やってみてからあらためて考えると、下り坂では確かに太腿に力を入れる歩き方になっているし、下り坂で疲労する部位も太腿だと気づきました(上り坂で疲労するのは膝ですね)。
これはたぶん、歩行の1サイクルにおいてどの瞬間に足に負荷が強くかかるかの問題であって、下り坂だと着地時、上り坂だと踏ん張り時です。
というふうに考えると、平地での負荷のかかり方は上り坂と下り坂の中間だと思ってよいはずです。

話をまとめると、平地を歩く場合において、身体の重心位置を前後にずらすことで歩行時に負担の大きい足の部位を変えることができる
とりあえず今日歩く中で「後ろにずらす」方はなんとなくできたのでした。
(軸足をなるべく地面から離すのを遅らせることで…いや逆か、重心を後ろにずらせばこうなります。振り出した足が着地する時にも軸足が地面に残っていれば、着地する足にかかる負荷(つまり体重)が減るのは当然です。この歩き方は一本歯での足音を小さくするためにも有効です)
前にずらす方はまだおぼつかないのはわかっていて、というのは平地から上り坂へさしかかる時に歩行動作の切り替えが瞬時にできず歩行速度が途端に落ちてしまうのです。
こちらの切り替えもスムーズにできるようにしたいですね。

*1:例えば前に買ったポール・オースターとか森博嗣とか。

*2:前に持っていたコーヒーメーカは廃棄しました。一日に一杯以上飲まなくなったからです。また豆を挽くこともなくなって、粉でもインスタントでもなんでもいいか、とこだわりがなくなってしまいました。いつからだろう…プールに行き始めてからかな? コーヒーは運動と相性が良くないですしね。

這箇の第二十二歩

今日も高野川ナイトウォークへ。

 × ×

と、いきなりですがちょっと引用します。

 雲厳曇晟(うんがんどんじょう)が薑園(きょうえん)で働いていた時、同参の道吾(どうご)が云うには、
「黄身は只這箇を鋤き得るが那箇はどうするつもりか。」
と。雲厳答えて曰わく、
「その那箇なるものを、此処(ここ)に持出し来れ。」
(…)
彼等の考え方、彼等の感じ方には、二元的な分別がなされなかった。若し然らざれば、凡て是等の問答は、彼等が、或は野外にありて、或は寺内にありて働きつつあった時に、為されはしなかったであろう。問答は極めて密接に生活そのものに関聯していた。心臓の鼓動、手の動き、足の運び、凡ては極めて真面目な性質を帯びた思考を喚起した。何となれば、こは禅を学び禅を生活する唯一の道であるからだ。

第三章 作務 p.77-78(鈴木大拙『禅堂生活』)

引用の前半部は作務としての野良仕事に従事する禅僧同士の問答で、禅問答そのものです。
薑園はたぶん田(稲田)のことです。
這箇(しゃこ)とはここでは「ここ」「この辺り」といった意味らしく、そうすると那箇(なこ)は「そこ」か「あそこ」かどちらかでしょう。

今日は(実は昨日からですが)この禅問答のことを考えながら歩いていました。
そしてたぶんこのことと繋がりがある一つのイメージを思い浮かべようとしていました。

思い浮かんだんじゃないのかと言われると、歩いている間は言語化がかなわないくらいのぼんやりしたイメージがあるだけでした。
それを今頭をひねって言葉にしてみようと思います。

 * * *

 川があって、川の中には魚や草がいて、川の沿いには木があって、人があって、車がある。
 川面には建物の灯と月がある。

 川と魚と草と木と人と車と灯と月と、がある。

 * * *

川はなにか中心のような役割をして見えますが、基点ではありません。
中心というなら「中心はどこにでもとれる」という意味での中心です。
何らかの視界にこれらが含まれた場合には、川が比較的にその存在感を目立たせている。
だから並列に近いものの、完全な並列ではありません。

僕は川を見つめながら歩くわけですが、川になるわけではありません。
川を見つめることで、川のまわりにいるみんなの一員であることを自覚できます。
それは個としての自覚ではありません。
川のまわりにかりそめに、あるいはたしかにある秩序を成り立たせている数多くの存在。

秩序に貢献しているのではなく、秩序は成立していてそれを傍観している。

 × ×

「技術的な問題はほとんどない」と前に書いたような気がしますが、あれは思い上がりでした。
まず定着していないし、定着させるまでに変化しないはずがないので問題はまだまだ生じてくるでしょう。
技術的な問題には引き続き取り組みつつ、「技術的でない問題」にも取りかかり始める、という段階です。

上にはその「技術的でない問題」について書いたつもりです。
多少というかけっこうわけが分かりませんが、「言い切らないように表現する」「要点をまとめず示唆に留めてその周りをうろうろする」といったことを考えています。
タイトルの意味もよくわかりませんが…まあ、いいことにします。


で、技術的な問題も少し書いておきますが、上下に揺れない、下駄をぶれさせないという意識をするにおいて、下駄に意識を集中させるのはよくありません。
末端に意識が集中すると、使われる身体も末端に偏ってきます。
今日歩いていて時々揺れ・ブレの修正をしようと思って、下駄の細かい挙動に神経を遣うのではなく(踏み込んだ時にきっちり止まっているか、どれだけぶれているか、というような)、「腰で歩く」「肘で歩く」というようなイメージを持ちながら安定化を図るとなかなかうまくいったように思いました。
「腰で歩く」といっても腰だけで歩けるわけではもちろんなく、具体的にいえば「足の末端から腰までの身体部位を総動員する」という感じ。
たとえば腰の動き(というのか負荷・抵抗というのか)と踏み込み・踏ん張りの足の動きとが連動しているように感じる、とか。

もちろんこれはどこかの筋肉とかが局所的に疲労していない場合には有効です。
そうでない場合にも有効にする方策は…あるんでしょうか。
局所的な疲労がある場合は「全体を動員する際の個々の部位の無意識的運動」を修正すればよい。
実感に乏しい仮説ですが…記憶のどこかには入れておきましょう。

疲労の第二十一歩

昨日の疲れでぐったりしていたんですが、今日は日暮れ後に一本歯で歩いてきました。

足に溜まった疲れのせいと、あと今日は体感として今期いちばんの冷え込みだったせいで、終始ふらふらしていました。
ふらふらというのは踏ん張り時に下駄がぐらつくことで、気持ちの問題かなと頭をなるべく空っぽにして立て直そうとしたんですが、身体の疲労は気持ちではどうにもならず(当たり前か)、そのふらふらがまた気持ちに動揺を与えるといった具合でした。
時々しゃっきりしたり、でもそれは長続きせずまたふらふらして、の繰り返しで行程を終えました。

一日中靴で歩いたのは昨日が久しぶりだったので、また歩行の感覚が変わったかもしれないとも思います。
ただこれは外出をすべて一本歯にするわけにはいかないのでどうしようもなく、お互いに歩み寄る(できれば靴が一本歯の方に合わせる形で)しかありません。
靴で一日歩いた日はほぼナイトウォークは諦めねばならず、それよりは日中はおとなしくしていて毎晩一本歯で歩いた方が熟練度も増すだろうという考え方もありますが、自然の中をひたすら歩く楽しさというのも日常的に感じていたいとも思います。
これはもう、どっちに集中させるという話ではなく、その日の勘や気分で選んでいくのがよいのでしょう。
なんにせよ「歩きたいから歩く」というコンセプトを見失ってはいけません。

今日の収穫は、疲れている時はどうしようもないという単純なことを再認識したことですかね。
身体が休息を欲していたら、その日は休むか、無理を押して歩くかのいずれかです(これは道中の話)。

山頭火は生涯放浪していたわけではなく、行乞放浪する時期があったり庵で細々と暮らす時期があったりしたようですが、日記には「歩かざるを得ないので歩く」とあり、空腹はもちろんとは思いますが身体的に苦労をして歩くことも多かったと想像します。
もちろん山頭火のような境地を目指すわけではありませんが(でも彼の旅日記は今の自分にどこか響くところがあり、地名などほとんど分からずとも読み進めることができます)、でも自分についてよく考えてみると、「歩きたいから歩く」のはいざ歩き始める時の心境を表しているわけですが、歩くことを生活の中心におく動機なり因果なりはどこにあるのかといえば、もしかすると僕も「歩かざるを得ないから歩いている」のかもしれません
無理はしたくないのは確かですが、そう言えるのは無理をしないでも不都合がないという環境(境遇といっても、もっと大きく時代といってもいい)がそう言わせるのであって、無理をせざるを得なければ(僕だけでなく誰だって)無理をするのです。

何が言いたいのか書いている自分もわかりませんね。

まあ、修行における無理(つまり強行)は成長や発達を促すかもしれず、あるいは妙な癖をつけたり故障を呼び込んでしまうこともあり得る。
だから一概に無理はよくないとは言えませんが、とりあえず明日体調が崩れていないとよいけれど(さきほど遅めの夕食をとった後から舌が荒れているのです)。

逆に明日しゃきっと元気になっていればまた一日京都歩きに出掛けるかもしれません。