human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

宝ケ池〜妙法山〜二ノ瀬

今日も一日中歩き回っていました。
なんか今週はハードですね。
「実践モード」に入ってきたのでしょうか。
しかし一本歯で歩く時間がない…
そして読書の時間もない…

一昨日も昨日も「歩いて」「泳いで」「書いて」(+「食べて」)で一日が終ってしまったので、今日はブログをさっと済ませて『寓話』(小島信夫)を読みたいと思います。

というわけで写真をばんばん並べてコメントは最小限でいきます。
(写真は今日も大量なのです…カメラのバッテリが切れるほどに)

宝ケ池へ

まずは高野川を北上。
カナート洛北手前の飛び石から、北向きと南向きに1枚ずつ撮りました。
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出発時(昼前)から雨で、日が時々出たり出なかったりな天気で、高野川東岸を歩いていてふと山の方を見ると虹ができていました。
撮ろうと飛び石に移る前に消えてしまったのでしばらく待ったのですが再びは見られず。
名残惜しいと思いながら撮った2枚でした。

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北大路橋を越えて、途中で西岸に渡って北山通より手前で西に入って、住宅街を北上して北山通EDionそば)に出る前の所。
何度も通ったことのある道ですが、五山送り火の一つ、妙法山(というんですね。今日知りました)の「法」が見えることに今日初めて気付いたので撮りました。
この写真があとでもう一度出てきます。

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宝ケ池へ高野川より西側から行こうと北上中に見つけたお寺。
歩いていて見つけたお寺はとりあえず入ります。

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宝ケ池の敷地内に到着。
「子どもの楽園」(という公園があるんですが、この名前の本質は「保護者以外は入園禁止」という規則にあると思われます)を通り過ぎて遊歩道を進んだ「北園」(たぶん)。
京都国際会館が見えます。

院生時に一度ここで学会発表をしたことがあります。
内容は忘却の彼方ですが、会館内の打ち上げ会場で「各県の地酒飲み比べ」をやっていて、いろんなお酒をたんまり飲んだことは覚えています。
(ブログに書いた記憶があったので、検索したら出てきました。「滋賀と京都の日本酒」と書いてありますね。あと国際会館のことをサラミスって…つい昨日ガンタンクと書いたところですが、発想変わってないですね笑)
cheechoff.exblog.jp

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話を戻しまして…
というか、最小限とか言っておきながら書き過ぎですね。
もっとコンパクトにいきます。
この写真は「憩の森」(あとで地図の写真出てきます)。
舗装された歩道は面白くないので落ち葉降り積もる地肌の道(写真の左側)を進みます。

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左にそそられる山道が…
でも昼食中(イズミヤの例のパン屋で買っておいた3つ(明太チーズ、フレンチトースト、あん入り塩パン)を「歩き食べ」していました)だったので平らな道を進む…はずが、すぐ行き止まりというか、「この先、鹿捕獲用の罠があるため立ち入り禁止」の看板があったので引き返すことに。
結局舗装道に戻るのかー、と思っていたら、さっきの「そそられる山道」が再び目に入ったので、上ってみることにしました。

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ここを上っていきます。

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いい感じの道なんですが、電柱やら電線が見えるところが興醒めです。
まあ整備された道であることに違いはないんですが。

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いい感じなんですけどね。

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地肌からごつごつした岩が見え隠れする道なんですが、所々でこうやってボコッとまとまって出てきます。
一本歯にとっては難所ですね。

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「接写でござる」

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ちょっと高いところに出ました。
といっても山といえるほどではなく、「宝ケ池のそばにある丘くらいなもんだろう」と、この時はちょっとなめていました。

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が、さらに上ったり下りたりを繰り返すうちに開けたところに出てきました。
ここは一体…?

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燭台がある。ということは…?

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なんとここは送り火を焚くところ(つまり妙法山)なのでした!
入山禁止の立て札がありますが、大文字と違って火床に一般人は入れないようです。

この現在地は実はさっきの写真に映っています。
印をつけたものを以下に再掲。
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ここです。「法」の右上の「土(つち)」のてっぺんの部分にあたります。

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逆にこのてっぺんから先ほどの寺の本堂はこのように見えます。
青丸で囲ったのが本堂です。
大文字山と比べるとそんなに高くはない。

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広がる視界の左側には大文字山が見えます。

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道に戻ろうとするとこんなものが。
誰かが勝手に地蔵を祀ったらしいです。
へえ。

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木の枝葉が風でさわさわ揺れてそうな感じ。

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こういう十字路(つまり3本の分かれ道!)に山で遭遇したのは初めてで「えー、どないすんの」とテンションが上がりました。
(写真を撮った時はそう思ったんですが、進んでよく見ると右は道ではありませんでした)
今日の道は分岐がとても多くて、つまりはこまめに分かれ道に行き当たるということですが、たぶん生い茂る木が低木でまだら(それほど密でない)だからなのだと思います。
ここらへんの木はそうでもないですが、高度の高い部分はけっこう疎でした。

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その疎な地帯の、さらに開けた箇所。
岩がまとめてごつごつした所の上は空が開けています。
こう書けば当たり前ですが…

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断崖に立つ、「いわくありげな岩」。
と、言いたかっただけです。
(このためだけに撮りました笑)

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1時間近く歩いたでしょうか、ようやく標識を見つけました。
が、何を言ってるのかさっぱり分かりません。
街の音はずっと聞こえているので不安はほとんどありませんでしたが、方向を全く気にせず道なりに進んできたので現在位置が全く不明でした(興味がないとそうなってしまいます)。

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「桜の森東」の方を見ると下りの、

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「山間園路」の方を見ると上りの道が続いています。
余力は十分あったので上りを選んで進みました。

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すると上りはすぐ終わって下りに変わり、人工の階段が見えてきたり駐車場らしきものが遠くに見えたりして、山間コースはふいに終点となりました。
さてここは…?

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京都国際会館ですね…。

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ドローン。
比較的新しめの看板と見た。

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下りてきた道を振り返る。
看板も何もなく、とても登山口には見えない。

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とても登山口には…

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あっ!*1

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下りた地点は遊歩道で、そこから少し歩くと地下鉄の国際会館駅がありました。
これはそのすぐそばに設置された周辺地図。
この地図の「憩の森」から山道に入って1時間くらい歩いたはずなんですが…
まあなんでもいいや、歩ければ。

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国際会館の入口に回って1枚撮りました。
観光気分ですが、かつての地元でもあるんですけどね。

実はこの前に一度地下鉄の駅に潜って詳細な周辺地図を見てきたんですが、その途中で駅のすぐ近くにBookOffがあることを知ったので寄ることにしました。
この辺はもう「生活」なので、こういう横道はアリです。

三条店はあまり品揃えが(自分の好みとしては)あまりよくないので、欲しいものがあれば買うスタンスで行きました。
荷物が増えるのはどうということはなくて、これも「縁」です。
この感覚が今回は非常に重要で、「荷物が増えるという縁」は、こうして修行している間に着々と積み重なっていて、出発が後になるほど荷物が重くなっているのです。
このことは前にちらりと書きましたが、いずれ「現在の状況」も込みで再び書くことになると思います。

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BookOff宝ケ池店で購入した2冊(帰宅後に撮影した写真です)。
どっちも洋書みたいですね(一方は訳書ですが)。

森博嗣の剣豪シリーズ(『ブラッド・スクーパ』は第1作でしたっけ?)を初めて200円棚で見たので迷わず手に取りました。
もう1冊はポール・オースターの『偶然の音楽』。
オースターも訳者の柴田元幸氏も好きなので、オースターの著作は見つけたらとにかく買うようにしています。
いつ読めるかなあ…

さて、BookOffを出たら宝ケ池の「池」を見に行ってそのまま帰途に着こうと考えていたんですが、BookOffのある宝池通の車道の案内標識*2に「鞍馬」の文字があり、「あっ!」というよりは「おっ?」と思って(説明不足)、そう思ったそばから鞍馬に歩き始めていました。

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案内標識に従ってうにゃうにゃ歩いていたら見つけた神社で、幡枝(はたえだ)八幡宮というらしい。

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鳥居をくぐって階段を上るともひとつ鳥居が。

…というところでデジカメのバッテリーが切れてしまいました。
切れるといってもしばらくすると若干息を吹き返すので、ここから先はとびとびというか、早送りでお送りします(あれ、最初からそのつもりだったはずだが…そうか、撮った写真全部に説明をつけようとするから時間がかかるのか)。

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神社を出て、さらにうにゃうにゃ歩くと京都精華大がありました。
大学のすぐそばにあった叡山電鉄の駅「京都精華大前駅」の歩道橋の上から撮った写真です。
明るく見えますが露光が長いからで、もう日は暮れています…だったと思うんですが、既に記憶が曖昧。

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いきなりなんだこれ、という感じですが…

京都精華大駅前からは線路沿いの道路をずっと北上しました。
叡山電鉄の駅でいう市原と二軒茶屋の間くらいに、「厳島神社」という小さな寺?があって(広島からの出張所ですかね?)、もうとっぷりまっくらでしたが見つけたからには入ってみると、賽銭箱の前の小屋にはいくつが絵が並んでいました。
どれも古い時代に寺に奉納されたものらしく、その中で一番面白そうなものを撮りました。
絵の左上の看板には「京都アクパン会」と書いてありますね。何のことでしょう?
奉納は明治十五年九月とあります。

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それからさらに歩いて、二ノ瀬バイパスなるところは徒歩では行けませんのでこの道を、みたいな下鴨警察の看板に従って直進したら一気に街灯が少なくなって(車はみんなバイパスの方に行くので車通りも一気に減って)、大丈夫かいなーと思いつつ進むと、今歩いてる薄暗い道
のすぐ横に広がる紅葉の奥で何かがライトアップされていて何だろうと思いながら進むと、叡山の陸橋があってちょうど電車が通りすぎるところで、しかしなぜか電車は車内が消灯していて今自分が立っている車道の上を通りすぎるあたりで車内が明るくなって、「そうか、紅葉のライトアップを電車内から見物していたのか」と気付き、そんなサービスやってたんやな…と感心したところで現実に戻ると薄暗い道の先は2つに分かれていて「貴船・鞍馬へはこちら」という看板の示す明るめの方の道路に惹かれはするがさっき通り過ぎていった電車の線路はもう一方の道路の方にのびているように見えて、「うーん」としばらく考えているとまた電車がやってきて、しかし今度は別の方角から(つまり別の線路)でやってきて頭上を通り過ぎて行って、「???」と頭が混乱し*3、もうわけが分からんし暗いし判断材料少ないから勘で行こうと看板を無視して暗い方を選んでしばらく進むと、ひっそりした一戸ごとにゆったりした民家の並ぶやはり薄暗い辺りでふと上の方にわずかにライトアップされた紅葉が見え、そこに至る石段の入口には看板も何もないがとりあえず惹かれて*4上ってみるとなんとそこは叡山の駅で鞍馬の2つ手前の「二ノ瀬駅」でした、というのがこの写真です。

駅に時刻表があるくせに時計がなくて、僕はもちろん携帯はなくてついでに腕時計もなくて、ちょうど待合室にいた青年に時間を聞いたらにこやかに答えてくれました。ちょっとしたことですが、人が少ないところでは基本的に人は優しくなれるのだと思いました。

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さすがに徒歩で帰る気は起きなかったので電車に乗りました。18時20分くらい発の出町柳行きに乗って帰途に着く。
この写真はさっきも書きましたが、二ノ瀬駅とその隣の市原駅の間の紅葉がライトアップされた区間で車内が消灯される「紅葉撮影タイム」の時に車内を撮影したものです。
乗客の皆さんは外にカメラを構えてばしばし撮っています。
着物姿に一眼レフの男の人もいました。着物に合う鞄なんかから取り出されると、「合ってるかも」と思っちゃいますね。
一眼レフいいなあ…


という感じで、12時前に家を出て、18時過ぎに電車に乗るまでほぼ歩きっ放しの一日でした*5
昼ご飯はぜんぶ歩きながら食べたし*6、雨脚や気温に合わせて着替えた時も全部立ってたし、信号待ちの時に屈伸したくらいですね。

歩きながら眠れる日も近い、か?(まさか)

*1:昨日の記事では「山道の印として赤や黄の布を枝に巻くことが多い」と書きました。これも同じ機能を持つはずですが、緑ですね。わざと分かりにくい色にしているのでしょうか。そういえば山道の上り始めにも何もなかったし。

*2:道路の模式図と行き先が書いてある標識をこう呼ぶのを今調べて知りました。国土交通省のHPによれば108系と呼ぶようですね。豆知識でした。車乗らないからすぐ忘れそうだな…

*3:叡山電車ってこういう不思議な遭遇がけっこうあるんですよね。民家のすぐそばを通るというのもあると思いますが、家と家の間からほんのちらりとだけ通り過ぎるのが見えたり、線路のすぐそばを歩いているのに音だけ聞こえて姿が見えなかったり。こういう不思議さを体感していると『太陽の塔』(森見登美彦)に出てくる叡山電車の描写を存分に味わうことができます。今日この2つ目の電車が違うところから出てきた瞬間に、この本のイメージがばーっと浮かんできました。

太陽の塔 (新潮文庫)

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*4:とっぷり暮れたあとで余裕がなければ余計な体力を使うまいと「とりあえず」なんて動機でよくわからない道を選ぶことはないんですが、一日たっぷり歩いたあとでもやはりこれは余裕があったという…今日もまた書いてますが。でも実際身体の方も余裕はまだありました。二ノ瀬駅に着いて、電車が来るまで時間があったのでまた石段を下りて辺りを散策してたくらい。

*5:もちろん帰宅後にスポーツクラブへ泳ぎに行きました。平泳ぎのキックが泳ぎ始めは(もちろん歩いた疲労で)特に膝がつらいんですが、クロールと交互に泳いでいくうちに足が平気になってきます。やっぱり疲労感は「局所的な疲労」に対して起こるんですよ。泳いでいくうちに元気になっていくのもこれで説明できます。

*6:昼ご飯は上に書いたパン3つと、宝ケ池のFRESCOで買ったワサビ茎入り稲荷5個と田舎コロッケ1個。多いのか少ないのかよく分かりませんでしたが(結果的にですが要所で分けて食べていたので食べ始めてから食べ終わるまで2時間くらいかかったかな)、歩きながら食べているとなんだかいくらでも食べられるような気がしました。「食っただけ歩けるがな」みたいな、なんだか強気になれるのです、「歩き食べ」をすると。お店で座って食事するとなんだか落ち着いてしまってすぐ歩く気にならないものですが、歩き旅においては「歩き食べ」をデフォルトにすべき(→身体にとってそれが心地良い)なのかもしれません。