human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

香辛寮の人々 2-6 (承前)

cheechoff.hatenadiary.jp
 
* * *

 カップのコーヒーは空になっていたが、二人とも特に気にするふうでもない。
「君が居心地が悪いと感じたのは、会話はいちおう論理的に整合性がとれているというだけで、言葉のやりとり以外の面でコミュニケーションが成立していなかったからだ。君が彼といる時に気付けなかったメタ・メッセージの偏った読み落としは、彼にとっては合理的な判断だったはずだ。そしてそれが意味するところは、コミュニケーションの目的が君と彼とで違っていたということだよ」
「目的だって? そんなもの、普通に会話する時には想定しないんじゃないかな」
「その場合は『普通に会話する』ことが目的になる。純粋にコミュニケーションを楽しむ、とも言える」
「うーん。当人は意識していない目的、ということならそう言ってもいいのか」

「たとえば、販売員とか詐欺師とか、言葉を操って聞き手を特定の行動に導くのを仕事とする人々は、普通に会話しているだけのように相手に思わせながら、だんだんと話を自分の望む方向に誘導するだろう。政策を人々に納得させるために説得を試みる政治家も同じだ。必ずしも有権者の意向通りに政策が決定されるわけではないからね」
「彼がそういう類の人だというのかい?」
「いや、それは知らない。肩書きがどうこうではなく、性質として似た業種の人を例に挙げたまでさ。ともあれ、彼らは会話が自分の想定している筋道通りに進むことに神経を遣う。純粋なコミュニケーションを装うことと同時にね。どれだけスキルの高い人間でも、この二律背反的な2つの作業を矛盾なく完徹することはできない。だから彼らは自分の目的を達成するために、両立不可能な局面では前者を優先する。会話を楽しむだけだと思っていた相手が違和感を覚えるのはこの瞬間だ」

「なるほど。でも君の言うような洞察ができるのは、自然な会話の進行を自分で観察している人だけじゃないのか。そんなことをしている時点で、その人のコミュニケーションの目的が純粋かというのも疑わしいな」
「そうだなあ。判断が難しいところだけど、こういう考え方もできる。意識は必ず、自己言及的な一面を持っている。言葉の意味が確定していて、しかも他人とのあいだでその認識を共有できている、そういう前提で僕らは会話をするけれど、会話をしながら、一方では自分や相手が使った言葉の一つをとらえて『この言葉の意味は本当にこうだろうか?』と考えたりするだろう。実際に言葉の意味は、同じ文化圏にいても、使う時の文脈やニュアンスに応じて揺れ動くものだ。きっと、これと同じなんじゃないかな。『自然な会話ってなんだろう』と思いながら自然に会話する、という感じ」
「……ふむ。言われてみればそれは、現実にはありふれたことかもしれないね。無意識レベルでの符牒のような、『特定のこの人にとっての自然な言葉遣い』をお互いに形成したり、探り合ったりしながら会話をすることで、人間関係ができ上がっていくわけだから」

 セージは新たな発見に表情を明るくする。
 一方のフェンネルは伏し目がちに空のカップを見つめている。
 同じ地点を共有しようと彼に向き直ったセージは、置いてきぼりを食らった気持ちになる。

「コーヒー、もう一杯足そうか?」
 フェンネルの右手が、力なく中途半端に持ち上がる。返事をしようとして、その返事がなにかに中断された形だ。中空の手も、ばらばらに広がった五指も微動だにしない。
「いや……うん、そうなんだが、違うんだ。この頃よく新聞を読むんだけど……なに?」
 セージは口をへの字にして、目だけで笑っている。

「いいや、何も違わないよ。ちかごろの新聞がなんだって?」
 フェンネルは逆さ月になったセージの目を見る。視線の先の自分の右手を見る。
 試みに握りしめてみる。指がごわごわしていると感じる。

「もう一杯いれようか。今度は君、僕のを味わってみなよ。最近ペッパー・コーヒーが自分の流行りなんだ」
「なんだって? コーヒーに胡椒なんて、相性良いとは思えないけど」
「胡椒もスパイスの一種だからね、実は合うんだな。ふつうの胡椒は試してないけど、ロングペッパーってのがあってね。別の名をヒハツという」
「へえ。なんかそれ、シャーロック・ホームズの格闘技みたいだな」
「それはバリツ」

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