「評価」から遠く離れて
司書講習は順調です。
ノートを採りすぎて右手首を痛めましたが。
講義にもボルダリングにも大きな支障はなさそうですが、痛みが長引くか悪化するようなら整形外科に行きましょう。
左手首を治してもらったことだし、今度も行けば治るのでしょう。
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講義とは関係ありませんが、さっき図書館から帰ってきた時にふと思いました。
評価にさらされ続けて育った人は、自然と他人や出来事を評価する目で見てしまう。
自分があらゆることを評価している、その自覚すらないままに。
そして、評価の嵐(それはじっさい「無風」なのだけど)が吹き荒れる環境から遠ざかると、ある時にひょいと自覚が訪れる。
「相手その人をありのまま見る」ことの難しさは、周りがそうさせてくれないことに第一の原因がある、と断言してもいい。
余計な意識をしてしまうことは反省で治るものではなく、それは抑え込みすなわち抑圧であって、別の形で(別の意識として、あるいは態度として)返ってくる。
アフォーダンスの概念は、もしかして、とてつもなく広い。