電車の中で小説を読むと起こること
村上春樹の作品はいつも何かしらを読んでいます。
併読書がたくさんあって、それらの読むスピードはまちまちですが、その中でちまちま読むものの中にハルキ小説が混ざっている、という感じです。
一つ前が『1Q84』だったか(完読できませんでした)、その後になにか読んだかちょっと忘れてしまいましたが、今は『ノルウェイの森』を読んでいます。
実は再読ではなく、初読です。
いまさらですが。
村上春樹に限らないのですが、ある小説を読んでいる間は、その世界観が日常生活に染み込んできます。
電車の行き帰りで少しずつ読んでいたりするとなおさら、です。
単に文章やそれから自分で描いたイメージの記憶が鮮明に残っているから、なにかの機会にとか、なんの理由もなくふとある場面を思い出すとか、いうこともあります。
でも僕が、小説世界が「日常生活に染み込む」と言う時、それはもう少し「濃度の高い」影響があります。
本を読む時、頭の中には常に音楽が流れています(それを脳内BGMと呼んだり、過去にSIM=Synaptic Imaginative Musicなどと命名したもともあります。現実に音楽を聴きながら読むのと、音波に頼らず頭で仮想的に再生するのとでは、その影響が全く違ってくるとと経験的に確信していて、ぜひそのあたりを掘り下げてみたいのですが話が長くなるので別の機会にします)。
物語以外では、だいたいジャンルごとに流す曲の傾向が決まっていて、ある特定の本だけの曲、という割り振り方はしません。
小説だと、いや小説も本単位ではないのですが、ほとんど作家ごとに特定の曲を決めています。
(小さな例外はいくつもありそうですが、大きな例外は森博嗣で、シリーズがいくつもありそれぞれ雰囲気が違うので、シリーズごとに相性の良い曲を流すことにしています。覚えているだけでも6、7曲はあります)
村上春樹の小説もほぼ1つの曲に決まっているのですが(この曲になった経緯について、2012年に書いた文章がありました)、長いあいだハルキ小説を読み続ける間にずっとこの曲を頭で流し続けたおかげで、僕にとってはということですが、音楽の方が小説の記憶を獲得した、というような塩梅になりました。
だから例えば、小説を読んでいない時、ふつうに街中をぶらぶら歩いている時に、頭の中でこの曲を再生すると、ハルキ小説の「感覚」が自分の中に流れ込んでくるわけです。
その「感覚」は、今読中のハルキ小説があるのならその小説の具体的なイメージだったりしますが、そうでない時は、もっと漠然としたそれこそ「感覚」と呼んでふさわしいものが、歩いている僕のまわりを淡く包み込みます。
まるで自分がハルキ小説の主人公で、初めて上四(「上京」っていいますよね)していかにもよそよそしい高松(『海辺のカフカ』)や、月が2つあり些細な違和感がすべて凶兆として現れる平行世界の1984年東京(『1Q84』)を歩いているような。
そのようなことで、環状線や地下鉄堺筋線-中央線に乗りながら『ノルウェイの森』を読んでいる僕は、終電近くで酔客が大声を上げ、ひきつり笑いが響き渡る地下鉄ホームを歩いていて、「一度足を踏み入れたらどう足掻いても抜け出せない泥沼のような1969年*1」にいるような気分になってくる。
これも大概なんですが、もっとひどいというか影響がありすぎると思ってやめたのがあって、『ノルウェイの森』の前に通勤時に読んでいた小説があって、それがジョージ・オーウェルの『一九八四年』で、読んでしばらくするまで気づかなかったんですが、これが並々ならぬ暗鬱なディストピア小説で、これを読む時の脳内BGMが『harmony/』(伊藤計劃)と同じという輻輳効果も不幸を奏して、地下鉄の駅内を歩く自分の顔つきがたぶんひきつっていたことだろうと思うんですが、通行人と肩がぶつかった時の自分の態度の悪さに愕然として初めて今ここに書いてきたことに気付いて「これはやばいな」と思ったのでした。
ハルキ小説はそこまでの影響はなくて、ただ哀愁というのか、それも乾いた、ある種の哀しさが通奏低音としてあって、ただそれが憐憫に浸るというのでなく、混乱を含みつつもそれをも見据える「無色の自覚」が伴っているところが、今の自分には読みやすいところだなと感じています。
(「無色」で思い出したけれど、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を持っていますがまだ読んでいませんね。ノルウェイを読了したら次に読もうかな)
というわけで、そんな一節を最後に引用しておきます。
永沢さんという人は救いようのない人で、そんな救いようのない人に救われる「僕」は、やはり哀しさを覚えずにはいられない。
「冗談じゃないですよ」と僕は唖然として言った。
「冗談だよ」と永沢さんは言った。「ま、幸せになれよ。いろいろとありそうだけれど、お前も相当に頑固だからなんとかうまくやれると思うよ。ひとつ忠告していいかな、俺から」
「いいですよ」
「自分に同情するな」と彼は言った。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
「覚えておきましょう」と僕は言った。そして我々は握手をして別れた。彼は新しい世界へ、僕は自分のぬかるみへと戻っていった。
村上春樹『ノルウェイの森(下)』*2