human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

香辛料の国 1-1

 
 透明の理想。感覚に夾雑物がなく、思考が研ぎ澄まされた状態。圏外から流入する全てを許し、境界の内側から生み出される全てを受け入れる。生きていること以外に興味がなく、すなわち生命の存続に拘りがない。混じり合い、溶解し、呑み込まれ、分解される。香は色を失い、座標を失い、無に漂う。
 香の煌めきは時間の狭間に由来する、色の華やかさが儚さに由来するように。瞬間と永遠のあいだ、そのいずれよりも脆弱で、可能性に充ちた狭間。「目にすれば失い、口にすれば果てる」、これは禁止ではなく、観察された事実に過ぎない。我々は失われて初めてその存在に気付き、朽ちた姿を前に祈り呟く。
 生命とは祈りであり、廃墟とは消えない蜃気楼である。

「やあ、フェンネル」彼方から声が近づいてくる。
「こんにちは、セージ」
「今日は、どうだ?」
「まずまずだね」
「このところ、界隈の空気が濁っている感じがする。会うたびに同じことを言っている気がするが」
「そうだね。仕方ないことだけれど」
「いや、そう早々に諦めるものではない。我々は空気を享受するだけではなく、わずかながら空気に介入している。我々は空気がなくては生命が続かないが、空気は我々の存在に関知しないと割り切れるものではない。空気は我々が理解している以上に、未知な現象だ」
「そうかもしれない。空気の成分を厳密に測定したり、その時間経過を図式化したりして、なにか相手を把握した気になっているけれど、それは僕らが勝手にそう決めつけているだけのことだからね」
 セージは中空の一点を見つめている。遠くには青い空が無辺に広がっているが、彼の関心は空よりは幾分か手前にあるらしい。
「空が暗くなり始める頃に注意した方がいい。これも挨拶のようなものだが」
「そうだね。ありがとう」
 風のように出会う我々は、擦れ合いすれ違うその一瞬に、濃密な時を経る。

 考えてはいけないことは、何もない。空気のことも、星と月のことも、「瞬発」のことも、あるいは生命の意味についても。僕は考える。けれどそれを誰とも共有することができない。僕も相手も、それを共有したところで何の益もないからだ。僕の思考が深まるわけでもないし、誰かの寂しさが紛れるわけでもない。お互いに相手の求めるものを持っていないし、仮にあったとして、僕に提供する気があるのかどうかも怪しい。相手が眼中にない者同士が一緒にいて、碌な事が起こらないのは火を見るより明らかだ。そんな場を想像すると、いっそのこと焼失してしまいたいと思いたくなる。
 そんな時、燃えて灰になるのはいつも僕で、相手ではない。なぜなら、秩序はつねに我々を泡の内側に抱え込む一方、自覚は界面をすり抜けて泡の外部にその顔を晒すからだ。秩序はそれと意識されてはならない、秩序はそう考えている。だが、意識されてはならないことなど何もない、そうではないだろうか?

 我々のあいだには、一緒にいるべきではない関係というものがあるに違いない(それは関係と呼べないかもしれないが、ある2つの存在の相対位置を比較するうえで、広義にはそう呼んでもよいだろう)。お互いに相手が見える位置にいると、本領が発揮できない。相性の悪い関係、いうなれば、その存在自体がlose-loseな関係。
 それなのに、そういう間柄の者たちが一つの空間に詰め込まれ、無作為に選ばれ、近接を強要される。その場に素敵な出会いが生まれることが稀にあるが、そういう僥倖を除いたほとんどの機会は、僕をひどく落胆させるものだった。この強要の意味は何か、ここに何らかの法則性が見出せないか、酷い目に遭うたびに僕は考えずにはいられなかった。そしてその時に見つけた意味や法則性は、最初は輝きをもって僕を励ましてくれたが、やがて光は弱まり、その力を失っていった。

 それでも僕は考えることを止めたことはないし、止めようと思ったこともない。
 秘密は解き明かさねばならない。