human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

1日目(後):親切とは、札の功徳、「クス供養」

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(承前)

 4番までは島の内側に向かう幹線道路に沿って進む。交通量が多く、その大半をトラックが占めているように見える。だが主要道からひとつ右に入ると(左でも同じことだが)、そこはほとんど車が通らない、通るとしても自家用車や小型の配達車くらいの、閑静な生活道になる。車どころか歩く人さえ、立ち並ぶ家の数を考慮すると少なく思える。
 カッ! カッ! と感嘆符を付けたくなる甲高い一本歯の歯音が、おのおのの家のベッドや布団で寝ている人々を起こし回っているように響きわたる。もう昼前だというのに、みんなまだ寝ているんだろうか。あるいは子どもが学校へ出て行ったらお昼ごはんの前まで二度寝するのがここらの主婦の習慣なのかもしれない。うん、悪くない習慣だ。

 行く先々に、主に電柱に、あとはたとえばカーブミラーや橋の欄干などにシールが貼られている。白地に赤の矢印か、もしくは同じ配色で菅笠をかぶり杖をもった人のマークだ。分岐した道を選ぶ必要のある場所にでくわすと、車も通れない込み入った細い道が分かれるところにも、片側二車線で上を歩道橋がまたぐような広い交差点にもシールがある。地図なんていらないと思えるくらいだ。その赤白のシンプルな目印たちもやはり道になじんでいて、しだいに彼らに先導されて歩いている気分になってくる。シールを見かけない時間が長くなると、道を間違えたんじゃないかと不安になってくる。うーん、なんだか博物館の順路をまじめに守って歩いているみたいだ。これでいいのだろうか。

 遍路道を歩いていると、わざわざぼくらのためにつくってくれた小屋やベンチがある。こういう意図も相手もあきらかな親切は、誤解の招きようがなくてありがたい。世の中には何を思ってのことかわからず、またあらゆる人々に向けられているようで誰も自分に向けられているとは思わないような行為を「親切」と呼んで憚らない。人と人のあいだのやりとりにお金が関わるのであれば、お金と商品以外のことは何も考えなくてよいはずだし、やりとりの場にいる人ならばその素性とは何の関わりもなく当事者である。ただそれはやさしさや親切とは関係がない。そこのところをごっちゃにしてしまうと、変なところで人をあやしんでしまうし、逆にあやしむべきところで無防備にふるまうことになる。その意図と相手が明確であるならば、親切がおしつけでもおせっかいでも構わない。むしろそのときに、親切の親切たるゆえんである、その過剰にして独りよがりな「よけいな心づかい」が活きてくる。逆にいえば、寸分の隙もない親切とか、システマチックな親切なんてものは存在しない。
 地元産らしい木でつくられた東屋ふうの遍路小屋の中のベンチにありがたく、そして遠慮なく腰を下ろす。下駄を脱いで指を動かし、足首をくるくる回す。ちょうどよい小屋やベンチがない時は、植え込みの丸石や神社の階段などで同じように休む。長く続けて歩けないので、だいたい1時間ごとに休憩をとる。

 4番はこれまで歩いてきた生活道をそれて山の方へ少し進んだところにある。敷地の左側は山に面していて、門の前にある駐車場は広く、中も広々としていて庭園風だ。空が近く感じるのは、寺の木や建物と、山と空とがぴったりくっついて見えるからかもしれない。
 お参りをして門を出たところで、物売りのおばあさんに声をかけられる。家の畑でとれたらしい野菜や果物が、砂地の駐車場に広げられたシートの上に所狭しと並べられている。会話を交わすうちに、元気をつけていきなさい、と売り物である干し芋をいただく。そういえばと、寺に納めるお札をおばあさんに手渡す。お接待を受けた遍路はお返しとして札を差し出すのだ。遍路の札には、彼の巡礼による功徳と同等のものがあるという。お札はお金の代わりという言い方がされることもあるが、遍路が彼のふところから取り出す札には、彼の名前と居所、そして彼が巡礼に込める願いが、彼の手で書かれている。それゆえに、お金には宿らない功徳が札には宿るのだと思う。

 寺を出てもと来た道を、頂いた干し芋を食べながら戻る。直線でそれとわかるずっと先を歩いていた遍路の女性が、往路にも見かけた東屋のベンチで休憩しているのが見える。髪は短く、さっぱりとした色でこぎれいなシャツとズボンに、軽装のリュックを背負っている。ぼくはもっていないが、ほとんどの歩き遍路と同じように、そのかたわらには金剛杖がある。横を通りすぎる時に黙礼であいさつを交わす。結果的にそうなったが、決して干し芋で口がふさがっていたから声をかけなかったのではない。同業者というのか、同じ立場どうしだからこそ、目だけで必要最低限度の内容を伝えることができる。時には、とても多くの内容を。気のせいと思ってもらってもよいが、目配せしたお互いがその「気のせい」を感じたとすれば、それはもはや立派に会話として成立したことになる。

 田んぼが広がる開けたところにぽつねんとある5番を経て、対照的に道幅が狭く密な家並みの中でこんもりと木々を茂らせてその存在を控えめにアピールしている6番にたどりつく。中は粒のそろった砂利が敷き詰められていて、歯が砂利にめり込んで足をとられる。敷地の中ほどより奥の、本堂と宿坊のあいだのベンチまでゆっくりと向かう。寺ではまずベンチに座り、ザックに積んであるスポーツサンダルに履き替えてからお参りに向かう。
 履き替えている時に声がしたので振り向き、3番で会った業者のおじさんと偶然再開したことを知る。同じバンのうしろのトランクを開けて、同じようにそのそばに立っている。白の混じった長い銀髪を後ろで留めて、機敏に上下する額の横しわが目立っている。きちんと整えられた鼻下の髭も白まじりの銀色だ。おじいさんと呼ぶべき容貌だが、身のこなしの軽さはおじさんと呼ぶにふさわしい。きっとまた会うと思うよ、と最初に言われた通りになったが、仏具か何かの業者なのだろうか。彼は一本歯を珍しがったので、昔ながらの履物屋ならどこでもあるんじゃないですかと言ったら、四国では見かけたことがない、と言う。京都と東京では売っているのをこの目で見たが、それだから全国どこでも同じようなものだろうと旅に出る前に結論したのは早合点だったらしい。道中で歯がすり減った時に新しい下駄が現地調達できるのか。この点で初めて少し不安を感じたが、まあなるようにはなるし、なるようにしかならない。明日は昨日の風が吹く。あれ、違ったか。

「温泉山」の名に違わない、立派な大浴場で足の疲れを癒す。念入りにマッサージをする。勢い余って夕食後にも入る。宿坊の部屋はシンプルなビジネス旅館のようだ。畳敷きで装飾がほとんどない。窓が車道に面していて、夜でも車の往来が途絶えない。
 ふつうは翌朝にあるらしい寺でのお勤めは夕食後にあった。特定の人を供養できると聞いて、祖母とある女の子の名前が同時に思い浮かぶ。7年前に若くして生涯を終えたぼくと同い年のその女の子の葬式に呼ばれたが、ぼくは行かなかった。生前の付き合いを思えば何をさしおいても行きたかったし、そしてまず間違いなく、棺の前でうめき声を抑えられないくらい激しく泣くだろうと思った。行かなかったのは、行けば「戻れなくなる」と確信したからだった。彼女の死を遠くの地で知り、それから数日間は、ぼくのすぐそばで人が楽しそうに笑っているのが信じられなかった。話しかけられても返事のための言葉が浮かばず、なぜお前は僕の前で笑っていられるのか、と本気で考えていた。なぜ泣かないのか、とまでは考えなかったが、それが理不尽であることもわからず、ただただ目の前の笑顔が信じられなかった。自分と目の前にいる人とのあいだに無限の距離があるように思えた。そういう時はそっぽを向いたか、むりやり愛想笑いをしてごまかしたかもしれない。変な奴だと思われたかもしれない。でももちろんそんなことはどうでもよかった。あるいは、悲しみを一人でため込んで、さらに余計な悲しみを増やしてしまったのが良くなかったかもしれない。葬式に行って、みんなと悲しみを共有することで、なぐさめられたのかもしれない。そのことも頭には浮かんだが、それでも行かなかった。そしてその悲しみを、たぶん「余計な方の悲しみ」を未だにひきずっている。だからここで彼女の名前が浮かんだことにも驚かなかった。八百屋の前を通るだけで思い出すくらいなのだ。だからいいと思った。ここでは書かないでいい。ここで書くのは、忘れるために書くようなものだ。彼女がどう思うか知らないが、それを想像する権利はぼくにある。そしてあるのはそれだけで、彼女の思いを決めつける権利なんてないのだ。ぼくにも、誰にも。
 けっきょくは、祖母と、名も知らぬ先祖の方々の名(つまり自分の名字)を札に書いた。本堂の奥、洞窟のように暗く抜ける廊下の先にある幻想的な、いや幻想上の川で灯籠流しをする。クスの若木に札を結びつけて、浜に植える。祖母の生前の姿を思い浮かべる。そして入寂された日のことも。あの日のことは生涯忘れない。それはぼくの中にしかない形で。

遍路の白衣は死の擬制であるとは、その通りなのだと思う。
この世を去った人々との距離が、自然と縮まる。

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