human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「評価」から遠く離れて

司書講習は順調です。
ノートを採りすぎて右手首を痛めましたが。

講義にもボルダリングにも大きな支障はなさそうですが、痛みが長引くか悪化するようなら整形外科に行きましょう。
左手首を治してもらったことだし、今度も行けば治るのでしょう。

 × × ×

講義とは関係ありませんが、さっき図書館から帰ってきた時にふと思いました。

評価にさらされ続けて育った人は、自然と他人や出来事を評価する目で見てしまう。
自分があらゆることを評価している、その自覚すらないままに。
そして、評価の嵐(それはじっさい「無風」なのだけど)が吹き荒れる環境から遠ざかると、ある時にひょいと自覚が訪れる。

「相手その人をありのまま見る」ことの難しさは、周りがそうさせてくれないことに第一の原因がある、と断言してもいい。
余計な意識をしてしまうことは反省で治るものではなく、それは抑え込みすなわち抑圧であって、別の形で(別の意識として、あるいは態度として)返ってくる。

アフォーダンスの概念は、もしかして、とてつもなく広い。

鈴虫とかっこう/GHPの終焉と新展開

夕食を作って家で食べていると、網戸の向こうから鈴虫の声が聞こえてきました。
気づいた限りで、今日が今季はじめて。
鈴虫は秋に鳴くのではなかったかと記憶してるんですが、そうするとこの暑さはもう収束していくのでしょうか。
「公園のベンチで読書できるような快適に過ごせる時期はここでは短いですよ」と賃貸屋の人が言っていたが、夏もそうなのだろうか。
そうだと嬉しいけど、早すぎるような。

そういえば今の家ではわりと時期も時間帯も問わずなんですが(と言ってまだ一月ちょっとしか住んでいませんが)、生かっこうの鳴き声を初めて聞きました。
信号機のある歩道を渡る時に「ぺっぽー」という電子かっこうの音が大阪・京都では馴染み深いですが、ほんものは「はっほー」とか「ふぁっほー」という感じです。
尖った頭音がなくて、でも音は明確で速くてはっきりしている。
近所の公園にいるんでしょうか。

 × × ×

ゴーヤハウス・プロジェクト、エピローグです。
えっ? という感じですが、そうなっちゃいました。

発芽した種を土に植えつけるのを何度かしたんですが、芽が土から顔を出しても葉がなく元気がなく、大きくならんなあとしばらく放っておく(水やりは毎日やってましたが、特別な対応はせず)とそのままどこかへいなくなってしまいました。
で、だめかなあと思っていたころから家で調理した野菜の種をてきとうにばらまいていたら、いろんな種類の苗が成りました。
ピーマンとにんにく(常温で置いていたら芽が出てきてしまったので食べずに蒔きました)とゴーヤ(実を包丁で切った時にきれいな状態の種が3つ取れました)は記憶にあるんですが、あとは何だったか…
実が成れば何かわかる、という楽しみがあります。
さて、どうなるでしょうか(←これ、口癖になってますね)。

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「中井久夫氏のムック本」拾い読み

毎週日曜に近所の図書館に通っていて、いつも新着図書棚を見ています。
毎回ちょっと見てみたくなる本があります。

先週見つけた文藝別冊のムック本『中井久夫 精神科医のことばと作法』に思わず目が留まり、拾い読みして、拾い読みした部分を再読したくて借りました。

 ×   ×

本書で初公開らしい、中井氏作と思われる(そうでなければこの本に載らないはずなので)「研修いろは歌留多」の中から、これは、と思ったものをメモしておきます。

 へたは 「うまへた」にまさる。

言い換えると含蓄というか他の多くのニュアンスが抜け落ちそうでいやなのですが、今の僕には「計算するな、素直であれ」というアドバイスに聞こえます。

自分の思い通りにことが進むのが、いいことなのか、どうか。
その成就は、「自分の頭がそれで満足する」という以外には、大した意味がない気がしています。
相手に対する「よかれ」がほんとうに相手にとってよいことかを確認するには、こちらが言うにも、あちらの言葉を聞くにも、きちんと相手を見る。

意思疎通の成立(状態?条件?)が、頭の中での想定と、実際のものとで異なるということを、今日から始まった司書講座の中で(講義内容と関係はありませんが)気づきました。
僕は自分から始めた会話では前者を優先しがちなようです。
会話のキャッチボールを先取りしてから会話を始めれば、まあそうなりますね、考えれば当たり前です。
計算してしまうのをそれはそれで素直だという考え方に惹かれてしまいますが(橋本治氏は時にそういう複雑な立論をされます)、普段の他人との会話でそれをするには複雑だし理解されないので、上に書いた「計算するな、素直であれ」というのは単純に受け取って文字通りそういうことである、という注釈は多くの人には必要ないことですが。

何かしら衝動に駆られない限り、自分から喋らないようにしてみましょう。

 なくした時間と出たバスは 追いかけない。

これが臨床の現場で具体的にどういう意味を示すのかは分かりません。
…文字通り「バス停で次のバスを待て」とか「距離が近いなら歩け」とか、いうことはないでしょうね。
これも言い換えを…すると洒脱さが消えてしまいますね、やめましょう。
「出たバスは追いかけない」、これと、「僕はどんなにそれが間違っていても壁ではなく卵の側につく」という村上春樹エルサレムスピーチの一節とが、どう一緒なんだろうとふと考えています。

 世界より大きい妄想は 出ない。

これはなんとなく臨床の場面が浮かびます。
ので(?)、妄想家の僕は自分なりに曲解しておきます。
「謙虚であれ」

 ×   ×

「拾い読み」と言ったのは、上に書いたいろは歌留多ともう一つだけ、保坂和志氏の寄稿文です。
本来句点「。」を打つべき*1ところが多々読点「、」である保坂氏の最近の*2押せ押せな文体で、でも文章のひとつひとつに内容が密に詰まっていて、読むのにとても緊張します。
図書館で借りる前に立ち読みした時はすごく緊張したんですが、借りて帰ってから読んでもやっぱり緊張して、そして再読の役得で、最初に気づかなかったいくつかのことに気づきました。
ぜんぶを書く余裕はないので、ほんの一箇所だけ引用しておきます。

人間の思考というのは動物の延長として、ということは起源として、事態に対処することだ、事態から世界像を導きだすというのは起源にもとづいた思考ではないと私は最近感じている、そのつどそのつど対処できることをする/あるいはしないことを選ぶその思考の積み重ね(この言葉は適切だろうか?)それ自体を私は思想と呼びたい。
p.138-139 因果関係や能動性のこと(保坂和志

言い換えはいろいろできると思うんですが(「分析偏重への戒め」だとか「具体性に帰れ」だとか)、こういう言い方を、「起源にもとづいた思考」という表現を初めて目にしました。
と書いて気づいたのは、例示した言い換えは思考と行動を分けて純粋な後者の実践に向かってるんですが、「起源にもとづいた思考」というのは、思考が行動と分けられているわけではなく(実際のところ分けられるはずはない)、でもその行動とくっついている思考は「純粋な行動のための思考」である。
動物が行動するように人間が行動する時に伴っている頭の回転としての思考。
…書いてるうちにわかんなくなってきました。

要約とか帰納によってニュアンスとかいろんなものがぼろぼろこぼれ落ちてしまうのが小説なんですが、哲学的な文章に小説の深みがある場合、それは何なんでしょうか。
「思想小説」は小説の体裁で読める思想書か哲学書であって、これとは違う(たぶんこれは小説ではない)。
やっぱりそれも小説なんでしょうか。

*1:「べき」なんて書きましたけど、保坂氏のこの文章に慣れてしまうとそれは単なる慣用でしかないのではと思えてきます。

*2:カンバセイション・ピース』まではそんなことはなかったんですが、「最近」の始まりがいつかは知りませんが、そこから大きくとんで『未明の闘争』ではもうすごいことになっています。

ネチネチ系4級クリア

前に書いた4級コースを今日はじめてゴールできました。

前に書いた「ジムで一つクリアできそうな4級コース」で、あと一手が届かないその原因の一つがたぶん股関節の硬さで、手指の力の強さや体幹(きわどい姿勢で体勢を維持する力)も関わってはいますが、ジムで毎回そのコースに挑戦していれば、ある時にひょっとクリアできてしまうのではという想像をしています。
垂直壁ですが手の支えにほとんど頼れない(ホールドが平べったくて指数本しかひっかからない)状態で股を広げて、現状、今の限界よりも20センチ以上は足を上げる必要があって、これができるようになれば、結果として身体の変化が目に見えることになります。
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コース山場のこの「あと一手」を詳しく書くと、左手は平べったいホールドで指をかけて、右手が四面体ハリボテにくっついた同じく平ホールドでこちらは手のひらをつけて張ることができて、左足は下においたまま右足を左足より下から前記ハリボテまで持ち上げる動き*1。手の力というより下半身の柔軟性、つまり足がどれだけ上がるかが要で、上の記事を書いた段階(7/7)では右足を限界まで上げて目測ではないが感覚的にあと20センチ足りないかなという印象で、それが前々回(7/10)で「あと10センチ」になっておおええ感じやなあと思って、そして今日の終わり間際にいつも通り現状確認の体で軽い気持ちで(でも切り上げ寸前なので肉体の方は満身創痍で)トライしてみると、あれあれと思う間に右足がぐいと上がってハリボテの隅っこに届いてしまって、でもここでおしまいではなく、この右足をぐっと踏ん張って左足に重心を移してから上方のホールドを取ってやっとゴールなんですが、隅にちょんとのっかった右足に体重をかけるのが心もとなくて(壁のけっこう上の方だし、体勢が不安定なうえに手が指でひっかけてるだけで全然効いてないのでここで右足が滑るとけっこう大変なことになる)、でも待ちに待ったゴールは目前で、というわけで火事場モードを発動して細心の注意を払って右足にすこーしずつ体重をかけていき、なんとかゴールすることができました*2。満身創痍といっても今日は強傾斜壁のコースばかりやっていたので腕と指がつらくても足はそうでもない状態でした。さんざん動いたあとなので身体がやわらかくなっていたのもよかったかもしれません(元気のある最初のうち、準備運動直後にトライした方が難しいかもしれない)。

なにはともあれ、こんなに早くこの4級コースをクリアできるとは思わなかったので、ジムの中ではすまし顔でしたが内心とても嬉しかったです。股関節の可動域を広げるストレッチを毎日やっている甲斐がありました。ストレッチを続けるうちにたしかにやわらかくなっているなあという手応えはありましたが(開脚してから上半身を前屈するストレッチでは、広げる足の角度も前屈で前に出した手が届く距離も少しずつですが大きくなっています)、できなかったコースがクリアできるという結果が出てくるとまた違った嬉しさがあります。

今日はその4級コースのほかに、ルーフのホールド(足をひっかける所がなければぶら下がるしかない、ほぼ水平な壁にあるホールド)からスタートする5級コースが初めてクリアできて(このルーフでの「サルっぽい動き」ができてくると楽しい。まだまだスムーズにはいきませんが)、他にもいくつか5級、4級コースにとっかかりをつけました。今日は序盤は人が少なくて、わりとかまってくれる経験者の人にコツやら攻略法を教わることができました。基本的に人がコースをこなすのを観察はするが自分から聞くことはあまりしないのですが、行き詰まっている時に声をかけてもらえるのはやはりありがたい。自分で考える楽しみを奪われたなんて思いは微塵もなくて(まだそこまでおごれるほど上手くはありません)、これはもう縁ですね。何事においても、縁は大切にしたいです。

トライするコースの難易度が上がってくるにつれ、身体の痛む箇所も変わってきました。強傾斜ではホールドを保持したままぶら下がって反動をつけたりするので、指の皮がいとも簡単にべろんとめくれます。マメが形になる前に潰れてしまうような感じ。両指の平のマメが、回復期のものも合わせて5個あります(うち2個は今日できた)。テーピングをするので登るのに支障は今のところありません。風呂が染みるというくらい。あとは脇なのか肩なのか、背中のそのあたりが痛い。前腕じゃなくて肩甲骨や背中を使うという意識を最近始めて、それに応じてストレッチも種類を増やしたんですが、肩はたぶんそのストレッチのせいです。立甲というらしいのですが、よくわからないながらもなんらかの手応えはつかみつつあり、現在模索中です。変に肩を痛めないためにほどほどにしようと思いますが。


さて、来週の開講初日は10時からオリエンテーションがあって、車か自転車かわかりませんが色々見越して9時半には大学に着こうと思って、そうすると朝食なんやかやで遅くとも7時には起床しなくてはなりません。壁登りの翌日に早起きできたためしがなくて、でもそれは目覚まし時計を使っていないからかもしれなくて、今日は早めに寝て明日早起きできるかどうかを試します。できるようなら、開講日の前日に登っても大丈夫ということで来週も月曜は登ろうと思います。それ以降は講義後の夕方に行くことになります。まだ体の出来具合からして毎日通うのはつらそうなので、現状と同じ週3日を夏期講座が始まってからも続けられればと思います。今は体力の続く限り、一日平均4時間はジムにいますが、夕方から行った場合はもう少し短くなるでしょう。どうなるでしょうか。

*1:垂直壁より緩い壁で、ダイナミックに跳んだりせずに3点支持でじわじわ登れるコースで、僕が読んだ入門書にはこういうのを「ネチネチ系」と呼んでました。手より足の方が自信があるので、僕はこういうコースの方が好きなんですけどね。ネチネチなんて言われるとあまり嬉しくないですね。いや、そんなこともないか。

*2:文章だと全然わからないですよね。気が向けばコースの写真を撮って載せます。壁を見ると登りたくなってきますよ。ふふふ。

2日目(後):鐘の追憶、風の記憶

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(承前)

 その寺は小高い山の中腹にあって、山へ向かう道は、途中まであった家々がなくなり、手入れのされていない無骨な自然とその間を抜ける高架になった車道を突き抜けて進む。ここから先が敷地であるらしい門をくぐると、木々がいっそう茂って頭上に濃い緑が被さり、薄暗い。近くにトイレがあり、丸太のベンチがあり、敷地内の地図や寺の由来などが書かれた案内板がある。さっき会ったおじさんから、本堂まで階段が数百段(ぞろ目の数字だった気がするが忘れた)あって大変だと聞いており、ベンチに座って小休止しながら頭をひねる。持参のサンダルは勤行を心静かに行うためのもので、寺の門をくぐって納経所のそばにあるベンチに着くまでは一本歯を脱がないという暗黙のルールがそれまでにできていた。しかしまだ旅を始めて間もないし、無理をするのもよくない。納経所まで遠くとも、門をくぐれば履き替えていいことにしよう。これは自ら札に書いた「身体賦活」に背くのではなく、むしろ従うことになるはずだ。云々。

 山を上り、お寺に参り、山を下り、街中へ向かう。車が絶えない主要な道路のすきまをぬうように細い生活道を歩く。戸建ての民家がゆったりと並ぶ。道の片側がひらけて田んぼになり、用水路の水が並走する。小学校のチャイムが聞こえる。このありふれた鐘の音を耳にすると、つい会社で働いている人々のことを考えてしまう。前にいた会社のことだ。辞めて半年近く経つが、会社員としての心持ちがきれいさっぱりぬけ落ちた、というわけではないようだ。
 そりゃあ働くことは好きだし、「何もしない」よりは働いている方が、おさまりがよい。おさまり、とは何だろう。社会へのおさまり、だと思うが、じっさいのところそれは会社へのおさまりで、その場から離れてしまえば何の意味もない。言い方を変えれば「余計なこと」を考えなくていいということだけど、その「余計なこと」はじつは大切なもので、それのために、あるいはそれを考えるために働いているのではなかったか。そして会社を離れて、そのすべてが「余計なこと」であるような生活をして、ありがたみを忘れてしまったのだろうか。他人の芝は青く見える、ただそういうことだろうか。
 違う、そうではない。人の目を気にし過ぎで、でも自分を見ていると思っている他人は自分の中にいて、しかもその他人の生活と自分の生活に関係があると思っている。もっといえば、関係がなければならないと思っている。つくづく面倒な人間だ。「夢の中から責任が始まる」というイェーツの言葉を鵜呑みにして、一般化しようとして拡大解釈をして、ちりのような架空の責任がつもりつもって山となり、想像上の堆積物でぺしゃんこに押し潰されかねない。風に表面を削り取られることもなく、雨が染み込んで壁にひび割れが起きることもない、褪せず朽ちない砂の楼閣。劣化しないなんてたちが悪い。頭がそんなものに執着するなんて頭がおかしいことを理解しているのに決して止めようとしない頭は、本質的に狂ってるんじゃないか。いやいや、落ち着こう。歩きながら考えるとろくなことが起きない。靴で歩いていて目に見えないでっぱりにつまずくくらいなのに、一本歯を履いていればなおのこと危険だ。くわばらくわばら。課長の名前といっしょだ。いやいや。

 老人ホームだかケアセンターの玄関横に作られた休憩所で持参の飴を1つ食べる。立ち上がって道に戻ると、すぐ堤がある。歩行者用の階段を上りきって堤の上に立つ。ずっと先に対岸の堤があるが、こことあちらの間で水が流れている幅はそれほど広くないように見える。でもその川はじっさいは大きな川で、それが小さく見えるほど堤と堤の間が遠く離れている。川にたどり着くまでに竹林があり、だだっ広い田んぼがある。建物がほとんど見当たらないのは、やはりこの辺一帯が沈むことがあるからだろうか。
 堤を下りて川(の敷地内)を横切る道を歩き始める前から強い風が吹いている。草むらにちょこんと置いてあるブロックに座って休憩する気にもならない。菅笠ががたがたと鳴り、あごにかけた紐がとれて吹き飛ばされそうになる。菅笠を守ろうと五徳を手で支えると、笠部分が五徳からもげそうになる。あわてて手を笠のつばに持ち替える。そしてその体勢を維持して歩く。腕がだるくなる。耳は風の音で満たされている。肌寒いのかそうでないのか、よくわからない。体がつねに緊張状態にあり、ものを考えることができない。風と一体化できればさぞ楽しいのだろうが、菅笠が受けてしまう抵抗の重みと、一本歯の不安定な足もとに気をとられて、風は完全に自分に敵対しており、自分は風にとって取るに足りない異物であるとしか感じられない。
 風、風、風。
 それでも何かを考えようとして、ふと村上春樹が小説の中で主人公に言わせていた言葉を思い出す。初期三部作のどれか、いや翻訳ものだったか、あるいはその解説で引用していたのだったか。「なんでもないようなことを考えるんだ。ただ風のことを思えばいい」。この言葉は、うまくいかない日常から、いっとき離れるための呪文のようだった。そしてこのなかの「風」は、過去に彼が味わったいくつもの、どれも心地良い風だったはずだ。ぼくはこの言葉に出会った時に「いい言葉だ」と思って、自分の中にあるはずの風の記憶を呼び寄せようとして、純粋な、ただ風としての記憶が一つもないことを知ったのだった。川の道で荒々しい強風にさらされながらこの呪文が思い浮かんだ時に思ったのは、「これは"純粋な風の記憶"になるだろうな」ということだった。決して心地良い風ではない。でも、ここには自分と風以外に登場人物はいない。付属的な要素のない、混じりっけなしの風なのだ。よくわからないけれど、まあいいじゃないか。使い方も使いどころも違うけれど、自分を励ますように呟いてみる。"Think of nothing things, think of wind."
 田んぼを抜け、もう一度竹やぶを抜けて、ようやく川の水のある所にたどり着く。つまりそこで道は橋になるのだけれど、ごくふつうの橋にあるべき手すりがなく、手すりがあるべき道の端には縁石でわずかにもり上がっているだけ。歩道もないし、さら悪いことには車線が1つしかない。歩行者と車がすれ違うための待機場所が橋の途中に2箇所あるが、それは歩行者よりも車のためのものであるらしく(もちろんそこにも手すりはない)、その場所にたどり着くまでが長い。一本歯で橋のすみっこを歩きながら横を車に通られたりしたらふらついて川に落ちそうだし、なにより恐ろしいことに、さっきから吹き荒れ続けている風が橋の上では道に対して横殴りに吹いている。車通りも意外と多くて、道の見渡せる範囲で車が一台もない時がほとんどなく、車を待たせずに通るのは不可能であるように見える。予想外に過酷な状況にいきなり出会って、渡り始める勇気がまとまらずにしばらく呆然とする。これは試練なのだろうか。ここで川に落ちた遍路はまず一人もいないだろうけど、それは何のなぐさめにもならない。ここを一本歯で渡った遍路もおそらくは一人もいないからだ。全身が小刻みに震えている。寒いのだろうか。よし、寒いことにしよう。ううう、春先の四国は冷えるなあ。
 なんにせよ、他に選ぶ道はないのだ。

 這々の体で橋を渡り、対岸というには遠すぎるように思われた堤をようやく上る。街並がこまごまとした別の町に入り、風とのやり合いに疲れた足どりで上げたいペースは上がらぬまま、納経時間内ぎりぎりに寺にすべり込む。翌日はひねもす山道で、その山のスタート地点にあたる11番は宿との位置関係上翌朝も通ることになるが、今日の間にまわっておくことで翌日歩く時間をかせぐことができる。素朴な自然に囲まれてひっそりとした境内のベンチで息をつく。勤行を終えて、寺から近い今日の宿に到着するまでに日が暮れる。

 川と同じ名の旅館は新築で、部屋も風呂もアパートマンション然としている。そのものですらある。居心地が良いのはそのための安心感ゆえだろうか。宿泊客はみんな遍路で、食堂で交わされている会話のすべてが耳寄りな内容に思える。相席したのは歩き遍路3回目という奈良の老夫婦で、旦那さんは明日の山越えの道の険しさについて語り、奥さんは今日と明日のお昼ご飯について語る。関心の対象がきれいに分かれて、お互い相手の話にとやかく口をはさまない。仲のよい夫婦のひとつの形だと内心思う。昔の歩き遍路事情についても教わる。今みたいに高速道路が整備されていない時代は、そのまた昔とは違った意味で命懸けという感じだったな。歩き遍路道も交通量が多かったし、歩道のない道なんかは車とすれすれで歩かねばならなかったんだよ。団体さんの一人ひとりがみんな、旗を手に振りながら歩いたりもしていた。今でもトンネルなど危ないところはあるけれど、トンネルなら反射板をリュックにつけるといいよ。
 風呂でタオルと下着を洗い、部屋に干す。洗濯機は遍路宿ならだいたいどこでもあるらしいが、有料であることよりも、洗濯物の量が少ないことに抵抗がある。ズボンや白衣など、まとめて洗う時に使うことにする。部屋にあるテレビでは天気予報だけを見る。荷造り、日記、歯磨き、とやるべきことをしているうちに眠くなる。

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2日目(前):雨の軍勢、宇宙服的生活、自然な不自然 - human in book bouquet

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ほしくず飲料、北斗七傷、講義前週おぼえがき

 
透明であることは、透明になることよりも、ずっとありふれている。

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 昨日はおぼえたての「両肩のヒンジを使って両腕をのばしたまま上のホールドをつかむ方法」(これを天秤動作*1とよぶことにします。天秤とは、僕の小学校時は理科実験ですでに上皿天秤を使っていましたがあれではなく、エジプトの絵文字にあるような棒の両端に糸を吊り下げる初期のタイプのものです。棒の両端を肩関節、重力に従って下に垂れる糸を腕にたとえます。分銅と測定物の重さに応じて棒の両端はそれぞれ上下どちらかに振れますが、糸はずっと張っています。このような理想的な、すなわち腕を全く曲げない動きだとリーチ(=両肩間距離の正弦)が短いので、ホールドを支える側の腕はいくらか曲げないと実際使えませんが、力のかけ方として天秤動作をメイン、腕の曲げつまり腕力をサブにすることで、腕への負担を減らせます。昨日はやりすぎて今は肩が張ってますが、クライミング中の消耗を考えると腕より肩の方が(筋肉の大きさに比例して)もちがいいようです)が、動きが若干窮屈と思いながらも1コース登りきったあとの腕の疲労が全然軽減されていて、それが嬉しくて前傾壁の6級コース(みなさんウォーミングアップやフォーム確認がてらに使う)を間をあけて3回も登り、そのうちの1回で左手の甲をコース上の関係ないホールドにぶつけて軽くえぐれました。天秤動作は局所的な負担がかからない反面(という言い方は不慣れな間だけでしょうが…)、ホールドから遠い位置にパワー源があるというか、力点と作用点が遠いというのか、それに頼り過ぎると手の移動位置にブレが生じやすいようです。腕を曲げないことを意識しすぎてホールドを取り損ねたり別のホールドにぶつけたりしないよう、腕と肩の使い方にバランスが求められます。

 あるいは何日か前のことですが、マウントというムーブ(ボルダリングでいう技の名前)をやる時に、体を壁にくっつけるようにしないと大きなフットホールドやハリボテ(自然岩の出っぱりを模したような大きな構造物)に乗り切れずに落ちてしまうので、踏ん張る方の足の乗せ方とか胴体を壁に寄せるための手の突っぱり方なんかに神経を集中してえいやと飛び乗るわけですが、そうすると乗せない方の足の指先を思い切り壁にぶち当てたり、膝やらすねやらをどこかにぶつけたりして、打ち身やすり傷ができます。しかも大体はムーブに集中していてそのことに気付かない(家に帰って風呂に入った時に傷口が染みて初めて気付く)ので、難しいコースでなおかつそれがこなせそうなコースだったりすると、傷は量産されることになります。実際、されています。右足で乗り込む時に左足親指を勢いよく壁に打ちつけるのがなかなかなおらないんですが(足首をぴっとのばして指の先端ではなく甲側が壁に向かうようにすればいいのでしょうが、どうもなかなか、そこまで神経がまわりません)、クライミングシューズは安全靴のようにある程度つま先が硬いので、現に当てている激しさを思えば怪我は浅いです。膝とその上下周辺のすり傷はなぜか右脚ばかりで(軸足が左足であることが多いからかな?大きく動かす時や勢いをつけて振り出す足は右足の方が頻度が高いのかもしれないし、そういうコース(右方向に展開していくようなコース)しか登れていないのかもしれない。ストレッチをしていても右脚の方が可動域が広いのが分かるし…あんまり左右差が大きくならないように左脚も使いたいものです)、打ち身は少なくほとんどがすり傷なのはまだましというかセンスのなさを示しているわけではないようには思いますが、そして同じ箇所に重ねて(=前の傷が残っている上から再度)当てていることもないのもなんだか良い兆候だという考え方もできますが(すなわち「同じ失敗を繰り返してはいない」ということ。取り組むコースを数回やってダメだったらすぐ変えているのもその理由のひとつですが、それは飽きっぽいからではなく、身体のある特定の部分に負担を蓄積させないためです。自分の腕力と手指の力のなさは、なにかしら別のスポーツをやっていたり肉体労働で身体の基礎が出来上がっていると思われる方々と比べて意識せざるを得ないと休憩中にまわりを見ていて思うんですが、体力がないだけにコースをこまめに変えてまんべんなく身体を疲労させていけるのは利点かもしれません。短期的な上達を目指す、たとえばクリアできるコースを一日に1つか2つ増やしていくというようなやり方ではなく、ちょっとずつ身体がボルダリング向けに上手く機能するようになっていって、日をまたいで何度も取り組んでいたコースがある日ひょこっとできるようになる、毎朝の漢字テストよりは日々の走り込みに近い*2「結果があとからついてくるコツコツ積み重ね型」が、頭でそれがいいと考えるより前に身体がそちらに無理なく適応しやすい、心地良いのです)、そうやってお互いに少しすきまをあけてコツコツと、まるでそれが目的であるかのように仲間を増やしていくすり傷たちが、夜空の星々に喩えられるほど詩的でありませんが、即物的配置として北斗七星を形成しつつあります。今の時点で「王手」ですが、もちろんすり傷を狙った箇所につけるなんて至難の業だし、だいたい技でもなければたぶん三重くらいに倒錯した発想であって、こんなつまらないことが登っている間に頭に上ってくることはありませんが、大けがのもとなので面白がるのは今だけにしておきます。


怪我のたえない日々ですが、おそらく頻度より程度の方が重要で、無理をすると軽傷が軽いものではなくなってくるはずなので、一日の練習時間にしても、ジムに行く日の間隔にしても、無理のないようにしているし、このペースを講習(開講はもう来週なんですね…)が始まってからも崩さないようにしたいです。司書講習は日曜休みでたしか9-16時なので、平日にもジムに行けるなら夕方からになります(ジムは22時までやっています)が、登った翌日の起床時がちとつらいので、夕方に行く時は最初は加減するようにしましょう。一日二食で朝を7時に食べるなら夜は遅くとも19時には食べたいので、行く日はジムで2時間弱動いてから、帰りにどこかに寄って夕食をとるといいかもしれません。講義尽くしの日々にはむしろ身体を動かす時間を意識的に間にはさむ方が身体が健全なリズムを刻めるはずなので、講義外の勉強も大事ですがなるべく両立させようと思います。

うん、講義にもまじめにとりくみますが、生活にもまじめにとりくみます。
思えばこういうことをできるだけの時間が有り余るほどあったはずの学生時代には、こんな発想は全くありませんでした。
なんとなくですが、サークルに入ってなくて、かつその頃に村上春樹の小説なり翻訳なりを日常的に読んでいれば*3、そういうことになっていたのかもしれません。
良いか悪いか、ではなくて。
 

*1:この動画の2:25くらいの動きがとてもわかりやすいです。

*2:学校の授業で喩えをしばらく考えたんですが、どうしても一方が学問型で他方が実技型になりますね。考えてみればあたりまえのことかもしれません。ということは、話はだいぶ飛躍しますが、あるコースが登れるようになる云々とは「便宜的なものにすぎない」ということにもなります。スポーツとしても、そうでなくとも、その「便宜的なもの」は重要ではありますが、それが目的というよりは、それは手段なのですね。いや、それを目的とすることで「スポーツ化」するのか。スポータイゼーション。…調べると、あるんですね、こんな言葉。→ Sportization - Oxford Reference

*3:内田樹氏の文章を、その文体が身体に染み込むまで読み続けてはじめて「このような意味」で村上春樹を読むようになったのですが。

無題11

 一寸先は 闇の奥
 バイクの照らす 夜の道
 走る男は 前を向く
 今日を限りと 今日も行き

 壁の向こうは 真の空
 宇宙を漂う 家の舟
 綴る男は 果てに行く
 知らぬと知れり 知らぬまま

 果てぬ夜空に 星多き
 座して名指せど 限りなし
 尽きぬ波間に 青深き
 いにしえの魚 ゆくりなし

ストレッチと基礎練習

ボルダリングは順調です。

朝食時に読んでいた入門書を読み終えたので、かわりにyoutubeで解説動画を見ています。
やはり実際の動きを見るのと本の挿絵や写真から動きを想像するのとでは情報量が違いますね。
一度だけリコメンドにつられて世界レベルのクライマの動画をいくつか見ましたが、なんというか、すごいんですけど今の興味の範疇には入らないようです。
上手い動きを見て、参考になればいいんですが、参考にならないつまり自分の身体の動きとして追体験するような想像が全くかなわない動きは、エンターテイメントにしかならない。
そしてもうひとつ、違う意味で情報量が余計に多すぎる。
それらの動画を見て、自分が見る視点がボルダラでなかった(なくなった)という経験から、やはり頭で考えていた通り「単純に上手くなりたいからやる」のが動機ではないなと確認できました。

入門書にあったストレッチをこまめにやっています。
壁登りの前後だけでなく、家での読書の合間にも、風呂上がりにもやります。
一つひとつの動きの型に時間をかけて、筋肉ののび具合や関節の曲がり具合をじっくり味わいます。
本にはストレッチのちゃんとしたやり方について説明があって、一つの型で「動かす関節」と「固める関節」がそれぞれどこかをしっかり意識する(「分離と共同」だったかな?)と、ストレッチ中の身体がシャッキリして、曲げたいところが曖昧にぐずぐずやるよりも曲がってくれます(なんとなく、ある一箇所を大きく曲げるならその周辺部も曲げに関与してやれば負担が軽減されるのではなんて思っていましたが、ストレッチの目的がその特定箇所の柔軟性を高めるためであるならば、その効果は薄れてしまいます)。
しばらく続けていて、開脚などで股関節の可動域が広くなってきたような気がしています。
前に書いた「ジムで一つクリアできそうな4級コース」で、あと一手が届かないその原因の一つがたぶん股関節の硬さで、手指の力の強さや体幹(きわどい姿勢で体勢を維持する力)も関わってはいますが、ジムで毎回そのコースに挑戦していれば、ある時にひょっとクリアできてしまうのではという想像をしています。
垂直壁ですが手の支えにほとんど頼れない(ホールドが平べったくて指数本しかひっかからない)状態で股を広げて、現状、今の限界よりも20センチ以上は足を上げる必要があって、これができるようになれば、結果として身体の変化が目に見えることになります。

とはいえ4級は取りかかるにははや過ぎで、6級と5級を中心にやっています。
ジムにある6級コース(白)は前傾がいちばんきつい1コースを除いてゴールには着けるようになりました。
5級(黄)からは天井にぶら下がるようなコースもあり、そういうルーフコースはほとんど手つかずで、また垂直壁でもスタートの次の2手目でもう行き詰まるコースもあって、クリアできてもむりやりが多いので腕にすごく負担がかかります。
今朝見た動画で「腕に負担をかけない登り方」の感じがやっとわかりそうなので、明日からは自己流を戒めて、7級に戻って基礎練をやろうと思います。
初めてボルダリングジムに行った時からこんなことやると運動部の一年生みたいな感じで身が入らないかもしれませんが、ある程度好き勝手に登ってしんどさがわかってくれば、驚きや充実とともに基礎練に打ち込める気がします。

ボルダリングと読書の合間のストレッチ&逆立ちのおかげで身体は概して健康なんですが、この間一つ盲点があって首を痛めました。
ジムが空いていた時に上に書いたルーフコースに初めて手を付けて、夢中になってコースを見つめて長い間イメトレをしていたんですが(1コース登るのに相当エネルギを使うので続けざまというわけにはいきません。ジムにいる間は登る時間よりイメトレの時間の方が長いです)、ルーフなので見上げる体勢になって、そのままじっとしていたせいで首を痛めたのでした。
イメトレ中だけでなく登っている間もホールドを探すために首を大きく動かすので、じつは首の負担も大きいスポーツなんですね。
首の健康は生活気力に関わってくるので、ボルダリング中もケアを忘れずにやろうと思います。
とりあえず今回痛めた首は回復しつつあります。
風呂に毎日入るといいかもしれません。

2日目(前):雨の軍勢、宇宙服的生活、自然な不自然 2017.3.2

 " Think of nothing things, think of wind. "

 × × ×

 昨日は正面から入ってきた同じ門を右に出て、塀沿いに新たな道を進む。家が密に並んだ細い生活道が続く。雨はぽつりぽつりと降っている。色みはあるが分厚い雲で空は全く見えない。ザックは撥水だが防水ではない。バイク乗りが使う黒のザックカバーが別にある。トップのポケットに財布を入れているので雨の具合に敏感になる。下駄の防備も同様で、つま先から鼻緒をほぼすっぽり覆う「つめかけ」をいつ使おうかと待ち構える。今日の雨模様は知っていたので、昨日の夜にザックの中身を配置変えして、ザックカバーもつめかけも上の方にある。
 ぽつりぽつり、ぽつぽつ、ぽっぽっ、ぽぽ、ぽぽぽぽぽ……。
 雨雲は配下の落下傘師団を着々と送り込み、地上では立ったまま雨具を出す面倒さがぼくの中でしぼんできた頃、右手に神社が現れる。屋根つきで柱廊のような参道に石畳が整った矩形状に敷き詰められ、奥の祭壇の手前で4,5段ほどのコンクリートの階段がある。これはありがたい。参道に入り、階段にすわって荷を解き始める。初めての雨対応のために慣れない手つきで、時間がかかる。ごそごそとやっている間に何人か、さっきの道を遍路が通りすぎていく。昨日同じ寺に泊まった人だ。みんな出発前から準備済みなのだ。ぼくも当然そうするべきだったが、必要が生じるぎりぎりまで雨具をつけたくないと思って躊躇してしまったのだった。つめかけを装着して長いあいだ歩くと、小指がその合成皮革の内側とこすれて痛くなるのだ。だが実際に降ってくればそんなことは言っていられない。なんとかせねば。

 悪化すると思われた空模様は7番でお参りしている間に回復してくる。門からはじまって中の道も階段も建物も、やたらとごつごつした感じを与える。順路の石畳のまわりは砂利で敷き詰められている。敷地内に緑や土が少ない。それはすなわち「清められている」ということでもあるのだが、どうも居心地があまりよくない。
 毎年初詣に行っている大阪との府境近くにある京都の神社で、柵で囲われた一面が砂利の本殿の敷地内でかがんで何かを拾い上げている巫女たちを見たことがある。手にしたそれは落ち葉や木切れなどにも、周囲の砂利に対して不揃いな石ころのようにも見えた。敷地は森で囲まれていて、丈の高い広葉樹がすぐそばで旺盛に枝葉を茂らせているのだから、途方もないというか甲斐のない作業だと思っていた。でもあれはたぶん清めを意味する作務のひとつで、いったんその行為を甲斐がないという目で見てしまうと、神社の存在そのものに甲斐がないのだった。
 清めの行為やそれによって清められた空間というのは、不浄の手が伸びてくる可能性によって意味をもつ。家の掃除と同じで、ほこりが食器棚の上やフローリングのすみっこに溜まるから、はたきで落として掃除機をかける。食事のあとは、ご飯つぶや醤油でよごれたテーブルを水拭きする。いかなる汚れも存在せずまた生じ得ない家は、家事に追われて育児がお粗末な主婦が願わずにいられない理想の家かもしれない。でもそんな家はありっこないし、それに限りなく近い環境が実現できたとして、そんな無重力空間で宇宙服を着て生活しているような家族の子どもは、バラエティ豊富なアレルギ症状に日々悩まされることだろう。清められた空間に生気のなさや胡散臭さを感じるとすれば、それはその場所があまりにもきれいすぎるからではなくて、バーチャルリアリティ空間のように清めの過程がまったく想像できないからかもしれない。

 商店街ほどではないが、両脇のところどころに店が並び、その中には遍路用品店や民宿がある。この道から寺まではまだしばらくかかるが、どうやらこの道が寺へ通じる主要な道らしく、参道なのかもしれない。一度大きな車道を横切って道をさらに上って行くと、寺から下りてきた遍路のおじさんが立ち止まってこちらを見ている。
「ほお、珍しいので歩いてるね。ちょっと写真撮っていいかい? いい記念になる。顔は写らないようにするから、後ろ姿でいいよ。あと足もとのアップも一枚いいかな」
 こういうこともあるだろう、それも多々あるだろうと心積もりはしていたので、とくに疎ましいとも思わず相手の言うに任せる。話しかけられる機会が多いと、自分から話し掛けたり、こちらから積極的に話を始める意欲があまり起こらなくなる。話の流れにも悪い予感さえしなければ乗り続ける。話が弾めば話題に構わず盛り上げるし、おひらきの口上が述べられれば別れの挨拶で応える。相手に何かを求めてない以上はそれがもっとも自然なように思われる。ただ出会った人に好奇心旺盛にからんで行く人がその相手に何かを期待するからこそそうしていて、それが不自然であるというわけではない。自分の思う自然さが広く一般化できるとは思っていないし、みんながみんなそれが自然だということになればぼくもつまらなくなるに違いない。あるいはぼくが並々ならぬ興味を示して自ら関係を深めようとする人や物にこの先出会うかもしれない。それならそれで面白い。そういう事態が自然なかたちで起こることをぼくは望んでいる。つまり、身体に従って動けるようでありたい。この意志は、頭のほうからしてみれば、不自然なことだろうけれど。

(続く)

 × × ×

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1日目(後):親切とは、札の功徳、「クス供養」 - human in book bouquet

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1日目(後):親切とは、札の功徳、「クス供養」

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(承前)

 4番までは島の内側に向かう幹線道路に沿って進む。交通量が多く、その大半をトラックが占めているように見える。だが主要道からひとつ右に入ると(左でも同じことだが)、そこはほとんど車が通らない、通るとしても自家用車や小型の配達車くらいの、閑静な生活道になる。車どころか歩く人さえ、立ち並ぶ家の数を考慮すると少なく思える。
 カッ! カッ! と感嘆符を付けたくなる甲高い一本歯の歯音が、おのおのの家のベッドや布団で寝ている人々を起こし回っているように響きわたる。もう昼前だというのに、みんなまだ寝ているんだろうか。あるいは子どもが学校へ出て行ったらお昼ごはんの前まで二度寝するのがここらの主婦の習慣なのかもしれない。うん、悪くない習慣だ。

 行く先々に、主に電柱に、あとはたとえばカーブミラーや橋の欄干などにシールが貼られている。白地に赤の矢印か、もしくは同じ配色で菅笠をかぶり杖をもった人のマークだ。分岐した道を選ぶ必要のある場所にでくわすと、車も通れない込み入った細い道が分かれるところにも、片側二車線で上を歩道橋がまたぐような広い交差点にもシールがある。地図なんていらないと思えるくらいだ。その赤白のシンプルな目印たちもやはり道になじんでいて、しだいに彼らに先導されて歩いている気分になってくる。シールを見かけない時間が長くなると、道を間違えたんじゃないかと不安になってくる。うーん、なんだか博物館の順路をまじめに守って歩いているみたいだ。これでいいのだろうか。

 遍路道を歩いていると、わざわざぼくらのためにつくってくれた小屋やベンチがある。こういう意図も相手もあきらかな親切は、誤解の招きようがなくてありがたい。世の中には何を思ってのことかわからず、またあらゆる人々に向けられているようで誰も自分に向けられているとは思わないような行為を「親切」と呼んで憚らない。人と人のあいだのやりとりにお金が関わるのであれば、お金と商品以外のことは何も考えなくてよいはずだし、やりとりの場にいる人ならばその素性とは何の関わりもなく当事者である。ただそれはやさしさや親切とは関係がない。そこのところをごっちゃにしてしまうと、変なところで人をあやしんでしまうし、逆にあやしむべきところで無防備にふるまうことになる。その意図と相手が明確であるならば、親切がおしつけでもおせっかいでも構わない。むしろそのときに、親切の親切たるゆえんである、その過剰にして独りよがりな「よけいな心づかい」が活きてくる。逆にいえば、寸分の隙もない親切とか、システマチックな親切なんてものは存在しない。
 地元産らしい木でつくられた東屋ふうの遍路小屋の中のベンチにありがたく、そして遠慮なく腰を下ろす。下駄を脱いで指を動かし、足首をくるくる回す。ちょうどよい小屋やベンチがない時は、植え込みの丸石や神社の階段などで同じように休む。長く続けて歩けないので、だいたい1時間ごとに休憩をとる。

 4番はこれまで歩いてきた生活道をそれて山の方へ少し進んだところにある。敷地の左側は山に面していて、門の前にある駐車場は広く、中も広々としていて庭園風だ。空が近く感じるのは、寺の木や建物と、山と空とがぴったりくっついて見えるからかもしれない。
 お参りをして門を出たところで、物売りのおばあさんに声をかけられる。家の畑でとれたらしい野菜や果物が、砂地の駐車場に広げられたシートの上に所狭しと並べられている。会話を交わすうちに、元気をつけていきなさい、と売り物である干し芋をいただく。そういえばと、寺に納めるお札をおばあさんに手渡す。お接待を受けた遍路はお返しとして札を差し出すのだ。遍路の札には、彼の巡礼による功徳と同等のものがあるという。お札はお金の代わりという言い方がされることもあるが、遍路が彼のふところから取り出す札には、彼の名前と居所、そして彼が巡礼に込める願いが、彼の手で書かれている。それゆえに、お金には宿らない功徳が札には宿るのだと思う。

 寺を出てもと来た道を、頂いた干し芋を食べながら戻る。直線でそれとわかるずっと先を歩いていた遍路の女性が、往路にも見かけた東屋のベンチで休憩しているのが見える。髪は短く、さっぱりとした色でこぎれいなシャツとズボンに、軽装のリュックを背負っている。ぼくはもっていないが、ほとんどの歩き遍路と同じように、そのかたわらには金剛杖がある。横を通りすぎる時に黙礼であいさつを交わす。結果的にそうなったが、決して干し芋で口がふさがっていたから声をかけなかったのではない。同業者というのか、同じ立場どうしだからこそ、目だけで必要最低限度の内容を伝えることができる。時には、とても多くの内容を。気のせいと思ってもらってもよいが、目配せしたお互いがその「気のせい」を感じたとすれば、それはもはや立派に会話として成立したことになる。

 田んぼが広がる開けたところにぽつねんとある5番を経て、対照的に道幅が狭く密な家並みの中でこんもりと木々を茂らせてその存在を控えめにアピールしている6番にたどりつく。中は粒のそろった砂利が敷き詰められていて、歯が砂利にめり込んで足をとられる。敷地の中ほどより奥の、本堂と宿坊のあいだのベンチまでゆっくりと向かう。寺ではまずベンチに座り、ザックに積んであるスポーツサンダルに履き替えてからお参りに向かう。
 履き替えている時に声がしたので振り向き、3番で会った業者のおじさんと偶然再開したことを知る。同じバンのうしろのトランクを開けて、同じようにそのそばに立っている。白の混じった長い銀髪を後ろで留めて、機敏に上下する額の横しわが目立っている。きちんと整えられた鼻下の髭も白まじりの銀色だ。おじいさんと呼ぶべき容貌だが、身のこなしの軽さはおじさんと呼ぶにふさわしい。きっとまた会うと思うよ、と最初に言われた通りになったが、仏具か何かの業者なのだろうか。彼は一本歯を珍しがったので、昔ながらの履物屋ならどこでもあるんじゃないですかと言ったら、四国では見かけたことがない、と言う。京都と東京では売っているのをこの目で見たが、それだから全国どこでも同じようなものだろうと旅に出る前に結論したのは早合点だったらしい。道中で歯がすり減った時に新しい下駄が現地調達できるのか。この点で初めて少し不安を感じたが、まあなるようにはなるし、なるようにしかならない。明日は昨日の風が吹く。あれ、違ったか。

「温泉山」の名に違わない、立派な大浴場で足の疲れを癒す。念入りにマッサージをする。勢い余って夕食後にも入る。宿坊の部屋はシンプルなビジネス旅館のようだ。畳敷きで装飾がほとんどない。窓が車道に面していて、夜でも車の往来が途絶えない。
 ふつうは翌朝にあるらしい寺でのお勤めは夕食後にあった。特定の人を供養できると聞いて、祖母とある女の子の名前が同時に思い浮かぶ。7年前に若くして生涯を終えたぼくと同い年のその女の子の葬式に呼ばれたが、ぼくは行かなかった。生前の付き合いを思えば何をさしおいても行きたかったし、そしてまず間違いなく、棺の前でうめき声を抑えられないくらい激しく泣くだろうと思った。行かなかったのは、行けば「戻れなくなる」と確信したからだった。彼女の死を遠くの地で知り、それから数日間は、ぼくのすぐそばで人が楽しそうに笑っているのが信じられなかった。話しかけられても返事のための言葉が浮かばず、なぜお前は僕の前で笑っていられるのか、と本気で考えていた。なぜ泣かないのか、とまでは考えなかったが、それが理不尽であることもわからず、ただただ目の前の笑顔が信じられなかった。自分と目の前にいる人とのあいだに無限の距離があるように思えた。そういう時はそっぽを向いたか、むりやり愛想笑いをしてごまかしたかもしれない。変な奴だと思われたかもしれない。でももちろんそんなことはどうでもよかった。あるいは、悲しみを一人でため込んで、さらに余計な悲しみを増やしてしまったのが良くなかったかもしれない。葬式に行って、みんなと悲しみを共有することで、なぐさめられたのかもしれない。そのことも頭には浮かんだが、それでも行かなかった。そしてその悲しみを、たぶん「余計な方の悲しみ」を未だにひきずっている。だからここで彼女の名前が浮かんだことにも驚かなかった。八百屋の前を通るだけで思い出すくらいなのだ。だからいいと思った。ここでは書かないでいい。ここで書くのは、忘れるために書くようなものだ。彼女がどう思うか知らないが、それを想像する権利はぼくにある。そしてあるのはそれだけで、彼女の思いを決めつける権利なんてないのだ。ぼくにも、誰にも。
 けっきょくは、祖母と、名も知らぬ先祖の方々の名(つまり自分の名字)を札に書いた。本堂の奥、洞窟のように暗く抜ける廊下の先にある幻想的な、いや幻想上の川で灯籠流しをする。クスの若木に札を結びつけて、浜に植える。祖母の生前の姿を思い浮かべる。そして入寂された日のことも。あの日のことは生涯忘れない。それはぼくの中にしかない形で。

遍路の白衣は死の擬制であるとは、その通りなのだと思う。
この世を去った人々との距離が、自然と縮まる。

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