human in book bouquet

司書資格を活かせる仕事を探していきます。

「運動性だけがある音楽」のこと

養老 『The End of the World』には意識的な志向性がありますね。どっちかというと情緒的。『Sinfonia』の方は論理性の追求ですね
久石 はい、まさにその通り。(…)『The End of the World』は(…)ある種伝えたいことがあって、その認識を持って作曲するというやり方。一方の『Sinfonia』の方はそういうエモーショナルなものに基づいているわけではなくて、純粋に時間軸上に建築物を造るような作曲のやり方です。
(…)
養老 僕は今、全然違うことを考えて聴いていました。僕が部屋で聴くとしたらどうか。『Sinfonia』の「Pulsation」の方が作業の邪魔になりません。聴きながら、虫の標本をいじったり、考えてたりしている時に、こちらの方がいい
久石 邪魔にならないですか?
養老 はい。押しつけがましくない。
久石 養老さんにそう言っていただけてとてもうれしいなあ! それは僕にとって、最高の褒め言葉です。そうなんです、エモーショナルなものが入ってしまう方が、うるさいんですよ。(…)なんと言ったらいいのかなあ、やっぱりある意識が介在している分、音楽として純粋なものではなくなってしまうようなところがある、僕はそう思うんですね。
養老 意識というのはいわば偏見ですからね。邪魔にならないというのは、どうでもいいやと聴き流してしまうのとは違う。さっき、ピンボールみたいに脳みその中で跳ねて飛ぶ音楽がいいと言いましたが、ピンボールもへんに意識しないで球の運動性だけ考えた方がいいからね。(…)
久石 音楽性だけを追求すると、感情がいつでもそこに対して等距離でいられる
「創作の二面性」p.86-87、「そこに運動性だけがある」p.88-89(養老孟司久石譲『耳で考える─脳は名曲を欲する』)

今日から上で抜粋した本を読み始めました。
「Veloce(で読む)本」として選んで、半分読んだので、来週読了予定です。
音楽と執筆(どちらも創作です)に関わる話が沢山出てきてとても興味深いです。
そして養老氏のいつもの身体の話が久石氏の音楽の話と相まって新鮮に響く。

読中に連想が浮かび、本から目を離し天井の一点を凝視する…が何度もありました。
五感の二重構造、漢字とアルファベットの違い、等の「何か書きたくなる話」が幾つか。
それらはまた縁があればということで、本記事では別のことを書きます。
長々と抜粋しましたが、一言でいえば「作業用BGM」の話ですね。

意識が介在しない、「運動だけがある音楽」という表現になるほどなあと思いました。
そして養老氏のいう、聴き流すでなく耳に残るが、邪魔にならない音楽。
これはまさに、僕が日常的に実践している「脳内BGM」の理想的な性質です。
仕事中でも読書中でも、その時の意識的志向を促進するような、脳内を流れる音楽。


抜粋した章を読みながら、僕はとおる氏の曲を思い浮かべていました。
多作の人で、聴き始めた頃はシンプル、実験的、無機的といった印象がありました。
多分ボーカロイドは未調声で、音数が少なくて、音圧やストーリ性への拘りも薄い。
脳内BGMに好適と思っていましたが、そうか、これが「運動性だけ」かもしれない。

とおる氏の曲リストと、僕が好きな曲を2つ貼らせて頂きます。
www.nicovideo.jp


聴き入るのですが、没入するとは違い、また情緒にのまれる感じでもない。
きょう本を読んで、理論の、あるいは理論の一具体例の提示かなと思えてきました。
数学の教科書の、定理の公式と解説のあとにある、例題のような。
解けば「なるほど」と思うのですが、それは定理という「抽象への近接」なのです。

音楽ではなく音楽性を感じられる曲は流行りませんが、ある普遍性を備えています。

久石 『The End of the World』の方がわかってもらいやすいんですよ、メッセージ性がある分だけ。『Sinfonia』のようなものは、あまり一般ウケする音楽ではないことがよくわかってるんです。わかっているんですが、僕自身は、こういう方向性の方が次の可能性がよく見える
 エモーションがあってつくっているものは、また何かを契機に強い刺激を受けて、それを音楽として表現したいという欲求があればつくりますが、それがすぐまたくるのか、ものすごく先のことになるのかまったくわからない。作曲家として継続的に音楽をつくり続けていくためには、そのいつになるかわからない「いつか」を待っていたんではダメです。その点、音楽としての構築性を追い求めるのであれば、いつでも追求することはできる。継続的、持続的かつ沢山つくり続けることが大切だと考えます
同上 p87-88

馴染まない表現ですが、「生活的な創作」というものがあるのかもしれません。