human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

香辛寮の人々 2-11 微々と縷々

 
前記事からの続きです。
いや、インタールードかな。
久しぶりに、フェンネル氏登場。
対するは、直接は初登場のアニス嬢。

 × × ×

香辛寮「G&S&B(ジーエスビー)」のリビングにて。
テーブルには一組のコーヒーと、各々その傍らに男女。

時は夕暮れ。
建物は静寂。
男は縷々と説き。
女は微々と笑み。

裸電球が黒い2つの水面に映える。


「僕の思考は入り口が沢山あって出口が一つもないのが特徴で、そんな話に付き合わせて非常に恐縮なのだけれど」
「構いませんよ。ディルウィード君から聞いていた通りだわ。困った顔で面白そうにお話しされるのね」
「え、そんな風に見える? まずいな。思ったことはほとんど口に出さないんだけど、その代わりに顔に出るんだよ」
「正直ですね」
「それだけが僕の長所なんだ。嘘を取り繕う自分は嫌いで見たくもないし、それも顔に出るから、やれば必ず拝むことになる」
「対話相手は鏡のようなもの」
「そうです。相手の目には必ず、幾らか自分の目が映る」

「でも、そればかり気にしていては、相手を出汁にして自分だけを興味対象に見ていることになるのではないかしら?」
「…その通り、そこがよく誤解される。というか相手に理解されようという心掛けが足りない、といつも指摘される。ぐうの音も出ない」
「誤解を訂正する気がなければ、相手の中でその誤解は正解になってしまうわ」
「うん。だから僕の方が誤解を言挙げするのは不適切だね」
フェンネルさんは思考が好きで、対話も好きだと伺っています。でも貴方の対話は独白とそれほど変わりませんね。私はそのつもりで対面しておりますので、特に気になさることはありません」
「手厳しいな。どうも僕は他人への興味の持ち方を忘れてしまったらしい。アニスさんと話していると、あなたはマジックミラーどころか、純粋な鏡のように思えてくる」
「それがお好みなのでは?」

「そうかもしれない。でも、まだ違うと断言しておきたい。…いや、そういうことではないんだ。僕は常に新しさを求めている。会話の新鮮さ、出会いが起こす互いへの変化。それが先鋭過ぎて、相手の期待にそのまま応えることに躊躇してしまう」
「先回りして考え過ぎてしまうのですね。状況とか、流れに身を任せる姿勢があってもよいのではないかしら」
「それは自覚している。自分から何かを切り出すことがないのは、その一つの表れだと、自分では思っている」
「先手を相手に任せて、相手の思惑に乗ったふりをして、実際は無関心ということ? そんな矛盾した態度に喜ぶ人はあまり多くないでしょうね」
「いや、そこはちゃんとした誤解だ。変な言い方だけど。…僕は基本的に他人に興味がある。そして予定調和が嫌いというほどでもない。ただ、他人に対する明確な意志がない。命令だとか、権力志向だとか、広い意味では誰もが他者に対して持つものに対する魅力がことごとく希薄なんだ」
「そうですか。簡潔にいえば、貴方は孤独好きなのですね。私はここに居ていいのかしら?」

 フェンネルは言葉に詰まり、俯向く。
 アニスは一貫して微笑み続けている。
 その目はフェンネルから殆ど外れない。
 (ディルウィード君も妙な男だ)
 (こんな「鋼の女」に惚れるのは最早才能の域だろう)
 (彼は一体どこまで買い出しに行ってるんだか…)


「話を戻すけれど、鎖書というセット本の魅力は市場主義向きではないんだ。『非消費者的な読書の提案』と銘打っている通り、コスパの両者、つまりコストとパフォーマンスの評価が読み手に委ねられている。『身銭を切る』という言葉があるけれど、この場合は二重の意味で適用される。つまり、お金を使うことと、そのお金の意味を考えること、の二つ。普通の消費者なら無視するか、介入の意思があるとすれば、怒り出す」
「では貴方は、鎖書店というコンセプトを、ビジネスとして捉えてはいないということね?」
「正直に言えば、そうだ。思いつきのコンセプトを繰り返し形にしていく経験を重ねながら、ビジネスに敵う形式に発展する可能性もうっすら期待していたけれど、そちら方面の道筋は全く現れていない」
「それは分かりますわ。古書店と同じ一品目の在庫が単品でありながら、出品にかかる単位時間の異常な長さ。そういう目で見れば、誰もが趣味でやっていると考えますわ」
「だろうね」

「だとすると、貴方のお店の運営目的は営利ではない。目的も趣味的なのかしら。知的好奇心を満たすため?」
「いや、大事な要素だけれど、そこに限定されるものではない。まず、鎖書をセットする選書の過程が非常に興味深いんだ。それを個人の自己満足で留めておくには勿体無い、というくらいに」
「その選書と呼ばれる作業は、私には『ある特殊な趣向をもった読書』と表現しても差し支えなく思えますが」
「うん、普通はそう考える。面白い趣向だと思っても、それを抽象化するというか、一般的な価値をそこに持たせようとはあまり思わない。例えば、作家の片岡義男も、三冊を独自の趣向で組み合わせるという発想を面白いと感じたとエッセイに書いていたが、彼のその発想は個人ライブラリの範疇にある」

「そう仰るということは、つまり、フェンネルさんは鎖書に一般的な価値を見出す試行錯誤をなさっているのね。鎖書の選書を通じて。それなら、販売はもののついで、本筋ではないがモチベーション維持のためにやっている、と」
「そうかもしれない。自分で言葉にしたことはなかったけれど、言われればそうに違いないと思えるくらい、それは自然な発想だね。けれど、そこは断言しないで、可能性を開いたままにしておきたいところ」

「わかりました。今の話の中で私の興味を引くのは、貴方が探索しておられる『一般的な価値』の形ですね。個人の連想基準で本を組み合わせる鎖書。この『連想』という形式に重要な意味を担わせて、鎖書の魅力に関してそれ以上の詳細な説明をなさらないのは、『言葉にならない部分がキモなのだ』という言外の意思表示と受け取れますが、『一般的な価値』を見出すとはつまり、この『言葉にならない部分』を言葉にすることなのではないかしら?」
「! そう……そうか。自分はそこのところを、読み手の独自性に任せて有耶無耶にしていたかもしれない。事前に価値が分かったものを、同じく価値が明確な対価を払って手に入れる、という消費活動にはない『価値の個々なる創造』のような形態を理想だと考えていた。ただ、その具体的な発現はそれぞれの、一つの鎖書と一人の読み手ごとに違うのだとしても、そこに、その出会いと創造に至るまでの道筋の入り口のところで、つまり鎖書を販売する書店という窓口において、やはり鎖書のコンセプトが言葉として提示されている必要がある。それがなければ、鎖書が人々の手に渡ったからといって、その人々それぞれの満足があったとしても、それが鎖書の『一般的な価値』の認識には繋がらない。いや、購入した人にだけわかるというのでなく、鎖書というものがあると知った段階でそのコンセプトが伝われば、それこそが『一般的な価値』といえる」
「そう。それをぜひ、お聞きしたいわ」

「いや、今君に気付かされた通りで、言葉には全くなってないんだけど…」
「無論、今ここでお考え下さればいいのよ」
「うーん。誠に申し訳ないことをした」
「貴方がなさりたいのなら遠慮はいりません」
「ええと、そうではなくて、今考えたいのは事実だけど、さっき君のことを鏡だとかなんとか…」
「あらあら。そんなの構いませんわ、お互い様ですもの。全く以って、厳然たる事実」
「…………」


 (あああ、やっぱりこうなるんだよなあ)
 (先輩もアニスさんも気配り上手だけど、根っこが自分本位だから)
 (話が落ち着くまでどこか行っておこう)
 日は暮れ、いっとき廊下にディルウィードの気配。
 しかしドアは開かれず、細長い影は弱々しくリビングから遠ざかる。
 長くもあり、短くもある、夜はこれから。