「井桁崩し」のクライミングへの応用
まえおき
今住んでいるアパートの部屋にはロフトがあって、
ロフトに上がるハシゴをバーにひっかけて登りますが、
そのバーが手を伸ばせばぎりぎり届く距離にあって、
ちょっと体を伸ばしたい時に日常的に掴むことがあります。
この部屋には二、三年は住んでいて、
その最初の頃から上記の習慣があったのですが、
初期は片足立ち背伸びで、
・左手はぎりぎり指が上向きの4本中3本(小指除く)掛かり、
・右手は掌が若干バーから浮くけどまあ握れるかな、
という届き具合だったのですが、
それが今になると、ちょうどさっきバーに手を伸ばしてみて、
右手も左手も、バーをしっかり握れるようになりました。
「背が伸びた」という可能性もないことはないですが、
年齢から考えてあまりないでしょう。
「腕が伸びた」という可能性も同様に考えられます。
というわけで身体の使い方が変わったのだとすると、
(1)つま先立ちがよりシビアにできるようになった
(2)肩関節がゆるくなって腕の(長さ方向の)可動域が広がった
(3)胴体部分の骨(肋骨ー鎖骨)が「井桁崩し」然に動けるようになった
といったあたりが思いつきます。
実際にありそうなのは2と3で、
このうち掘り下げると面白そうなのは3です。
用語解説も要りますね。
本題
「井桁崩し」は古武術研究家・甲野善紀氏の術理用語です。
四角形の各頂点が(位置可変の)ヒンジ運動の支点となれば、
その四角形は「ひしゃげる」変形により平行四辺形になれる。
剣術・棒術・手裏剣術などの身体運用において、
「肩や肘や手首など各関節のヒンジ運動」といった部分分解ではなく、
身体全体の(「鰯の群泳」のような)同時協調的な動きの表現のために、
身体のある範囲において「井桁崩し」的動作が行われていると仮定する。
その「ある範囲」というのは確かいろいろありうると想定されていて、
その「いろいろ」の具体的なところは覚えていませんが、
一つだけ印象的で記憶に残っているのが「肋骨ー鎖骨」部分です。
ここが本記事の要点なんですが、
胴体を、左右を短辺とした縦長の長方形と見立てた時に、
その「長方形がひしゃげる運動」において決定的に重要なのが、
胴体の全体を貫いて張り巡らされている「肋骨ー鎖骨系」だということです。
冒頭に書いた、ロフト梯子のバーに背伸びして掴むという話に戻って解説すると、
「片足つま先立ち」とは右手でバーを掴む時には左足が接地(右足は浮き)で、
つまりその時の両手両足(先端)の配置は平行四辺形の各頂点に擬せるわけで、
その体勢における身体全体の「リーチ」は平行四辺形の(長い方の)対角線で、
その対角線に従う(沿う)ような左足ー右手間の身体各部の配置が望ましく、
「リーチ」の中間部にある胴体は、
それが長方形であるより平行四辺形である方が(リーチが伸びる意味で)望ましく、
その平行四辺形が大きくひしゃげるほど、身体全体のリーチも長くなる。
本題の本題
いや、そもそもその「長方形がひしゃげる運動」とは何なのか?
と言われると、武術的にはいろいろあるのでしょうが、
ここでやっとボルダリングの話になります。
「ダイアゴナル」と呼ばれる基本的なムーブがあります。
右手で取りに行く時は、右足を高い位置で踏み、
(取ったあとの)右手と左足が平行四辺形の対角軸となるように動くこと。
ここにもう、「平行四辺形」が出てきています。
が、僕自身が「肋骨の井桁崩し」を実感しやすいと思うのは、
ダイアゴナルよりはむしろ、「逆足」で取りに行くムーブです。
右手で右上にあるホールドを取りに行きたい、
しかし踏める足ホールドが左下にしかない場合、
右足で踏んでダイアゴナルで出ようとすると身体が大きく傾いてしまう。
安定性は変わらず高いのですが足が踏みにくくなる。
この場合、右足ではなく左足で踏むことで、
身体を壁に対して正面に向けたまま出ることができます。
ただ、左足と左手を支点として右手を出す(右足は壁か浮いた状態)ので、
身体の左端を支点とした(左右方向が軸の)ヒンジ運動が発生します。
この、右半身から壁から離れていく運動を抑えるためには、
浮いた右足を右側で壁と摩擦させる(スメアリング)、
もしくは左に流す(フラッギング)といったムーブがあり、
これらは「逆足」の場合に身体を安定させるうえで必須です。
さて、この逆足ムーブにおいては、
身体が大きく(上の例では、右に)傾きます。
…と、
ここまで書いてやっと気づいたんですが、
身体が傾くこと自体はダイアゴナルも逆足も同じですね。
…ややこしくなってすみません。
それでも僕自身の「井桁崩しの実感しやすさ」の差は両者にはあって、
それはなぜだろう…
と今あらためて考えてみると、
逆足のほうがムーブにおいて胴体部が動員されやすい、
あるいは少なくとも意識されやすいからではないかと思います。
変なたとえですけど、
トランポリンでハイジャンプをやるとして、
ひと跳びの長い滞空時間のあいだは、
手や足(の特に先端)にはほとんど意識が向かないはずです。
宙に浮いている間は手も足も「空を切る」わけで、
逆にその「わたわた」した動作をすると姿勢が乱れてしまう。
そう、滞空時の喫緊の課題は姿勢制御にあって、
その制御のために顕在意識が動員されるのは体幹のはずです。
(また、徒手空拳での綱渡りを思い浮かべると、
腕振りでバランスを取るのは「奥の手」とするのがコツな気がします)
ハイジャンプと(この話のなかで)全く逆の場合を考えると、
たとえば今まさに僕がやっている、パソコンの打鍵操作です。
こまごまとボタンが並んだキーボードの表面において、
その一つひとつを指先が瞬間的に「ちまちま」と選び取っている。
手の先端部の細かい動作に意識を集中させることができるのは、
身体の姿勢がどっしりと安定しているからです。
この場合、体幹はもちろん使われているが、意識はされない。
注意力のリソースが末端に多く割かれるだけ、中枢は感知されない。
だから首や肩が凝ったり、背中がバキバキになったりする。
結論
これらのたとえを先ほどのムーブの話に引き寄せてみます。
ダイアゴナルより逆足ムーブの方が安定性が低いために、
ムーブ進行中の姿勢制御に身体操作のリソースが多く割かれる。
ところでその姿勢制御とは、身体の中枢部に対する意識的動員である。
それはたとえば、鎖骨や肋骨を意識することであったり、
それら胴体骨を全体として平行四辺形にへしゃげることであったりする。
そういうことではないか。
そういうことも、あるのではないか。
あったら面白いな。
という仮説ですが。
翻って、逆足ムーブで井桁崩しができるようになれば、
それはダイアゴナルにも返ってきます。
身体(胴体)が斜めになるのは同じなので、
安定した取りの一手においても肋骨の変形を動員できるようになる。
結果的に、スタティックムーブのリーチが伸びる。
といいな☆
× × ×
「武道的ボルダリング」というテーマがいつも念頭にあって、
それは武道だけでなくヨガや太極拳といった身体操法も対象です。
といって武道は本の知識(とそこからの個人的実地)でしかないし、
ヨガと太極拳にいたっては単なるイメージの域を過ぎませんが、
おそらく共通して言えることは、
「身体全体をいかに使うか」、
その例としては上でも触れた、
「身体全体の協調的動作」や、
「身体の各部をいかに繊細に意識できるか」、
「日常生活では使わない身体部分をどれだけ使えるようになるか」、
など、いろいろ言い方はあります。
甲野氏はそのいくつもの著書で、
武術的な身体運用は日常生活のそれとは全く違っていて、
完全に習慣づいて意識されなくなった「普段の身体の使い方」を、
いかに(顕在意識化し、バラバラにすることで)解除できるか、
それが大事だ、というか、
それによってようやくスタート地点に立てる、
といったことを書いていたと記憶しています。
甲野氏の術理がバスケやラグビーや楽器奏法に応用されたり、
氏が主宰する研究会の出身者が「古武術介護」を立ち上げられたりしたのは、
武術的身体運用が現代社会の実利に結びついた一例ですが、
その現代的な実利の起点には「現代習慣(常識)の解除」があったことは重要です。
(別の話ですが、少子高齢化・経済成長鈍化の後退戦を迎える現代日本では、
これを思想として多分野に活かしてゆくことは有効な生存戦略に思われます)
その可能性はあらゆる分野において潜在しますが、
僕自身はクライミング(ボルダリング)の中にそれがあり、
その認識と敷衍によって生計を立てることができるだろう、
と考えています。