human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

香辛寮の人々 2-1 「脳の中の博物館」

 
 時が離散的に流れている。自分の周りを現れては消える事物が、移動ではなく、点滅しているようだ。日の光が、雨の細やかな粒が、チャンネルを切り替えるように明滅する。昼と夜の違いが、左右の違いでしかない。左右とはつまり、決まりごとのことだ。一方でなければ他方であるという、それらの対の名。
 抽象の思考が、抽象への志向へ進化しているのかもしれない。有機体の抽象志向、それは無機への還元と相似するだろうか。思考機械がある種の複雑化を極めると有機体へ近接するが、これも右と左の違いに過ぎないということか。左は右を目指し、右は左へ向かう。そうして何かが起きたようにも見えるし、何も起きていないようにも見える。

 二次元世界に生きるスクエア氏には、螺旋運動は回転運動として認識される。二次元世界をその外から眺めるスフィア嬢は、スクエア氏の動作や視点、思考も含めたあらゆる平板さを目下に、あたかも神のような心地に陥る。スクエア氏の視線の先を追うスフィア嬢の存在をスクエア氏は全く感知できない、全能感に満たされたスフィア嬢はそれを事実として疑わない。しかし二次元世界に神がいるなら、それは事実ではない。しかしスフィア嬢の神性は否定されない、神は時に間違いを犯すからだ。


「博物館というものに興味はあるかい?」
「えらく漠然とした聞き方だな。僕にとって興味のあるものがそこに展示されていれば、もちろんその博物館に興味があるといって間違いではない」
「いや、漠然としたまま考えてほしいんだが。つまり、何らかの方針に従って収集したものの展示を見ること、あるいは収集や展示をすることに対する興味なんだけど」
「ふむ。博物行為に対する関心、ということかな。考えてみると面白そうだね」

「博物館をやる側からすれば、一般的には訪れる者の興味をかきたてる構成を考えるだろう。来訪者がなければ、それは私的なディスプレイ趣味に過ぎない」
「そうだね。公共施設なら、運営方針もきちんとしたものになるだろうし、個人的な趣味から始まった収集が私設の博物館に発展するのだとしても、それは自分の情熱とか、展示テーマの知られざる奥深さなんかをアピールしたいと思うからだろうしね」
「ところが、誰も来るあてのない博物館の館長というのがいるんだ」
「どこに?」
「それは今はいいんだ。とにかくそういう孤独な館長の存在を僕は知っている」
「ああ、なるほど。自分の住処でぬくぬくとしながら警備員だと名乗る話と同じだろう」
「…そうだね、確かに、客観的にはその認識が成立するといえる」
「やけに素直だな、なにか悪いものでも食べたか。それで、君がその館長なのかな?」
「いや、そうではないんだが、僕の知るその館長に、僕は共感を持ちつつあるんだ」
「うーん、どうも話がわからないな。その孤立した博物館とは、一体どういうものなんだい?」

「そこには館長個人にまつわる品々が展示されている。個人的に意味のあるものも、意味のないものもある。もっと広く、一般性に照らして有用なものもあれば、全くゴミ同然のものもある。目にするだけで気分が悪くなり、真っ先に焼却炉に放り込んで炭化させたい衝動に駆られるものだってある。とにかくそれらは選り好みされることなく、あるリストに従って遺漏なく、システマチックに収集される。
 それらは日に連れて数を増やしていく。彼はその一つひとつを手に取り、ほこりを払い、から拭きをして、然るべき位置に並べる。スペースの心配は彼の関心を微塵も刺激しない。館内にいると奥が霞んで見え、あたかも博物館の壁が水平線に吸収されたかのように視線を遮るものがなく、白いシーツが被せられて上には何も乗っていない展示台は、墓碑銘の彫刻を行儀よく待ち続ける墓石のように、リノリウムの床に溶け込んで規則正しく整列している。
 展示された品々はもちろん同じ形を保ち続ける。時の経過に対してなんの反応もない。彼自身は年を取り、体は老いていき、また関心や思考の内容という意味での彼の精神も日々変化する。展示品たちはそんな彼自身の変化に頓着せず、薄暗い空間で日々ほこりをうっすらと被り続けるだけだ」

「それで、君は彼のどこに共感するというんだ?」
「彼にはどこか、時間を超越したところがあるんだ。僕らの寿命のスケールを遥かに超えた、途方もないものを見ているというか、それに取り込まれているというか。自分の博物行為になにか意味を求めているのではなく、自分が館長であることによってその途方もないものと繋がろうとしているように思える。意味を超えたものと繋がるためには、自分も意味を超えなくちゃいけないんだ」
「ふうむ。君はあれか、その謎めいた途方もなさに憧れていると言いたいのか?」
「そうかもしれない。いや、わからない。これはわかるような話じゃないんだ」

「おいおい、そんな話を僕にしていたのかい。いつものことだが、今日は特に横暴が過ぎるぜ」
「ごめん。どうも感覚が漠然とし過ぎていたから、とにかく言葉にしてみないといけないと思ったんだ」
「冗談だよ。もちろん、どんな話でも君がしたければいつでもすればいい。語りえないことは沈黙すべきではない。なにかが語りえないのならば、それを語りえない状況について、位相を繰り上げて語るべきだからね」
「その通りだ、僕もそう思うよ。言葉は本源的に有為であり、無為な言葉は存在しない。言葉を無為にするのはいつでも語り手か聞き手の怠慢だ」
「まあそうはいっても、実際には限度があるけれどな。で、わからないなりに喋ってみて、何かわかったかい?」

「うーん、えっとね、時間の流れ方について考えればいいのかな、って今思った」
「ほう。まず孤独な博物館の時間は止まっている、と考えるんだな」
「いや、多分そうじゃない。時間は相対的に流れる。博物館の時間は、外界とは異なる流れ方をしているだけなんだ」
「それは表現の問題に思えるけれど」
「そして、異なる時間の流れ方をする空間にまたがって存在する者は、複線的な時の経過を経験する」
「…どういうことだ?」
「そうか、それが物語の効果なんだ」
「ちょっと待て、一人で会話するなよ」

「では博物館とは一体何か。自分に関係するものが展示されているというのは…。それが自分の物語、自分が触れた物語だというなら、形を変えないのはなぜか。物語の進展に従って当然それは変化する。それが変化しないと言うのは…変化を待っている、待機状態のものが展示されている? いや、展示する意味が分からない。観客は自分自身で、自分に対して変化したいというアピールのためか。もしそうなら、変化したものは展示台から消滅する。消えてくれることを願うものたちを体よく並べるというのも妙だ。ひょっとして博物館というのは……」
「…まあ、なにかわかったのならいいけれども。少しは脈絡不明の迷走話に真面目に付き合うこっちの身にもなってほしいものだな。ぶつぶつ」

 ひょっとして博物館とは、思考の場に与えられた名の一つであるのかもしれない。自分だけの、他から隔絶された、静謐な空間。しかし、思考の俎上に置く対象は、その空間の外部のものだ。思考対象が行き来することで、その空気は純粋さを失う、不純物が混ざる。圧力の異なる空間が触れあえば、各々の気体は混合される、この比喩は物理現象以上にシビアだろう。
 管理人は精神のエントロピィに反抗すべく奮闘する。博物館に持ち込んだ展示物、すなわち思考対象の鮮度を維持しながら、思考空間である館内の静けさと落ち着きを保つ。日の目を見ない館長の業務は、まさに「雪かき仕事」だ。頭の中の小人の、誰にも知られず、頭の持ち主にさえ気付かれない、全く報われることのないシシュフォス的役務。
 ホムンクルスはいなかった。しかし我々の中に存在しないというだけで、その存在そのものを否定することはできない。白いカラスが世界中の陸地に存在しないことが証明されたその時、彼らは太平洋上を悠々と周遊しているかもしれないのだ。